第6話 足りない税収と、古すぎた帳簿
「金貨二千二百枚、私の予測から不足しています」
収穫月二十三日の朝、フィオナは家畜税の報告書を握ったまま立ち尽くしていた。
徴税官の集計間違いではない。前年の飼育数、今年春の出生数、過去五年の平均徴収額。財務室に届いていた数字を使い、フィオナが組んだ予測だった。
「原因を調べます。今日中に修正案も出します」
告げた声が硬い。
冬用小麦を確保したばかりなのに、今度は春までの収入が崩れた。
フィオナの目的は、不足を帳簿のどこかへ押し込むことではない。なぜ予測が外れたのかを確かめ、領民から無理に取り立てず、金貨二千二百枚の穴を埋めることだった。
彼女は村別の納税簿を机いっぱいに広げた。
牛の納税数は予定より百四十頭少ない。羊は四百八十頭、山羊も九十頭足りなかった。特定の村に偏らず、南東部から北西部へ時期をずらして減っている。
「売った記録はありません」
ニナが関税所の家畜通行簿を確認して言った。
「なら、領内にいるはずです」
「いません」
マルタが差し出したのは、各村の埋葬許可簿だった。
夏の終わりから、家畜の埋葬穴を掘った記録が急増している。
「病気で死んでいたのですか」
フィオナの喉が乾いた。
家畜税の台帳が更新されるのは、春の出生調査と年末の確定時だけだ。死亡報告は獣医局、埋葬記録は村役場にあり、財務室へ届くのは年末だった。
帳簿の数字は正しかった。
ただし、古かった。
「私が、税の台帳だけで予測したからです」
「これまで全員が、その台帳を使ってきました」
マルタの慰めに、フィオナは首を振った。
「私は全帳簿を見せてほしいと言いました。それなのに、財務の棚にあるものだけを『全部』だと思った。見落としです」
◇
フィオナは昼を過ぎても席を立たなかった。
不足分を埋めるため、支払い予定を一件ずつ削り直す。城壁の補修を延期し、使用人の採用を止め、自分の給金も計算から外した。
「その表を閉じてください」
マルタが紙の上へ手を置いた。
「まだ金貨八百枚しか作れていません」
「だからです。朝から同じ欄を三度計算しています。しかも二度目には、薬代を削ろうとなさった」
フィオナの手が止まった。
病気の原因を調べている最中に、薬代を減らす。普段なら決して出さない案だった。
「少し休めば続けられます」
「一人で、ですか」
ニナも書類の束を抱えて立っていた。
「私、死亡記録を村ごとに並べられます。マルタ様は支払いの優先順位を一番よくご存じです。臨時財務官様が全部する必要はありません」
王宮では、情報を渡した相手に証拠を消された。
だから気づかないうちに、重要な判断ほど一人で抱え込もうとしていた。
「お願いします」
その一言を口にすると、肩から力が抜けた。
ニナは埋葬記録と獣医の往診簿を、マルタは支出と納期限を担当する。フィオナは二人の結果を受け、村ごとの被害と資金不足を一枚の表へまとめた。
三人で最新の往診日まで並べると、別の事実が見えてきた。
家畜の病はすでに収まりつつある。死なずに残った家畜まで、税を払うため安値で売ろうとする農家が増えていた。
「今取り立てれば、来年の子まで減ります」
フィオナは計算し直した。
「被害を受けた家の家畜税を春まで猶予します。その代わり、城下で三日間の臨時市を開きましょう。余剰の羊毛、乳製品、干し肉を商人へ直接売れるようにします」
「猶予したら、今季の収入はさらに減るのでは?」
ニナの疑問はもっともだった。
「強制的に家畜を売らせれば、来年の税収まで失います。市の場所代は取らず、売買が成立した分だけ低い取引税をいただきます。商人には空で帰る荷馬車を使わせれば、輸送費も抑えられます」
羊毛を受け取りに来る商人の荷車なら、帰路に商品を積める。
マルタが算盤を弾いた。
「過去の市と商人の参加予定から見て、取引税は少なくとも金貨六百枚。延期可能な城内工事を見直せば、さらに五百枚。合わせて千百枚です」
見込みどおり市が開ければ、不足は金貨二千二百枚から千百枚まで縮む。
すべては埋まらない。だが、家畜も薬も給与も守れる。
◇
アーヴェルは報告を最後まで聞いた。
「予測を誤りました」
フィオナは最初にそう認めた。
「税台帳と獣医局の記録が年末まで接続されないことを確認していませんでした。今後は月ごとに死亡数を財務室へ報告させます」
「処分を求めるのか」
「必要であれば受けます」
「では命じる。今後、重要な調査を一人で抱えることを禁ずる」
予想と違う言葉に、フィオナは顔を上げた。
「間違えたことより、間違いを隠すほうが領地を損なう。君は報告し、原因と残る損失を示した。ならば次を直せばいい」
アーヴェルは納税猶予と臨時市の許可書へ署名した。
「城内工事の延期は俺から職人へ説明する。仕事が減る者には、倉庫と市場の補修を回そう。残る千百枚は、俺も別の支出から探す」
フィオナの失敗を消すのではなく、その後の責任を分けてくれる。
「失望なさらないのですか」
「俺にも、見ようとしなかった数字がある」
アーヴェルは独占契約の写しへ目を落とした。
「父が結んだ契約だから、領地に必要なものだと思い込んだ。疑えば、亡き父を責めるようで怖かったんだ。君が来なければ、今も高値を払い続けていた」
迷いを見せない人だと思っていた。
違った。迷っても、自分の名で決めていたのだ。
「私も、失敗した自分を認めるのが怖かったです」
「なら、今日は二人とも見落としを認めた。少しは進んだな」
許可が下りると、マルタは延期できる工事を選び、ニナは被害を受けた家へ猶予の通知を書いた。ダリオも南へ戻る商人へ臨時市の開催を伝えると約束した。
夕刻には、家畜を手放そうとしていた三つの農家から、売却を待つとの返事が届いた。ダリオからも、南部の商人七人が臨時市への参加を検討していると連絡が入る。
取引税はまだ見込みであり、金貨千百枚の不足も残る。それでも、帳尻を合わせるために来年の暮らしまで売る必要はなくなった。
◇
その夜、フィオナはアーヴェルと小さな食堂で夕食を取った。
会議でも報告でもない。温かな豆の煮込みと黒パンを挟み、向かい合う。
「仕事の話は禁止ですか」
「少なくとも、食べ終わるまでは」
「難しい命令ですね」
「俺も守れる自信がない」
同時に笑い、フィオナは初めて、彼の前で帳簿を持たずに肩の力を抜いた。
食後、ニナが獣医局から最後の往診簿を届けに来た。
病の最初の発生は、夏至月二十七日。
ところが、その十二日前から、王都の商人が家畜用の解熱薬と消毒薬を大量に買い集めていた。通常の四倍。購入先は、クローデンを含む北方五領に薬を卸す商会である。
「病気が広がる前に、薬が必要になると知っていた……?」
フィオナは購入記録の商会印を見た。
王宮の架空債務と粗悪な鉄材に関わった、あの指定商会と同じ印が押されていた。




