第1話 牙を喰む病
目が覚めたら、畳のにおいがした。
……畳?
わたしの寝床はベッドのはずだ。緊急対応用にナースステーション裏に置いてある、安物の硬いマットレスのベッド。徹夜明けの当直で、確か院内の階段を下りていて——そう、踏み外した。最後の記憶は、踊り場の冷たい蛍光灯と、左の側頭部に走った稲妻みたいな衝撃。
なのに、いま頬に当たっているのは、いぐさだ。
ゆっくり目を開ける。視界に入ったのは木造の天井。古い梁。煤けた行灯。蛍光灯どころか、白熱電球すらどこにもない。
「お嬢さま、お嬢さまっ。お目覚めでございますかっ」
障子が乱暴に開いて、見たことのない中年女が飛びこんでくる。藍染めの着物の裾を膝で割りながら、わたしの——いや、誰のだ、これは——枕元に膝をついた。
起き上がろうとして、わたしは自分の手を見て、固まった。
小さい。
爪の先までやけにつるんとして、関節の節も浅い。指先のささくれは無く、長年の手洗いと消毒液でガサガサになっていたはずの皮膚は、雪を撫でたみたいになめらかだった。
医師の手じゃない。
子どもの手だ。
「滝さま、滝さまっ。お嬢さま、お顔の色が」
女が叫ぶ。滝。
——え、まさか。
その瞬間、頭の奥でぱちんと何かが弾けた。
文政十年生まれ。長崎銅座町。父はオランダ商館医フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。母は丸山遊女の出、楠本瀧。二歳のときに父は国外追放、シーボルト事件。十二歳から伊予国宇和町、二宮敬作のもとに預けられ、医学の基礎を学ぶ——
医学史の教科書に、申し訳程度の一段落で載っていた人物の経歴が、生々しい時間の重みを持って流れこんでくる。
楠本イネ。
日本で最初に西洋医学を産科として修めた女、と。一行で語られていた女の身体に、わたしは今いる。
頭の中で、現代の戸塚紗千・三十四歳・救急専門医という肩書きが、ぽろりと床に落ちた音がした。
——うそでしょ。
「お嬢さま、医学所のほうへは、敬作先生がもうお戻りで」
女がしゃくり上げている。話を継ぎ合わせると、わたしは三日ほど高熱を出して寝込んでいたらしい。意識が混濁し、譫言で「アドレナリン」「血圧六十」「採血」と、誰にも通じない異国の言葉を喚いていたという。
——そりゃそうだろう。中身が入れ替わっている。
わたしは布団の中で、ゆっくり、深く、息を吐いた。
救急の現場で覚えた癖だ。動揺したまま判断すると、人が死ぬ。
一、状況確認。 二、自分が今、何ができて何ができないかの把握。 三、目の前の処置。
現代に戻る方法は、いまここで考えても答えが出ない。だとしたら、今やるべきは三だ。とりあえず、この少女として、目の前を生き延びる。
わたしは女——のちにこの体の母だと知る、楠本瀧——を見上げて、できるだけ少女らしい声で、ふつうに笑ってやった。
「ごめんなさい、おっかさん。もう、平気よ」
涙でくしゃくしゃの母の顔が、こちらが拍子抜けするほど柔らかくほどけた。
——あ。
胸の奥が、少しだけ、痛んだ。
現代のわたしには、もう母はいない。
それから四年が、嘘みたいに過ぎた。
嘉永三年、卯之町。
いまわたしの胸の谷間に挟まれているのは、薬研。鳥兜の根を、慎重に、慎重に削っている。アコニチン中毒は致死量0.2ミリグラム、心筋に直接作用、解毒手段は当時ほぼ無いに等しい——という現代の知識が、十四歳の手元を律してくれる。
師匠の二宮敬作は、隣の薬棚から人参の根を取り出しながら、ふんと鼻を鳴らした。
「おイネ。お前、また紙に妙な四角を描いているな」
わたしの手元には、四つ折りの和紙。表に「九月三日 善助どん 咳 夜半に増悪 痰白く粘り少なし 寒気あり 脈やや沈 胸を聴くに右下軽く乾性ラ音」と書いてある。
カルテだ。
現代と同じ書式で、症状と所見と処方を、患者ごとに紙に残している。これがあるだけで、再来した患者の経過がぐっと追える。
「敬作先生。これは——病人帳と思ってください」
「病人帳ねえ。お前のは、字が小さすぎる」
敬作先生は、不機嫌そうに見せかけて、すこし笑っている。
この四年で、わたしはずいぶん、この人に救われた。
突然「異国の言葉」を口走るようになった少女を、彼は奇異の目で見なかった。シーボルト先生のお子だからな、と、わかったような分からないようなことを言って、ただ淡々と、医学の基礎を教えてくれた。骨の名前、薬の煎じ方、繃帯の巻き方。わたしが知っていることと、知らないふりをしなくてはならないことの境目を、彼はずっと、見ないふりをしてくれている。
——だから、
「先生」
わたしは薬研を置いた。
「夕べの、庄屋さまの三男坊。あれ、ただの『ひきつけ』じゃないと思います」
敬作先生の手が、一瞬、止まった。
庄屋・徳右衛門の三男、清吉、九歳。
三日前、田んぼで鍬の刃が足の甲に落ちた。傷は浅く、血もすぐ止まったので、家の者は「ようござんしたな」と笑って、塩をまぶした手拭で押さえ、それで終わりにした。
二日目の朝から、首が回らないと言いはじめた。
昨夜、口が開かなくなった。
今朝、背中が弓のように反って、目玉だけがぎょろりと動くようになった。
駆けつけた漢方の老医・松井玄碩は、汗だくの清吉の枕元で、しばらく顎をなで、
「もののけ憑き、じゃ」
と告げた。
憑きものを落とすには、まず祈祷。次に経。最後に、霊験あらたかな護符を煎じた湯。——という運びになる手前で、清吉の母が、土間にひれ伏して敬作先生を呼びに来た、というわけだ。
わたしは敬作先生の薬箱を片手に提げ、雪駄をつっかけて土間を駆け抜けた。
破傷風。
現代の医学生でも一年生で叩きこまれる、古典的な感染症。土壌中の嫌気性菌、クロストリジウム・テタニ。鍬や鎌で受けた、見た目は浅い創傷が、菌のゆりかごになる。潜伏期は三日から二十一日。牙関緊急——口が開かなくなる。後弓反張——背中が弓なりに反る。そして、ささいな音や光に反応して、全身が痙攣する。
昔の人々がこれを「もののけ」と呼んだのは、まったく無理もない。
無理もないが、——勘違いだ。
庄屋の屋敷は人いきれと、灯明の油のにおいに満ちていた。
奥の間。床に敷かれた布団に、清吉が伸びている。
顔が、笑っていた。
いや、本人は笑っていない。笑筋が引きつって、口角が無理やり吊り上げられている——「痙笑」と呼ばれる、破傷風の典型的な所見。教科書に載っている図そのものが、九歳の少年の顔に貼りついている。
わたしは、息を呑んだ。
間に合うか。
部屋の隅では、白装束の祈祷師が、紙垂のついた幣を振りかぶっている。家族は手を合わせている。松井玄碩は、わたしと敬作先生を見て、露骨に顔をしかめた。
「敬作どん、ようござんすか。これは医のあつかうものでは——」
「松井さん」
敬作先生は、静かに先生を遮った。そして、わたしを見た。
——ふだんは、絶対にしない目だった。
弟子にする目ではない。
医者の同僚を、見る目だ。
「おイネ。お前、診てみい」
わたしは、息を、もう一度、深く吐いた。
——いきます。
病人の前にひざまずく。脈をとる。指先の冷たさを確かめ、目蓋を持ち上げて瞳孔を見る。額に手を当てて熱を測る。耳もとで、わざと声をひそめて呼びかける——清吉ちゃん、聞こえる? 返事は無いが、まぶたが震えた。意識はある。ただ、口が、開かない。
布団をめくる。
足の甲。塩をまぶした、もはや黒ずんでいる手拭。
「——失礼します」
わたしは手拭をそっと剥がした。
傷口は、すでに塞がりかけていた。だが、その縁が、ぬめりを帯びて赤黒い。創の奥のほうから、空気を入れるとぷつ、と泡が立つ。嫌気性菌の好む環境——空気が遮断され、湿り、土壌の微粒子が残っている。一目見て、わたしは、確信した。
「敬作先生」
顔を上げる。
「ひきつけでも、もののけでもありません。鍬でできた傷から、毒が体に入って、筋を引きつらせています」
部屋がざわついた。
「——たわけたことを」
松井玄碩が、ようやくわたしに気づいたように、こちらを向いた。
「おなごの、しかも十四の小娘が、何を申すか。鍬の傷くらいで筋がひくつくものか。あれは、悪霊が——」
「先生。九歳の男児を、今夜のうちに死なせたくなければ、議論はあとで結構です」
わたしの口から、自分でもびっくりするほど低い声が出た。
現代で、研修医を叱りつけるときの、声だった。
部屋がしんと静まる。 九歳の身体の、十四の声帯で、わたしは続けた。
「土の中に、目に見えない毒——いえ、毒を作る病の種があるんです。鍬の刃の汚れと一緒に、傷の奥に入りこんで、空気を嫌って育つ。育つと、人の筋を縮める毒を吐く。だから、口が開かなくなる。背中が反る。もののけは毒の名前を借りているだけで、毒の正体は、土です」
「土が、毒を吐くと?」
「吐きます」
わたしは断言した。
「先生がお守りで触れた畑の土を、明日、米のとぎ汁に混ぜて密に封じ、暖かい床下に三日置いてごらんになってください。蓋を開けたら、腐った卵に似たにおいがするはずです。空気を嫌う病の種は、確かにいる」
——これは、まあ、嘘ではない。腐敗菌全般の話ではあるが、原理的には合っている。
松井玄碩が、口をぱくぱくさせた。
敬作先生は、こころなしか、笑いをこらえている。
処置。
わたしは、現代の救急外傷プロトコルを、頭の中で書き起こしていく。
A:気道。 いまは保たれている。だが、嚥下障害が進めば、誤嚥のリスクがある。 B:呼吸。 呼吸筋の痙縮が起これば呼吸停止に至る。発作を起こさないこと。 C:循環。 心拍は速いが、脈は触れる。 D:神経。 意識は清明。瞳孔反応も正常。——いま、まだ、間に合う。
わたしは敬作先生のほうを振り向いた。
「先生。創を、開きます。深く、奥まで、清水で、洗います」
敬作先生は、ふだんなら「無謀だ」と言うだろう処置を、何も言わずに頷いた。
「莨菪根を、お持ちでしょうか。ほんのひとつまみ。湯で薄く煎じて、痙攣を抑える止めにします」
莨菪根——和名ハシリドコロの根茎。スコポラミンとアトロピンを含み、江戸期の蘭方医はすでに鎮痙剤として用いていた。量を間違えれば毒だが、九歳の体重から逆算した量なら、致死域には届かない。これは、当時の医学水準で許される範囲の処置だ。
「それから、ヨジウム——シーボルト先生が長崎にお持ちになった、紫の液体。先生のお手元に、まだ、残っておりますね?」
敬作先生は、ぴく、と眉を上げた。
「——おイネ。お前、いつ見た」
「わたしはシーボルト先生の娘です」
わたしは、にこりとした。
「父の遺品のうち、最も色の濃いものが、最も傷を清める力を持つ——母はそう、伝えてくれました」
嘘である。母は何も伝えていない。教科書がそう伝えてくれた。
ヨジウム——ヨウ素は、1811年にフランスで発見されている。シーボルトが鳴滝塾で蘭方医に伝えた薬剤の中に、ヨジウム製剤があったのは記録上ほぼ確実だ。つまりこの世界線で、敬作先生の薬簞笥にそれが眠っている可能性は、十分に、現実的に、ある。
敬作先生は、しばらく黙って、わたしを見ていた。
それから、ふっと笑った。
「——あったぞ。先生からの、最後の文と一緒にな」
わたしは、清吉の額に手をあて、両親に告げた。
「これから、お子さんの足の傷を切って洗います。痛がりますし、暴れます。でも、押さえても、声を上げないでください。光を消し、戸を閉め、できる限り、静かに」
破傷風の痙攣発作は、わずかな刺激で誘発される。これは、いまの医学でもまったく同じ管理だ。
暗くしただけで、清吉の呼吸は、すこし、落ち着いた。
敬作先生がメスを入れる。わたしが押さえる。創の奥から、確かに、土の粒と、嫌な臭いの膿が、湧いた。
清水で洗う。何度も、何度も。
ヨジウムをひたした布を、創の縁にあてる。
莨菪根の煎じ汁を、ひとさじ、ひとさじ、口の隙間から流しこむ。少年の歯が、わたしの匙を噛む。だいじょうぶ、噛んでいい。生きていれば、噛める。
夜半。
清吉の呼吸が、ゆっくりと、深くなった。
ぐっと反っていた背が、すこしずつ、布団に沈んでいく。
痙笑が、——消えた。
わたしは、息を吐いた。
ようやく吐ける息だった。
敬作先生は、黙って汗を拭っている。松井玄碩は、ずいぶん前から、座敷の隅で正座をしたまま動かない。祈祷師は、いつの間にか居なかった。
助かった。
もちろん、完治と決まったわけではない。破傷風の死亡率は、現代でも処置が遅れれば三割を下らない。発作の波はこの先まだ続くだろうし、誤嚥や栄養障害との戦いはこれからだ。
それでも、——今夜は、死なせなかった。
現代の救急外来で、わたしが守り続けてきたのと、同じ一行だ。
今夜は、死なせなかった。
たったそれだけのことが、九歳の身体の十四歳の身体の、わたしの胸を、痛いほど、満たした。
障子の向こうで、ことり、と音がした。
縁側に、人影が一つ。
影は、こちらの気配に気づいて、すっと座り直した。
「——終わったか」
声に、聞き覚えはない。 だが、響きに、なぜか、覚えがあった。
障子を細く開ける。
月明かりに、男が一人、座っていた。
歳は、二十代後半か。痩せた頬。やや薄い唇。蘭学塾の弟子のような筒袖の着物。なにより——目が、冷たかった。
怒っているのでも、軽蔑しているのでも、ない。冷たい。
蛇の目だ、と、わたしは思った。
観察するだけの、温度のない、しかし底の知れない聡明さを宿した目。
男は、月のほうを見上げたまま、つぶやくように言った。
「——おなごの身で、刃物のような診立てをするものだ」
「どちらさまです」
わたしは、警戒を隠さなかった。 男は、ようやくこちらに視線を移した。
「宇和島藩の、村田蔵六。先ほどから、見ていた」
——え。
村田蔵六。
わたしは、声を出さないように、ぐっと奥歯を噛んだ。
むらた、ぞうろく。
幕末。宇和島藩。蘭学。兵学。後年、靖国の祭神となり、大村益次郎と歴史に名を刻む、あの男。
史実では、楠本イネがオランダ語を学ぶのは、この男からだ。
……いま、出会うのか。
現代医の戸塚紗千の血が、十四歳の少女の頬の、内側で、しん、と冷えた。
「お前」
村田蔵六——いや、まだ蔵六と呼ぶしかないこの男——は、表情ひとつ動かさずに言った。
「先ほど、土が毒を吐く、と言ったな」
「……はい」
「根拠を、述べよ」
わたしは、ふ、と笑った。
なぜか、笑えた。
ふだん、現代で、後輩の医師に詰められたとき、わたしが最初に出すのと、まったく同じ問いだったからだ。
「——根拠を、述べます。ただし、長くなります」
月が、雲の縁から、半分、顔を覗かせていた。
月の光が、男の蛇の目を、銀色に縁取った。
幕末、嘉永三年、九月四日、丑の刻。
——お転婆おイネ、開幕。
今日はあと3話掲載予定です。




