超常 邂逅
俺達を注意したその声の持ち主である女はグレーのパンツタイプのビジネススーツを着ていた。
良く梳かした茶色い髪が夜闇を照らす街灯光を美しく反射する。服の上からでも分かるスタイルの良さ、上半身と下半身のバランス、長い手足、小さい頭、美しい歩き方……その身なりから社会人の女性として世に出ているのは明白だが、大人だから……社会人だから……とそのアダルトな美麗さを評価するのは些か違うと俺は思った。
「こんな真夜中にキミ達……少し騒々しいんでなくて?」
そう続ける女性。当然だが、俺の知り合いではない。そして俺の横で「えっと……」と零す小熊林先輩の様子からするに、彼女の知り合いでもないようだった。
「す、すみません……騒ぎすぎました」
潔く謝罪する先輩。様子から察するに見ず知らずの人間に唐突に叱られた事に困惑しながらも、事態を治める為の咄嗟の謝りであった。その姿勢は素晴らしいの一言だが、横に立つ俺はそんな言葉を口にはしなかった。
俺は何か感じたことのない異様さに周りを見渡す。駅周辺のこの場所、普段ならば終電近くのこの時間帯であればチラホラ人がいても可笑しくはないが、タイミングが悪かったのか、俺達の他に人間は一人もいなく、どうにも落ち着かない。
そして俺の鼻腔を擽る甘い匂いは未だ健在であり、どこからか風に乗って香ってきたわけではないと思わせた。
「別に謝らなくたっていいの。分かってくれればいいから」
そう言って女性は微笑む。細めた目蓋から覗く目が黄色に煌めいた様な気がしたが次の瞬間には目蓋は通常通りに開かれ、何の特色もない茶色の瞳をしていた。
「ご迷惑お掛けしました。今度から気を付けます」
俺は嫌な異様さにそんな言葉をすらすらと口にした。そしてその場をとっとと離れようと先輩の手首を掴む。
「先輩、終電に間に合わなくなりますから行きましょう」
「ちょっ!? 奏君!?」
突然の俺の行動で先輩は驚くが、大人しくそれに従う様に歩を進め、女の横を過ぎた。
これでいい。なんだか分からないけれど、この女は何か不気味だ────
他人の公共の場での失礼行為に注意する人間はいる。しかしその場合周りの事を考え大衆の意を代弁したり、言いにくい事を代わりに言ったりするもんだが、この女は違う。
確かに俺と先輩は騒いでいたが、周りに人はいないし、ここの周りにはお店もチラホラ点在していて飲み屋だってあるのだ。少しくらい騒いだとしてもここら辺に住んでいる人からすれば普段の酔っ払いの騒ぎよりも気にならない筈。
それなのにこの女、まるで狙い澄ましていたかのように俺達に接触してきた。
俺は見ていた。この人は俺達とは反対方向、駅の方から向かってきて顔を見合わせた途端注意してきた。
……それはおかしくはないか? 俺達と同じ方向を歩き、前を歩いていてそう注意してくるなら納得出来る。歩いて後方からギャーギャー騒いでりゃそう言いたくもなると。
でも前から歩いてきたうえ、騒いでいるのもほんの少ししか見ていない筈だし、少ししか聞いていないだろうにそんな注意をするだろうか?
歩き方や顔色は平静だし、目も虚じゃない、完全に素面だ。酔っ払いの絡みでは絶対にない。
そんな現実が気味の悪さを抱かせた。
歩み出した俺達。しかし俺の心の内を覗き見たかのように、女は声を掛けてきた。
「イかせないわ」
ゾッとした。
後ろから向けられたそんな一言、俺は振り向かずにはいられなかった。
「────折角の獲物だもの」
またもそう言い女は俺達に一歩近付いた。
俺の心臓の音が激しく鳴る。そして脳味噌が警鐘をかき鳴らした。
「てめぇ今なんつった……?」
───逃げろ。
───いや、逃げ切れない。
本能がそれを告げる。
何か分からない大きな存在に俺達は狙いすまさられている。
それだけがハッキリしていた。
「獲物だと言ったのよ」
「……あ?」
「知らなくていいわ、すぐに終わるもの」
瞬間だった。
5メートル程先にいた筈の女が一瞬で俺の目の前に現れた。
───何かやばい!
突然の事に俺は咄嗟に身を守ろうとした。しかし次の瞬間……左胸に衝撃が生まれた。
熱く、強烈な衝撃が俺を襲う。動揺と焦燥、同時にこの女に対しての恐怖が生まれるが、どうしたことか叫ぶことも出来なかった。
「あ……が………」
そしていつの間にか女の右手に握られていた肉塊に気が付く。赤黒く血液と思わしきものに濡れているそれに覚えが生まれ、俺は自分の体の中央を見た。胴体のその真ん中だけがポッカリと穴が空いていた。それは恐らく心臓の位置する場所だった。
「ふふ……悪くない色ね、最近の中では上玉だわ」
取り乱すこともなく嬉々とそう言う女。
……意味が分からない。意味が分からない。意味が分からない。
どうして俺の心臓がこんな女に奪われてやがるんだ……それにあんな手の刺突で俺の体を貫きやがった……なんだこいつ、なんなん…だ……
心臓を奪われた事で最早まともに思考も回らなかった。俺はそんな中で小熊林先輩を見た。
彼女はまるで地蔵のように固まっていた。目の前で起こる事に頭の理解が追い付いていないのは明白だった。目が点になり無表情、足は棒立ちになっている。
俺は必死に彼女に告げようとした。この場から逃げろと。けれど言葉はただの空気の漏れになり、彼女にその意思が届く事はない。
今までに千火さんや鞠猫に殺された事は幾度もあれど、このように心臓一点を奪われた事は無かった。痛みや、自分がどういう状況に陥っているか理解出来る分、頭をやられるより何倍も辛かった。
「ふんふん……悪くない味だわ」
俺は遂に膝を折り、他に崩れる。視線を『女』に移してみれば、そいつは俺の心臓に噛り付き咀嚼しているところだった。
────人間じゃない
それだけがハッキリしていた。
不味いぞ……俺がやられた今、次は必ず先輩が狙われる。それだけは防がなくては!
俺はそう思う。そして自分の正体がバレたとしても彼女を守らなくてはと考えるが、そうして気が付く。自分の傷の再生力がいつもよりも何倍も遅い事に。
何故だと焦るが、まさか心臓をやられたから遅いのかと推測するが、それは違う。それであれば更衣室で鞠猫に銃撃によってバラバラにされた時の方がもっと時間がかかった筈だ。あの時は心臓の位置も打ち抜かれていたから今よりも悲惨な破壊状態だった筈だ。
けれど今は……何秒経とうとも再生が促されていない!!
ちくしょう……ヤバイぞ……ヤバイ!!
この女がなんなのかは知らないけれど、先輩の身が危うい。
「あら?」
俺は動かない体で無理矢理這いずり、先輩の足を掴んだ。
そこで漸く先輩の体はビクリと反応を見せ、そして俺へと視線を落とした。
「…ぃに……げっ……て………」
なんとか紡げた言葉。それを聞いた瞬間、先輩は絶叫した。
「ぎゃあああああああああぁぁっ!!!」
ようやくなんとか意識は戻ってきた。けれど早く逃げてくれ、叫ぶのではなく、足を動かすんだ……
俺のそんな意思は通じない。彼女は叫び震えている。ガタガタと肩を震わせてその場から一歩も動こうとはしなかった。足から手は離しているから動ける筈だが少しも歩もうとはしなかった。
駄目だ、恐怖に完全に支配されている。こうなれば足がすくんで行動出来るわけもない。
「五月蝿いわね、人払いはしていると言っても私がいるのよ? 騒々しいのはやめてよね」
そういう女は歩み、先輩の首元を素早く叩いた。そうするとどうした事か先輩は事切れたように倒れた。
……気絶させやがった。
「アンタは後でじっくり躾けてから食ってあげるから安心しなさいな。───それより」
女が俺を見下した。
「まさかこんな所で『同族』に会えるとはね。意外だったわ」
女の目が黄色い光芒を放ち光っていた。
同族だと……?
俺は一瞬何のことかと考えそうになったが、すぐにその答えに辿り着いた。
……そうかコイツが……コイツこそが、この街を襲っている淫魔か!!
カップルを襲い、男は殺して女は連れ去る魔性の存在……超常の正体!!
犯人は俺も鞠猫もその犯行から男であると考えていたが、現実はどうだ、正真正銘の女ではないか! ちくしょうやられた……!
「奇妙な白髪は染めているだけの不良少年かと思っていたけれど、それ地毛なのね、納得〜」
軽い口調で余裕をかます彼女に腹が立った。
「白髪は魔族なら珍しくないからね。 ……それにしても驚いたわ、心臓を食べてみたら人間と味が違うじゃない! まさかまさかの事実に殺したことを少し後悔〜」
いますぐにでも殴りたかった。けれどそんなのは無理な話だった。最早指一本だって動かせない。
「けどまあいいわ」
なにがいいんだ。
「所詮『使い捨ての肉人形』だもの。淫魔の正式な血族じゃないしね、君はもう死んでもいいよ〜……って聞こえないか? 私少し痛いやつ?」
使い捨ての肉人形? 一体何の事だ……
俺は問いただしたくなるが、そんな俺の意識はまるで霞掛かったように薄らいでいく。
「じゃあね肉人形ちゃん、私はこれから君の恋人と楽しいことをしなくちゃならないから帰りますね〜 せめて来世では頭の良い肉人形に生まれなさいな。私みたいな格上の淫魔と縄張り争いにならないような場所を見つけてそこで暮らすことね〜」
そう言って女が先輩を担いでいることが分かった。俺は何とか視線をそちらに向ける。
どこから生やしたか、背後にまるで蝙蝠のような大翼を広げ、所謂お姫様抱っこで先輩を抱えるスーツ姿の女、見た目だけなら幻想的で綺麗なもんだが、その姿こそ淫魔の正体なのだろう。姿に惑わされてはいけない。その腹の中にある悪意は計り知れないのだから。
しかし、どれだけ俺が目を向けようとも悪魔が振り返ることは無く、空高く飛び上がっていくのを俺はただ見届けることしか出来ず、そして意識は途切れた。




