決着
――おい。
声が、した。石の奥からか、頭の中でか。わからない。だが、こいつなら、こう言うに決まっている。
――テメー、この天才の俺様を倒したくせによ。あんなやつ程度に、何苦戦してやがる?
――ふざけんな。これじゃ、俺様が弱かったみてえじゃねえか。
あの悪ガキが、嗤っている。心底、不服そうに。
――いつまで這いつくばってんだよ。さっさと起きろ。
――それとも何だ。動けねえってんなら……その身体よこせよ。俺が代わりに、ぶち殺してやる。
……ああ。言うだろうな、お前なら。
手は、使えない。なら、それでいい。
顔を、伏せる。泥にも、血にも、構わずに。転がった石に、噛みついた。
奥歯で、砕く。砕いて――全部、飲み下した。
妹のために、万が一でとっておいた石を。
瞬間。火が、内側を駆け抜けた。
激痛。いや――痛みだけ、じゃない。
何かが、内から突き上げてくる。身体を、いや、魂を、根こそぎ、別のものに塗り替えようとする。
――手を、放せ。寄越せ。
……ああ、そういうことか。本気で、奪りに来てやがる。
歯を、食いしばる。飲まれるな。手放すな。
妹だ。シノを助ける。それだけのために、今ここにいるんだ。
オレだ! それだけは誰にも、明け渡さねぇ。
「……なめるなよ」
塗り替えの濁流を、ねじ伏せる。
地を掴み、膝に力を込める。
不格好に刃を突き立て、柄を握り直し――立った。
身体の奥で、あの天才の力が、巡っている。
――その場で、もう一度。撃ち直す力。
なら、刀に乗せる。一振りで、二振り分。
糸が、薙いできた。
踏み込んで、斬る――刃が、振り抜く途中で、もう一度、伸びた。
糸が、断たれる。腕が、軋む。人間の腕なら、折れてる。
……チッ。機械の腕で、よかったじゃねえか。
アイツなら、そう言うだろう。もう聞こえない悪ガキの顔を思い浮かべて、口の端に、微かな笑みが浮かんだ。
ルチアーノが、混乱していた。オレの動きは、変わっちゃいない。なのに、なぜ糸が斬れる。その顔が、そう言っている。
わからないまま、めちゃくちゃに振り回してくる。野生の、暴力。
いなす。捌く。一歩、踏み込む。リィズの弾が、開いた隙間を縫い、糸を払う。また一歩。距離を、詰めていく。
やがて、互いの間合いが、重なった。
「お前……まさか、ホストへと至ったのか?」
その動き。その、傷の治り方。ルチアーノの目が、そう値踏みしている。
「さぁな」
刀を、鞘に納める。かちり、と。
ルチアーノが、つまらなそうなものを見る目をした。負けるとは、欠片も思っていない。ただ、思っていたより手間がかかる――その程度の、予定外。
「ふん、おもしれぇ……」
残った腕を、ゆっくりと引く。脚が、地を掴む。糸が、束になってしなり、渾身の一撃に向けて、研ぎ澄まされていく。
「ようこそ、化物の世界へ。今度は、ちゃんと殺してやるよ、新人」
「ハッ。やってみせろよ、化物が」
――抜刀で、決める。
互いに、放つ。
――鞘走る音。
その音だけで、刃がどれほどの速さで滑り出たか、知れる。
ルチアーノの渾身を、抜刀の一閃が、上回った。
その、首が。宙を、舞った。
会心。
――の、はずだった。
その下で。蜘蛛の腹が、ぐにゃりと。大きく、歪んで――笑った。
……囮。上半身を、囮に。
抜刀しきった腕は、伸びきっている。隙だらけだ。そこへ、脚が、束になって――決めに、来る。
――鞘走る音が、もう一度。
ルチアーノにも、聞こえたはずだ。だが、意味は、わかるまい。抜いた刀が、なぜまた、鳴る?
手首が、返った。無理な体勢。捻じれる反動。骨が、軋む。
――だが、威力は。抜刀の、一閃のまま。
その場から、もう一度。撃ち直す。
刃が、軌跡を描いて。蜘蛛の腹を――その、歪んだ笑みごと、斬り裂いた。
斬り裂かれた巨体が、ぐずりと崩れた。
化け物の形を、保てなくなっていく。溶けるように、崩れるように。ルチアーノが、消えていく。
地に落ちた、切り離された頭が。崩れていく、その間際に――口を、動かした。
「……この、俺が」
掠れた声。信じられない、という響きで。
「幸運の星のもとに、生まれた……この、俺が――」
続きは、なかった。
崩れて、消える。光になるでもなく。看取られるでもなく。ただ、消えた。
あとには。濁った色の魔石が、ひとつ。
「お前が持ってたのは、それだけか……生まれの運だけ。それも、自分で掴んだもんじゃ、なかったな」
――シノの、特効薬となるホストの魔石。
女王アリじゃ、なかった。今ある人形病の、すべての元凶。それは。
……お前だったんだな。
握りしめて、懐に入れると同時に張り詰めていたものが、ふっと、緩んだ。
倒れていた連中が、呻きながら身を起こす。
「……ここ、は」
「俺たち……何を、してた……?」
操りの糸が、切れたのだ。戸惑った顔で、自分の手を見ている。金属になった指は、もとには戻らない。
……こいつらにとっちゃ、終わったわけじゃ、ないんだろうな。だが、それは。今、オレが背負える話じゃない。
砕けた屋敷に、埃が舞っている。銃声は、もう止んでいた。
全身が、軋む。立っているのが、やっとだ。石を噛み砕いた反動が、まだ、内側で暴れている。それでも――立っている。
足音。
リィズが、歩いてくる。あちこち裂けて、剥がれて。オレも、人のことは言えない。
二人とも、満身創痍で。目が、合った。
「……終わったのぉ」
「ああ」
それだけだった。それで、充分だった。
丘に、風が吹いている。
何もかもが終わったのに――いや、何も変わらなかったかのように。いつもと同じ、柔らかい風だ。
立ち尽くすオレたちも。呆然と座り込んだ連中も。あちこち崩れ落ちた、屋敷ごと。
すべてを、包み込むように。
風は、ただ、吹いていた。




