終着駅
汽車を降りた途端、乾いた風がいくつもの匂いを連れてきた。
砂。獣。どこかで焼けている油。そして、嗅いだことのない香辛料。旧大陸の港町で嗅いだどんな匂いとも違う。もっと荒っぽくて、生々しい。
人類の到達点にして、最前線――。道中、そう聞かされていた。なのに駅舎の外に広がっていたのは、思いのほか雑然とした活気だった。雑多な人間が行き交い、声を張り上げ、荷を運んでいる。
通りの向こうで、見覚えのある生き物が荷を引いていた。大型のトカゲだ。あの強盗どもが跨っていたのと、同じ種類だろう。こちらでは馬のかわりに、あれを使うらしい。商人らしき男が背に乗り、口輪一つで器用に操っている。荷台には、旧大陸ではまずお目にかかれない大きさの獣が、牙も爪もそのままに一頭、丸ごと積まれていた。トウヤはしばらく、その荷を目で追った。
横から、服の裾を引かれる。
「ほれ、何をしておる。ここに突っ立っておっては邪魔じゃろうが」
リィズだった。呆れ半分の声だが、咎める響きはない。
「物珍しいのはわかるがの」
言うが早いか、すたすたと歩き出す。トウヤはその背を追った。
通りを行く間も、トウヤの目はあちこちに引かれた。並ぶ店、聞き慣れない言葉の呼び込み、見たこともない果実。すれ違った男の頭には、犬のような耳がぴんと立っていた。獣人、というやつか。だが周りの誰も気に留めない。当たり前のように、そこにいる。トウヤもちらりと見て、それきりにした。
リィズがちらりと振り返り、ふん、と鼻を鳴らした。きょろきょろしている連れが、よほどおかしいらしい。胸を張って、また前を向く。
もっとも、リィズのほうは気づいていない。二人に向けられた視線に。
刀を一本差した東洋人。その隣を行く、メイド風のドレスの小柄な少女。背には、その身に不釣り合いなばかでかいライフル。すれ違う人間が、かすかに目を向けてくる。声をかけるほどでも、じろじろ見るほどでもない。ただ、ちらりと。変わり者の多い土地なのだろう。その程度では、誰も足を止めない。リィズは気にも留めず、先を歩いている。トウヤは気づいていたが、何も言わなかった。
――そのリィズの足が、いつの間にか遅くなっていた。
きょろきょろと、あたりを見回している。さっきまでの得意顔はどこへやら、眉が八の字に寄っていた。一度立ち止まって来た道を振り返り、また前を向く。口元に手をあてて、あからさまにうろたえている。
トウヤは、黙ってその様子を見ていた。
視線に気づいたのか、リィズの肩がぴくりと跳ねる。さっと手を下ろし、すっと背筋を伸ばした。何事もなかったように胸を張る。
――隠しきれていない。
「だ、旦那さま」
わざとらしいほど、堂々とした声だった。
「腹はへっておらぬか?」
「……小腹は、すいてるが」
リィズの顔が、ぱっと明るくなる。
「そうじゃろそうじゃろ! 健康優良児じゃからのぉ」
「しかたがないのー。このわしが、そこで串焼きを買うてやろう」
と、恩着せがましく胸を張って、大通り沿いの露店を指さした。さっきまで道に迷っていたことには、触れない。トウヤも触れなかった。
近づくと、香辛料のきいた匂いが食欲を直撃した。串に刺さった大ぶりの肉が、脂を落としながら焼けている。何の肉かはわからない。が、この匂いで不味いということはあるまい。
売っているのは、いかつい中年の大男だった。立派な髭をたくわえている。
――その頭の上に、猫の耳がちょこんと乗っていた。そこだけ切り取れば、妙に可愛らしい。
「二人前くれ」
「あいよ、嬢ちゃん」
いかつい顔に似合わぬ、明るい声だった。猫耳がぴくりと動く。
その横で、リィズが懐から財布を取り出していた。ルチアーノから失敬――もとい、介抱の手間賃としていただいた一品である。
「ンシシシ。あやつ、なかなか持っておるではないか」
小声で呟きながら、機嫌よく金を払う。罪悪感など、かけらもない。
「あいよ、熱いうちにガッといってくれ」
店主が一本ずつ手渡す。大ぶりの肉が、串に三つ四つ。リィズが鼻先に近づけ、ひくひくと匂いを嗅いだ。目が、わずかに細くなる。
――ふと横を見ると、トウヤはもう食い終えていた。それどころか、鉄板の上でまだ焼けている串に、ちらちらと視線を這わせている。物欲しそうに。
リィズが、苦笑する。
「ほれっ」
自分の串を差し出した。
「いいのか」
「大丈夫じゃ。わしはの」
短く、それだけ。理由は言わない。トウヤは「そうか」とだけ返し、遠慮なく受け取って食いはじめた。それ以上は、何も訊かなかった。
その食いっぷりを、店主が眺めていた。
「ところで嬢ちゃんたち、見ない顔だが……ハンター、かい?」
少し、言いよどんだ。装備だけは立派だ。特にあのライフルは、ただ事ではない。だが目の前の二人ときたら、危なっかしいほど幼い顔つきの娘と、線の細い、朴訥とした表情の東洋人。とてもハンターの面構えには見えない。
ハンターだ、とリィズが答えた。それから、ふと思いついたように付け足す。
「交易所の場所は知っておるんじゃがの。ねん――念のため、ちょーーーっとだけ教えてくれぬか」
「ああ、そんなことなら」
店主は気を悪くするでもなく、通りの先を指さした。このまま突き当たりの分岐を左へ。右は丘になっているからすぐわかる、と。
「丘……」
リィズが、小さく呟いた。
「ああ、なるほどのぉ」
声の調子が、ほんの一瞬だけ変わった。感慨でも、動揺でもない。何かを確かめたように。
トウヤは二本目の串をたいらげ、名残惜しそうに指先を舐めていた。
リィズが店主に礼を言う。トウヤも軽く頭を下げ、二人はふたたび歩きだした。今度は、リィズの足は迷わない。
しばらく大通りを行くと、突き当たりの分岐に出た。トウヤが立ち止まり、左を指さす。
「こっちだよな」
左の道は、さらに雑然としていた。生活の匂いと、人いきれ。建物が軒を寄せ合い、洗濯物が通りに張り出している。どこかで子供の声。路地裏から、油と煙の匂いが流れてくる。よそ者の姿は、ほとんどない。ここで暮らす人間の町だ。
右は、しばらく同じような街並みが続き、やがて建物が途切れる。その先は、丘へと続く一本の道だけが伸びていた。緑がまぶしい。風が、心地よさそうに木々を揺らしている。街の喧騒から切り離されたように、静かな道。
返事がない。
トウヤが横を見ると、リィズは反対側――丘のほうを見ていた。目を細め、足を止めて。串焼きのときの「なるほどのぉ」よりも、ずっと長く。何を見ているのか、何を考えているのか。トウヤには、読めなかった。
「こっちだよな」
「そ、そうじゃの。そっちじゃの」
少し、慌てていた。普段のこの娘には、ない反応だ。トウヤは何も訊かなかった。「そうか」とだけ返して、先に歩きだす。
リィズが、ひとり分岐に残る。ほんの数秒。もう一度だけ、丘のほうへ目をやった。
その丘から、風が吹いてくる。街の乾いた風とは違う。緑の匂いを含んだ、柔らかい風だった。風が、リィズの頬を撫でていく。目を細める。何も言わない。穏やかとも、切ないとも、つかない顔で。
――ほんの一瞬。
それから、トウヤの背に向かって歩きだした。




