10:虚空の住人
最上階に行くはずが謎の空間に繋がってしまい、エレベーターから出たばかりの唯花は困惑しつつ、少しふらつきながら歩みを進めていく。
興味本位で廃ビルの都市伝説を確かめた結果、まさか現実だったとは正直予想外だった。
(これが、神隠し…?本当だったんだ…)
空間には奇妙な光景が広がっていた。
周囲にはいつの時代、どこの国のものかも分からないコンクリートの塊や、へし折れた鉄骨、崩れた壁などの瓦礫が無数にぷかぷかと浮遊している。
重力が完全に消失しているわけではなく、触れるとゆっくりと動くような、まるで深い水底にいるかのような奇妙な浮遊感に彼女は包まれていた。
エレベーターに乗っていたときにも見た、ネオンのような黄緑色の光のラインが空間の内壁を駆け巡るようにして規則的に走っている。
その光景は五感と現実が切り離された、ネオンが走る歪んだ監獄のようだった。
さらに奇妙なのは、どれだけ時間が経っても喉が渇かず空腹も感じないことだった。まるで自分が生きているのか死んでいるのかも決めきれない不思議な感覚に包まれた。
生物としての時間や代謝が完全に停止している、命の営みそのものが凍りついたような恐ろしいほどの静寂が空間を支配している。
「あれ?嘘でしょ…無くなってる…」
唯花は刹那、凍り付いた。彼女が後ろを振り向くと、自分が乗っていたエレベーターが消えていた。このエレベーターは現実とこの空間の連絡手段として機能していたから、消失してしまったらもう帰れないではないか。
(待って!これじゃ私帰れないじゃない!ヤバい!!)
まずい、閉じ込められてしまった。慌ててスマホを起動させるが電波は圏外のため使い物にならない。
彼女はパニックになり頭を抱え、この先どうなってしまうのか悪い想像ばかり巡らせて絶望している。
「あ、ああ…」
(私、ずっとここに閉じ込められちゃうの…?あー嫌だ嫌だ嫌だ!帰れなくなって行方不明扱いされるなら天征も連れていけばよかった…というかあの都市伝説、ガチだったなんて分かるわけないじゃん…!)
「っ、はぁ……」
(嘆いてもどうにもならないよね…なにかありそうだし一旦探索してみよう…)
唯花は自暴自棄になりかけたところで、この空間を探っていけばビルに戻るための手がかりが何かしら見つかるかもしれないという根拠の無い希望が芽生えた。
その可能性にかけて唯花は空間をどんどん進んで行くと同時に、神社で交わした天征との会話を思い出した。
『「しかもそこで2年前に行方不明者も出てるみたい。原因も分からないから解体するわけにもいかなくて立ち入り禁止にされてるままなの。だからみんな近づけなくなったんだよね」』
そういえばそんなことを言った。
行方不明の事件は2年前だ。その失踪者がまだ生きている確証は無いが、もし出会えたならば色々と聞き出せるかもしれない。
確か、名前は白井煉だったはず…?
しかし、この亜空間は超然的な力によって構築されたものであるのは間違いない。失踪者がここの主である覚醒者だったらどうする?そうだとしたら戦いは避けられない可能性が高い。
あれこれ考えても意味がない。とにかくここから出る方法を見つけなければ…
「何あれ?上に誰かいる…」
亜空間の最奥部らしき場所へ進んでいくと、ひときわ巨大なコンクリートのがれきが浮いているのが見える。しかもよく見るとその上に寝そべっているような人影が見える。
(もしかして行方不明の人?)
「おーい!聞こえるー?ねえ、聞こえてるー?!」
駆け寄ってみると、そこには一人の青年が寝そべっていた。唯花はもう一度声をかけながらがれきの手前まで迫っていく。
「なんだ…?」
青年が声に反応し、顔をこっちに向けた。そして頬杖をつきながら軽い調子で返事をした。
「おお、新入りか?珍しいなー。人に会ったのは10年ぶりだぜ。しかも女の子じゃん」
「この場所どうなってるの?」
「ここ腹も減らないし眠くもならないからさー、時間感覚バグるんだよなー。退屈がとっくに限界突破しちまった」
「ねえ、君って白井煉だよね…?廃ビルの神隠しで行方不明になったって人?」
「お、名前知ってんだ。ていうかそんな噂で有名になってんのか。あんたは何ていう名前?」
「木山唯花っていうの。…煉はどうしてここにいるの?」
「なんか廃ビルでたむろしてた時に見たことねえ女に話しかけられたと思ったらここにぶち込まれてたんだ。なんでこんなことしたのか未だに理解できねえ」
どうやら煉は神隠しの都市伝説の元凶ではなく被害者の一人だったようだ。しかし、彼をこの監獄に閉じ込めた女とは一体どういった人物なのだろう。
「てかお前こそどうやってここに来た?お前も俺と同じようにぶち込まれたのか?」
「いや、ビルのエレベーターに乗って最上階に行こうと思ったらここに連れてかれちゃった」
「自分から行こうとしたのか。変なやつだなあ」
「ムッ、変な奴って言った……そういえば、あそこに浮いてる神殿みたいなやつって何?」
「さあな、分からん。なんなら俺が閉じ込められた時からずっとあるぜ」
煉はフッと軽く笑うと、立ち上がって唯花を見下ろした。その表情はどこか余裕がある。
彼は赤色のパーカーにチェーンを付けたズボン姿に、髪には黄緑色のメッシュが入っていてかなりチャラそうな外見をしている。
(この人、空間に馴染みきっててどう見てもただの遭難者じゃない。間違いない…私と同じ、覚醒者だ!)
唯花は目の前の青年が覚醒者であることを直感的に見抜いた。
空間の壁を走るネオンの光のラインが煉の動作に合わせて、彼の神経系と連動しているかのようにチカチカと明滅していて明らかに不自然なのだ。
さらに決定的なのは煉の周囲の空気が強力な静電気を纏っているかのようにパチパチしていることだ。メッシュがかかった髪は天界因子に触れている証だろう。
唯花の探るような視線を感じた煉は気づかれてしまったと焦るどころか、逆に感心したようにニヤッと口角を上げた。
「きみ、よく分かったなあ。俺はやることがないまま10年ここで閉じ込められ続けてたらいつの間にかこんな体になっちまってよお」
「その力、ここで使えるようになったの?」
「ああ、ちょうど俺が立ってる場所に結晶みたいなのがあってな、興味本位でそいつに触ったらこうなったわけ」
「なるほどね…」
「で、することがこの能力で遊ぶぐらいしかねえんだ…おかげで気が狂いきっちまった。まあ話し相手が増えただけマシか」
唯花には一つの疑問が浮かんでいた。煉が行方不明になったのは2年前だ。しかし煉はここで10年も過ごしたと言っている。
「ねえ、一つ聞いてもいい?」
「ん?」
「煉が行方不明になったのは2年前だよ?どうして10年ぶりだって言ってたの?」
「どうしてって言った通りだぜ?普通に数えたんだよ。お前もここに来て時間感覚がズレたんじゃねえか?」
「それはないよ。だって私、ここに来たのついさっきだもん」
「え?」
「煉は2154年に行方不明になった。でも今日はまだ2156年なの」
「いや、そんなはずはねえ!俺はこの監獄で10年数えて過ごしてきた!ここまで来てわざわざ冗談言うんじゃねえよ!」
「だからほんとに2年しか経っていないんだって!逆に10年過ごしてたんならその間何してたのよ!」
「…………は?…」
彼女の言葉は煉の怒りに火をつけた。煉の瞳から光が完全に消える。
唯花にとってはただ事実を言っただけなのに煉は急にキレ始め、余計に彼女は混乱してしまった。煉は瓦礫から唯花のいる足場へ飛び下りると、ゆっくりと彼女の方へ歩いて行く。
煉の怒りに呼応するように、彼女の周囲には黄緑色の稲妻が次々と落ちていく。
「その間何してたってお前、俺がここに引きこもって何もしてこなかったカスだって笑いにきたのか?」
「え?」
「肉体だけ不滅にされて死ぬことすらできず、誰もいないところでたった一人でずっと過ごすことがどれだけ地獄か分かってねえだろ!」
「違う、私そんなつもりじゃ__」
「だったらお前も味わってみろよこのクソ野郎!どつき回してやる!」
煉が叫んだ瞬間、唯花の目の前から彼の姿が一瞬にして消えた。
誰もいない無機質な白い空間で空腹すら感じず、死すら許されない無限の静寂に放り込まれて崩壊しそうになる精神を繋ぎ止めるべくただ自身の命脈権能を磨くことしかできなかった生き地獄の時間を唯花に何もしていないと言われたことは、彼の怒りを迸らせるには十分すぎた。
そして彼は全身に黄緑の光を纏い、空間の壁を走る光が激しく点滅したと同時に煉の肉体からとてつもないほど高電圧のスパークが放たれた。
そして唯花の目と鼻の先まで電撃の如き速さで肉薄し、電光石火の超加速で縦横無尽に空間を飛び回り始める。
「ほんとになに!?待って!落ち着いて!私変なこと言った…?」
唯花の必死の呼びかけにも応じず煉は周囲に浮いている瓦礫に次々突進していく。その瓦礫の破片が電磁波を帯び唯花の元へ弾丸のように降り注いでいく。
「もういい。そっちがその気なら私だって…」
会話の余地がないと判断した唯花は自身の命脈権能を発現させて青白い光を纏うと共に巨大な鎌を構え、降り注いでくる弾丸を無駄のない動きで切り伏せる。
「なんだ。こいつも人間辞めてんのか。こりゃいい暇つぶしになりそうだぜ!」
唯花が自分と同じ覚醒者であることを知った煉は上空からさらなる猛攻を仕掛けていく。
光の勢いを強めながら彼女が立っている場所めがけて自身の肉体そのものを雷撃として突っ込んでいく。再び降り注いでいく弾丸の雨の奥には煉が残像すら残さず飛び回っているのが見える。
煉の命脈権能の正体は自身の生体電流だ。電磁気力の反発によって重力を無効化し超加速を実現している他、そのまま放電して攻撃することも可能である。
「くたばれ!!」
背後からの声と殺気に唯花は振り返る暇もなく瞬時に躱した。
直後に強烈な電撃が目の前を突き抜ける。空気がパチィィィン!と弾け、放電の余波が唯花の肌をチリチリと焼く。
「熱っ!」
(なにあれ、速すぎる!)
次に煉は周囲を高速で飛び回ると同時に電磁波を四方八方から放つ。容赦なく飛び交う電磁波の刃が唯花の神経を鈍らせにくる。
唯花を足止めしたタイミングで煉はすかさず同じように仕掛ける。
(あいつ、私が動けないのを狙ってまた突っ込んでくる…なんとか防がなきゃ…)
雷撃が突っ込んでくる直前に彼女は力を振り絞って鎌に意識を集中させ反撃を試みた。
「くっ…オラァ!!」
しかし煉は即座に反応し、体勢を変えて彼女の鎌に電撃を纏った蹴りを繰り出す。
ドォォーン!!という轟音と共に互いの因子の粒子が激しく散っていく。
「チッ、なかなかやるじゃねえか…次こそぶっ潰してやるからな!」
「ちゃんと話聞いてよ!バカにするつもりなんて全然ないから!!」
「バカにしようがなかろうがお前の言葉一つで俺の10年を2年で済まされてたまるかよ!!こっちはずーっと一人でこれだけやってきたんだよ!!」
二人の攻撃が相殺したためか電磁波の効果が切れ、唯花は再び動けるようになった。そして持ち前の身体能力で瓦礫を飛び移っていき、やがて神殿のような足場へたどり着いた。
彼女は天界因子の出力を限界まで解放し全ての力を鎌に込めた。青白い光が虚空の中で大きな存在感を放っている。
ここで全身全霊で立ち向かわなければ本当に塵にされる。天征みたいにとどめを刺さないことは絶対しないだろう。
一方、煉は上空を支配しながら唯花の様子をずっと眺めており、彼女が鎌を再び構えるのを見ると天界因子を電源にして、電撃の威力をチャージしながら一気に急降下していく。
(こいつ、本気を出しやがった。いいぜ、俺だって手は抜かねえ。10年の孤独を見せてやる!)
チャージが終わると黄緑色の光は巨大なものとなっており、煉は雷を纏った隕石と化していた。
音を置き去りにして突き進む雷撃の彗星を死神の大鎌は迎え撃つ覚悟を決め、刃に全ての力が注がれていく。
そして両者は全身全霊の状態で激突した。
――――――――ドオォォォォン!!!―――――――
二人の規格外のエネルギーが正面衝突した。凄まじい衝撃波がぷかぷか浮いていた無数の瓦礫を一瞬で粉砕し、空間そのものを激しく揺るがした。
そしてなぜか唯花の足場の神殿らしき残骸が純白の光を激しく放ち、視界が真っ白な閃光に染まる。
――――――――パリィィィン!!!―――――――
天界因子の最大出力によるエネルギー量に耐えられなくなったのか、とてつもなく巨大なガラスが割れるような、この世界が崩壊する轟音が響き渡った。
「っ…ぐっ!!?」
「眩しいっ!!!」
激しい残響と強烈な重力の感覚が二人を襲い、両者は意識を失ってしまった。




