第3話 存在しない借金
「北方第三便は、冬至月十一日に到着していません」
フィオナが街道管理簿を開くと、見開きいっぱいに赤い線が引かれていた。
前年冬至月九日から十四日まで、大雪のため北門と王都街道を封鎖。十一日の欄にも、荷馬車の通行は一台もない。
王宮への金貨8000枚の支払いを保留してから、すでに十六時間。残り三十二時間で、金貨二万四千枚の借金が正しいか証明しなければならない。
「別の門を使った可能性は?」
財務官マルタは、まだ疑いを捨てていなかった。
「北方第三便が運んだのは、穀物1200袋、薬草120箱、鉄材300束です。城門を通らず運べる量ではありません」
フィオナは受領証の品目を読み上げた。
穀物だけでも荷馬車四十台。薬草と鉄材を加えれば、最低でも四十七台が必要になる。
「街道が開いた十四日以降に到着し、受領日だけ遡らせたのかもしれません」
マルタの反論には筋が通っていた。
「その可能性を確認します。次は関税所と共同倉庫です」
フィオナは街道管理簿の該当頁に紙片を挟んだ。まだ結論は出さない。前の職場で、それを急いだ代償は十分に払った。
◇
関税所の記録には、北方第三便が記載されていた。
「冬至月十一日、荷馬車八台……」
マルタが眉間へしわを寄せる。
必要な四十七台に対し、記録は八台。しかも閉鎖中の街道を通ったことになっている。
「数字が合いません」
「緊急の軍需品は、複数の便を一つにまとめて記すことがあります」
関税所長ガレス・ドーマンが答えた。日に焼けた顔に動揺はない。
「雪で遅れた荷を、予算上の到着日に合わせて処理する慣例もあります。現物は後日届いたはずです」
「受領証へ押印したのは、あなたですか」
「はい。先代辺境伯から急ぐよう命じられました。王宮の共同調達を止めれば、次の冬から物資を回してもらえなくなると」
領地を守るために、形式を整えた。
規則違反ではあるが、ガレスの説明は不自然ではない。フィオナは彼を追及する代わりに、記録簿の次の頁をめくった。
「十四日以降、同じ商会から四十七台以上が入った日はありますか」
三人で二か月分を数えた。
指定商会の荷馬車は合計十一台。そのうち九台は衣類と酒、残る二台も空荷で王都へ戻ったと記されている。
北方第三便に相当する荷は、街道再開後にも通っていなかった。
フィオナは該当する頁を三部書き写し、原本と一字ずつ照合した。
「原本はここから動かしません。写しには、私とマルタさん、ガレス所長の三人で確認印を」
王宮では、証拠の所在を一人へ預けて失った。同じ失敗はしない。
「記録漏れかもしれません」
ガレスの声が初めて硬くなる。
「その確認のため、共同倉庫へ行きます」
「私を疑っているのですか」
「今は、荷物が存在したかを調べています」
人の罪を決める前に、同じ一杯を量っているか確かめる。
三年前の自分の言葉を、フィオナは胸の内で繰り返した。
◇
共同倉庫では、記録係のニナ・ベルクが三冊の在庫帳を運んできた。
「北方第三便の入庫記録です」
台帳には確かに、穀物1200袋、薬草120箱、鉄材300束を受け入れたとある。
だが、フィオナは横に積まれた日別記録へ手を伸ばした。
「この日の保管量を見せてください」
「受領証と同じ内容です」
マルタが示した頁では、三品目すべてが増えている。
一瞬、フィオナの指が止まった。
街道の記録が不完全で、荷は本当に届いていたのか。王宮で証拠を奪われた焦りがよみがえり、早鐘のように胸を打つ。
「前日と翌日の記録もお願いします」
受領日の前日、穀物は860袋。
十一日に1200袋を受け入れたなら、合計は2060袋になるはずだ。
ところが翌日の繰越欄は、840袋。兵舎へ出した二十袋を引いただけの数だった。
薬草と鉄材も同じである。入庫欄だけが増え、在庫の合計には一度も加えられていない。
「この入庫欄は、誰が書きましたか」
「私です」
ニナが青ざめた。
「でも、品物を見たわけではありません。関税所から受領証が届き、倉庫長に転記するよう言われました。現物が来たら荷札番号を記す決まりでしたが……番号がありません」
倉庫内を確認しても、その便の荷札は一枚もない。現在残る薬草箱の封印も、すべて北方第三便より前の日付だった。
フィオナは在庫帳の写しにも、ニナとマルタの確認印を求めた。今度は証拠を一か所へ集めず、原本、写し、持ち出し記録を別々に残す。
荷物は届いていない。
それでも受領証だけが作られ、王宮は代金を支払い、クローデン領には立替金として同じ代金が請求された。
「フィオナ様」
マルタが初めて名を呼んだ。
「あなたは最初から、これを疑っていたのですか」
「可能性を考えただけです。三つの記録が揃うまでは、私にも分かりませんでした」
マルタは街道管理簿、関税記録、在庫帳を順に見た。
「私は二十年、この帳簿を管理してきました。一冊ずつなら何度も見ていたのに」
「別々の場所では、どれも正しく見えます。並べなければ見つけにくい仕組みです」
マルタはしばらく黙った後、三冊を自分の腕で抱えた。
「城へ運びます。持ち出し記録には、私が署名します」
◇
保留期限まで、残り三時間。
フィオナは集めた記録を評議室の机へ並べた。
「北方第三便は到着していません。街道は閉鎖され、必要な四十七台の通行記録もなく、在庫にも加えられていません」
アーヴェルは一つずつ頁を確認した。
「では、二万四千枚は?」
「現時点で、領地が負う根拠はありません。領内保管用の契約書の写しも、八か月前、王宮財務庁の再確認命令によって提出されたままです」
文書発送簿には、契約書の写しを王宮へ送った日と、受取人の署名が残っていた。返却の記録はない。
「支払いを止め、債務の根拠となる契約書と、実際の納品証明を王宮へ請求すべきです」
「拒まれれば、王宮への反抗と見なされるぞ」
評議員の一人が言った。
「その危険はあります」
フィオナは否定しなかった。
「ですが、この八千枚を払えば冬の穀物か給与を削ることになります。存在しない荷物のために、実在する領民を飢えさせるべきではありません」
アーヴェルは最後まで聞き、マルタを見る。
「財務官の意見は?」
「昨日までなら、支払うべきだと申し上げました」
マルタは自ら署名した持ち出し記録を机へ置いた。
「今はフィオナ様の判断を支持します。いえ――臨時財務官の判断を」
アーヴェルはうなずき、正式な支払停止書へ署名した。
「抗議への対応は俺が引き受ける。フィオナ、君は調査を続けてくれ。必要な人員と記録の閲覧権も、今日から期限を設けない」
そこで彼は、フィオナの目元を見て付け加えた。
「ただし、今夜は眠ること。疲労で判断を誤るようなら、この権限は取り上げる」
「命令でしょうか」
「領地の財務を預ける者としての命令だ」
能力を使い潰すのではなく、判断できる状態まで守ろうとしている。その意味を受け取り、フィオナは「承知しました」と答えた。
四十八時間だけ預かった副鍵が、フィオナの前へ戻された。
今度は、マルタの手からだった。
「お預けします、臨時財務官殿」
フィオナは債務分の24000枚を支出から外し、帳簿になかった薪代を加えて資金予定を引き直した。マルタも隣で同じ計算を行い、最後に同じ日付へ線を引く。
資金が尽きる時期は、三か月後から七か月後まで延びた。
だが、冬を越すには金貨4800枚分の穀物を確保しなければならない。
「もう一つ、報告があります」
ニナがおずおずと別の在庫帳を差し出した。
「帳簿では冬用の穀物が3600袋あることになっています。でも、今朝数えたら、二千四百八十袋しかありませんでした」
差は1120袋。
借金を止めても、冬を越すはずの穀物が1120袋不足していた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
フィオナの働きで、金貨24000枚の支払いを止めることができました。
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次回は、帳簿から消えた冬用穀物千百二十袋の行方を追います。




