家路
線路が、流れていく。
最後尾の展望デッキには、天井がなかった。柵と床だけの吹きさらしで、走るたびに風が真後ろへ抜けていく。二本の線路が、来た道を遠ざけるように、後ろへ、後ろへと流れていった。
その柵に、トウヤはうずくまっていた。
全身の傷は、もう塞がりかけている。それでも――揺れには、勝てなかった。あれだけの死線をくぐった身体が、列車の縦揺れひとつで、すっかり青くなっている。
やれやれ、という気配が近づいてきた。
振り向く気力もないトウヤの横に、リィズが立つ。きっちりと身なりを整えた、見覚えのある装いだった。戦いで以前のものはぼろぼろになったはずなのに、いつの間にかまた同じようなメイド服をどこからか探し出してきて、襟元まできっちり着込んでいる。替えなどどこにあったのか――と頭の隅で引っかかったが、追う気力もなかった。
「どこへ行ったかと思えば、こんなところにおったか」
言いながら、リィズがトウヤの顔を覗き込む。その顔色を見て、ああ、と何かを察したように目を細めた。
「そういえばおぬし、最初の時もこうじゃったな」
声に、からかいとも呟きともつかない、ほんの少しの懐かしさが混じっていた。
「うう……」
返せたのは、それだけだった。
リィズが噴き出す。
「ホスト相手にあれだけ暴れ回った男が、列車ごときにのびておるとはのぉ。あの戦いよりよっぽど満身創痍な面をしておるぞ」
「切れないもの……ほど、怖いものはない……」
絞り出すように、トウヤが言った。
リィズが、わずかに引いた。
「……それはそれで、おっかないことを言うのぉ」
そうして、ふと。
「切れないもの、か……」
小さく、繰り返した。
その繰り返しは、もう、からかいの声ではなかった。
自分の中の何かに引っかかったような、低い呟きだった。
掛け合いの軽さが、すっと引いていく。
あとには走行音だけが残った。風、線路、車輪の刻み――乾いた音が、数秒、二人のあいだを流れていく。
リィズは外を見ていた。その横顔が、笑っているときの図太さからは遠い、どこか据わったものになっている。
「のう」
風の音に紛れそうな声で、リィズが言った。
「旦那さまに、謝らなければならないことが、ある」
からかいでも、軽口でもなかった。覚悟を決めた者の、静けさだった。
トウヤは、ちらりと視線をやった。うずくまったまま、顔だけを彼女のほうへ向ける。
「気づいておるだろうが」
走行音だけが、流れた。トウヤの耳の奥には、あの男が最後に投げた言葉の切れ端が、まだ引っかかっている。食ったな貴様。意味は、わからないままだ。
「わしはホストじゃ」
「キッドや、あのゲスとは違う。あやつらは人間からなったもの。わしは違う。正真正銘の……生まれながらの、魔物じゃ」
トウヤは黙っていた。顔だけを向けたまま、否定も驚きも出さない。あの叫びを聞いていたから、まったくの寝耳ではなかった。
「それからもうひとつ。唇を噛んで交わした、あれじゃ」
「旦那さまは自動人形の主従契約じゃと思うておったろうが……違う。ホストだからこそ、結べた契約じゃ」
一拍。
「ブラッディーブライド」
大仰な響きは、どこにもなかった。能力の名を、ぽつりと置いただけだ。
「ホストの力で相手を縛る。わしが主で、旦那さまが従。絶対の縛りじゃった。直接身体を操るようなことはできぬが……洗脳まがいのことなら、できる」
風が鳴る。
「守る壁になったのは結果にすぎぬ。そのためにやったわけでは、ない。斬ってくれても、構わん」
柵に手をかけたまま、淡々と。大仰な身振りもない。
「やり残したことは、もうない。ドンを看取った。敵も討った。……旦那さまの、おかげでな」
そこだけ、ほんのわずか声に温度が乗った。
流れて遠ざかる景色を、リィズはしばらく、ただ見ていた。
「……全部、終わった。だから、この報いを受ける準備は、できておる」
涙も、震えも、なかった。
その沈黙を、リィズはどう受け取ったのか。続けろ、と取ったのか、ただ重さに耐えかねたのか。やがて自分から、口を開いた。
「居場所のなかった……こんな化物のわしを、受け入れてくれた二人がおってな」
全てが終わった。その声は、すでに過去のものを語る色をしていた。
「娘のやつめが、小さかった頃のわしを、飼うとか言い出してのぉ〜」
語尾が、ふっと緩む。淡々の中に、ひとつだけ、柔らかいものが落ちた。
「それから、三人で暮らしたものじゃ」
リィズが、トウヤから目を離した。列車の後方へ視線を向ける。目を細めて、手すりに手をやった。流れて遠ざかっていく景色の、その先を見るように。
「娘の幼い身体では、耐えられんでの。日に日に弱っていって……最後の最後に、わしにこの身体を差し出しおった」
風だけが、間を埋めた。
「……わしは、それを受け取った」
「リィズ」
名を、それだけ呼んだ。
リィズの身体が、強張った。来る、と。
「……もう、駄目だ」
言うなり、トウヤは柵の外へ振り返った。吐いた。
数秒、リィズは動けなかった。断罪の言葉を待っていたら、男が突然吐いたのだ。理解が、追いつかない。
えずいている背中を見て、ようやく察する。断罪では、なかった。ただ――乗り物酔いが、限界に来ただけだ。
「……旦那さま」
背中に手をやって、さすってやる。
「わしがわりと大事なことを言っておるの、わかっておるんじゃろうのぉ」
声には、呆れと、ほんの少しの安堵が混じっていた。
背中をさすられながら、トウヤは外を見たまま、ぽつりと言った。
「あー……うちにも、妹がいるんだが」
脈絡があるような、ないような切り出しだった。
「居場所がないなら……うちに来るか。大した家じゃないが」
声に、力はない。重いことを、ひどく軽く言う男だった。
リィズの、背中をさする手が、ふと止まった。
「……それは、楽しそうじゃの」
声の温度が、少しだけ柔らかかった。
「妹とは……仲良くなれると思うぞ」
トウヤが続ける。性格も顔も似ていないが、なんとなく気が合いそうな気がする、と。妹の話になると、ボロボロの声に、わずかに熱がこもった。
その横顔を、リィズが「ほう」と、目を細めて見ていた。
「なるほどのぉ。わしの、可愛い義妹になるしの」
さらりと、とんでもないことを言われた気がした。
「妹とは気が合いそうじゃ。おそらく……色々と苦労しておるじゃろうからのぉ」
ぞくりと悪寒が走る。なぜか、妹の怒った顔が浮かんだ。理由は、わからない。
そんなトウヤをよそに、リィズは止まらない。
「なんせ、熱い唇を交わした仲じゃ。一生を添い遂げる、血の契約も交わしたしのぉ」
乗り物酔いが、すっと冷めていく。代わりに、別の震えが来ていた。ホストとの死闘では覚えのなかった種類の、恐怖だった。
リィズを妹に会わせたら、終わる。その確信だけが、ある。
剣士として、いや生物としての本能が、先ほどの「来るか」を撤回せよと命じている。
「いや、あの……やっぱり――」
「楽しみじゃのぉ」
声が、弾んでいた。
その声は風に流され、荒野へ溶け込んでいった。
これでとりあえず完結とさせていただきます。
今作は自分の好きなもの、をとりあえず詰めてみようと思い書いてみました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
また次回作をお読みいただけらたら幸いです。




