初めての狩り
シッ、と短い息が漏れた。
トウヤの刀が横一文字に走る。狼の太い首に刃が吸い込まれ、噴き出した血が宙に弧を描いた。大きな身体がゆっくりと横倒しになり、それきり動かなくなる。
少し離れた岩場で、リィズが片膝をついてライフルを構えていた。乾いた銃声。一発で一匹の頭が弾ける。間を置かず次の弾を込める手元に、淀みがない。立ち上がり、軽い足取りで射撃位置を変える。ばかでかいライフルを抱えたまま走るその速さは、どう見ても普通ではなかった。
「ほんっと、こやつら厄介じゃのぉ」
ぼやきながら、リィズの指がまた引き金を引く。
「新大陸の生き物はの、一匹一匹がデカいのじゃ。それでいて連携までしおる」
「確かにな」
飛びかかってきた一匹を、トウヤは袈裟懸けに斬り捨てながら返した。旧大陸の狼の倍はある。牙も爪も無駄に立派で、おまけに頭が回る。一匹がトウヤに飛びかかった隙に、別の一匹がリィズへ回り込もうとする。それをリィズが撃ち落とす。今度は左右から二匹。
トウヤが左の狼を斬る。右は――銃声。右の狼が空中で頭を撃ち抜かれて落ちた。飛び散った血がトウヤの頬にかかる。拭わない。気にも留めない。視線はもう次の獲物に移っている。
リィズがライフルを射撃態勢から一段下げた。トウヤの様子をうかがう口元が、わずかに緩む。
「ふふん、わしの腕もなかなかのもんじゃろー――なんじゃーーー!?」
横から襲いかかってきた狼に、慌ててライフルを構え直す。零距離で叩き込む。狼が吹き飛んだ。
それからも戦闘は続いた。危なげはない。だが楽でもない。一匹斬る、一匹撃つ、また次が来る。きりがなかった。
トウヤがもう一匹を斬り捨てた、そのときだった。遠くから太く長い遠吠えが響いた。今までの狼の鳴き声とは、明らかに違う。
遠吠えが、空気を変えた。
周囲の狼たちの動きが、一斉に変わる。攻撃を止め、二人からすっと離れていく。
荒野の先、岩がせり出した崖の上に、巨大な狼が一頭立っていた。群れのどの個体よりも、さらに一回り大きい。黒に近い灰色の毛並み、傷だらけの古い身体。こちらを凝視するその目には、ぞっとするほどの知能の高さがあった。
「あれが、ボスか」
「みたいじゃの」
崖の上で、ボス狼の遠吠えがもう一度、低く尾を引いて響いた。それを合図に、周囲の狼たちが二人を取り囲むように位置を取る。一定の距離を保ったまま、襲いかかってこない。待っている。ボスの指示を。
リィズが小さく息を吐いた。
「これはなかなか――」
言いかけて、言葉を止めた。トウヤの様子が目に入ったのだ。
トウヤの口元が、かすかに上がっている。切っ先を見つめる目に、いつもとは違う熱があった。
「……旦那さま」
「うん?」
「楽しそうに見えるのは、わしの気のせいか?」
トウヤは次の獲物に目を向けたまま、さらりと返した。
「ああ――大変だな」
「コヤツ、絶対に楽しんでおるじゃろ……」
呆れたように呟きながら、リィズの口角も少しだけ上がる。
どちらからともなく、二人は背中合わせになった。言葉はいらなかった。互いの背を預ける位置に、自然と立つ。トウヤの切っ先が下がり、重心が低くなる。リィズのライフルが上がり、ボス狼へ狙いが定まる。近くで受ける男と、遠くから叩く少女。役割は、おのずと分かれていた。
ボス狼が、三度目の遠吠えを上げた。
周囲の狼が一斉に飛びかかる。同時に、ボス自身も崖から飛び降り、まっすぐトウヤへ向かってきた。
上から振り下ろされる爪を、トウヤは刃で受けた。重量がある。刃と爪が噛み合って火花が散り、足が砂を噛んで半歩下がる。
「重ぃ……」
二撃目の噛みつきは、体を捻ってかわした。かわしざまに刃を走らせる。ボスの首筋に、浅く傷が入った。血が滲む。三撃目の爪をかわし、刃を返して胴を斬りつける。浅い。だが、確かに入った。
トウヤは刃に視線を落とした。血の量が、思ったより少ない。唇の端をぺろりと舐める。
「浅かったか。もう少し、深く入ると思ったんだが」
一撃ごとに、刃の入りが深くなっていく。ボスの動きが鈍り、リィズの狙撃で群れも確実に減っていく。二人の有利に、傾き始めていた。
ボスが一旦、距離を取った。脚力にものを言わせて崖の上へ戻る。トウヤは追わなかった。深追いは危険だ。
崖の上で、ボスが大きく息を吸い込んだ。
空気が、ビリビリと鳴った。
仲間を呼ぶ声に、圧が乗っていた。場の空気そのものを震わせる遠吠え。砂が舞い、低木の枝が微かに揺れる。リィズが思わず腕で顔を庇った。
「な、なんじゃこの圧は……」
トウヤは顔を庇わなかった。それどころか、口元が大きく歪んでいた。笑っている。今度ははっきりと、大きく。
遠吠えが収まったあとだった。視界の端、岩陰にふたつの光が灯る。目だ。別の岩陰にも、遠くの茂みの奥にも。一つ、二つ、暗がりからこちらを見つめる視線が増えていく。数十、いや、もっと。
それからゆっくりと、岩陰や茂みから一頭、また一頭、大きな影がにじむように姿を現した。群れの規模が膨らんでいく。静かに、確実に。
「……また一からかよ」
トウヤが切っ先で狼の死骸を軽く小突いた。
「おかわりってわけか」
リィズのほうは、完全にゲンナリしていた。肩が落ちている。
「うへぇ……これだけ片付けたのにのぉ……」
その視線が、ふと崖の上に向いた。ボスの口元が、わずかに歪んだように見えた。笑ったように。気のせいかもしれない。だが、確かにそう見えた。余裕と、優越と、上位者の顔。
「……ほぉ?」
リィズの目が、すっと細くなった。
「上下関係を躾けねばならんようじゃの」
落ちていた肩の気配が、消える。手元の重さも、消えていた。
トウヤがちらりとリィズを見た。何も言わない。空気の変化を確かめただけだ。二人は構えを取り直す。
「やってやるよ」
「ええい、面倒な」
改めて、背中合わせ。
崖の上のボス狼が、一歩前に出ようとした。前足が崖の縁にかかる。
その瞬間だった。ボス狼の背後に、真っ黒な巨大な影が立ち上がった。
影が、ボスを呑んだ。
鈍い音がした。骨が、何かが噛み砕かれる音。ボス狼の首が、生き物の向くべきでない角度に曲がる。やがてその体がゆっくりと持ち上げられ、後ろから巨大な影がぬっと崖の上に姿を現した。
熊だった。あの立派な体躯のボス狼を、口にやすやすと咥えて持ち上げている。その口の前では、ボスの体が小さく見えた。ぐったりと、力なく垂れている。
熊が口を緩め、放り捨てるようにボスの体を崖の下へ投げた。巨大な毛の塊が空を切り、崖にいくつもバウンドして――一度、二度、三度、鈍い音を連ねて――二人の少し先に落ちた。横たわったまま、動かない。立派だった毛並みは土まみれで、古強者の威厳はもうどこにもない。ただの傷ついた獣の体だ。微かに息はある。口から血を吐いている。だが、動けない。
おもわず二人の動きが止まる。




