魔石の使い方
ベッドに上体を起こし、虚ろな瞳を宙に向けている。ほとんど機械に置き換わった身体も、何ひとつ動かない指先も、前に見たときのままだった。当然だ。何も変わっていない。それでも、部屋に入った二人の足が、一瞬だけ止まった。
あのときは、何もできなかった。今は、手のなかに石がある。
「やっと……」
リィズの口から、それだけが漏れた。先は続かない。誰も拾わず、流れていく。
トウヤもドンを見ていた。そして、袖の上から自分の右腕にそっと触れる。機械に変わった、妹に噛まれたほうの腕。指先はすぐに離れた。
あとは、石を使うだけだ。
「石を」
ルチアーノが手を差し出した。
リィズは、ためらいもなく女王アリの魔石をその手に乗せた。
ルチアーノは受け取った石を、しげしげと眺めた。手のひらの上で転がし、手触りをたしかめるように、片手でゆっくりと撫でる。
「……ああ」
短く、ひとつ頷いた。
ルチアーノが、石を手にしたままベッドへ歩いていく。
二人は黙って、その様子を眺めていた。治療の邪魔をするより、ここは任せたほうがいい。なにより、ドンの息子であるルチアーノには、その資格も役目もある。
その背を見ながら、トウヤの頭は、もう少し先のことへ向かっていた。
ここでドンの治療を見届ければ、次はシノの番だ。
粉にして、少しずつ飲ませる。匙加減を誤れば、二度と戻らない。ドンの身体は、ひどく弱っている。あれが石の力に耐えられるのか。
……シノは、まだ若い。きっと、ドンよりは。
ベッドのかたわらで、ルチアーノが足を止めた。こちらに背を向けたまま、ドンを見下ろしている。
「終わったぜ、親父」
ルチアーノが、静かに語りかけた。ドンに背を向けたまま、二人にはその背中だけが見えている。
「あいつらがやってくれたよ。大したもんだ」
はじめて会った汽車のなかで、胸を撃たれてなお笑っていた男だ。その声は今、あのときの飄々とした響きとは違って、穏やかで、優しかった。最後の報告をする、息子の声だった。
その声が、いつのまにか昔話へと滑り込んでいく。
「どれくらい経つかな。……俺がまだ、ガキの頃だ」
人形病をまき散らす化物が、この町に来た。バタバタと人が倒れ、町は壊滅しかけて、誰もが終わりだと思った。そこへドンが、たった一人で立ち向かった。あんな化物を、倒しちまった。
「英雄だよ。伝説のハンターだ。おまけに行き場のねぇ孤児まで拾って、食わせて、生かしてくれた」
俺もその一人さ。そこらで野垂れ死ぬのを待つだけの、薄汚れたクソガキだった。
以前、酒場で軽口まじりに聞かせてくれた身の上話。それを今、ドンの前で、いくらか重みのある声で語り直している。とつとつと語る昔話に、二人は静かに耳を傾けていた。
「俺の幸運の始まりは、あそこだったな」
幸運。
拾われたことを、恩ではなく、自分の巡り合わせとして語る。
「ドンが倒したあとも、人はバタバタ倒れていったよ」
声は変わらない。
「一緒に拾われたガキも、大人たちもだ。次々に発症して、人形になっていった。……その中で、俺だけは、なんともなかった」
穏やかな声のまま、ルチアーノは語りつづける。聞いている側の胸の奥で、何かがじわりと冷えていった。
ふと、その声が、わずかに二人のほうへ向く。背は向けたまま、振り返りもせずに。
「知ってるかい。感染しても、発症しねぇ人間がごく稀にいる。体がそれを受け入れちまうんだとさ。――キャリア、って呼ぶらしい」
まったく、と息を吐くように。
「幸運だったよ。俺は天に選ばれた人間なんだと、本気でそう思ったもんさ」
ルチアーノが、ふたたびドンへと向き直る。
「そのドンに拾われて、育てられて、能力を隠して」
穏やかなまま。語尾が、するりとほどけるように続いた。
「そうして俺は、幸運の女神にキスをされながら――親父を人形にした」
トーンは、何ひとつ変わらなかった。だから、言葉が胸に届くまでに、わずかな遅れがあった。
今、こいつは、何を言った。
二人が固まる。理解が、追いつかない。
その間に、ルチアーノが手のなかの石を、ゆっくりと持ち上げた。
「そして今度は、女王アリの魔石が、この手にある」
幸運の物語の、つづき。そう語るような、穏やかな声で。
石が、口の上に掲げられる。
二人の身体が、ようやく動いた。床を蹴る。だが、遠い。
「ラッキーだろう?」
ゴクンと、喉が鳴った。




