淫魔の秘密
「どういうことだ……お、俺がお前みたいに他の人を襲うって言いたいのか?」
ミスリーの言葉に俺の頭の中にそんな想像が浮かぶ。友達、クラスメイト、教師、千火さん……そんな親しくしている者達を傷付けるイメージだった。
そんな造像しただけで恐ろしい現実に汗が湧いた。
「そうだよ」
俺の問いに彼女はキッパリと答えた。
「嘘だ! 何故そんな事を言い切れる!」
「別に可笑しな話をしているわけではないでしょ? 君にはその可能性があるってだけだよ。異種交配によって生まれた君に、単為生殖はできないだろうし、君が他人と交配したとしても血が薄くなって配下に殆ど淫魔の力を継がせる事は出来ないだろう。繁殖面では劣るだろうけど、でも君には他者を魅了したり、人間とは比較にならないほどのフィジカルを持っているなどの淫魔としての力はあるはず。そしてその力が君を淫魔としてのあるべき姿に導くこともまた変な話ではないよ」
「だとしても俺はそんなやつに……お前みたいな悪魔になんかなるもんか!」
「それほど人間社会で生きるのが楽しい? 私と一緒に来た方が幸せだと思うな。人は人と、淫魔は淫魔といるのが道理だと思わない? それに────キミがそう望んでいても周りはそうは思っていないかもよ?」
「……え」
「キミ、自分が半分淫魔だってこと、周りの人間に教えている?」
その言葉に返答が詰まる。俺の事を淫魔であると知っているのは父親、千火さん、そして鞠猫だけだ。それは勿論そういった内情を知っているからであったり、元から超常の存在を認知したりしているからである。俺が自ら半分人間ではない血が流れていると告白したことのある人は一人もいなかった。
だってそれはそんな事を言ったところで他の人から頭のおかしい奴だと思われるだろうし、信用なんてしてもらえないと思っていたからだ。
「……教えてないけどそれがなんだよ」
「ほら、君だって本当は分かっているんでしょ? それを言ったら他の人から何をされるか」
「別に……頭がおかしいと思われるだけだろ」
「それだけじゃないでしょ?」
「…………」
ニヤリニヤリとミスリーは俺を見る。嫌らしい、人を馬鹿にしたような笑みだった。
こいつの言いたい事は分かっていた。そしてそれはきっと俺にとって図星だった。
「キミは迫害される。キミの告白を馬鹿にしようが、真面目に受け取ったとしようが、馬鹿にされたならキミの本性をその人間は真に受けないということだし、真面目に受け取ったなら普通の人間の感性ならキミと距離を置くだろう。それが分かっているから言えないんだろう?」
「ち、違う! 俺は必要ないから言っていないだけだ! 聞かれればちゃんと答えるさ!」
「違わない。キミは恐ろしいから言えないだけなんだ。その証拠に、必要ないから言わないだけ? 聞かれれば答える? 他人からキッカケを与えられなければ答えられないなんてそれこそ恐れの証じゃないか」
違わなかった。その通りだった。現に俺は今この場に友人の初芽やら佐藤がいて、俺がミスリーと同じ、人間ではない者と公言されたなら、俺は何とかして言い訳するだろう。
俺は違う。あんな化け物とは違う。人を襲わない。信用してくれと。
だけど────それを彼らが受け取ってくれるだろうか?
日々女の子が俺の周りに寄ってくる事を彼らは知っている。そしてその力が淫魔の魅了の力によって起こされていることだと彼らが知った時、俺が自分の意思とは関係なく、その力が発揮されてしまうのだと説明したところで彼らは今までの様に接してくれるだろうか……?
今まで人間と偽っていた者の言い訳をすんなりと受け取ってくれるだろうか……?
「いいんだよ奏、これからは恐れず生きていこうじゃないか」
「俺は怖がってなんか……!」
「無理はしなくていい。自分が今までとは違う者として生きていくのも怖いが、今まで自分が大切にしてきたものを自分が傷付けてしまうかもしれないという恐れと、迫害されるかもしれないという怖さに比べれば容易いものじゃないかい? 今までこうして話していて分かったけれど、奏、キミはとても優しい子だ。その優しさは大切にした方がいい」
「…………」
「周りに迷惑をかける前に自ら身を引くんだ。それはとても尊い行いだよ。だからそれを選択出来る今この場で私と一緒に来た方がいいよ」
「お前は人殺しだ……人殺しとなんて」
「人を殺す私が怖いのかい?」
「あたりまえだ」
「じゃあ分かった。キミが私と来るなら人殺しはやめよう」
その言葉は唐突だった。
「な、なに?」
「殺しはやめようと言ったんだよ。キミが私と来て協力さえしてくれればそれも可能な話さ」
「どういうことだ」
おかしな話だった。今の今まで人を襲っていた奴が突然その行いを止めると言うのだ。それも俺の協力一つで。素性も大して知らぬ俺の協力で俺の言うことを聞いてくれる? そんな都合のいい話などあるものか。
俺は警戒心を強める。しかしそれに少しも臆することなくミスリーはニヤケ顔を止める事はなかった。
「その再生力だよ。その再生力があればキミはいくらでも私に心臓を提供出来るって事だろう? なら一切他の人間の心臓を喰らう必要もなくなる。勿論他の人間の心臓を味わえないのが残念だが、そこは我慢しよう。淫魔の血のせいで味は落ちているが、人の血の入っている分、飽きは来ない味だしね。それにもし飽きても性交による搾精もある。雄との性交は大っ嫌いだが、仕方がないキミは特別扱いしてあげよう。求めれば応えようじゃないか、顔も女の子みたいに可愛いしね」
ミスリーの不敵な笑みにゾクリとした。まるで虫が這い上がってくるような感覚だった。蠱惑的、幻想的、言い例えようの無い気持ち悪さだった。
「意味分かんねぇこと言ってんじゃねぇぞ!! お前がそんな約束守るとは思えない! それに俺に固執する理由もないだろうが!」
「あるよ」
「ああ"ァ!?」
「今言ったでしょ。私、雄になんて触れるのだって嫌なの。正直心臓を奪う時でさえ我慢して触っているんだから。それに比べて女の子はいいよ。綺麗で……可憐で……尊い……若くても、老いていても、まるで花のよう……その一生に価値がある。美しくあろうとする。嫉妬深くも慈悲深く、そうであろうとする。それは死しても尚……ね。種を残すことしか考えていないオス共とは違う。汚れた獣とは……」
ミスリーは達観したような瞳を見せた。
「私はそう思うわけ。だから異種交配なんてしたことないし、これからもする事はないでしょう。だからキミに仲間になってほしいわけ」
「…………」
「最近は物騒じゃない? 私の命を狙う者も多いんだよね、だからそろそろ人狩りも止めようと思ってたところだったんだぁ。でもそうなると一人きりで生きていくのも辛いし、分かり合える存在が欲しかったんだよね。そんな時にキミが現れた」
ミスリーはゆったりと指を俺へと指した。
「捨てられた兵士。人との混血種。心臓を取られても再生する力。 ……見過ごすには惜しい存在だよ」
「だから俺を引き抜くってか? 俺に旨味が無さすぎて笑える、完全にアンタの都合でしかない交渉だな
」
「ふふ……確かにそうかもしれないけれど、キミだって私を求めているくせによくもそんな台詞が吐けるね」
「なに言ってる……テキトーな事言ってんじゃねぇ」
「気が付かないとでも思った? キミ、この場に来てからずっと私の方に魅了の力を向けていただろう」
彼女が俺の瞳の事を言い当てた事に俺は息を呑んだ。
「お、お前俺の力を……」
「当然だろう、同じ種族なんだから。この場に来てからずーーっとキミから向けられていた熱い視線。気が付かない淫魔などいるわけない。だが残念だったね、淫魔同士では魅了の力は通用しないんだ」
「………」
「知らなかったの? 無理もないか、親に捨てられちゃったんだもんね、淫魔としての力や関係性について教えてもらったこともないんだろう。まぁいいさ……それにしたってキミは卑怯な奴だね、そんな言葉を吐きながら私を魅了して手籠にしようだなんて考えているんだから。もしやキミ……他の人間にもそのようにして手中に収めてきたんじゃ? 言葉では人間の味方だなんて言っておいて……今まで何人の人間を魅了し、精力を食らってきたんだい?」
「ち、違う! 俺はそんなことしてない! この目は俺の意思なんかじゃない! か、勝手にだ! 生まれた時からこの目はずっとこの力を放っていた!」
「……勝手に?」
俺はミスリーに嘲笑されるのが耐えられなかった。なにも知らないクセに、彼女と同じ淫魔であるとされるのが我慢ならなかったんだ。だから口は俺の意思とはまるで乖離したように言い訳やら弁明やらを口走り続けた。
なにも知らないクセに……
なにも知らないクセに……
「いつだって俺の思いとは裏腹に『こいつ』は勝手に他人を魅了していた。それで迷惑してきたのは俺だってそうだ! 知らない奴から好かれ、言葉を交わしたこともないやつから告白され、好きでもない人から迫られ……その度に俺はそれを拒否してきた! この力は俺の所為だろうが、俺はそれを拒んできた! 俺は違う! お前とは違う!」
ふざけるな……一緒にされてたまるか。
俺の悲しみと辛さが分かるわけがないクセに、人殺しと一緒にされてたまるか。
俺はミスリーを睨んだ。きっとまた笑っているのだろうと思った。しかし、そこにあった彼女の表情は憐憫だった。
「それは……きっと辛い思いだったろうね」
「え……」
「その力の正体はキミはずっと知らなかったのかい?」
その質問に思い出す。千火さんが家に初めて来た日のことを。俺がこの力のことを知ったのはその日のことであった。
「いや……知ったのは10歳の頃だ」
「……まさか、その頃から今までその力の制御の仕方も知らずに生きてきたのかい?」
「……は?」
俺は困惑した。ミスリーの口振りはまるでその方法が存在すると言っているようだったから。
いや……そんな筈はない。俺は千火さんと出会ってから幾度となく彼女にこの力をどうにかする方法がないかと聞いてきた。その度に彼女からの答えは否であり、その度に落胆してきたのだから。
でもミスリーが続けた言葉に俺は衝撃を受けた。
「なんともまぁ哀れな子だね……そんな親から教えられる初歩中の初歩を知らずに生きてきたとは」
「……な、なんだと?」
初歩中の初歩……だと?
困惑した。そんな……俺の今まで追いに追い求めてきたことを、まるで些事だとでも言う様に言い切られてしまったのだ。俺を見つめる憐みを含んだミスリーの細めた目が俺を射抜いていた。
「そんな方法なんて淫魔なら誰でも知っているって言っているのさ。魅了の瞳の抑え方なんてね」
「嘘だ! だったら千火さんが教えてくれないわけがない! 教えない理由が見つからない!」
「それはキミの相談相手かい? ……だとしたらその千火さんが間違っているのさ。それかその人の見聞の狭さが仇となっているだけの話では? ……その人は淫魔の博士か何かなのかい?」
「いや……そういうわけではないと思うけど」
「なら尚のこと可笑しな話さ。専門家でもない人が魅了の力の抑制法を知っているわけがないだろぅ? この方法は親が子に直々に教える事柄の一つなのだから。専門家ならまだしも、外野の人間如きが知っているわけもないだろ」
「…………」
それは……それは尤もだと思った。彼女はメイドだ。それでなくても仙人だ。
一介のメイドやら仙人に、淫魔の何が分かるというのだろうか。
俺は幼い頃から彼女に育てられてきた。いない母親の代わりに、仕事で忙しい父親の代わりに。だから千火さんを信頼してきた。盲信とも言えるくらいに。
「酷いやつだねその人は」
「千火さんを馬鹿にするな」
「馬鹿になんてしていないよ。キミにとって大切な人なんだろ? そんな人を馬鹿になんか出来るもんか。でも酷いのは確かだよ。己の知識不足を常識としてキミに教えているんだから残酷極まりないのは間違いない」
「…………」
「やっぱりキミは私と来るべきだ」
「…………」
優しくそう言うミスリー。その優しい表情はとても安らぎを与える物だった。
俺は分かっていた。こいつの言うことなど信用出来るものではないと。
しかし……もう一人の自分が顔を覗かせていた。
「─────私とくればその力を抑える方法を教えてあげる」
「え……」
「当然だよ。私の兵士として仕えてくれるならそんなの当たり前だよ。その他にもキミの望む事を教えよう。キミは人間社会に未練があるみたいだからそれに相応しい生き方を教えてあげる。勿論強要はしない。私が求めるのはキミの適度の心臓の提供のみだ」
「嘘だ」
「嘘を言ってどうする。私も殺しから引退したい身だよ? でも欲望を抑えられる自信がないからキミから心臓をもらったり体を重ねたりと、協力してほしいと言っているのさ。その代わりに私はキミを拘束しないし、知りたい事を教えると条件を提示しているのさ。ただの取引だよ」
「…………」
「キミがくれば私は殺しを止める。私がいればキミは他人を魅了する事もなくなり、更に生きやすくなる。いいこと尽しだろう?」
確かに……確かにそうだと俺は思った。こいつが一方的に俺を手籠にするならば信用するに値はしないと思う。けど……これは交渉だ。彼女にとって俺は食料、欲望処理の道具だと公言している、取り繕うことなく。そして彼女は淫魔である。俺の魅了は効かず、それを抑える方法も知っている。俺はEDだが、もしもこの魅了の力をどうにか出来れば、自分に自信を持てるようにもなりそれも治るかもしれない。そうなった所で彼女に良いようにされるだけだろうが……
しかし……これ以上良い条件もなかった。
俺が彼女の仲間になれば巷の殺しは収まる。もし約束を破れば彼女の元から去れば良いだけの話だし、俺がそんな事が起きないように監視すれば良い。そして俺も魅了の力をどうにかする方法を知れば、これ以上他者の感情を弄ばなくて良くなるのだ。
俺が彼女の枷となり、彼女が俺の枷となる。
「あるべきものはあるべき所に納まるべきだよ」
「…………」
「淫魔は淫魔と、人は人と……棲み分けるべきだ」
「人を殺していたヤツが……」
「もうしない。私だって反省している」
「だったら出頭すればいい。一連の事件は自分が犯人だったと……」
「捕まるのは嫌だし、私は淫魔だから法律では裁けないのは分かっている。時間の無駄さ」
「…………」
「キミが来るなら私だって社会に紛れて生きる方法をとる。キミがいるならそれも可能だよ。私だってもう疲れているのさ。自身に宿る衝動を抑える為に殺しをするだなんて……」
「…………」
「助けてくれ……」
彼女がそう陰のある笑みを浮かべた。それはとても疲れた様子のもので、ここに来て初めて見た表情だった。
俺の頭に沢山の事が浮かんだ。千火さん、親父、初芽を含む友達……鴉皮鞠猫。深くも浅いも全て纏めた今まで出会った人達の顔だった。
その人達を思う。色々な事があったけれど、結局は感謝しかなかった。俺を……こんなどうしようもない半淫魔の俺を慕ってくれて、親しげにしてくれて……嬉しかった。
俺は無力だ。他方もなく。俺が今ここでミスリーに挑んだとしても勝てる見込みなどあるわけもなくて……
だとしたら穏便に済ませ、彼女を逆上させない方法を取るならば……
そして俺の大切な人達がこいつに殺される可能性もなくなるならば……
「……俺」
身を差し出すのが相応しいんだろ……
俺は所詮淫魔なんだから……
「お前と……」
何故か分からない。その言葉を口から出そうとした時、何故か心が今まで感じた事のないぐらい軽くなった気がした。




