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ガングニール・フロンティア 〜蒸気荒野の剣と人形〜  作者: (鉄)
4章「錆びた英雄、灯る炉」
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ドンと慕われた男

 ベッドに、一人の男が上半身を起こしていた。ぼうっと、ただそこにいる。

 全身はほとんど機械に置き換わり、表情はない。瞳は虚ろで、どこも見ていなかった。歳の頃は、初老に差しかかったあたりだろうか。

 一目で、わかった。

 人形病の、末期だ。

 トウヤは、動けなかった。妹の、行き着く先がそこにあった。隣で、リィズもまた、凍りついたように立ち尽くしている。

 ルチアーノは、二人の様子を気にするふうもなく、ベッドのそばへ歩み寄る。


「客人を連れてきたぜ、親父」


 ドンは、目線ひとつ動かさなかった。何も返さない。ルチアーノはそれを当たり前のように受け流すと、こちらへ向き直った。


「この街でドンと呼ばれた、伝説のハンターが――俺達の、親父さ……もう、言葉も喋れねぇ」


 ルチアーノが、ぽつりと言った。


「指の一本すら、動かせねぇんだ」


 ドンは答えない。虚ろな瞳が、ただ宙を見ている。ルチアーノの声だけが、静かな部屋に落ちていく。


「孤児だった。どうしようもねぇ、行き場のねぇガキでな。俺も、ここにいる連中も……みんな、この人に拾われた。ホストからこの街を救った英雄だ。誰もが頼った、凄腕のハンターだった。それが――」


 言葉が途切れた。

 ルチアーノは奥歯を噛むように顔を歪める。目の縁が、濡れていた。


「それが、こんなふうに……だから、許さねぇ」


 絞り出すような声だった。


「親父を……俺の家族を、こんな目に遭わせたホストを――女王アリを、必ずぶっ殺してやる」

「ああ」


 涙の余韻が、まだ部屋に残っている中、トウヤは短く頷いた。

 それを受けてリィズが静かに口を開いた。


「魔石は……使えんのか」


 ルチアーノが、ふっと息を吐く。手の甲で目元を拭うと、どこか苦い声で答えた。


「ああ。粉にして、少しずつ飲ませる。万能薬なんて呼ばれちゃいるが――薬の類じゃねぇ。石ってのはな、飲んだ奴の器を、無理やり引き上げるんだ。底上げってやつさ。そうすると、底上げされた身体が……勝手に、自分を浄化しはじめる。病も、傷もな。それで結果的に治っちまう。だから万能薬だ」


 トウヤは、ちらりとドンを見た。


「だが」


 ルチアーノの声が沈む。


「今の親父にゃ、使えねぇ。弱りきった身体は、ほんの少しの力にも耐えられねぇ。引き上げる前に……器のほうが、砕けちまう」


 リィズが、目を伏せた。


「……そうか」


 短い呟きだった。表情が、わずかに陰る。

 トウヤは、もう一度ドンへ目をやってから尋ねた。


「末期じゃなければ……有効なのか」

「万能薬としてなら、どんな石でもいい。器さえ上がりゃ、浄化は働く。――だが」


 ルチアーノが、わずかに声を落とした。


「同じ原因のホストの石なら、もっと効く。特効薬みたいなもんだ。元が同じだから、効きが違う」


 トウヤの反応を、ルチアーノが見ていた。何かを察したように、けれど答えは慎重だった。


「可能性はある。だがな、少量でも毒は毒だ。健康体で、この大陸にしっかり馴染んだ人間――ハンターとしてやっていけるくらいの器がありゃあ、見込みがある。その程度に考えとけ」


 トウヤの手が、無意識に懐へ触れた。

 キッドの魔石。その奥で、それが微かに熱を帯びた気がするのは――気のせいか。


「……それでも」


 すがるような呟きだった。だが、口にした端から、トウヤは静かにそれを否定する。小さくかぶりを振った。都合のいい話に酔っている場合じゃない。


「ホストを倒さなきゃ、根本的にはどうにもならない。……そういうことか」


 ルチアーノが頷いた。


「元を断たねぇとな。倒したところで、進行が止まるだけだ。治るわけじゃねぇ。……だが、止まらなきゃ、話にならねぇだろ」


 トウヤの肩が、落ちた。

 ルチアーノが、その様子をしばらく見ていた。


「……家族がこんな目に遭うのは、辛いよな。誰か、大事な人でも治したいのか」


 トウヤは、すぐには答えなかった。やがて、ぽつりと口を開く。


「……妹がいる」


 淡々とした声だった。


「人形病だ。末期に近い。この人ほどじゃないが……四肢は、もう全部、人形になってる。下半身は完全に。上半身にも、広がってきてる。一人じゃ、もう動けない。……まだ喋れるし、話も通じる。今のところは」

 言葉を選ぶというより、見てきたものを、ただ並べるように。


「そうか」


 ルチアーノが、静かに言った。慰めるような声だった。


「だったら、なおさらだ。女王アリを倒して、元を断ってやろうぜ。お前の妹のためにもな」

「……ああ。倒す」


 自分に言い聞かせるような声でトウヤ答えた。


「家族か」


 リィズが、ぽつりと呟いた。

 そして、ドンの前へ数歩、歩み出る。ベッドのそばに立ち、虚ろな瞳を覗き込むように、正面から向き合った。

 その瞳が、動いた。

 宙をさまよっていたドンの目が、ゆっくりとリィズを捉える。互いの、深紅を思わせる瞳が交差した。


「あ……あぁ……エ、リ……ザ……」


 うめきとも、声にならない声ともつかないものが、ドンの口から漏れた。指一本動かせないはずの手が、震えながら、ゆっくりとリィズのほうへ伸びていく。


「親父? 動けるはず、が……」


 ルチアーノの声が、跳ねた。

 リィズは、伸ばされた手をそっと両手で包み込む。握るというより、抱くように。その手つきが、ひときわ優しくなった。漏れ出た声を聞いても、リィズは何も言わなかった。ただ、まなざしだけが、深くなる。


「家族は大事じゃの」


 静かな声だった。


「しかもそれが今生の別れになるなど、二度とあってはならんことじゃ。そう――二度とな」


 リィズは、包んだ手をゆっくりとベッドへ戻すと、はだけかけたシーツをそっと直してやった。

 それから、クルリと振り向く。


「よし、やるぞ。わしらでホストを、ケチョンケチョンにしてやるのじゃ」


 声が、もう明るかった。

 トウヤは、口の端を上げた。


「ああ。ボッコボコのボコにしてやろう」


 ルチアーノだけが、一拍遅れた。


「お、おう……それじゃ、作戦会議としゃれこもうか」


 扉が、パタンと閉じた。

 誰もいなくなった部屋に、静けさが戻ってくる。

 ベッドの上で、ドンはさっきと同じ姿勢のまま、虚ろに宙を見ていた。

 その唇が、かすかに動いた。

 声にはならない。けれど、それは――愛おしいものの名を、呼ぼうとしているようだった。

 窓から、風が入ってくる。庭の緑を通った、柔らかい風だった。

 風は、三人が出ていった扉のほうへ――そっと、流れていった。

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