夜、二人
俺と小熊林先輩は並んで歩く。駅までは15分ほどの距離だ。時刻は24時を回っていた為、先輩の終電の時刻が大丈夫なのか気になった。
「先輩、時間大丈夫ですか? 終電間に合います?」
「うん、大丈夫。もし間に合わなくてもタクシー使って帰るから」
「すげぇ、金ありますね」
「親が後で立て替えてくれるからだよ。私がアルバイトしていたとしてお小遣いをやりくりしていたらタクシーなんて使えるわけないもの」
親心を考えれば可愛い娘の為だ、何がなんでも帰宅させるのが親心というものなのだろう。それが少し大人っぽくて羨ましく思えた。
先輩と自分の人間的な差を俺は前々から感じていた。勿論彼女の方が上級生なのだからということもあるのだが、物腰柔らかくも勤勉であり、誰に対しても差別無く関わるところも俺よりも大人びているように感じていたが、そういうタクシーを使ったりする所も、何というかアダルトな人間な雰囲気を醸す要因なのだろうと勝手に思った。
「うーん……でもタクシー使えるなんて何かカッケェっすね」
「ええ? どうして?」
「俺の中じゃ大人の乗り物って感じがするんで」
「フフッ……奏君、それ可笑しいわ」
俺の率直な意見を先輩は楽しげに笑った。
「誰だって使ってるわよ」
「まじですか? ……皆んな金持ってんな、俺なんてまだ乗ったことないのに」
「あら、本当に?」
「はい、マジですよ」
俺はそう答える。自分の移動に使っているのは電車か千火さんが運転する自家用車ばかりだ。タクシーを使う機会があまりないのも当然だった。
「じゃあ今度私と一緒に乗りましょう」
だから彼女からのそんな誘いに、体験したことのない世界を知れるチャンスだと咄嗟に歓喜しそうになるが、
「タクシーデートよ、悪くないんじゃないかしら」
デートというその単語に冷静さが介入してくる。
「デートですか……」
「フラワーパークの件、キミに断られちゃったから、だったら今度はタクシーでどこかに行かない?」
横を歩く彼女は俺の方を見ずにそう誘っていた。ずっと自分の進む斜め下に視線を落としながら。
「……すみません、デートは無理です」
「…………」
「お誘いは嬉しいんですけど……それは……」
きっと彼女は俺に断られる事をわかっていたのだろう。今まで幾度となく彼女の誘いを断ってきたこともあったし。だから俺の方を見ず、あくまで話ついでに誘ったのを演出する為に体や顔は俺の方を向かせなかったのだ。
だから俺の断りの言葉を聞いても彼女は然程残念そうではなかった。
「そうね……私達別に恋人同士ってわけじゃないもんね」
「はい……それにデートとか二人で出かけるのはちょっと……恋人と誤解されるような事は……」
「私は一向に構わないわ」
「…………」
先輩は足を止めた。そして今度はしっかりと俺を見ていた。
「ねぇ奏君、この際だからハッキリ言っておくわね。 ……私はキミが好きよ。勿論男女間の意味で、恋人になりたいって意味で!」
いつもの先輩とは違い、少しだけ語尾を強めたその言葉。街灯の光で彼女の頬が優しい桃色に染まっているのが分かった。彼女が本気であるのは明白だ。
けれどその言葉も先輩の様子も、聴覚も視覚も刺激しているはずだったけれど、俺の心を揺さぶる事はなかった。だってそんな事はもう十二分に分かっていたから。普段の関わりでもそれは明白だったけれど、なにより……彼女は過去にも俺に告白してきていたのだ。正直ハッキリ言うもクソもない、俺は彼女から向けられる好意をしっかり理解していた。
それを承知で俺は今までのデートなどの誘いを断ってきているのだから、それを聞かされたところで今回の誘いも乗るわけもない。
「すみません、前も言いましたけど恋人を作る気はないです」
だから今回もしっかり断る。後に誤解を招かないように。
「そ、即答……相変わらずね奏君、答えの早さに感慨深ささえ抱かないわ」
「誰から言われても答えは決まっているので」
「あらそう、まるで断り慣れている様子ね」
「…………」
本当は知っているうえで先輩はそう言った。俺は一週間の内に数回、多ければ十数回の告白を断ってきた。学校内の生徒から、放課後他校の人間から、見ず知らずの中学生、法など恐れるに足らずと意気込む女教師、数回道ですれ違っただけのOL、恐ろしかった部類は、他の男性との婚約を解消した女性や、不倫上等で関係を迫ってきた人妻など。誇張無しに大勢の女性の好意を俺は切り捨ててきた。
初めて受ける人もいれば、過去に何度もして来た人も。カウントすればキリがない。
他の人からすれば感心出来る行為ではないのは分かっている。
けれど……恐い。ただその一点に尽きた。
愛に狂わされた、魅了の効果で愛を騙られた女性達の言葉も、様子も、雰囲気も。
それは誰から告白されようが変わらぬ事だった。
俺は誰の恋愛感情も受け取らない。友愛ならばいいだろう、でも恋愛だけは絶対に受け取らないと決めていた。
自分の魅了能力に対する唯一の反抗行為。淫魔の血に対する拒否行動。そして何より自分を、他人を守る為の決め事だ。
────もうあんな思いはしたくない。女性達にあんな行為をさせたくない。
その一心で。
そしてこの小熊林先輩の『二度目』の告白も俺の中の通例に従い断りを入れただけである。何も彼女が特別なわけではない。
「────私はキミが好きよ」
「…………」
「世界で一番ね。母や父親よりも好きだわ。学校の誰よりも好き。奏君、キミの為ならなんだって出来るわ」
「親よりも好きだなんて……言い過ぎです。お母さんやお父さんが悲しみますよ?」
「優しいのね奏君。では撤回して欲しかったら私と付き合って?」
「無理です。なんだって出来るなら俺の事は諦めてください」
「それは無理、反則よ奏君。ペナルティとして私と付き合いなさい」
「…………」
まるで出口の無い迷路に足を踏み入れた気分だった。本当にこの人は俺を手に入れるつもりなのだろう。
俺は終電の事もあったし、再び歩み出した。当然先輩は後ろをついてくるが、会話は終わらなかった。
「どうしていけないの? 私、駄目なところがあるかしら?」
「別にダメなところなんて……」
「私、自分で言うのもなんだけれど、結構良い体しているわよ? おっぱいに自信はあるし、最近ウェストも2センチも細くなったわ。ヒップをシェイプアップする為の運動がそんな所にも効果が出ているみたい。勿論お尻も上がってきた気もするし、脱いだら凄いよ?」
「別に体は関係ない……」
「なら性格? う〜ん……性格は自分じゃ分からないけど、人の嫌がるような事は言っていない気がするし、困っている人は助けるようにしているし……多分大丈夫だと思うわ」
「せ、性格ってこともないんですけど……」
「なら……なら人気度かしら!? わ、私……結構人気あるわよ! 最近も一人に告白されたし、今までも10人くらいから告白されたこともある。付き合ったことも一度はあるし……あ、で、でも安心して? その人とは手も繋いでないしキスもしてないから! と、当然処女だし……だから! 安心して付き合ってくれていいから!」
「……いや、そういうことでは……前も言いましたけど、俺は『誰とも』付き合う気はないんです。先輩だけではないんです、他の人とも誰とも付き合う気はないんです」
「だったら私でいいじゃない!」
小熊林先輩は今日一番の声を出した。それは俺が怯むほど足を止めて、後ろを振り向くほどだ。他の通行人がいれば立ち止まっていたことだろう。
後ろを振り返って見ればすっかり顔を赤くして、少し泣きそうになっている……いや既に少し涙が溢れている彼女がいた。いつも見る大人びた彼女とは違っていて、まるで俺よりも年下の子の様に肩を震わせ、鬼気迫る様子でこちらに対峙する彼女に動揺した。
「……私はキミが好き。キミが欲しい。キミの事ばっかり考えてる。喩えなんかじゃなくて本当に一日中奏君の事を考えているわ」
「せ、先輩……」
「お風呂に入っていても、ご飯を食べていても、家族と話していてもよ!? 四六時中キミの事ばかり……応援している女子高生アイドルグループの活躍をテレビで観ている時でさえ貴方を思い浮かべた時は本当に病気なんじゃないかって思うくらいだわ! こんなに他人を思ったことなんてない! ねぇ、奏君、誰とも付き合う気がないってことは逆を返せば、誰とでも付き合える状態ってことよね?」
「ん、どういうことですか?」
「いい加減私にしておきなさい。きっとキミと付き合えば私のこの病的な症状も治ると思うの、まるでピースの欠けたパズルが完成する様にね。勿論この症状を抑える為だけにキミと付き合いたいわけじゃないわ。好きで堪らないから言っているのよ? 症状が治るのは付加価値みたいなものと考えてもらって構わないわ」
「いや、あの、俺の話聞いてます?」
「付き合ってくれれば何でもしてあげるわ、言葉の通りなんでもよ、人には言えない事でも極めていやらしい事でも頑張るから任せてね。キミは万能のオモチャを手に入れたぐらいに思ってくれればいいのよ」
「全然聞いてませんね先輩」
「でも、遊んだ後ではしっかりお片付けしなくちゃいけないのは分かってるよね? ちゃんと最後にはお片付け……あるべき場所に納めなくてはいけないんだよ? つまりは結納よね……納めるんだからね」
何を言っているんだ。
なんとも困った事に先輩は完全に自分の世界に入ってしまっていた。その目から涙を流しながらも暴論を力説するその様は恐怖以外の何者でもない。
俺は絶対に付き合う気はないと先輩以外の女性達にも今まで伝えてきた。たしかに引き下がらない人は大勢いたけれど、今の先輩に比べれば誰しも可愛いものだったと思えた。先輩は所謂大和撫子タイプの美女だが、それゆえに今の迫力と相まって愛憎に狂った幽霊の様に見えてとても恐ろしかった。
そして同時に申し訳なくもなる。この症状を引き起こしているのが完全に俺の魅了能力のせいであるのだから。
負い目を感じながらも俺はどうすればいいのだと困惑する。このままでは彼女と恋人になることを承認するしかこの場を治める術はない。そのようになってしまう。
小熊林鈴華先輩が、こんなに熱烈で情熱的なアプローチを掛けてくる女性とは予測していなかった俺の完全なる判断ミスだった。こんなことになるなら鞠猫も連れてくれば良かったと後悔した。
「せ、先輩静かに……」
流石に時間帯が時間帯だ、騒ぎ立て過ぎると迷惑に思った近隣から警察を呼ばれてしまうかもしれない。俺は先輩を宥めるように声をかける。
「でないと周りに迷惑が────」
しかしその時だった。
嗅ぎ覚えのあるニオイが俺の鼻腔を刺激したのだ。
何かとてつもなく甘い香り。むせ返るほどの甘い香りだ。深夜の住宅街では嗅ぎ慣れない匂いだ。この辺りは通学路に使う為によく通っているが、こんな甘い匂いはこの辺りでは嗅いだことがなかった。店から漏れているものじゃない!
しかし覚えのある香り……言うならばココナッツに……ストロベリー……そこにバニラの香りを大量投入した様な……
「ッ!!」
思い出した!! この匂い……むせ返るほどの激甘な匂いは……先週、池袋の事件現場で香った匂いと全く同じなんだ!
「────あらあら、痴話喧嘩はよろしくないわね、お二人さん」
そんな猫撫で声が深夜の闇を裂いた。




