リィズと荒野の果てで
旦那さま。
聞き慣れない響きに、トウヤは一瞬、眉を寄せた。
なぜだろう。その一語が、ふいに妹の顔を呼び起こした。こちらを向いて、にこにこと笑っている。――それなのに、背筋を、つうっと冷たいものが伝う。
気のせい――ではない。経験上、この手の寒気は、たいてい当たる。
それでも、少女があまりにこともなげに言うものだから、その呼び名をいちいち問いただすほどでもないかと、口をつぐんだ。
少女は足元に転がっていた赤い石を拾い上げ、トウヤの手に握らせた。キッドの、魔石だった。
言われて、トウヤは自分の両腕に目を落とした。
撃たれて砕けたはずの、生身の左腕。骨の軋みも、力の入らなさも、さっきより明らかに薄れている。そして、機械の右腕。ひしゃげていた関節が、低い軋みを上げながら、少しずつ噛み合いを取り戻していた。完全にとはいかない。だが、この短さで、これは。
思わず、まじまじと自分の両腕を見つめた。
「大丈夫なようじゃの。……うむ、成功なようじゃ」
その言い方には、どこか、ほっとしたような響きがあった。
「旦那さまとわしのあいだに、永久に結ばれた赤い絆――感じるじゃろ? 自分の体の内側を、慎重に探ってみよ。旦那さまなら、まぁすぐにわかるはずじゃ」
言われるまま、トウヤは目を閉じ、意識を内側へ沈めた。
確かに、何かがある。少女とのあいだに、細く、しかし確かに通うもの。絆と呼ぶには無機質で、回路と呼ぶには、わずかに温かい。その両方が、一つになって繋がっていた。
「駅に着くころには、とりあえず動ける程度にはなっとるじゃろ」
少女が、トウヤの腕をひょいと取る。
「どれ。ついでに、わしがメンテしてやるわい。どうせなら、な」
言いかけて、少女はふと手を止めた。
「……おっと。そういえば、まだ名乗っておらなんだのう」
胸に手を当て、ふんぞり返る。
「わしの名は……名は、じゃな……」
ふんぞり返った姿勢のまま、続きが止まった。視線だけが、宙をさまよう。
一拍。
「……リィズ。うむ、リィズじゃ。よい名じゃろ? 今日からおぬしの――いや、旦那さまのメイドじゃからな。よろしく頼むぞ」
トウヤは、半眼になった。
「……いま、考えたろ」
リィズは聞こえないふりをして、思い出したように辺りを見渡した。
「ほれ、強盗団も、もうあらかた片付いたようじゃしの」
つられてトウヤも目をやれば、屋根の上に追ってくる影はもうなく、車内から響いていた銃声も、いつのまにかまばらになっていた。ボスを失えば、群れなど、こんなものなのだろう。
リィズが、屋根の縁から、ひらりと身を躍らせた。トウヤも、続いて飛び降りる。
最後尾のデッキへ、戻ってきた。屋根のない床を、乾いた風が吹き抜けていく。火薬のにおいも、張り詰めていたものも、その風が少しずつ攫っていった。
ようやく、人心地がついた。
倒れていたはずのルチアーノの姿は、そこになかった。代わりに、汽車の制服を着た男が一人、二人を待つように立っている。
男は二人を見るなり、深々と頭を下げた。
「助かりました。……本当に」
強盗団は追い払った、と男は言った。先刻まで倒れていた白服の男も、傷こそ深かったが命に別状はなく、いまは下の車両で手当てを受けているという。
「それに、あのボスを――ビリー・ザ・キッドを、あなたがたが」
声に、安堵と、わずかな畏れがにじむ。
「あいつには、ずっと手を焼いていたんです。ここら一帯を根城にしているのはわかっていたんですが、それでも、手出しがなかなかむずかしくて……」
あとは、言葉にならないようだった。
リィズが、ふん、と胸を張る。
「いやー、それほどでも――あるがのぉ」
謙遜する気は、まるでないらしい。
トウヤは、その得意げな横顔を、横目で見ていた。
戦塵にまみれ、ところどころ焦げたメイド服。バカでかいライフルを担いだ小柄なリィズが、英雄面で胸を反らしている。世界一似合わない取り合わせのはずなのに――なぜだろう、咎める気には、どうしてもなれなかった。
男が、深く息をついた。
「これで……これで、心置きなく終着駅までお運びできます。あなたがたのおかげだ」
そして背筋を伸ばすと、誇らしげで、それでいてどこか畏れるような面持ちで、地平の彼方を指し示した。
「ようこそ、世界の縁へ」
乾いた風が、果てのない大地を渡っていく。その先、陽炎の揺れる地平に、小さな影が滲んでいた。
「線路が尽き、我々が最後の犬釘を打ち込んだ場所。人類の最前線にして終着点、ラストスパイクへ」
トウヤは、目を細めた。
海を渡り、汽車に揺られ、吐いて、斬って、ここまで来た。その果てにようやく姿を現した、人の世界のいちばん端。
胸の奥が、かすかにざわついた。何か新しいものへと続く扉が、いま、目の前で開こうとしている。そんな予感が、確かにあった。
ところで、と男が言った。
ふいに、その顔から愛想が消える。妙に、改まった目つきだった。
リィズが、つられて身構える。
「うん?」
男は、まっすぐに二人を見て、口を開いた。
「お客様。切符は、お持ちですか?」
しん、と間が空いた。
あれだけの立ち回りのあとに来たのは、あまりにも、ありふれた問いだった。
リィズの動きが、止まる。一瞬、言葉に詰まり、視線がわずかに泳いだ。
そして。
すっと、背筋を伸ばした。
「……わたくしは、メイドですので」
さっきまでの「わし」も「のじゃ」も、どこへやら。妙に澄ました丁寧語でそう言うと、リィズはトウヤの背へ、すっと半歩隠れた。
「何も、わかりません。すべては――旦那さまに」
丸投げされたトウヤは、しばらく、その澄まし顔を見下ろしていた。
長い、息が出る。
「……お前なぁ」
言いかけて、やめた。いまさら、何を言ったところで。
蒸気の走る荒野で、剣と人形はこうして出会い、切符一枚を前に、すっかり行き詰まっていた。




