上に立つものとして
「――おかしい」
リィズの声に振り返る。アリは、散らない。
頭を失えば烏合の衆になる。これまでがそうだった。なのに、群れは秩序を崩していない。連携を保ったまま、二人へ殺到してくる。
「確実に倒したはずじゃぞ! どうなっとるんじゃ!」
あのリィズが、混乱していた。三体相手にも冷静だった声に、焦りが滲んでいる。
離れた場所で二体と斬り結ぶルチアーノも、明らかに余裕を失っていた。肩で息をしながら、それでも目だけは戦況を走らせている。
「むちゃくちゃに殺到してくるわけじゃねぇ……規律を保ったままだ! 軍隊として、崩れてねぇ!」
三人が、それぞれの修羅場の中で見渡す。
頭らしい個体は、もういない。倒した。確かに倒した。
「いや」
ルチアーノが、噛みしめるように言った。
「頭は、必ずいる」
組織を束ねる人間の声だった。頭のいない群れがどう動くか、この男は知っている。こうはならない。どこかに、まだ――。
リィズのライフルが、群れを薙いだ。
威力が増している。一発で二匹、三匹とまとめて貫く。今も、横一列に並んだ三匹を撃ち抜こうとして――
三匹目に届く寸前、横から割り込んだ別の個体に、弾が逸れた。
トウヤの視線が、そこで止まった。
庇われたのは、小さな個体だった。一般兵にも満たない。なぜ、あんなものを庇う。
いや、庇うように見えただけで、偶然か。これだけそこら中に殺到しているのだ。リィズの弾の通り道に、たまたま別の個体が割り込む。そんなことは、いくらでもある。
だが、見ていると――その小さな個体の周りに、何匹かが寄ってきた。覆い隠すように、間に割り込んでくる。やがて小さなそれは、群れの厚みの中に紛れ、見えなくなった。
偶然ではない。意図的に、隠すべきものがそこにあるから、隠している。
木を隠すなら、森の中。
トウヤの足が、わずかに止まりかけた。あの個体を、もう一度見つけたい。どこへ消えた。どの群れの裏だ。意識が、戦場から観察へ滑り込んでいく。悪い癖だった。斬りながら、つい何かを見定めようとしてしまう。
その隙を、突かれた。
視界の外から、一体が飛びかかってくる。気づくのが、遅れた。
乾いた銃声。飛びかかってきた個体が、横ざまに弾け飛んだ。
「戦闘中に、なにぼーっとしとるんじゃ」
リィズが、呆れたように撃ち抜いた銃口を戻す。
トウヤは、答える代わりに口の端を上げた。
リィズの目が、すっと細くなった。何か見つけたな、と。
その時だった。
戦場の反対側から、ルチアーノの悲鳴が上がった。
目をやれば、二体のうちの一体は、すでに倒している。だが残った一体と、群がる兵隊に、押さえつけられていた。アリの顎が、肩に食い込んでいる。
白スーツの肩口が、見る間に赤く染まっていく。
助けに行くべきだ。誰でもそう思う。
トウヤは、逆へ走った。
さっき小さな個体が消えた方向――群れの奥へ。
「あ、おい!」
「任せた」
一言だけ、放った。それだけ言って、奥へと駆ける。
舌打ちひとつ。リィズは前へ向き直り、トウヤの進路を塞ぐ個体を撃ち抜く。次の瞬間には身体を捻り、背後――ルチアーノを押さえる一体へ、続けざまに撃ち込む。前とうしろから、ほとんど同時に。
「わし、背中に目はついておらんのじゃがのぉ」
愚痴りながら、手は止まらない。文句を言える余裕すらある。
ルチアーノを噛んでいた一体が、リィズの弾に頭を弾かれて離れた。ルチアーノが肩を押さえ、片手で銃を構え直す。倒れてはいない。まだ、立っている。
その援護を、トウヤは確かめもしなかった。
ただ、まっすぐに走る。
今度は、薄い箇所を縫う走りではなかった。直線だ。立ちはだかる個体を斬り、突き飛ばし、最短で奥へ。被弾は承知の上だった。多少斬られても、致命傷でなければいい。構わず、突っ込む。
走るほどに、アリの密度が増していく。前方から、横から、束になって阻みにかかる。
その殺到そのものが、答えだった。
これだけ必死に止めにかかるということは、その先に、止めなければならないものがある。
トウヤは、さらに加速した。
その先に、いた。
群れの最も厚い場所。幾重にも兵隊に囲われた中心に、あの小さな個体がいた。一般兵にも満たない、貧相な体躯。これが、この大群を統べるもの。
トウヤと目が合った――気がした。
次の瞬間、それは身を翻した。逃げ出したのだ。周りの兵隊が壁になって追撃を防ごうとする。トウヤはまとめて叩き落とし、なおも追う。司令官は方向を変え、別の隙間へ逃げ込もうとする。
「……逃げるか」
トウヤが、短く呟いた。
その逃げ込もうとした先の地面が、爆ぜた。
リィズの弾だった。土がえぐれ、礫が跳ねる。司令官の動きが、ぴたりと止まる。
指示はなかった。トウヤがどちらを追い、敵がどちらへ逃げるか――その動きを見て、リィズが先回りに逃げ道を潰した。考えるより先に、呼吸が合っている。
止まった司令官に、トウヤが追いついた。
「司令官としてなら、正解だろうがな」
刀を構える。
「頭なら――もう少し、気概を見せてみろよ」
脳裏をよぎる。さっき笑って首を落とされた囮。肩を噛みちぎられてなお立つルチアーノ。壁となって叩き落とされていった、無数の兵隊。
みな、引かなかった。この一匹を生かすために、コストを払った。
「お前のために死んだ部下が、浮かばれない」
司令官が、一瞬、硬直した。
だが、それだけだった。次の刹那には、また逃げようと身をよじる。
その首を、トウヤの刃が刎ねた。
あれほど崩れなかった統率が、嘘のように消えた。秩序を保っていた群れが、ばらばらに散り、互いにぶつかり、ただの烏合の衆に成り果てる。さっき頭を落としても揺るがなかったものが、今度は一瞬で瓦解した。
本物だった。間違いなく。
遠くで、ルチアーノが息をついた。群れの統率が消えたのを、肌で感じ取ったらしい。
「ふぃー……間一髪、ってところだな」
肩を押さえながらも、ヤレヤレと帽子の縁をつまみ、かぶり直す。
さっきと同じ仕草だった。だが、温度が違った。あれは見栄で、これは――安堵だ。
最後の一匹がどこかへ消え、森に静けさが戻ってくる。ルチアーノが手近な木にずるずると背を預け、そのまま座り込んだ。
「ふぅ、やれやれ。さすがの俺様も、今回ばかりはダメかと思ったぜ」
白スーツの肩は真っ赤に染まり、全身も泥と返り血で汚れている。それでも、口調だけは崩れない。
「お主が二体引きつけてくれたからな。おかげでなんとかなった」
リィズが、ライフルを下ろしながら言う。
「なぁに、あれぐらいドンの息子としちゃ当然さ」
ルチアーノは軽く返し、それからリィズを見上げた。
「それより嬢ちゃん、大したもんだったぜ。弾の威力もそうだが、あの視野の広さだ。トウヤを一発の弾丸みたいに扱って、撃ちたいところへ撃ち込んでた。ありゃ指揮官の目だ」
「ふん。まぁ、あれはコイツに必死に合わせただけじゃがのぉ」
リィズが、まんざらでもなさそうに鼻を鳴らす。
ルチアーノが、ふっと表情をやわらげた。
「もう、俺が教えることはねぇな」
リィズの動きが、少し止まる。
「本当によくやった。卒業だ、嬢ちゃん」
「……まだまだ、教わりたいんじゃがのぉ」
区切りの言葉を受け、リィズが名残惜しそうに口を尖らせる。
「よしてくれよ。これでもまだ、師匠面してたいんだ。あんまり伸びられちゃ、こっちの立場がねぇ」
ルチアーノが肩をすくめ、痛みに顔をしかめつつ笑う。
トウヤは少し離れたところで、刀の血を拭っていた。
「しっかし」
ルチアーノが、そのトウヤへ目を向ける。
「よくあれが本物の司令官だとわかったな。俺ぁ最後まで気づかなかったぜ」
「射線が、通らなかった」
トウヤが手を止めずに答える。
「あの一匹に着弾しそうになると、別の個体が割り込んで死んでいた。隠すように、視線から外れるように、何匹も折り重なっていく。守る価値のあるものが、そこにあるってことだ」
「……なるほどな」
ルチアーノが、感心したように息を吐いた。
「木を隠すなら森の中、ってか」
それから、にやりとして付け加える。
「ほんっと、ぼーっとしてるようでよく見てるよなお前さんは。だから油断できねぇ――いつっつつ」
肩の傷に障ったらしい。言葉が、痛みに途切れた。




