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ガングニール・フロンティア 〜蒸気荒野の剣と人形〜  作者: (鉄)
3章「刃と銃声と、幸運と」
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咆哮

 熊が雄叫びを上げて接近する。トウヤはかわしながら、何度も斬る。足の運び、手首の返し、刃の角度を、一撃ごとに変えていく。出血は増える。だが、致命傷には至らない。刀と爪が交錯し、熊の爪がトウヤの頬すれすれを掠め、トウヤの刃が熊の毛皮を裂く。距離は、もうほとんどない。巨大な熊と人間が、手の届く間合いで斬り結んでいる。


 リィズはその応酬から少し離れていた。援護射撃の手は止めない。だが間合いには踏み込まない。トウヤの動きの邪魔をしないよう、隙を見て撃つ。当てる気はない。熊の意識を散らすためだ。足元、横、後ろ。


 撃ちながら、リィズは思う。


 ――アヤツ、本当にクレイジーか?


 あんな超巨大な魔物と、真正面からやりあっている。普通なら距離を取って銃使いに任せるところを、自分から間合いに踏み込んでいく。そのうえ、わしの弾丸をまったく気にしていない。当てる気はないとはいえ、すぐ脇を弾丸が通っているはずだ。それを、一切気にしない。


 ――頭おかしいんじゃろ、これは。


 斬撃の精度が、徐々に上がっていく。出血が増える。調整が、終わりつつあった。次は確実に切れる。そう確信した瞬間、もう一度、腕と刀が交錯した。


 トウヤの身体が低く沈む。半身ほど後ろを向き、背中をねじる。そこから背中、腰、腕と順に回転が回っていく。刀が遅れて追従し、遠心力が乗る。腕一本、捉えた――そう確信した瞬間、熊が、吼えた。


 世界が、軋んだ。


 音ではない。圧でもない。ボス狼の遠吠えとも、この熊が最初に上げた咆哮とも違う。あれらは、生き物の声だった。これは、違う。


 これは、力だ。


 大気が目に見えて歪んだ。衝撃波の輪郭が見えそうなほどに。地面が割れ、ひびが放射状に走る。周囲の岩が砕ける。


 トウヤの身体は、すでに振り抜きの最中だった。遠心力で宙に浮いている。そこへ衝撃波がぶつかった。振り抜きの勢いと衝撃波の押し。二つが噛み合って――無防備に、宙に浮く。


 そこへ熊の前足が振り上がり、巨大な爪が、宙に浮いたトウヤめがけて振り下ろされた。辛うじて刀をかざしてガードする。だが、宙に浮いた状態では踏ん張れない。衝撃を防ぎきれず、トウヤの身体が刀ごと、真横に吹き飛ばされた。


「旦那さまっ」


 転がっていくトウヤを見ながら、リィズが熊に向き直る。


「――こんのっ!」


 連続して撃ち込む。銃声が四つ。精密射撃ではない。怒りに任せた連射だ。それでも、ほぼ全弾を熊の体に当てている。熊が一瞬リィズのほうを見て、腕で顔を庇いながら足を止めた。


 トウヤが地面から身を起こした。服はあちこち破れ、出血もある。頬を擦りむき、肘のあたりも切れている。


「いててて……」


 軽い口調だった。大きな怪我はなさそうだ。立ち上がりながら、右手の指をぐっぱぐっぱと握って開く。続いて軽く屈伸する。膝に異常はないか、足首は動くか。――動ける。


「お主、大丈夫か」


 援護射撃を続けながら、リィズが声をかける。装填の手は止めず、牽制で熊を寄せ付けない。視線の端で、トウヤを気にしている。


 だが、トウヤは答えなかった。もう、ぶつぶつと分析を始めている。リィズの声は、耳には入っているが処理されていない。


 トウヤがゆっくりと目を閉じた。一度、呼吸を整える。刀を上段から中段へ移すように、軽く素振りを一度。ヒュッと空気が鳴った。


「まだ常識で考えていた」


 目を閉じたまま、自分に言い聞かせる。


「新世界だ。魔物だ。咆哮で岩が砕けるぐらい、わけない。銃弾が直角に曲がり、妹みたいにちみっこいのが、軽々と重火器を扱うんだ」

「おいっ」


 装填しながら、リィズが抗議した。


「セクシーなおねぇさんじゃろ」


 手は止まらない。相変わらず素早い装填、銃声、熊を寄せ付けない。だが、トウヤの耳には入っていない。自分の世界に、完全に入っている。リィズの抗議は、空中に消えた。


「次は――」


 ゆっくりと目を開ける。熊を見据える。視線が、定まった。


「こうか」一振り。「いや、こうか」角度を変えて、もう一振り。「速度はもっと――いや、タイミングか」もう一振り。


 熊が、何かを察したように、トウヤのほうへ距離を詰めようとする。それまでの、楽しんで戦う気配が消えていた。本能的に、目の前のこの男を仕留めなければならないと。


 リィズがすかさず牽制する。銃声。熊の進路を遮るように弾丸を散らす。


「させぬぞ」


 熊が、また足を止めた。


 トウヤが、四振り目。ゆっくりと刀を振り抜く。軌道が決まった。角度、速度、タイミング、すべてが噛み合う。


「――これだ」


 短く確信の声を漏らし、構えを決めた。


 再び、熊に接近する。斬撃を入れていく。刃筋はもう調整済みだ。出血が増える。だが、目は別のことを見ていた。


「あの咆哮は、まだ出せるのか?」斬る。「出せるとしたら、何回?」斬る。「何秒、必要だ?」斬る。「溜める動作は、なかったように思えるが――」


 もう一度出してみろ、と言わんばかりだった。再び超至近距離でやりあう。だが、先ほどとは明らかに違った。トウヤが優勢だ。出血しているのはトウヤのほうが多いはずだ。服はボロボロで、頬には血。それなのに、動きはトウヤが上を行っている。一撃ごとに熊の体が削られ、巨体が後ろへ下がっていく。


 熊が、業を煮やした。これだけ斬られ、自分の血が地面を染め、目の前の男がまったく止まらない。押されている。その事実を、認められないというように――再び、咆哮の予備動作。胸郭が膨らむ。


 熊が、咆哮を放った。衝撃波が、トウヤに向かって走る。


「今」


 タイミングを合わせ、刀を振る。


 刃と衝撃波がぶつかる。圧の壁が刃先に食い込み、軋む。その軋みの、わずかな隙間を縫うように――刃が通っていく。空気の層を、一枚ずつ裂いていくように。


 衝撃波が、斬れた。

 そのまま熊の腕一本を吹き飛ばす。血が噴き出した。

 トウヤは刀を構えたまま、短く呟いた。


「失敗した」


 不満げに眉を寄せている。胴体ごと斬るつもりだった。それが、腕一本にとどまった。


 リィズは、視線も照準も、熊から外していない。装填の手も止まっていない。


「やってくれると思っとったが、ここまでとはのぉ」


 銃口を、熊の口腔の予測ラインに合わせていく。


「あとはまぁ、最後のオマケみたいなものじゃ」


 咆哮を上げたばかりの熊の口は、開いたままだった。その奥へ弾道が通る。リィズが引き金を絞ると、弾丸が口の中へ吸い込まれていった。咆哮を斬り裂かれた直後の、無防備な喉元への確実な一発。


 巨体が地響きを立てて仰向けに倒れた。砂が舞い、やがて動かなくなる。開いた口から、煙のような呼気が黙々と立ち昇り、細く途切れていった。


 その体内から、わずかに光が揺らいだ。体はそのまま残る。中に、魔石の輝き。狼のボスより明らかに大ぶりだ。その光を確かめて、二人の構えがようやく緩んだ。

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