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人であれ


 その言葉に俺は鞠猫を強く見つめた。訴えた。何故分かってくれないんだと。



 「貴方の思いは分かります」

 「分かるわけないだろ」

 「いや、分かります。貴方は誰かの為に犠牲になろうとしている。そしてそれは自分自身の為になる事と同義であり、誰も困ることのない選択肢だと思い込んでいる」



 何も言い返せなかった。見事に鞠猫は俺の気持ちを言い当てた。けれど考えてみれば俺の今に至るまでに彼女に伝えた言葉で推測出来ることでもあった為に、さして驚きはしなかった。



 「思い上がりですね────」



 でもそう言った鞠猫に怒りは覚えた。



 「なん……だと……」

 「そんなのは思い上がりです」

 「ふざけんな!」



 静かに叫んだ。どこが思い上がりなんだと。



 「俺の考えが思い上がり? そんなわけはないだろ! これこそ最善の選択だ! 誰もが幸せになれる策だ!」

 「そんなわけがない」

 「なんで言い切れる!?」

 「私が超常殺しだからです」



 鞠猫は俺に恐れなく強く見つめていた。



 「私はまだ駆け出しです。でも独り立ちするまでに師匠について色々な国を回り、色々な超常を見てきました。貴方の様な超常ルナティックは珍しい。人と共存し、生きる事を望んでいる。そんなタイプは珍しいんです。勿論例外もあります、そう云った者はルナティック・バディズと呼ばれ超常殺しと共に他の危険な超常を狩る者になることもありますが……大抵は元から温厚な者達が殆ど。あの淫魔のように最初から人を手にかけている者は、言葉巧みにその場を凌いだとしても、改心することはありません。そんなケースを幾度も見てきました」

 「…………」

 「貴方の過去に受けた傷の深さは分かりません、でも貴方が選ぼうとしている事の無謀さは分かります。奏君の未来が最悪な物になる可能性が大きいのも」

 「そんなの……分からないじゃないか……本当に、本当にあいつを止められるなら……」

 「分かりませんか? 想像は出来るはず。あいつについて行った後、最初は良くても仲良しこよしは長くは続きません。いずれ貴方が邪魔になったあいつは貴方を封印するなり、拘束なりするでしょう。再生出来るとしても無敵ではないならば手段はいくらでもありますから。そしてあいつの手が奏君の大切な人に伸びるのです。森桃さんや他の仲の良いクラスメイト、小熊林先輩、そして千火さんにも……」



 鞠猫の言葉に俺の親しい人達の顔が浮かぶ、そしてその人達の死顔も……大袈裟な話では無く、それは起こり得る事だと俺の頭の中で現実味を帯びて。



 無謀、無意味、犬死に。そんな言葉がモヤモヤと浮かんだ。



 「話は逸れますが私個人の話をしても?」



 優しく困ったような表情をしながら鞠猫は問う。俺は頷いた。



 「私は物心ついた時から祖母の元で育ちました。最初から両親はいませんでした。祖母から家事や勉強、社会への関わり方、どこにでもいる子供のように育ててもらったんです。けれど私はある時自分の両親が私が赤子の時に超常ルナティックに殺されていた事を知ったんです。聞いたのは本当に偶々の出来事、親しき大人の失言からそれを耳にしたんです。祖母は当然口止めしていました、それを聞いた時私がどんな選択をするか分かっていたからでしょうね」

 「それがもしかして……」

 「はい、それが超常殺しになった理由です。勿論祖母は反対しました。それがどれだけ危険なのか分かっていたからです。だって……彼女も両親も元々そうだったんですから。 ……運命の悪戯なんですかね……奇しくも一族の誰もがそれを志していたんです。そうして私は無理を押し切って祖母に師匠となってもらいハンターとしてのノウハウを教わり、彼女もその為に私が独り立ち出来るまで現場に舞い戻ったんです」

 「じゃあお前は復讐の為に超常殺しに……」

 「人に自信を持って言える動機じゃないのは理解してます。大間違いな選択だと言う人もいるでしょう。でも……犯人に辿り着く過程はとても長い事は分かりいますから、その道中で多くの人を超常ルナティックから守っていこうとも思っているんです。まだまだ私は弱いですから……修行も兼ねて。だからもし誰かの為になるなら、その選択も間違いだけではないと思えるんです」



 弱く鞠猫は笑った。



 「今では祖母も私の言葉に反対はしません。それどころか応援してくれてますし、自分も今でも偶にハンターとして活動しているらしいです」

 「元気なお婆ちゃんだな」

 「ええ、最強のお婆ちゃんですよ。戦い方だけじゃない、その考え方や生き方さえ凄まじく、どこまでも高みにいらっしゃられる。 ……よく言っていた言葉があります」

 「なんて?」

 「守りたいものがあるなら意地でも譲るな……です」



 守りたいもの……



 「奏君、だから私は貴方を守ります」

 「え……?」

 「貴方は特別です。力や血筋の話ではありません、その志の話です。私も最初貴方と出会った時、逃れる為に都合の良い事を口走っていると思っていた。静かに暮らしたいなどと嘘を言っていると。でも一緒にいて分かりました、貴方は例外の一人であると。貴方は周りの事を想うことができる人、他人を尊ぶことのできる人です。そんな人を淫魔サキュバスの一員とさせるだなんて……絶対に私は嫌です」



 語気を強めて鞠猫は俺を見詰めた。揺るぎない意志の強さを物語る瞳に何故かとても喉が渇いた。



 「俺は淫魔だぞ」

 「それは血の半分がそうだからでしょう?」

 「魅了の力だって……」

 「知りません。そんな物だけで他人の人間の運命を決定付ける要因にはなりません。千火さんも言っていたんでしょ? 運悪くそう言った人間の本性を引いてしまっただけだと」

 「……でも」

 「奏君」



 鞠猫が見ていた。



 「貴方はどちら側にいたいんですか。人ですか? それとも淫魔サキュバスですか?」



 言葉が頭の中で響いた。



 考えもしなかった。



 自分がどうありたいか、そんなものは頭になかったから。



 魅了の力の齎す責任感や重圧、そればかり考えていた。ずっと…ずっと……生きてきた上の枷が自分にも他の人にも迷惑をかけている事を負い目としてきた。だからこの力をなんとかする選択肢があるならば、それを選ばざるを得ないと思っていた。



 でも人間として生きる事、それが許されるなら俺が選ぶのは……選びたいのは……



 「俺……俺は……」



 喉が渇いていた理由がようやく分かった。

 俺の瞳からは自然と涙が出てきた。

 馬鹿馬鹿しい程の量の、水の粒が。



 「人間でいたい…人間でいたいよ、鞠猫ぇ……」



 それを口にした瞬間、心がスッと軽くなった。



 情けなくも助けを求めるように泣く俺を、笑うことなく鞠猫の手が俺の肩に置かれた。



 服越しの筈なのにそれはとても熱く、心地良く、何より頼もしかった。



 「はい、分かりました」

 「本当は……淫魔サキュバスなんかになりたくない……もっとこの世界にいたい……友達と遊びッ…たいし……ち、千火さんともいたい……夢なんかも、ないけど……これから見つけたりしたい……」

 「はい」

 「こんな力……あっちゃダメなのは…分かるけど……ここにいたい……」

 「ええ」

 「ここに…いたいんだ……」

 「はい、それでいいじゃないですか。方法はあるはずです。一つの誘惑に身を任せる必要はありません」

 「……うん…うん」

 「大丈夫、私がついています」



 俺はひたすらに泣いた。

 恥も虚勢も投げっぱなして。



 年甲斐も無く泣き続けた俺を、鞠猫はずっと慰めてくれた。



 幾年ぶりに出た涙は、止めどなく流れ続けた。

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