ファミリー
朝だった。
乾いた風が、まだ目を覚ましきらない町の通りを抜けていく。日が昇って間もない時刻、いつもの待ち合わせ場所には、すでに二人の姿があった。
トウヤは串焼きを齧っていた。屋台で買った、何の肉だかわからない一本。塩の効いた脂が、空きっ腹にちょうどいい。その隣で、リィズが手持ち無沙汰に踵を鳴らしている。
「遅いの~。見かけによらず、こういうことは意外にキッチリしておる男じゃのに」
唇を尖らせて、通りの先を睨む。
「なにかあったか?」
トウヤは串を齧りながら、短く返した。
待つほどもなく、通りの向こうから片手が挙がった。
「悪い悪い」
ルチアーノが、いつもの調子でやってくる。白いスーツに皺ひとつない。
「遅い」
リィズがすかさず文句をぶつける。怒っているわけではない。じゃれているだけの声だ。ルチアーノは軽く肩をすくめ、それから言った。
「悪いが、今日の狩りは中止にしてくれ」
トウヤの、串を齧る手が止まる。リィズも、続けるはずだった文句を飲み込んだ。
毎朝当たり前に出ていた狩りを、中止。どうした、と問う前に、ルチアーノの顔から軽さが引いていった。
「ホストの――女王アリの巣が、見つかった」
空気が変わった。
串を握るトウヤの手に力がこもる。リィズの意識が、背のライフルへ伸びかける。
来たか。
「詳しい話は、うちに来てからしよう」
言うが早いか、ルチアーノは踵を返して歩き出していた。
「うち?」
トウヤは思わず口にしたが、ルチアーノは振り返らない。もう先導の足取りに入っている。リィズと目を見交わし、後に続いた。
町の通りを抜けていく。すれ違う住人が、ルチアーノに気安く声をかけてきた。
「よう、若頭」
「おう。悪いな、今日は客人がいるんでね。後でな」
軽く手を挙げるだけで、足は止めない。少し行くと別の誰かが「ルチアーノさん」と寄ってきて、それにも片手で応えて通り過ぎる。荷を引くオオトカゲを連れた猫耳の男が会釈してきたのにも、同じように。いつもなら立ち話のひとつもしそうなものだが、今日はどの相手にも歩調をゆるめなかった。トウヤとリィズは、その光景を横で眺めながらついていく。
やがて、見覚えのある分岐点に出た。
道の先、片側になだらかな丘が広がっている。リィズの足が、わずかに止まった。
「どうした?」
ルチアーノが振り返る。
「いや、ちょっとな」
リィズは短く濁した。
「こっちの方には来たことがないな」
トウヤが言うと、ルチアーノは丘のほうへ顎をしゃくった。
「普段はファミリーしか用のないところだからな。少し登ればすぐだ。景色としては、なかなかだぜ」
丘を登っていく。道の先に、やがて屋敷が見えてきた。
華美ではない。だが重厚で、広い。古びてはいるが、よく手入れされている。屋敷を囲む庭の緑も、きちんと整えられていた。
「親父が建てたんだ」
ルチアーノが、どこか誇らしげに言った。
リィズが、静かに目を細める。そのまま、ルチアーノに並ぶように小走りになった。
「立派なものだな」
トウヤが、ぽつりと素朴に漏らした。
屋敷の前に、大柄な男が一人立っていた。仕立てのいい服が、岩のような体格にいまひとつ馴染んでいない。門番というより、用心棒だ。庭のほうでは、数人が思い思いに手を動かしている。植え込みの手入れをする者、荷を運ぶ者。屋敷が、それだけの人手を抱えて回っているのが見て取れた。
「変わりは?」
「ありません」
ルチアーノと男のあいだで、報告が軽く交わされる。仰々しい屋敷の作法には見えない。だが、この街でならこれくらいが頼もしいのだろう、とトウヤは思った。
ルチアーノが先に屋敷へ入り、トウヤが続いた。
最後に、リィズが一瞬、後ろを振り返った。
丘の下に、賑やかに発展した街並みが広がっている。高台の風が吹き上げて、リィズの髪を流した。リィズは静かにそれを直すと、中へ入った。
玄関のホールには、数人の部下がいた。こちらに気づいて、軽く頭を下げてくる。重々しいというほどではない。
「帰ったぞ」
ルチアーノが片手を上げて応え、そのまま屋敷の奥へと足を向ける。
それを見た部下の一人が、わずかに身を硬くした。
「……こいつらを、通すんで?」
見慣れない二人を、いきなり奥へ。職務としての確認だった。
ルチアーノが足を止めた。
「俺の相棒たちに、文句あるのか」
声を荒げたわけではない。むしろ静かだった。だが、その静けさが部下を黙らせる。
「いえ」
身を固くした部下の肩を、ルチアーノはすぐにポンポンと軽く叩いた。
「安心しなって。この時期に腕利き二人に出会えた、俺の――幸運にな」
言って、屋敷の奥へと歩き出す。
奥へ続く廊下は、一歩ごとにギシリと床が鳴った。古い屋敷だ。その廊下の途中、途中に、警備の者が立っている。奥へ進むほど、その数は増えていった。
その警備が、ある一角を境に、ふつりと消えた。
奥へ行くほど厚くなっていた守りが、嘘のように。ドアの前にも、誰も立っていない。最奥は、しんと静まり返っていた。床を鳴らす足音だけが、やけに大きく響く。
一つの扉の前で、ルチアーノが足を止めた。
「ここは……」
リィズが、ふと呟く。声になるかならないか、ぎりぎりのところでこぼれた一言だった。ルチアーノは聞こえたかもしれないが、何も言わない。トウヤには、意味がわからなかった。
「会わせたい人がいる」
ルチアーノは扉に向き直り、声をかけた。
「親父、入るぞ」




