頂点(ホスト)に挑む者
戦いながら、トウヤは考えていた。あんな産み方は、無茶だ。完成個体をいくつも腹から出して、戦わせて、捨てる。体力も、寿命も、削っているはず。
ならば、耐えればいい。こちらが凌ぎきれば、向こうが先に尽きる。処理に徹する――そう、判断を切り替えた、その時だった。
戦いの合間、死骸を回収して運んでいくアリが、目に入った。そういえば、外の兵士にもいたな、と、トウヤは妙にのんきに思い出す。運んで、どこへやる。視線で、その行き先を追いかけた。
「のぉ、旦那さまや」
背中越しに、リィズが声をかけてきた。ふざけた響きではない。見てくれ、という合図だった。
その視線の先を、追う。
女王だった。
その眼前に、おびただしいアリの死骸が、積み上げられていた。雑用アリが、せっせと運んでは積んでいく。そして女王は、それを――一心不乱に、食べていた。
卵の部屋で見た、幼虫の食事。あれとは、比べものにならない。桁違いの速度で、死骸が消えていく。
一瞬で、悟る。
産んで、戦わせて、死んだら回収して、食う。食って、回復して、また産む。
輪が、閉じている。
こちらが消耗戦のつもりでいた、その前提が、足元から崩れた。削れていくのは、こちらだけだ。
絶望が、二人を呑み込もうとする。
その時、トウヤの脳裏を、別の焦りがよぎった。時間だ。巣の前の精鋭は片付けた。だが、外に出ている兵たちが、いつ戻ってきてもおかしくない。
耐えても、ダメだ。時間も、ない。
「やるしかないか」
トウヤが、短く言った。短期決戦で、決める。長引かせるほど、こちらが不利になる。
リィズが、頷く。
残された道は、ただ一つ。開幕、女王につけた、あの顔面の傷。あそこを、抉じ開ける以外に。
トウヤが、地を蹴った。
特殊個体が、行く手を阻む。粘りつく松ヤニ。酸を吐く口。死角から飛ぶ爆弾。どれも、たった今、嫌というほど思い知らされた手札だ。
斬り伏せ、跳び越え、かいくぐる。リィズが後方から、トウヤの進路上の個体を、片端から撃ち落としていく。道が、こじ開けられていく。
女王の懐に入った。狙うのは、頭。あの一筋の傷だ。
だが――高い。
女王の巨体ゆえ、傷の位置が、はるか頭上にある。ただ斬りかかっても届かない。跳ぶか、女王の身体そのものを足場にするか。
トウヤは、跳んだ。最高のタイミングで。狙いを定め、傷めがけて、刃を振り下ろす。
その刹那、女王の頭が、わずかに動いた。
刃は、空を切る。
捉えたと思った。だが紙一重で外される。寝起きではない、完全に警戒した女王は、捉えられなかった。
「……警戒するか」
着地しながら、トウヤが呟く。
もう、正攻法では頭に届かない。女王は、はっきりと、頭への攻撃を読みはじめていた。
もう一度、あの傷に会心の一撃を叩き込めれば、致命傷になる。
女王の足元をさばきながら、トウヤは打開策を探していた。視線を、戦場に這わせる。使えるものは、ないか。
松ヤニのアリが、目に入った。
刀を絡め取られた、あの厄介な相手。これまで、ずっと避けてきた。だが――今は、違う見え方をしていた。
トウヤは、その一匹に斬りかかった。美しい太刀筋ではない。樹脂をたっぷり含んだ胴を、わざと浅く、抉るように薙ぐ。切り口から、粘る体液が、女王の顔面めがけて飛び散った。返す刃で、もう一太刀。さらに、べちゃりと飛ばす。
粘着が、女王の顔面に貼りついて、剥がれない。
だが――足りない。あれくらいでは、視界を奪うには浅い。もう二、三匹、同じことを繰り返す必要がある。
そう思った矢先だった。
リィズが、ぴんと来た。トウヤが何をしようとしているのか、察したのだ。
「なら、力ずくで盛ってやろうかの」
近くにいた松ヤニのアリを、片手で無造作に掴み上げる。そして、女王の顔面めがけて――ぶん投げた。人形の、常識外れの腕力で。
宙を舞うそのアリを、リィズがライフルで撃ち抜く。わざと、ばらばらに。
飛び散った粘着質の破片が、女王の顔面に、ぱっと広がってこびりついた。トウヤの飛ばした体液の上に、さらに重なる。たっぷりと。
女王が、うっとうしげに顔をこすろうとする。粘着は、剥がれない。
その隙だった。
トウヤが、刀を鞘に収めた。
駆け寄ってくる爆弾アリに、向き直る。抜刀。
――何も、斬れていないように見えた。
トウヤは、その爆弾アリをそのまま掴み、女王の顔面めがけて投げつける。
宙で、アリの身体が、ずれた。遅れて、上下に分かれる。たった今、すれ違いざまに斬られていたのだ。あまりに速く、滑らかに断たれたために、斬られたことに、当のアリすら気づいていなかった。
分離した瞬間、爆ぜた。
女王の顔面で。粘着に、貼りついたまま。
爆発が、逃げ場を失う。松ヤニにこびりついた火力が、すべて、顔面の一点に集中する。
女王アリの視界が奪われる。
とっさに、頭を――額の傷を、守ろうとする。前足を顔の前にかざし、その一点だけは死守する構えを取った。他をやられても、あそこさえ守れば、と。
さすがの、判断だった。
だが、トウヤが狙ったのは、そこではなかった。
傷を狙うと見せかけて――刃の向きを、変える。
下から、切り上げ。女王の顎を、すくい上げるように叩く。
女王の顔が、跳ね上がった。上を向く。守っていたはずの傷が、かえって無防備に晒される。
「リィズ!」
応える必要すら、なかった。
上向いた傷へ、リィズの弾が、連続で吸い込まれる。一発。命中。二発。続けて、同じ箇所に。
三発目。
わずかに、ずれた。
傷は、大きく抉れた。だが――貫通しない。女王アリは、なお、耐えていた。
トウヤが、女王を見る。倒れない。二発、あの傷の同じ場所に叩き込んで、それでも。
こちらが、おかしいのではない。あちらが、異常なのだ。生まれながらの魔物。タフネスの桁が、人間の常識から外れている。
「三発目が当たってたら決まってたな。内部まで届いていた」
「ムキャー! 二発当てただけでも大したもんじゃろが! この距離で、この状況下で! むしろ、わしを褒めんか!」
リィズが、憤慨して喚く。トウヤはそれを聞き流しながら、再びアリをいなし、女王の懐へと張りつくように、戦闘を続けた。
あと、一発。
課題は、はっきりしている。三発目を、確実に当てること。届かなかったのは、距離のせいだ。この距離では、精度が、わずかに足りない。
あと一撃。あと一太刀、あの傷を抉れば、倒せる。
「なら、もう一度だ」
トウヤが、低く呟いた。三度目。
低く構え、前回とまったく同じ動きで、女王へ駆ける。跳躍へ向かう、あの軌道。
女王が、反応した。
意識的に、頭を高く保つ。さらに、前足を顔の前へ――ガードの形を作る。頭への攻撃を、全力で防ごうとしている。前回、そこを抉られかけたことを、はっきり覚えている。
トウヤは、そのまま接近し、跳躍の姿勢を見せた。
女王の意識が、完全に、頭へと吸い寄せられる。
「警戒したな?」
トウヤが、静かに呟いた。
跳ばなかった。低い姿勢の、まま。
女王の身体を支える、足の一本。前足がガードに回ったぶん、そこの支えが、甘くなっている。
その一本を、根元から、斬り飛ばした。
女王が、正しく頭を守ったからこそ、別の場所が空いた。
見えている会心の一撃は、躱せる。耐えもする。だが、意識の外から来る、なんでもない一手は、防げない。トウヤの戦いは、教わってきたものは、いつも同じ芯でできている。
支えを失った巨体が、ぐらりと傾いだ。
崩れる。顔面が、地面へと近づいていく。
さっきまで、はるか頭上にあった頭が。今は――目の前に、ある。
だが、トウヤは、斬りにいかなかった。
仕留めには、向かわない。代わりに、傾いだ女王の、別の支え足へと回り込む。もう一本、斬り飛ばしにかかる。額を抉るのは――あいつに、任せる。
リィズが、動いた。
誰にも、言われていない。自分で、そう判断した。
崩れ落ちる女王の、その顔面へ向かって――まっすぐに、駆ける。ゼロ距離へ。
「威力が足りんと言うなら、これでいいんじゃろがー!」
広がった傷に、ライフルの銃口を、ぴたりと押し当てる。
撃ち抜いた。
その瞬間、リィズの足元の地面に、ひびが、走った。撃ち出された反動を、全身で受け止めている。両の足が、わずかに、地面にめり込んでいた。
女王アリの頭が、内側から、爆ぜた。
巨体が、ゆっくりと、崩れ落ちる。
女王アリが完全に沈黙し、その巨体からは、もう何の身じろぎも起きなかった。やがて沈黙した身体の奥から、淡い光がゆっくりと滲み出してくる。魔石の光だった。確かに仕留めたのだという、その証。
二人はようやく、長い息をついた。
今度こそ生き延びたのだと、身体のどこかが遅れて理解していく。あの偽の頭を落としたときのような嫌な余韻も、統率が崩れないあの異常も、もうなかった。
だが、息をついたまさにその直後、周囲のアリたちが一斉に動き出した。
襲いかかってくるのではない。散り散りに逃げ惑うのでもなかった。ただ、ゆるやかに円を描いて、回りはじめたのだ。前を行くアリの後ろに次の一匹がつき、そのまた後ろにもう一匹がつく。先頭がどこかを目指しているわけでもなく、ただ前のものについていくだけで、意味もなくぐるぐると回り続けている。目的も指示も、もう何も残っていなかった。
「……なんじゃ、これ」
リィズが、低く呟いた。
生きているのに、死んでいるような動きだった。ついさっきまで城壁を固め、社会を回し、知性をもって二人を追い詰めてきた相手が、頭を失ったとたん、ただ円を描くだけの空っぽの群れに成り果てている。さっきまでの精強さも精密さも、その一切が、この一体に支えられていただけのものだったのだ。
不気味な光景だった。
「用は済んだ。出るぞ」
トウヤはそう言って気持ちを切り替えると、崩れた女王から淡く光る魔石を回収した。手のひらにすっぽりと収まる、小さなそれを。
「賛成じゃ。こんな不気味なところに長居したくはないわい。さっさとトンズラするに限る」
リィズもまた、不気味さに浸る気などなかった。二人とも戦闘者で、切り替えだけは早い。
来た道を引き返していくと、通路では何度かアリとすれ違った。だが、もう何もしてこない。混乱しているのか、その場でぐるぐると回る個体もいれば、ぴたりと静止して動かない個体もあり、壁に向かってひたすら歩き続けている個体もいて、てんでにばらばらだった。
ついさっきまで寸分の乱れもなかった巣の中が、もうどこにも機能していない。あの整然とした食料庫も、賑やかだった卵の部屋も、いまや跡形もなかった。二人はそれを横目に、足を止めず抜けていく。
やがて、入り口の光が近づいてきた。
外へ出ると、柔らかな風が頬を撫で、木漏れ日が肩の上に落ちてきた。巣に踏み込んだあの瞬間にふつりと途切れた風が、いま、音も匂いも何もかもを連れて戻ってきている。
異界から、帰ってきたのだ。
二人はしばらくのあいだ、その風の中に立っていた。




