吞みこまれたモノ
◆
鉄と硝煙の匂い。崩れた壁。床は、半分が抜け落ちかけている。
膝をつきかけて、踏みとどまった。
「おいおい。もう少し、楽しませてくれよ」
ルチアーノは、銃を片手に、もう片方をポケットに突っ込んだまま笑っていた。
「もっとやると思ってたんだがなあ。……ああ、そうか」
目が、こちらの動きを舐めるように這う。
「女王様との舞踏会が、まだ尾を引いてるってわけだ。疲れも、傷も、なあ?」
ルチアーノが、自分の肩に手をやった。かつて、オレを庇って撃たれた、あの肩に。ぐるり、と回してみせる。
「俺はほら、御覧の通り。すっかり治っちまった。いい時代だよなあ、まったく」
速い。正確だ。隙がない。
……いや。隙が、なさすぎる。
受ける。躱す。何合か打ち合ううちに、像が結んでいく。
綺麗すぎるのだ。習った通りに、寸分の狂いもなく。外さない代わりに、こいつ自身が、どこにもいない。
その肩も。その腕も。
「……借り物の力だな」
ルチアーノの口の端が、初めて、引き攣った。
「借り物、ねえ」
ルチアーノの眉が、ぴくりと動いた。だがすぐに、片手をすっと上げる。
「いいぜ。その借り物の力ってやつ、見せてやるよ」
足音。騒ぎを聞きつけて、部下たちが駆け込んでくる。二人を見比べて、顔を見合わせた。
「ルチアーノさん? どうしたんすか、これ……」
「ああ、こいつがな。急におかしくなっちまった。やっちまえ」
ルチアーノが、こちらを顎で指す。
部下たちが、戸惑った。
「いや……ですが。その人は、恩人ですし……」
ルチアーノの顔から、笑みが消えた。
「うるせえ!」
怒鳴り声が、廊下に響く。
「ゴタゴタ言ってんじゃねえ。お前らは言われた通り、やってりゃいいんだよ!」
ぱちん、と。指が、鳴った。
部下たちの身体が、跳ねる。
「な……っ、身体が、勝手に……!」
手が、銃を構える。足が、地を蹴る。本人の悲鳴を、置き去りにして。
踏み込む。当て身。峰で払う。急所は、外す。数は多い。だが、それだけだ。
倒れていく部下を見て、ルチアーノが舌打ちした。
「ちっゴミどもが、役に立たねえ。やっぱ量より、ある程度の質は保たねえとなあ。……まぁ、完全に支配下に置いて、人形にしちまってからの話か。そのへんの調整は」
冷めた目で、見据える。
腹の底だけが、静かに、熱を持った。
「家族じゃ、なかったのか」
「もちろん大事な大事な家族だぜぇ? だからこうやって、大切に――」
へらりと笑うルチアーノの目がとまった。
避けた袖から除くトウヤの右腕へと。
「――へぇ」
舌打ちを、噛み殺した。
この腕を見せていいのは、隣で背中を預け合っていた頃までだ。今は、違う。
ぞわり、と右腕の奥が、ざわついた。肘から先に、何かが這い上がってくる。冷たい指で、内側から撫でられるような。
受けに回れば、これが進む。
踏み込んだ。間合いを、一息に潰す。
「遅い」
ルチアーノが、片手を上げた。
ぱちん。乾いた音が、屋敷に響く。
勝った、という顔。
――その顔の上から、刃を走らせた。腕は、握った通りに動いている。重く、硬い人間の手ではないが、オレのものだ。
「――っ、ぐ……!」
血を撒きながら、ルチアーノが跳び退る。傷を負いながら、なんとか反撃して、距離を取った。
肩で息をして、こちらを睨む。その顔に、初めて――心底わからない、という色が浮かんでいた。
「なんで、だ。確実に、発症してやがる。能力も、効いてる。……なのに、なんで操れねえ!」
「ずいぶんとマシな面構えに……いや、まだアリどものほうがマシじゃの」
その声とともに、リィズが現れた。
ボロボロだった。外装が、あちこち裂けて剥がれ落ち――その下の、ほとんど全身に及ぶ機械が、剥き出しになっている。見慣れたはずの姿の、見たことのない姿。
目を、向ける。それだけで、足りた。
リィズは、隣に並んで、銃を構えた。
◆
ルチアーノの目が、見開かれた。リィズの、ボロボロの身体に、釘付けになる。
「……ははっ。なんだ、そりゃあ。まさかお前さんもかい」
ルチアーノは先ほどまでと、うって変わってニヤリと笑いながらリィズに向かって、片手を伸ばす。
あれだけ人形化していれば――丸ごと、いける。
操れる。ドンと同じだ。間違いなく、そのはずだった。
――なのに。弾かれた。
内側から、何か強固なものが、阻んでいる。受け付けない。何かが、肉体の芯に座り込んで、主導権を、一切、譲らない。
一体化――いや、違う。一体化なら、まだ割り込める。肉体と「それ」は、確かに一つだ。なのに、操っているものから、主導権だけが、どうやっても奪えない。
トウヤの、腕。あのときと、同じ――いや。あれ以上だ。あの男は、外側から縛られていた。この女は、もっと深い。
器は、リィズのものだ。間違いなく、元の肉体。なのに――中身だけが。そっくり、別の何かに、入れ替わっている。
「お前……食ったな?」
掠れたルチアーノの声が響く。
◆
リィズは、答えない。肯定も、否定も、しない。ただ、片手で、乱れた髪を直した。
トウヤは右腕を、握り込んだ。動く。こちらのものだ。
ルチアーノに、向き直る。
「残念だったな。お前の切り札は、オレたちにゃ効かねえ」
二対一。操れもしない。部下も、もういない。
ルチアーノの顔つきが、変わった。怒鳴り声も、舌打ちも、すっと引いて――代わりに、人の好さそうな笑みが、へらりと浮かぶ。
「待て待て、待てって」
両の手のひらを、こちらに見せる。
「なあ。俺たちの仲じゃねえか。背中合わせで、死線をくぐり抜けた――そういう仲だろ?」
相棒、とは。言わなかった。
「お前の妹だって、治してやれるぜ? 俺にゃあ、その力があるんだ。なあ?」
「お前が」
刃の先は、下げない。
「元凶だろうが」
ルチアーノの笑みが、ひび割れた。通じない、と悟った顔。
銃を、落とす。からん、と乾いた音。両手を、高く上げた。
「……はは。そっか。わかったよ。降参だ。……好きにしな」
観念した、という顔。
……降参した奴を、斬る趣味はない。
刀を、鞘に収める。かちり、と鍔が鳴った。
その音を、待っていたように。
ルチアーノの手が、ふっと、スーツの内側へ滑った。
――乾いた、発砲音。
隠し持っていたハンドガンを掴んだ、その手ごと。吹き飛んだ。
リィズは。
銃を、下ろしていなかった。
「グ……ァアアアッ……!!」
手首から先を失った腕を抱えて、ルチアーノが地を転がった。
「ド畜生がっ、このアマぁ……!! ふざけやがって……殺す。殺す殺す殺す――絶対に、殺してやる……!」
痛みも、怒りも、屈辱も。ぐちゃぐちゃに溶け合って――その瞳が、ゆっくりと、染まっていく。
「どうなろうが……お前らだけは……確実に、殺す……!!」
血の混じった声で吼えた次の瞬間。ルチアーノが、自分の中の何かを、引きずり出した。
身体が、膨れ上がる。皮膚が、肉が、内側から押し上げられ、裂けていく。
腰から下が、ひしゃげて広がり、何本もの脚になった。上半身は、かろうじて人の形を保っている。引き攣れた顔に、ルチアーノの面影が、まだ残っていた。
その腹のあたりで、ぬらりと、目玉らしきものが開いている。
腕が、横に薙がれた。
そこから伸びた、無数の糸が――屋敷の一区画を、まるごと消し飛ばす。
凄まじい、風圧。立っていられない。砕けた壁の破片が、礫になって降ってくる。
「……あ。……あはっ。あはははっ! なんだよ、これ……! こんな、力が……あったのかよ……! 最初っから、こうすりゃよかったんだ。面倒なことなんざ、何ひとつ考えずに……この力で、全部、踏み潰せば!」
糸を、しならせる。
「まずはテメェらを――細切れに、してやるっ!」
糸が、四方から来た。斬る。一本、二本。追いつかない。リィズが撃つ。弾は糸に絡め取られて、逸れる。
技も、計算もない、純粋な暴力。だからこそ――重い。速い。届かない。
横殴りの、一撃。受けきれず、トウヤは吹き飛ばされた。背中から壁を突き破り、その向こうの部屋ごと、瓦礫と一緒に転がる。
「――カハッ……」
……動け。動か、ない。全身が、軋んで、言うことを聞かない。指の一本すら、重い。
頬を、冷たい床につけたまま。
――懐からこぼれ落ちた、キッドの魔石がひとつ。
霞む視界の、すぐ先に転がっていた。




