エピローグ
鞠猫が去ってから一ヶ月が経とうとしていた。春の陽気は次第に暖かさを含み、夏の近さを感じさせていた。
俺の頭ん中は未だにあの日々をまるで昨日あったことの様に覚えていた。
我ながら本当に諦めが悪いと思う。REINのメッセージはずっと既読の付かぬまま。彼女から別のコンタクトが送られてくることも無く、あの体験はまるで夢だったのだと言われている様な気にもなっていた。
一月も経てば千火さんを初め、学校で鞠猫の事を口にする人も殆ど皆無であり、この世界でたった一人だけ俺だけが彼女を覚えているのではと思ってしまうこともしばしばだった。
俺は久しぶりに二階のテラスで紅茶を飲みながらくつろいでいた。ほんの一ヶ月前には彼女とここで話をしたんだよなと思い返しながら……小さな感傷に浸りながら。
さよならも言えなかった……
突然いなくなるなんてズルいよなと、いない人間への悪態が、椅子から見上げた丸い月夜に消えていく。あまりにも静かな夜に涙が出そうな思いだった。
自分自身に馬鹿馬鹿しいと思いながらも目を閉じたとき、意思とは関係無しに涙がこみ上げそうになった。そんな醜態を晒しそうになるが、それは突然のチャイムの音により引っ込んだ。
醜態を食い止めたチャイムには感謝するべきだが、時間を確かめれば時刻は22時半を過ぎていた。こんな夜更けに非常識な輩だと思いながらも、千火さんが応対するだろうという考えの元、椅子から動く事はしなかった。
しかし何度も鳴るチャイムに、俺は千火さんが風呂に入っている事を思い出し、椅子から飛び起き、急いで向かおうとするが、実際こんな時刻に訪問する人間などロクな奴じゃないと、家の中の電気がついているくせに居留守を決め込もうかと考える。
だが、その考えは訪問者がチャイムを押すことから、玄関ドアを激しく叩くことに移行したことによりとっぱられる。
尋常では無い『ドンドン! ゴンゴン!』という音に、この野郎はウチのドアを壊すつもりかと心配しながらテラスを抜け、二階から階段を駆け降りる。
そうして『うるせぇ!』と玄関ドアを開いた瞬間叫んでやると画策しながら一階に降り、数歩歩いた瞬間であった。
バゴォン!!
ととんでもない音を立てて玄関ドアがぶっ壊れた。
あと俺との距離3メートルというところで、中央には穴が開き、その穴から突き出された足が引っ込むと、腕が突っ込まれ、予めその位置が分かっていた様に迷わず扉のノブ付近の鍵をカチャリと回した。
「おぉぃ!?」
俺はつい、慣れた手つきのその見ず知らずの相手に可笑しな声を出してしまう。
一体どんなヤツだよ!こんなドアを堂々と壊して侵入してくるやつはよ! と憤りながら俺はドスドスとドアに寄る。
だが、その扉を開け、現れたのは予想外の存在であった。
泥棒? ……いやいや、ならばもっとコソコソするさ。
強盗? ……だとしても、あまりにも思い切りが良すぎるだろ。
ならば大穴で宅配業者か? ……そんなのはありえない。
けれどその『ありえない』よりももっと高い場所の『ありえない』がそこには立っていた。
ドアを勢いよく開け放した先に立っていた存在。夜闇の中でキラキラと白い反射光を放つ黒髪。漆黒の中で際立つ胸元の白リボン。そして大きな瞳。背後の巨大な楽器ケース。
俺の体の奥底の、空いていた隙間がピタリとハマる様な感覚。
鴉皮鞠猫がそこには立っていた。
夢か幻か……はたまた偽物か。そんな疑いが生まれる。だってそうだろう? 彼女はこの街を去った筈なんだから。
「奏君!! 無事ですか!?」
けど、彼女のその声を聞いた時、俺の体は目の前にいる存在を全肯定した。鴉皮鞠猫……その本人に違いは無いと。
でも感動なんて言葉は遠かった。何故彼女がここに? ポーランドは? 連絡も無しに帰ってきた理由は? メッセージだってシカトしていたのに? 一体どういうことだ?
混乱と動揺が俺を飲み込んでいた。
「お前……」
「怪我は!? 千火さんも無事ですか!? 何者からのコンタクトは!? 可笑しな点、最近起こった不可思議な出来事などは!? 包み隠さず話して下さい! ……ああ! それとも既に口封じの魔術が!? そうなら頭を縦に振ってください! 違うのならば横に! あ、それでも記憶封じの術も併用してある可能性も────」
突然の到来と共にそんな質問責めを繰り出してくる彼女。その顔には険しさが張り付き、焦燥が顕著に出ていた。
慌てふためく鞠猫。このまま放っておけばずっと一人で喋り続けているのではと予感させるその様子に、俺は玄関ドアを壊されているという現実の鬱憤を加味しながら、冷静さを欠いている彼女の脳天へチョップをかましてやった。
「あいたぁぁ!」
その言葉と共に、その場で体を屈め頭を抑える鞠猫。少しは冷静になっただろう。
「落ち着けよ鞠猫。 ……お前連絡も無しにいきなり来るなんてビックリしたじゃねーか」
俺の言葉に彼女は屈んだまま恨めしそうに上目遣いでこちらを見てきた。
「痛ぃ…ですよ、奏君……」
「玄関のドアを壊した罰だ」
頭を摩りながら鞠猫は立ち上がる。
「だって呼び鈴を押しても誰も出てこないし、でも家の中の電気は沢山付いていたし、もう『やられて』しまったのかと思ったんです」
彼女の言葉に俺は眉を顰めた。やられたとはまた物騒な物言いだが……一体……
「どういう意味だ、そりゃ」
「あ、そうですよね、奏君には何が何やらですよね。 ……落ち着いて聞いてください。奏君、貴方に超常としての案件が発生してしまっているんです!」
「……ッ!」
超常としての案件……俺はその意味をすぐに理解した。前に鞠猫が教えてくれた事を思い出したからだった。超常には有害な物に対する討伐の依頼などが『案件』としてあげられると。そしてそれは全世界の相応しいランクの超常殺しに渡り、『仕事』として確立すると。
鞠猫があのミスリーを狩りにきた事こそ、その『案件』からの仕事であったのだから。
「……お、俺に…?」
「はい。なので私は急いで戻ってきました! 連絡出来なかったのはすみません、スマホは向こうに行った時に水没させてしまって……奏君や千火さんの連絡先もそのままお陀仏になってしまいました……だから急いで日本に戻ってきたんです! 貴方が他の超常殺しに接触する前にと!」
そういう事だったのか。鞠猫は俺を案件から守るために来てくれたというわけだ。
そんな事情があるとは……俺は表には出さなかったが、彼女に感謝した。ここでようやく彼女自身が本当に今ここに存在するのだと受け入れる事が出来た。感動の再会……そんな言葉が浮かぶが、ぶっ壊れた扉の金具部分の壊れたキィキィという鳴き声が、俺をそんな心情にさせなかった。
「……だから私が奏君がターゲットになっているその依頼案件を受け、急いでこの街まで戻ってきたのに、チャイムを押しても何も反応は無く、それどころか留守の様子も無いじゃないですか。 だからてっきり手遅れだったのかと……」
なるほどな。ドアを壊した後に、すんなりと鍵を開けられたのは既に位置を知っていたからだというわけだ。納得だった。
「……玄関扉はその代償ってことか」
「すみません……」
「悪いけど、お前の心配を他所に俺はこの通りピンピンしてる。おまけに最近誰かに狙われる様な事もあったわけじゃない。その超常案件……本当に俺の事なのか」
「これを見てください」
そう言い鞠猫は俺に一枚のポストカード状の紙を渡してきた。それを貰い見る。表側は一面真っ赤な色に染められ、金色の線でlunaticの綴りが筆記体で書かれている。それを裏返し、裏面を見た俺は目をまん丸にした。
「歩く横恋慕……? なにこれ」
今度は日本語で綴られた言葉の並びに俺は疑問を浮かべる。
「奏君への事案的命名です」
「はぁ!?」
「生息地日本の関東地区、首都東京。危険指数星0.5……『歩く横恋慕』それが貴方の超常名です」
真面目な顔でそういう鞠猫。あまりにも酷い命名と、以前聞いた危険度数の話を思い出し、そんな顔をするほどのことかと思い俺は黙った。
危険指数といえば、十個の星で数えられると彼女が教えてくれたが、俺の星はなんと0.5個。一個の半分なのだ。こんなものギャグ以外のなにものでもないと思ってしまう。おまけに歩く……横恋慕だと? 人を馬鹿にするのも大概にしろと思う。
しかも身に覚えの無い超常名に多少の憤りも覚えながら。
「なんだよそれ……超常案件って危険な対象にかけられるんだろ? 俺、何もやってないぞ」
「それは……」
鞠猫は少し黙り逡巡した後に口を開いた。
「貴方の目の力によって魅了された女性達は多くいますが、その方々の恋人や旦那様の中に『組合』の存在を知る者がいたのでしょう。以前奏君が言っていたように、貴方に固執するほどの愛情を持ってしまうのは各々の内面的な心の強度に依存します。貴方を心の底から愛してしまったとしても、それは奏君の魅了の所為だけでは決してない。伴侶がいる方であれば尚更です、そもそもがそういった行為に及ぶ性格だったというだけの話です。ですが、それを知らない方々は奏君を有害的だと決め付け、組合に尾ひれをつけた相談を持ちかけたのだと思います。だからこんなことに」
そういうことか……たしかに街中で歩いているだけで見ず知らずの女性から、まるで知り合いのように話しかけられることもしばしばあるが、それを面白く思わない者から嫉妬を買ってしまったというわけだ。
俺は出来るだけ女性からの好意や接触があったとしても、拒否するようにしているのだけれど、それでもそれを知らない人からは妬みを買ってしまうというものか。
しかし分からない。案件として上がってしまっているとしても俺が何もせず大人しくしておけばいいだけの話では?
「理由は分かったよ。でも鞠猫、そうだとしてもそれなら放っておけばいいんじゃ? 俺が無害だと分かれば案件も解除されるだろ?」
「お馬鹿ですね! 楽観的過ぎますよ!」
鞠猫は呆れた様子だった。
「私と最初に会ったことを忘れたんですか!? 超常の存在は人間ほど多く存在するものではありません。それこそ縄張りを持つ種類であれば尚更数は分散するものです。であれば発生地に赴いてその個体が存在すれば十中八九ターゲットである事が殆どです! ────有害だと予め分かっているなら、初見で排除してしまおうと考える者も少なくない。『組合』は超常殺しの各々のやり方にまで口出しはしないですから」
「おい、てことはまたいきなり殺されるかもしれないってことか?」
「そういうことです。しかも今度は私以上に早計な方が来る可能性もあります」
「なんとかならないのか!?」
ようやくミスリーの一件が片付いたっていうのに今度は俺自身が有害指定されてしまうのかよ!?
俺はたまったものではないと思った。そんな中、鞠猫は深刻な顔をして答えを出した。
「奏君……」
「なんだ」
「私と───ルナティック・バディズとなりましょう」
俺にはその言葉に聞き覚えがあった。確か超常の存在の中には超常殺しと共に行動する者がいると鞠猫が以前話していた事だったと思う。
「案件として持ち上げられてしまった以上、解除されることは特異性を持っていなければ有り得ない。それに私がこの案件を保持できるのにも期限がありますから。だからこうなった以上、貴方と私で契約を結び、『こちら側』の存在になるしか方法はありません」
俺は息を飲んだ。
こちら側の存在……つまりは組合をはじめとする超常殺しの世界に、片足どころか体ごと入るしかないということだった。あまりにも唐突な申し出に俺は固まった。
「勿論、奏君に私のお手伝いをしてもらうわけではありません。あくまで形だけ私達は相棒同士になるだけです。貴方にはこれまでと同じように過ごして頂いて結構です」
鞠猫はそう言った。
「これまでと同じように……?」
「そうです。学校に行ってご学友と遊んで、千火さんと仲良く暮らしていただければ、それでいいです」
彼女は笑みながらそれが一番の選択だという顔をしている。
「なにも心配はしなくていいですから」
心配……? なにを……?
恐らく……多分恐らくだが、鞠猫は勘違いをしている。とても大きな勘違いを。彼女はきっと俺が危険な世界に入り込むことを望んでいるわけではないと思っている。それは間違いではない。魔法だの呪術だの超常だの渦巻く世界に飛び込む事に平穏な日常は想像できなかったし、俺自身人間として生きるならこの世界で生きていた方が確実だと思う。
しかし……
恥ずかしい話だが、俺は彼女からルナティック・バディズの関係を結ぼうと言われた時、心の中ではとてつもない変化が起きていたのだ。しかもそれは悪い感覚ではなく、あの欠けてしまった『何か』がビタリとハマったような、そんな収まりの良い心地よさに包まれていた。
「鞠猫……」
そしてそれは『二つ』の俺の求めていた『モノ』への活力となり、覚悟への道標として確立していた。
俺は認めていた。本当に自分のしたい事を。ようやく、今、再び、鴉皮鞠猫に出会った事でようやく認められたのだ。
人間として生きたい。人間として死にたい。
それは本当だけれど……
それだけじゃダメなんだ!
ようやく気が付いた! ようやくたどり着いた!
「鞠猫、俺さ……」
「はい?」
「お前の仕事手伝うよ」
俺の申し出に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする鞠猫。そして言っている意味を理解した途端跳ね起きたように、取り乱した。
「な、何を言ってるんです!? 奏君、貴方人らしく生きたいと言っていましたよね? 私の仕事を手伝うだなんて……冗談で驚かせないで下さい」
「冗談なんかじゃない。本気で言ってるんだ」
嘘じゃない。俺は本心からそう申し出ていた。
「尚更駄目ですよ! 私は……貴方が…人として生きると決めたからこそ、戻ってきたんです。相棒関係を結び、認められれば貴方は超常殺しから狙われる事もなく、平穏に暮らせるんです。それなのに本当に私と一緒に超常の存在と戦う? ……それは貴方が否定した超常としての生き方です! 本末転倒な話ですよ!」
たしかに彼女の言うことは一切合切間違っていない。俺の求めた物を彼女は知っている。そして今置いている現実がそれだ。なのに俺は自らの選択でそれを手放そうとしているのだ。心優しい鞠猫が本気で怒り、押し留めようとするのも当然だった。
けれど……俺は違った。
今の俺は違った。たしかにその望みはあった。だけど……それ以上に、新たな二つの望みが俺にはあったんだ。
「別に理由もなく協力したいだなんて言っていないんだ」
鞠猫は顔を顰めた。
「俺はお前と一緒にルナティック・バディズを組み……母親に会いたいんだ」
そう、俺が求めていた事は母との邂逅であった。
「鞠猫、お前は以前言っていたよな。俺の母親は始王モールニアラ。淫魔の王。常に討伐依頼が固定されている存在だって。そしてその案件を受ける事ができるのはダイヤランクのハンターだけだって」
「…………」
「俺にはヤツの居場所は分からない。鞠猫にだって分からないんだろ? それらの情報はダイヤランクの連中にしか伝えられないと言っていたもんな」
「た、たしかにそうですけど……」
「だからこそお前にダイヤランクハンターになってもらいたい」
俺の考えはその通りだった。自分勝手な考えなのは分かっていた。ダイヤランクになり、母親の討伐依頼を受け、会いに行く。そうしてその顔を拝む。これが俺の目的。
俺のダイヤランクへ上がれという言葉に鞠猫は押し黙った。その表情は困惑と後悔の入り混じったもの。きっとこんな事になるならば、来ない方が良かったかもしれないと考えたり、いや、それならば俺を助けることも出来なかったかと、その二つの考えの板挟みになっていたのだろう。絞り出したように鞠猫は言葉を発した。
「理屈は分かります。しかし奏君、会ってどうするおつもりですか」
「前にも言っただろう。一発ぶん殴るんだよ」
鞠猫はマジかと言いたげな顔をした。
「あれは……その…物の喩えではなかったんですか」
「まさか。本心も本心、ド本心だよ」
俺は臆さず続ける。
「その為に俺はお前に協力したいと思っている。だけど自分の為だけにじゃない。 ……鞠猫、お前はなんで超常殺しになった? 今一度聞きたい」
俺の問いに彼女は真摯な表情をし、答えた。
「両親を殺した者への復讐と、超常の存在に脅かされる人々を守る為」
その答えは以前に聞いたものと相違なかった。
「そうだろ? ……なら、今より上のランクに上がった方が、色々な超常の情報は多く入ってくるだろうし、沢山の人を救えるはずだろ。違うか?」
「いえ……その通りです」
「だったら利害は一致しているはずだ。俺は母親に一矢報いるため、鞠猫は復讐と多くの人を助けるため、共にダイヤランクを目指すのはおかしな話じゃないだろ」
俺は少しだけ片頬骨を上げ、笑ってみせた。互いの理由の為に上のランクへ成り上がる。お互い穏やかな理由ではないが、それでもこれが自分自身の生きていく上での目的の一つではあった。
だから手を組み切磋琢磨しようと俺は考えたのだ。
俺の持ち掛けに鞠猫は一瞬考え込む素振りを見せるが、すぐに頭を振った。
「駄目です……駄目ですよ奏君。確かに貴方が自分の母親を恨んでいる気持ちは考える所があります。でも折角平穏な日常を手に入れたのに、また危険な日々に舞い戻るつもりですか? しかも今度はミスリーとの一件とは違い、果てしなく長い……いつまでかかるか分からないものです。そんな生活に身を投じるなんて……勿体無いですよ」
鞠猫の顔は憐憫を秘めていた。そして何より優しさも。
今ある生活を大切にした方がいいと、言っているのがヒシヒシと伝わってきた。彼女はやはり優しい人だ。つくづくそう思った。
「それに千火さんだってお父さんだって悲しみますよ。奏君のお父さんには会ったことがないから分かりませんが、千火さんは貴方の幸せを第一に考えている。戦火の中に飛び込もうとする貴方を黙って見過ごしはしないと思います」
彼女の言っていることは至極真っ当なことだった。それに本当にその通りだろうなと納得した。
けれどそうじゃない、理屈じゃなかった。
俺がこの世に生を受け、世の中を恨んだことはそれこそ沢山あった。けれど、世の中を愛し生きていて良かったと思ったことも沢山あった。世の中を愛せたのは千火さんや初芽を含む多くの友人、鞠猫、そして中々会ってはくれないけれど俺を息子として捨てはしない父さんのお陰だ。その人達から色々な物を貰い、これからはそれを返していかなきゃと俺は考えている。
ならばそれと同時に世の中を憎む要因となった母親に一度くらい憂さ晴らしの機会を貰ったっていいはずだ。俺が幸せを大切な人にお返ししたいように、不幸を母親にはお返ししたい。
そしてそれを思い立った今、それこそ俺の何年かかってもやり遂げたい事だと強く思ったのだ。
「鞠猫、お前のいうことは正しいし間違いなんてひとつもない」
「じゃあ───」
「───でもな、鞠猫と千火さんが教えてくれたんだろ? 『自分を張り続けろ』って。俺は決めたよ……人間として生きることを。超常の存在として鞠猫に協力することを。その両方の血が流れている者として……母親に牙を剥いてやることを。正しいとか正しくないとかは重要じゃない、これがただ俺のしたいことだ。だから頼むよ、俺を相棒として一緒に戦わせてくれ」
鞠猫は閉ざした口を強く噛み締めていた。言うことを聞かない子供に悩まされている様子によく似ていた。
でも俺は分かっていた。きっと彼女にとってこれは悪い持ち掛けではないのだ。だからこそ悩んでいたし、困っていた。鞠猫は他人思いな人間だ。だからこそ俺を助けようとしてくれるし、強く突き放そうとはしないのだ。それに比べて俺は卑怯なヤツであり、そんな彼女の人間性を利用して自分のやりたい事を一方的に持ち掛けていた。
しかし俺はここで引き下がれなかった。自分の目的の為に彼女と共に成り上がることも大切だったが、もう『一つ』の目的の為にはここで引いてしまえばもう取り返しはつかないとそんな確信があったからだ。
「それに────」
俺は思い切ってそれを口にすることにした。彼女は悩んでいる。今俺の心の中を露呈したならそれはきっと良い後押しになると思ったから。
「俺、やっぱ鞠猫と一緒にいたいんだよ」
そう口にした。
「お前がいないとさ……なんか物足りないんだよ。千火さんと飯食ってても、初芽達と遊んでても、家でダラダラしてても……なーんか体ん中が寒々しいってか、空虚ってか……とにかくスッキリしない。でも今こうして再会できて、そのモヤモヤカラカラした感覚が無いんだ! だからさ……俺はお前と一緒がいいんだと思う。 ……いや、一緒がいい」
俺は驚くほど素直に気持ちを露呈出来た。
俺の求めるもう一つの望み。それは彼女と共にいること。友達として、気の知れた仲間として……これからもっと仲を深められる存在として。これも俺の望みだった。
俺は少しだけ彼女の返答に緊張していた。彼女は許可するかそれとも拒否するか、本心を包み隠さず口にしたのにこれで駄目だと言われたらもうどうにかする手立ては無い。無理矢理にでもついていくしか……方法はない。
俺は黙って彼女の返答を待った。しかし5秒待とうが10秒待とうが一向に彼女から答えが出ることはなかった。
いや、それどころか………
俺は気が付いてしまった。無表情を凍りつかせ、体一つ動かさない彼女。まるで蝋人形のような鞠猫に。
「……おーい」
俺は心配になって彼女の肩をツンツンと指でついてみた。
「……ば」
「ば?」
そうしてようやく口から小さく言葉を漏らした。しかし、『ば』とは?
「馬鹿にしないでくださぁぁぁい!!」
耳をつんざくような大声に俺は目を丸くした。突然の鞠猫のその声に驚きを通り越して今度は俺が静止する番だった。
「な、な、な、ななななぁ!! 何恥ずかしいこと言ってくれてんですかぁ!!」
そう顔を赤くし、俺の襟元を掴みぐらんぐらん揺する鞠猫。尋常では無い動揺を感じる。
しかし俺の本心を恥ずかしい事と揶揄されるのは心外だった。
「いいいいいぃぃ…一緒にいろだの……物足りないだの!」
「俺は本当の事を言っただけ……」
「おまけに悶々するだの!」
「いや、悶々は言ってない。モヤモヤするって…」
「同じですぅ!! あんな恥ずかしい言葉の羅列して馬鹿か、ナルシストのどちらかに違いないんですから!!」
なんだかよく分からないけども俺の気持ちは伝わってはいるようだった。俺の彼女を思う気持ち、友達と一緒にいたいと願う気持ち、顔を赤くして喜んでくれている様子に俺は笑った。
「何笑ってんですか!」
「いや……鞠猫があまりに嬉しそうなんで、俺も嬉しいよ」
俺の言葉に胸元から手を離し、明らかにたじろぐ彼女。そして艶のある頭髪の生えた頭をグシャグシャと掻き乱すと、大きく深いため息を吐いた。
「もう……」
「ん?」
「もう!もうもうもうもうもう!!」
壊れたレコードのように連呼する鞠猫。
「……好きにしてください」
その終着は俺の求めていた答えだった。俺は身を乗り出した。
「じゃあ一緒に!?」
「……どうせ止めたってついてくるのでしょう?」
「当然」
「即答ですか……はぁ〜……けど私が戦っている横で勝手に手助けして、危ない目に遭われるのも困りますしね」
俺は片手でガッツポーズをしてみせた。
「その通りだ! 俺にはお前がいてくれなきゃ危ない目に遭う自信がある!」
「どんな自信ですか! いいですか、貴方が思うほど超常殺しの世界は甘くないんですからね! 後悔したって知りませんから! 後悔しても遅いんですからね!!」
「しねーよ後悔なんて! それに俺の背中はお前が守ってくれるんだろ? なら安心だ」
「ええ……いきなり他力本願……先が思いやられるんですが……」
鞠猫は俺の冗談にそう答えながらも微笑した。
本当に心の底から嬉しかった。鴉皮鞠猫と共にまた一緒にいられる────そう思うと体の調子が良くなった気がした。最近まであった怠惰な感覚や喪失感も失せていたのだ。
冗談抜きに鴉皮鞠猫の存在は俺の薬みたいなものだと実感した。薬と表現すると聞こえが悪い。けれど……きっとかけがえの無い存在なのは確実だった。それは偽りようのない真実に違いなかった。
俺は鞠猫の右手を取り、握った。小さく細い手。とても拳銃や両手剣を扱う者の手には感じられない。でもとてつもなく頼り甲斐がある手だった。
「あんがとな! 改めてよろしく、鞠猫!」
俺は握手をし、感謝と共に彼女を見た。
諦めた様に一つだけ鼻で笑う。そして
「ええ、よろしくお願いします秦奏君」
そう言って華やかに笑った。
俺達の進む道はきっと平坦な道のりでは無いだろう。山があり、それよりも深い谷底を歩む日々が続くこともあるだろう。けれど……それを認めず、山を求め続けるならいつかはその麓に辿り着けるはずだ。この鴉皮鞠猫という俺の人生を変えた『友達』の存在が隣にあるならば。
この一つしかない人生の中で自分が成し遂げられる物はきっと限られている。でもそれらは全て始めようとしなければ、そのレールにさえ乗ることはなかったはずだ。夢破れるには夢を見なければ、理想を求めるなら想わなければ不可能。そしてそれはきっと勇気ある者の選択だと俺は思う。破れても良い、叶わなくてもいい……そんな風に思う人間なんていやしない。誰もが辿り着けることを望んでいるはずだ。
だからその中でも俺はまだ恵まれているのだ。
俺はまだレールに乗ったばかりで、超常として戦うことも、母親に会うことも正直に言えば怖かった。ミスリーの時以上の痛みや恐怖に巡り合うかもしれない。母と会って自分が思う以上の事態に巡り合うかも知れないという不安があった。
でもその怖さを和らげてくれる存在が俺にはいる。共に辿り着く事を志した人がいる。
鴉皮鞠猫がいる。良き理解者である友が。それだけで十分お釣りが来るほどの恵みが俺にはあるのだ。
だから何も怖くはない。未来を恐る必要もない。自分の選択が間違っているとも思わない。自分が淫魔であろうが、人間であろうが、俺の名前を呼んでくれる人がいる限り───
────俺は秦奏と云う存在なのだから。




