超常と奏
それは郊外の辺鄙な土地にひっそりと建つ工場であった。所々が錆、朽ち果て、よくも建っていられるなと感心してしまうほどのものだ。
当然稼働はしていないだろうその老いた建物を観て、土地の管理者からも見捨てられている可哀想な工場だと、そんな事を勝手に想像した。
ともかく俺のモヤモヤがそんな工場内から伝わって来ていた。追跡を初めた時から時間も経ち、反応が薄まっている感覚はあったが、何とか心臓が消え失せてしまう前にあの淫魔の根城へと辿り着くことができた様だった。
俺は出来るだけ静かにその工場の周りをグルリと回る。枯れ木の落ち葉が散乱している所を避けて出来るだけ音を立てないようにするが、工場の殆どの扉や窓が板で塞がれており内部の様子を窺えない様にされていた。
「くそ……これじゃ中がどうなってるか分かんねー……」
先輩は無事なのか、それとももう……
そんな想像をし危惧する俺はあることに気がつく。そうして工場の鉄骨柱に手をかけて登ってみるとどうだろうか、屋根の上にも一箇所だけ窓が設置されているではないか。それもベニヤ板などで塞がれてはいないものである。
ついているぞと思いながら俺はゆっくりとその側まで歩み、その窓を覗いた。
次の瞬間には俺は息を呑んだ。
暖色系の明かりが内部を照らしていたのだが、工場内に機械類などは無く、古びたテーブルや椅子などが置かれっぱなしにはなっているようだった。
そこに関しては可笑しな点は無いが、俺が息を呑んだのはその工場内の惨状を目撃したからだ。
テーブル上に置かれた元々人の一部であったであろう足やら腕。その端に置かれたバスタブの中に満ちた赤黒い液体。そこに浮かぶ数体分の胴体。
他にも周りに鉄器具が散乱しノコギリやら金槌、肉包丁などがぶっきらぼうに置かれている。明らかな犯行の証明だった。
今までに殺された人間の遺体である。彼女はそれを解体しているのだ。
催す吐き気を堪えながらも俺は窓から見える範疇を模索する。そうするとどうだろうか、窓際ギリギリの所であのOLスーツの淫魔の姿を発見することが出来たのだ。小熊林先輩もいる。
どうやら淫魔は先輩を担ぎ込み、黒革張りのソファーに下ろした所であるようだった。
ビンゴ! 本当に二人がいた!
俺の勘は間違っていなかったのだ。
俺は急いで鞠猫にメッセージを送った。自分のいる場所と状況を。
何にしても俺一人ではあの淫魔は倒せない。鞠猫と力を合わせなくては勝利はないだろう。彼女がここに来るまで俺も待機するのが得策だろうとそう思った。
そんな事は頭では分かっていた。
けれど次の瞬間には、俺は窓を打ち破り中へと降り立っていたのだ。
驚いた様にこちらを見る淫魔。俺と彼女達の距離は10メートル程であった。
いやはや……本当はこんな事をするべきではないのは分かっている。鞠猫を待ってから突入した方がいいのだろう。けれどそれまでに小熊林先輩に危害が加わらないとは限らないのだ。『あっ』と思った瞬間に彼女の首が切られていたらどうする? 足が折られていたらどうする? 油断した。自分だけでは太刀打ちできないから。勝てないのが明白だから。 ……そんな言い訳だけではすまないのだ。
先輩には何事もなかったかの様に家に帰ってもらう。それが俺の望みだった。だから俺はこうして単身飛び込んだんだ。俺に注意を向ければ彼女自身に危害が加わる可能性が低くなるから、それが狙いだ。
「────先輩を返してもらうぜ」
俺は着地した体勢を整え、立ち上がるとそう要求する。こうして中に入ると更に工場内の異様さが分かり嫌な汗をかいた。窓からでは死角になって見えなかったが、天井からプクプクとした白い長い縄の様な物がいくつもぶら下がっていて、目を凝らしてみればそれが人間の腸であることが分かった。更に天井に取り付けられた電飾は人の頭であり、くり抜かれた眼球部、鼻の穴、あんぐりと開いた口から暖色系の明かりが漏れている。頭の中に電球を突っ込んでいるのが明白だった。
地獄絵図……そんな言葉が相応しかった。
「どういうこと?」
悪趣味極まりない内部の状況に動揺しながら辺りを見渡す俺に淫魔がそう問いを投げた。
「どうしてキミ生きているのかしら……? 心臓は確実に食ってやったはずなのに」
その言葉を向ける淫魔から動揺やら恐怖は感じられない。ただ、興味深いといった感じ。それだけだった。こちらを危険視など全くしていなかった。
彼女の後ろでソファーに横たわる小熊林先輩、どうやら気絶しているだけで他に外傷もなさそうだった。とりあえず一安心した。
「悪いけど再生力には自信があってね、あれくらいじゃ死なない」
「そんなわけはないわ。いくら再生出来ると言っても心臓を取られちゃそれも不可能なはず………」
そうして淫魔は少しだけ考えた様に黙り込んだが、納得したように少しだけ頷いた。
「でもそう……生きているならそういうことか。キミ、主が相当優秀なんだね、まさか貴方も心臓をやられても再生出来るなんてね。まぁ……稀にいるし、驚くこともないか。それにしてもこの場所にも人払いの術は仕込んであるのに突き止められるだなんて……私の縄張りに寄越されたってこともそういう強みがあるからかな?」
「は?」
「隠さなくったっていいよ、私からこの土地を奪う為に人間社会に紛れていたんでしょ? 主人からの命を受けて」
「……何を言っている?」
「無限の再生力を持つ兵士か〜……一体何との混血なんだろう……ねぇ、君自己紹介してみてよ。名前、年齢、何の生き物との混ざり物なのか、言いたいなら趣味とか語ってくれてもいいよ」
なんなんだコイツ……こちらの話なんて一向に聞く気はないと好き勝手に話し出してきた。
微笑したままこちらに興味津々に視線を向けてくるそいつに俺はペースを持って行かれないぞと、舌打ち一つ零すと対抗するように言ってやった。
「なにわけわかんねーこと言ってやがる! この大量殺人犯め! お前で間違いないよな、最近街を賑わせてるカップル失踪事件の犯人はよぉ!」
「え? あぁ〜……うん、多分そうかな」
しかし淫魔はそんな気の抜けた返事を返してきた。
「た、多分って……お、お前……自分が何をやっているのか分かってて言ってんのか!?」
「どうしたの……? 私達が人間を殺すなんて普通のことじゃない。可笑しなこと言わないで」
ここで彼女は少しだけ困惑した表情を見せた。人を殺していることでは少しも歪ませられなかったその顔が、そんな常識を疑う言葉で歪むとは、なんともイカれていると思わずにはいられなかった。
確定的な犯人の発見に改めて女を見る。他の人間と何ら変わらぬその姿に敵対心を向ける事に躊躇しそうにもなるが、この工場内の光景を再度目に焼き付けるとそんな迷いは薄れる。
こんな所業は人間の感覚じゃ絶対に不可能だ。この目の前の存在の姿に惑わされてはならないと俺は自分に言い聞かせた。
「さあ、あなたの主人はどんな人なの? 教えて欲しいな。それか、ここに連れて来てくれてもいいよ、それはそれで沢山聞きたいこともあるしね。……ま、最終的には殺し合うだろうけど」
「こ、殺し合うって……」
こいつは人の命をなんとも思っちゃいない。それどころか俺を誰かの配下だと信じ切って、その主人を出せと要求している。最早その話に移り変わってしまっているのだ。
こんなやつに人を殺すことの非常識さを語っても意味はあるのか?
そんな疑問が俺を支配していた。
「お前……なんなんだよ」
「私? 私はミスリー。普段は勿論偽名を名乗っているけどね」
名前を聞いたつもりはなかった。
「名前なんてどうでもいいんだよ! お前、人を襲っておいて罪悪感とか危機感とかないのかよ!?」
「どーでもいいだなんて失礼ね。 ……なに? 罪悪感? 危機感? どうしてそんな必要が?」
「ど、どうしてって……」
「君本当に『兵士』? そんな事自分の主人にも言っているわけ? 私達が人間を食ったり精力を奪ったりすることに必要性なんてあるわけないじゃない。人間が食べる、寝る、増える……と欲求を持っているように私達にはもう一つその欲が多いってだけじゃない」
「欲?」
「快楽を求めるってことよ」
呆れたようにミスリーは首を振り、数歩俺の方に歩み言った。
「快楽欲は私達の本質よ? 精力を生き物から奪う際に私達には特殊な脳内麻薬が分泌される。精力の多く含まれている体液やら心臓を体内に取り込むとそれはそれは気持ちの良い心地になるんだから。生まれた時から私達にはそれが備わっているからこの欲望に抗うなんて不可能だよ。だから人間を襲うわけ、一番弱くて愚鈍で数が多いからリスクが少ないからね。特に街に生きる人間なんてチョロいよ、警戒心も薄いし、自分が死ぬ事なんて一切考えてないんだもん。それに味も良いしね、きっと姿形が似てるからそうなんだろうけど、他の生き物と比べると別格だよ、狙わない理由がないほどに」
「別格って……」
本当に分かち合えない存在であると俺は確信した。この淫魔だけがそうなのか、淫魔全員がそうなのかは知らないが、倫理観が人間世界の者とは違いすぎるのだ。コイツに命の尊さを説いたところで何も響きはしないだろう。
「……カップルを狙っていた理由もそういうことか」
「うん。人間ってば隣に信頼している人がいると警戒なんて一切しなくなるからね、狙いやすいんだ。雄の心臓は喰らい、女の子達の心臓も散々遊んだ後に食べるの。そしてその亡骸は綺麗な装飾になる。 一石二鳥……いやカップルを狙う利点でいえば一石三鳥だよ」
「…………」
「人間の女の子はいい声で鳴く。人間自体が痛みに弱いじゃない? だから爪を剥いだり、片足を潰しただけで四六時中喚いているからたまらない。録音してとってあるくらいだもん。両目、両腕を潰して私の体を舐めさせた子もいたっけな……流石にこれは痛みが引いてからやらせたけど、毎日囁いてくれる命乞いはとても心地良かった。ま、飽きたから心臓を食って、飾りにしてあげたけどね。ほら、キミの頭上にぶら下がっているのがその子だよ」
俺は言われるがまま自分の頭上を見た。そこには腕と頭が無い全裸死体が吊るされ、腹から飛び出た腸が、パーティ飾りの紙のチェーンの様に天井の要所に伸ばされ固定されていた。
「いかれてやがる」
「イかしてると言って欲しかったな」
そうしてミスリーはフゥとため息を一つ吐き続けた。
「そんな私のことなんてどうでもいいじゃない。キミだよ、キミ、私はキミに興味があるんだ。是非主人を連れて来てよ。同じ淫魔として交流を深めようじゃないか」
そう望む彼女に俺は呆れて物も言えなかった。こんな残虐非道な事をしておいてそんな事を言うとは……
なんとも無慙無愧なヤツだ。
「主人なんているかよ」
「ふぅん? じゃあ言い方を変えようかな。君の母親を連れて来なさいな、君が人間との混血だってことは分かっているよ、心臓の味でね。だとすれば君を配下として産み落とした淫魔がいるはずでしょ? その人を連れて来てよ」
そうミスリーは微笑んだ。その微笑に俺は目を逸らした。
自分の人生の中でその様な人には会ったことがなかった事を否が応でも思い出してしまった。その現在に至るまでの母を知らない事をこの自分の『同族』に漏らすのは少しばかり嫌な気分だった。
俺は黙り込む。でもそれだけでミスリーは全てを察したようだった。
「まさか君……捨てられたの?」
その言葉に肯定も否定もしない。ただ黙って彼女を睨み付けた。
だったら悪いか? そう言うように。
するとどうだろうか、彼女は封を切ったように高笑いを晒した。
「アッハハハハハハッ!! ま、まさかそんな事情だとは! ごめんなさい、ごめんなさいね!」
工場内に響き渡るその高い声色の笑い声。耳障りだと思った。でもそれを遮ることはしなかった。そんな事をすれば俺自身が情けない人種のように思えたからだった。
俺はあくまで平静を装っていた。腹の底では悪いかよと悪態ついていたけれど。けれど一頻り笑ったその後のミスリーからの言葉には俺も驚いた。
「そっか、そっか、キミ、可哀想な子なんだね。配下として産み落とされたにも拘らず、その主人のお気に召さなかったか、きまぐれか、兎も角要らないとされてしまったとは……じゃあさ───」
「────私と一緒に来なよ」
その持ち掛けに俺は目を見開いた。




