第5話 違約金を払うのは誰か
「この鉄材は、契約の品質基準を満たしていません」
フィオナが告げると、指定商会の代理人は鼻で笑った。
「穀物を他所から買うため、今度は鉄材へ言いがかりですか」
収穫月二十二日。
ダリオが小麦千百二十袋を取り置く期限は、残り四日。だが王宮指定商会との独占契約を一方的に破れば、金貨一万枚の違約金が発生する。
領地に、その金はない。
ただし契約の付則には、買い手を守る品質保証条項があった。
納入品が基準を満たさなければ、改善されるまで独占取引を停止できる。その間、領地はほかの商会から必要な物資を購入でき、違約金も発生しない。
フィオナの目的は、契約の穴を探すことではない。
指定商会が、自ら定めた品質を守っていないと証明することだった。
「言いがかりかどうかは、検査をご覧になってから判断してください」
彼女は契約書、納品台帳、倉庫の封印記録を検査台へ並べた。
アーヴェルは鉄材倉庫を封鎖し、領内の鍛冶師三名を呼んでいた。検査に必要な場は整えたが、品の選定にも条項の解釈にも口を挟まない。
「検証はフィオナに任せる。結果がどちらに転んでも、止めはしない」
代理人が顔をしかめる。
フィオナは一礼し、検査の開始を告げた。
◇
武具用の鉄材は、規定の型へ冷えたまま曲げ、三度打っても裂けてはならない。
契約書に明記された検査方法である。
ところが、最初の十本はすべて合格した。
鍛冶師が鉄槌を振り下ろすたび、澄んだ音が倉庫へ響く。三度打っても、亀裂は一本にも入らない。
「これで十分でしょう」
代理人が腕を組んだ。
「納品時にも同じ検査をしています。辺境の資金難を、我々へ押しつけられては困る」
筋の通った反論だった。
契約を止めたいという願いが、判断を歪めたのではないか。
王宮で告発を急ぎ、証拠を奪われた記憶が胸をよぎる。フィオナの指先に汗が浮かんだ。
「続ける根拠はあるか?」
アーヴェルは庇わなかった。
答えだけを待っている。
フィオナは十本の鉄材ではなく、結びつけられた荷札を見直した。
「あります」
十本はすべて、三日前に届いた最新の荷から選ばれていた。しかも倉庫の手前に積まれた二列からしか取り出されていない。
鉄材は三回に分けて百本ずつ二列、合計六百本が納品されていた。
最初の十本を選んだのは、指定商会の代理人である。
「検査方法を変えます」
「不合格品が出るまで選び直すおつもりですか」
「反対です。今度は、誰にも品を選ばせません」
フィオナは六百本の荷札番号を紙片へ書き写し、袋へ入れた。
代理人、マルタ、鍛冶師三名、そしてフィオナ。六人が十枚ずつ引けば、合計六十本になる。
「倉庫の場所ではなく、納品時の番号で無作為に選びます。代理人殿にも抽出へ参加していただきます」
自分で番号を引く以上、領地側が不良品だけを選んだとは主張できない。
代理人は唇を引き結び、袋へ手を入れた。
◇
十一本目が、二度目の打撃で裂けた。
十三本目は、三度目を待たず鈍い音を立てて折れる。
倉庫の奥から取り出された鉄材ほど、断面に黒い粒が目立った。
「混じり物が多い」
鍛冶師長が破断面を削る。残る二人も確認し、同じ判断を記録した。
六十本中、品質基準を満たさなかったものは三十八本。
なかでも古い二回分の納品、四百本から選んだ四十本は、三十五本が不合格だった。
対して、手前の最新二列から選んだ二十本は三本しか割れていない。
「偶然では説明できません」
マルタが二度計算し、結果表を代理人へ向けた。
「納品時の検査では、誰が試料を選びましたか」
フィオナが尋ねる。
「商会の納品責任者だ。領地の鍛冶師も立ち会った」
「鍛冶師が場所を指定したのですか」
「いや。責任者が手前から出した品を検査した」
良品を手前へ寄せれば、検査を通過できる。
ただし、それだけで意図的な偽装と断定することはできない。
「現段階で、入れ替えが故意だったとは申し上げません」
フィオナは荷札番号と試験結果を三部作り、鍛冶師三名とマルタに署名を求めた。
「ですが、納入品が品質基準を満たさない事実は変わりません。付則に従い、独占取引の停止を求めます」
「領地側だけで行った検査を、本部が受け入れると思うのか」
「あなたにも抽出へ参加していただきました。再検査を求める権利は妨げませんが、その間も契約は停止できます」
「倉庫で傷んだ可能性は?」
フィオナは保管記録を開いた。
「三回の納品日は異なりますが、保管場所と積み方は同じです。温度と湿度も一日二度記録されています。古い四列だけが劣化するほどの差はありません」
代理人は破断した鉄材を見下ろした。
反論は止まった。
代わりにマルタが、検査記録の原本を自分の腕へ抱えた。
「原本は私が保管します。写しは辺境伯様と鍛冶組合へ。今回は、消させません」
その言葉に、フィオナは一度だけ目を伏せた。
王宮で失った証拠を、今度は一人ではなく三者で守れる。
◇
同日午後、領地評議会が開かれた。
「王宮指定商会との契約を止めれば、次の物資まで送られなくなるぞ」
二人の評議員が反対した。
「その可能性はあります」
フィオナは破断した鉄材を机へ置いた。
「ですが、この鉄で作った武器を持たされるのは国境の兵です。契約を守るため、契約に書かれた品質を無視することはできません」
「代わりはあるのか」
「鉄材は領内の鍛冶組合が二か月分を供給できます。小麦千百二十袋は、ダリオ組合長が残り四日間取り置いています」
アーヴェルは結果表を読み、破断面も自分で確かめた。
「費用は?」
「小麦は金貨四千八百枚。現金千六百枚と、羊毛三千二百枚分で支払います。指定商会が示した金貨六千二百四十枚との差額、金貨千四百四十枚は、付則により今後の請求と相殺できます」
「この判断が誤りだった場合は?」
「再検査で全体が基準を満たすと証明されれば、検査費に加え、契約停止を不当とされる危険があります」
成功する話だけをして、署名を求めるわけにはいかない。
アーヴェルは検査記録を閉じた。
「判断に必要な事実は、フィオナが示した」
契約停止書へ自ら署名し、領主印を押す。
「停止によって生じる政治上の責任は、俺が引き受ける」
評議員はもう反対しなかった。
会議が終わると、アーヴェルは席を立とうとしたフィオナを呼び止めた。
「最初の十本が合格したとき、君の手が震えていた」
「見ていらしたのですか」
「結果だけを信じるなら、君を呼んだ意味がない。迷ったうえで何を選ぶかまで見ていた」
差し出されたのは、冷めかけた茶だった。
「飲んでから次へ行け。正しい判断にも、休息は必要だ」
フィオナは温かな器を両手で受け取った。
「ありがとうございます、アーヴェル様」
仕事への評価とは違う熱が、指先に残った。
◇
その日のうちに、ダリオとの取引が成立した。
鑑定人が羊毛を調べ、全量が基準を満たすと確認。現金千六百枚と羊毛三千二百枚分で、小麦千百二十袋が引き渡される。
倉庫へ最初の荷車が入ると、ニナとハンスは新しい様式へ数量、状態、荷札番号を別々に記録した。
ハンスが一袋を開き、ニナが乾いた粒を掌で受ける。
帳簿の数字ではない。
春まで領民の口へ入る、本物の小麦だった。
「これで百八十日分です」
フィオナが告げると、倉庫にいた者たちから深い息が漏れた。
冬を越す食料は確保できた。
だが、財務室へ戻ったマルタが独占契約の最終頁を差し出した。
「この契約、先代様が望んで結んだものではありません」
添付された起草命令には王宮財務庁の印があり、作成部署は財務庁契約調整室。担当者名だけが、写しでは黒く潰されていた。
指定商会に高値で買わせ、基準以下の鉄材まで受け入れさせたのは誰なのか。
フィオナが紙を透かして確かめようとしたとき、ニナが別の報告書を持って駆け込んできた。
「臨時財務官様。秋の家畜税が、予定額に届きません」
「不足はいくらですか」
「金貨二千二百枚です」
冬の食料を取り戻したその日に、今度は春までの収入が崩れた。




