防衛陣地
森に入って、もう何度目になるだろうか。
ここまで来る道すがら、アリの群れには幾度か出くわした。そのたびに三人で片づけてきた。最初の頃のような気負いはもうない。狩りというより、道に落ちた小石を蹴っていくのに近い。
「なぁルチアーノ、まだ着かんのか。わし、もう飽きたぞ」
「嬢ちゃんは気が短けぇな。狩りってのは待つもんさ」
「待つのは得意じゃ。退屈なのが嫌いなだけでな」
トウヤは黙って二人の後ろを歩いていた。木漏れ日が肩の上を滑っていく。乾いた土の匂いと、樹々の青い匂い。たまにこうして、戦いと戦いの合間の、何でもない時間がある。
ルチアーノが、ふいに足を止めた。
「待ちな」
声ではなく、手で制した。手のひらをこちらへ向けて、低く。
二人もそれだけで止まる。掛け合いの空気が、すっと引いた。
ルチアーノが先に身を低くする。トウヤとリィズもそれに倣い、木々の陰から前方を窺った。
森が、開けていた。
不自然な開け方だった。木々が円を描くように切り払われ、広い空間ができている。自然にこうなったのではない。何かが、ここをこう作った。土を盛り、木を倒し、見通しのきく一帯を築いている。城壁の外に、わざと敷かれた更地のように。
そして、その更地を埋めるように、アリがいた。
一匹一匹が、これまで精鋭と呼んで差し支えない個体だ。外で出くわせば一体一体が気を抜けぬ相手だった。それが、ただの兵隊として、見渡す限りに並んでいる。何体も、何十体も。
「数が多いな」
トウヤが低く呟いた。
「ありゃ城壁さ。巣に繋がる外周を、頭数で固めてやがる」
ルチアーノの視線が、兵隊の合間に散った個体へ移る。要所要所に、赤黒い体色の一回り大きいのが立っている。
「で、あの赤いの。あれが束ねてる」
「あれは……」
リィズが目を細めた。
「前に戦った大隊長と、同じ格じゃろ。一匹で一軍を率いる手合いじゃ」
「ご名答。それがここじゃ、下っ端みてぇに何体も突っ立ってる」
一軍の長が、ただの中間管理職として並んでいる。それだけで、この巣の規格がわかる。
ルチアーノの視線が、さらに中央の奥へ向いた。
そこには、羽を持った一際大きな個体がいた。周囲を、これまた一回り大きい三体が、守るように囲んでいる。
「真ん中の羽つき。あれが頭さ。頭を潰しゃ、群れは瓦解する。前にもそうだったろ」
トウヤは三体の護衛を見ていた。あの赤黒い大隊長格より、さらに上だ。立ち姿の重さが違う。動かずにいるだけで、空間がそこだけ沈んで見える。
「面倒なのは、あの三体だな」
「ああ。あいつらが頭を守ってる限り、統率は崩れねぇ。だが裏を返しゃ、頭さえ取れば終いだ」
長い打ち合わせはいらなかった。三人とも、もう何が来るかわかっている。あとは、どう入るか。
「俺が先陣切る。嬢ちゃんは開幕で頭数を削ってくれ」
「言われんでもそのつもりじゃ」
リィズがライフルを構え直す。トウヤは、柄に手をかけた。
リィズが引き金を絞った。
乾いた音が森を裂く。中央付近にいた赤黒い一体が、横ざまに吹き飛んだ。一軍を率いる格の個体が、たった一発で。
残りが反応するより速く、続けて二発。別の赤黒いのが二体、立て続けにのけぞって沈む。
「三匹。さすがじゃろ」
四匹目を狙おうとした、その時だった。
黒い兵隊が一斉に動いた。倒れかけた下士官を庇うように、間に割り込み、壁を作る。リィズの弾は、その分厚い体に阻まれて通らない。
「ちっ。もう二、三匹はいけると思ったんだがな」
ルチアーノが舌打ちした。だが声に焦りはない。むしろ感心が混じっている。
「上等じゃ。なら、こじ開けるまでよ」
三人が、更地へ踏み込んだ。
とたんに、アリたちが一斉にこちらを向く。何十という個体が、波のように押し寄せてきた。
トウヤが刀を振るう。一閃で二体。返す刃でもう一体。だが減らした端から、後ろの列が詰めてくる。きりがない。
「数が多い」
「向こうさんも、ここが住処の境界線だってわかってんのさ。そりゃ必死にもなる」
ルチアーノが片手で撃ち、もう片方で別の一体を蹴り倒す。動きに無駄がない。
リィズが背後を撃ち抜きながら、軽く茶々を入れた。
「お主も、ファミリーとやらを連れてくればよかったんじゃないか? 頭数なら、向こうに負けとらんじゃろ」
「はっ、よしてくれ。さすがにこんなにはいねーよ。それにこの大陸じゃ数より質だ。特に魔物相手にはな」
ルチアーノが一体の顎を撃ち抜きながら続ける。
「場面によっちゃ数が効くこともあるが――こういう相手にゃ、腕の立つ少数のほうがいい。連れてきたところで、足を引っ張られるだけさ」
「ふぅん。手厳しいのぉ」
軽口を叩きながらも、三人の手は止まらない。押されてはいる。だが、捌けないほどではない。一体ずつ、確実に数を削っていく。
トウヤは斬りながら、ちらと奥を見た。
中央の偽司令官。その周りの三体は、まだ動かない。こちらが城壁の兵隊をいくら相手にしようと、微動だにしない。
まだ、上がある。
いくら兵隊を斬っても本陣には届かない。埒が明かない――その判断が頭をよぎりかけた、その時。
奥の三体が、動いた。
中央の羽つきを囲んでいた三体が、ゆっくりと囲みを解く。一体、また一体と前へ出て、こちらへ向かってくる。
「やっこさんら、しびれを切らしたか」
ルチアーノがニヤリと笑った。
「思ったより早かったな。お前らの腕がいいから、向こうも本腰を入れたくなったんだろうさ」
近づいてくる三体の動きは、それまでの兵隊とも下士官とも違った。一歩ごとに地が沈むような重さ。だが、ただ重いだけではない。隙がない。
「俺が二体抱える。お前らは一体片付けて、そのまま奥に行け」
トウヤとリィズの足が、一瞬止まった。
「おい。一体ずつの手はずじゃったろうが」
「気が変わった。お前らは奥が本命だ。さっさと頭を取りな」
リィズが眉を寄せる。だがルチアーノの口ぶりに、無理をしている響きはない。
「できるのか」
トウヤが短く問うた。二体を一人で受け持つといった男は、手慣れた様子で弾を詰めている。
「はっ。ルーキーに心配されるほど耄碌しちゃいねーよ」
ルチアーノが片目をつむってみせる。
トウヤは、それ以上は問わなかった。わかった、と短く返し、地を蹴る。三体のうちの一体へ向かって、まっすぐに。
リィズが一拍遅れて続いた。
「いい年なんじゃから、張り切りすぎるなよー」
「うるせぇ」
二人が駆けていくのを横目に、ルチアーノは残った二体と向き合った。眼前に、重い影が二つ迫っている。
ヤレヤレと肩をすくめ、帽子のフチに指をかけると、気障にかぶり直した。
余裕があるわけではなかった。だが、余裕は見せるものだ。
トウヤが一体に肉薄していた。
走りながら、抜き打ちの一閃。アリの前足を一本、根元から斬り飛ばす。バランスを崩したそこへ、リィズの追撃が体側に突き刺さった。走りながらの、ぶれない一射。
「右」
リィズの声が短く飛ぶ。トウヤは応じてアリの右側へ回り込み、横腹を斬りつけた。
アリの意識が、痛みに引かれて右へ向く。その刹那。
「右目」
ほぼ時間差なく、リィズの弾がアリの右目を撃ち抜いた。アリが大きくのけぞった。
それをすでに見越していたトウヤは、仰け反って晒された顔へ跳躍する。上段から、潰れかけた右目を刀ごと突き落とし潰す。
痛みにアリの顔が上がり、首の付け根が無防備に晒される。
そこへ、リィズの狙撃が連打で吸い込まれた。一発、二発。沈黙。
崩れ落ちるアリを、二人は見もしない。勢いのまま、奥の中央へと走り出す。残った兵隊を切り伏せながら、ただ前へ。
奥の頭めがけて、二人が突き進む。
アリが壁を作ってくる。だが止まらない。リィズが後方から、低く声を飛ばした。
「右」
トウヤが右へ流れる。壁の薄い箇所が、そこにあった。
「左、二歩」
言われるまま身を投げる。今度も、ちょうど穴が空いている。リィズの目が、群れの厚みを読んで、トウヤの足を導いていた。自分が斬り開くより速く、進む道ができていく。
タンクを蹴散らし、護衛を斬り伏せ――頭の姿が、はっきりと見えた。
羽を持つ大きな個体。だが、近づいてみればそれだけだ。動きは鈍い。司令官という階級柄、それ自体に大した力はないのだろうか。
何かアクションを起こそうとしている。だが、鈍い。その前に、トウヤが跳ねた。
刃が、首を刎ねた。
あっけなかった。さんざん手こずらせた三体の護衛のほうが、よほど手強かった。宙を舞った頭が、地面に転がる。
淡い光が、こぼれた。
倒した個体の身体から、魔石の輝きが滲み出る。確かに仕留めた証だ。二人の肩から、わずかに力が抜ける。
その、輝きが薄れていく――まさに消える直前だった。
転がった頭が、こちらを見た気がした。
口の端が吊り上がり、笑ったように。
アリの表情なんて読めるはずがない。とっくにこと切れており、見間違いだと思いなおす。
だが、トウヤの胸の奥に、小さな棘が刺さった。
その棘をいじっている暇は、すぐになくなった。四方からアリが押し寄せてくる。前も、後ろも、左右も。刀を振るう手を止めれば、たちまち呑まれる。
考えている余裕は、なかった。




