到着
それは突然の発砲音だった。そしてそれが鳴ったのと同時にミスリーが大きく飛び退く。その立っていた場所のコンクリートの床の一点に何か強烈な衝撃が加わり、そこを中心に四方八方にひび割れが走った。
それを見るとそれが弾痕であるのがはっきりと分かった。
「誰!?」
体勢を立て直すミスリーが怒ったように叫んだ。
俺の入ってきた天井窓から同じように侵入する一つの影が、俺とミスリーの間に着地する。
漆黒の長髪、暗い深碧のワンピース、巨大なコントラバスケース……鴉皮鞠猫の登場だった。
「どうも超常殺しです。貴女を殺しに来ました」
明け透けに物騒な口上を飛ばした鞠猫は地面を打ったであろう拳銃をゆったりとミスリーに向けた。
「ま、鞠猫……」
「遅れてすみません」
背中をこちらに向けて言葉だけで俺を確認する鞠猫。俺は予期していなかった彼女の登場に呆気にとられていた。……いや……本当はそうじゃなかった。
「大丈夫ですか……奏君」
「…………」
登場のタイミングの良さに、俺がミスリーに持ち掛けられた話を鞠猫も聞いていたのではないかという不安が心を埋め尽くしていたのだ。そして鞠猫は俺がなんと答えようとしていたのかも察していて、それを言わせない為にワザと銃撃で話を遮ったのではないか……そんな推測が俺を脳内でひしめいていた。
もし察していたとしたら……彼女はどんな風に思っているのだろうか。それだけが怖かった。
「奏君……?」
「ああ、大丈夫……」
「それならいいんです。それに先輩も……無事なようで良かった」
けれどそんな俺の心配とは他所に、ソファーに寝そべる小熊林先輩を確認し鞠猫はそう言った。気を張っているのがその声色から分かった。
……もしかして本当に今到着したばかりなのだろうか? それだとしたら……それなら……それでよかった……今は目の前の『敵』を鞠猫と共にどうにかする事を考えればいい。
「────超常殺しですって……? どうしてこんな所にキミみたいな存在が……人払いの魔術はかけていたはず。それにこんなタイミングで……」
ミスリーは容易くその答えに辿り着く。そうして氷のような表情で俺を見た。
「奏……キミの連れかい?」
「…………」
俺は答えなかった。その通りではあったから。
「なるほどな……時間稼ぎだったわけか」
「そういうことですね」
俺の代わりに鞠猫はそう言い切り続けた。
「まさか本当に淫魔がもう一体いたとは……それも雌ですか、予想を裏切ってくれましたね。女性ばかり誘拐するものだから勝手に雄だと思っていたんですがね……」
「あら、残念でした。可憐な女で申し訳ないわぁ」
「構いません。殺すだけですから」
「私の食事場所を警察とは違う、コソコソ嗅ぎ回るネズミがいる事は勘付いてはいたけれど……キミ達がそうでしょ?」
「それがなにか?」
鞠猫の答えにフンッとミスリーは鼻を鳴らした。
「度し難いな。私は人間ではないのだよ、そんな者の起こす事件というよりも被害事故を追うより、同じ人間としてもっと凶悪な犯罪者を追い、捕まえた方が有意義だと思うけど」
「それは警察の仕事です。あくまで私のターゲットは貴女のような超常ですから」
「守銭奴め。世の為、人の為に同族の悪行を止めるではなく、私達の様な人外の存在を狩り、高い金銭を手に入れることを良しとしているのか。人を捕らえ、法廷に摘み出すだけの力を持っているはずなのに」
「話になりませんね」
再び鞠猫の拳銃が火を吹いた。ミスリーの背後にあった多くのガラス瓶の密接地が騒音を掻き鳴らし、壮大に割れる。その場に立っていた筈のミスリーの姿は消え、今度は小熊林先輩の寝そべるソファーの後ろに無傷で立っていた。あらあら〜とガラスの割れていく様を彼女はやるせない声を漏らしながらも見つめ、ダルそうに言った。
「キミね……警告も無しに拳銃をぶっ放すなんて頭のネジが一本外れているんじゃなくて?」
「マグナムを改造した銃なんですが……当たりませんか」
「聞いてないな……キミとは相容れないみたいだね」
「今更ですか?」
「まったく困ったお嬢様だこと。姿は愛らしくても中身は獣か」
ミスリーはフゥと溜め息を吐いた。
「何にしても超常殺しとは面倒だな、今日のところは逃げるとするかな」
「……させると思いますか?」
鞠猫は冷たく言い放つがミスリーは依然余裕を崩さず妖艶に笑う。
「当然さ。キミ達はこの女の子を放ったらかしには出来ないだろうからね。まさか一人が介抱し、もう一人が私と戦うとか考えている? だったらやめときな。奏は明らかに力不足、ルナティックハンターのキミも雰囲気から分かるが、まだ駆け出しの身でしょ? いくらハンターでも駆け出し一人じゃ相手にならないよ」
「……やってみますか?」
「やめときなさいよ。私に銃弾一発も撃ち込めないくせに倒せるわけないでしょ。面倒ごとが嫌だから私が見逃してやるって言ってるのが分からないの?」
「…………」
その言葉に鞠猫は答えなかった。きっとそれが事実だったからだ。俺は抜きにしてもこの場には小熊林先輩がいる。それを守りながら戦うのは鞠猫にも大変な事なのだろう。全力も発揮できない状況で勝ち目は薄いのは俺でも分かった。
ミスリーは鞠猫の様子に戦闘がこの場で起こる事は無いと判断したのだろう。自身の背後に再びあの翼を展開した。
「今殺さないのは奏がいるからよ。ここで貴女か、この先輩ちゃんを傷付けたならもう私を信用してはくれないだろうからね。 ……そうでしょ奏?」
俺も何も言えなかった。なんて言えば良いかなんて分からなかったからだ。ただ黙っていた。
「また近々逢いに来るよ奏。その時にさっきの返事を聞かせてくれ。言っておくが……私は次会う時まで殺しはしないと約束しよう、それがキミへの信頼になるなら……ね」
その言葉を俺に告げるミスリーは次の瞬間には飛び上がり、俺達の侵入してきた窓から夜闇へと消えていった。
訪れた静寂と安堵。こんな凄惨な工場内だというのにミスリーがいるのといないとでは雰囲気が百八十度変わっていた。それほどまでに淫魔から発せられたプレッシャーは凄まじかったのだと思い知らされた。
俺は急いで小熊林先輩の元へと向かった。眠っている彼女の体にはどこにも異常は無い様だった。呼吸もしっかりしているし、とりあえずはそれだけで安心出来た。
「鞠猫、先輩は無事だ」
そう声をかける。鞠猫はしばらくミスリーの出て行った窓を眺めていた。きっと彼女が本当は去っていないのではと疑っていたのだろう。けれどそうしていてもミスリーが再び姿を現すことはなく、俺の側に歩んで来た。
「それは良かったです、すぐに助けを呼びましょう。行方不明だった人達もこれで見つけてもらえます。しっかりと弔ってもらわないと」
「そうだな……」
工場内を見渡し痛ましいと顔を歪める鞠猫に俺はそう答えてスマホを取り出す。警察に一刻も早く電話しようと思ったからだ。しかしそれに対し鞠猫の制止の声が遮った。
「電話をかける前に一つお話しがあるのですがよろしいですか?」
「なんだよ、警察に連絡してからでもいいんじゃ?」
「大丈夫です、すぐに終わりますから。今聞いておきたいんです」
「……ああ」
俺は嫌な予感がしていた。そしてその嫌な予感は容易く現実となった。
「奏君、貴方、まさかあの淫魔の仲間になるつもりではありませんよね?」
心臓がキュッと締め付けられた。それは恐ろしさからくるものだった。
そうして察しがつく。鞠猫は話の全てを知っているのだと。そうでなければ彼女の登場から今に至るまでのミスリーとの会話だけではそんな聞き方はしないだろうから。
「……どこから聞いていた」
「あの淫魔が……私と一緒に来いと誘いを掛けたところからです」
大分序盤も序盤であった。
俺は頭が痛くなる気がした。
「その後の話は屋根の上から聞いていました。貴方があの淫魔と仲間になるならばあの者は殺しを止めることや、貴方の力を制御する方法を教授してくれるということも」
「…………」
「まさか本気で行こうとなど思ってはいないですよね……?」
すぐにでもその言葉を肯定すれば良かったのだ。そうすれば穏便にすんだ筈だった。けれど俺は……俺自身の答えをハッキリと告げたかった。この鴉皮鞠猫という人間には包み隠さず。
「……だったらなんだよ」
そう言った瞬間だった。俺の左頬に鮮烈な痛みが走った。
「ふざけないで!」
続け様に浴びせられる叱咤の声。何が起きたか瞬時に理解は出来なかったが、ヒリヒリとする左頬に自分が平手打ちをされたのだとしばらくしてから分かった。
そんなことをされたのは生まれて初めてだった。




