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【連載版】呂布の武と郭嘉の知を授かった俺、信長の乱世で成り上がる  作者: あちゅ和尚


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第93話 五十人の旗

 五十人の兵が揃った朝、山本龍之介に最初に異を唱えたのは、敵ではなく味方だった。


「失礼ながら、山本殿。五十人を五組に分けるというお考えには、賛同しかねます」


 そう言ったのは、末森から送られてきた足軽頭、城戸弥三郎だった。


 年は四十を少し越えた頃だろうか。左の眉から頬にかけて古い刀傷があり、槍を握る手には硬い胼胝ができている。


 信秀のもとで長く戦ってきた男だった。


 龍之介は、練兵場に並ぶ五十人を見渡した。


 最初に預かった二十人。


 末森から加わった十五人。


 那古野の足軽から選ばれた十五人。


 ようやく五十人が揃ったのである。


 ただし、留吉は先日の矢傷が治りきっておらず、まだ実戦へ出せない。今すぐ槍を持って動けるのは四十九人だった。


「城戸殿は、五組に分けると何が困るとお考えですか。実際に兵を率いてこられた方の意見を聞かせていただきたい」


 龍之介が尋ねると、城戸は少し意外そうな顔をした。


 新参の若い武者から、経験を認められるとは思っていなかったのだろう。


「戦場では、五十人をまとめて動かした方が強い場合もございます。十人ずつに分ければ、それぞれが敵に押された時、助けるまでに手間が掛かりましょう」


「もっともです。私も五十人を常に離して使うつもりはありません」


 龍之介は地面へ枝で線を引いた。


「ただ、敵がどこへ来るか分からない時まで、五十人を固めておくのは不便です。正面を守る者、横へ回る者、使いを通す者。それぞれに役が必要になります」


 城戸は、しばらく線を見つめていた。


「組を分けても、戦う時には集めると」


「はい。五組を別々の軍勢にするのではありません。五十人を一つの隊として使うため、十人ずつに分けます」


 龍之介は、兵たちへ目を向けた。


「それに、私一人の声で五十人すべてを動かすのは難しい。敵と槍を交えている間にも、別の場所では判断を下さねばなりません。その役を、組頭に任せたいのです」


 城戸は、ゆっくり頷いた。


「なるほど。そういうお考えなら、まずは働きを見せていただきたい」


「もちろんです。城戸殿にも十人を預けます。これまでの経験を、存分に生かしてください」


 龍之介が答えると、城戸は初めて小さく笑った。


「承知いたしました」


 五十人は五組に分けられた。


 源太、孫七、城戸弥三郎。


 残る二組には、末森から来た梶原重八と、那古野で長く足軽を務めてきた矢田与四郎を組頭に据えた。


 梶原は三十を過ぎた実直な男で、槍の扱いに優れている。


 矢田は弓も使えるが、それ以上に道や村の位置をよく覚えていた。


 龍之介は、五人の組頭を前へ呼んだ。


「今日から五十人で動く。ただし、最初に覚えてもらいたいのは敵を倒す方法ではない」


 五人が顔を上げる。


「自分の組が、どこにいるかを知らせる方法だ」


 龍之介は、彦右衛門へ合図した。


 彦右衛門が小さな旗を五本持ってくる。


 それぞれに異なる色の布が結びつけられていた。


「遠くでは声が届かない。だから組ごとに目印を持たせる。旗を高く上げれば待機、横へ振れば移動、地面へ下ろせば伏せる。撤退は笛を長く吹く」


 源太が頷いた。


「これなら、敵と戦っていても隣の組の動きが分かりますな」


「そうだ。ただし、旗だけを見て動くな。旗を持つ者が倒れることもある。組頭が何をすべきか理解していれば、旗がなくとも働ける」


 孫七が、自分の組の兵を見た。


「留吉が戻れば、笛の合図も任せられます。それまでは、各組から一人ずつ伝令役を決めておくのがよろしいかと」


「頼む。留吉には、傷が治るまで合図の教え役をしてもらおう」


 龍之介は頷いた。


 練兵場の端では、留吉が左腕を吊ったまま座っていた。


 槍はまだ持てない。


 だが、笛の合図なら教えられる。


 留吉は自分の役が残されたことに、嬉しそうな顔をしていた。


 龍之介は、それを見て少し笑った。


 兵は、全員が同じ働きをする必要はない。


 強い者が前へ出る。


 周囲を見る者が後ろを守る。


 知らせを伝える者が、離れた組を繋ぐ。


 それぞれの働きが揃って、ようやく五十人の力になる。


 そう考えていた時だった。


 練兵場の入口から、一騎の早馬が駆け込んできた。


「山本様! 鳴海から急報にございます!」


 龍之介は顔を上げた。


 馬上の男は、息を切らしながら続けた。


「鳴海へ通じる道で、武装した者が橋を押さえようとしております! 数は百人を超えるとのことです!」


 龍之介の表情が変わった。


 今川方が、早くも次の手を打ってきたのである。


     ◇


 那古野へ戻ると、信長はすでに平手、新五、又左を集めていた。


 鳴海からの報告では、武装した一団が笠寺筋の古い橋へ向かっているという。


 その数、およそ百二十人。


 先日、倉田伊兵衛が率いた八十人よりも多い。


 しかも、今回は村へ押し寄せるのではなく、鳴海と那古野を結ぶ道そのものを狙っているらしかった。


「龍之介。お前の五十人を使えるか」


 信長が尋ねた。


「まだ全員の腕を確かめたわけではありません。ですが、源太と孫七の組は実戦を経験しております。城戸殿も古くから兵を率いてきた方です」


 龍之介は続けた。


「残る二組を無理に前へ出さなければ、働けると考えます」


 信長は頷いた。


「ならば任せる。ただし、敵は百二十人だ。五十人で正面から戦う必要はない」


「承知しております」


 龍之介は地図を見た。


 問題の橋は、鳴海へ通じる道の途中にある。


 幅は広くない。


 馬なら一列、荷車も一台ずつしか通れない木橋だった。


 橋の西側には村があり、東側には低い丘が続いている。


 橋を失えば、鳴海から那古野へ使いを通すには大きく迂回しなければならない。


 敵がそこを押さえれば、山口教継との連絡が難しくなる。


「敵は橋を焼くつもりかもしれません」


 龍之介が言うと、新五が頷いた。


「橋の近くで、油壺らしい荷を持つ者が見られたとの報告もあります」


 又左が顔をしかめた。


「百二十人で橋一つを焼きに来たか。ずいぶん大げさな話だな」


「橋を守る兵を引きつけるためかもしれない」


 信長は静かに答えた。


「橋へ兵を集めれば、ほかの道が薄くなる。逆に橋を捨てれば、鳴海への連絡が切れる」


 龍之介は地図を見つめた。


 敵は、こちらに選ばせようとしている。


 橋を守るか。


 橋を捨てるか。


 どちらを選んでも、敵には都合のよいところがある。


 だが、二つの選択肢しかないわけではない。


「若様。橋を守ります。ただし、橋の上では戦いません」


 信長の目が動いた。


「考えがあるようだな」


「はい。敵が橋を焼くつもりなら、火を持って近づく者が必要です。その者たちだけを橋へ近づけず、残る敵は通れる道を使って動かします」


 龍之介は地図の東側を指した。


「橋の手前には狭い道があります。敵をそこで止め、別の場所へ兵を広げさせなければ、百二十人いても一度には戦えません」


 信長は、少し笑った。


「また、お前の得意な戦になりそうだな」


「今回は五十人で働きます。私一人が前へ出る戦にはいたしません」


 信長は満足そうに頷いた。


「よし。行ってこい。鳴海の左馬助にも知らせてある。あちらの兵と無理に混ざらず、役を分けて守れ」


「承知しました」


 龍之介は頭を下げた。


 いよいよ、五十人を率いて実戦へ出る時が来た。


     ◇


 古橋へ着いた時、敵はまだ東の丘にいた。


 百二十人ほどの兵が、槍を持って道の両側へ広がっている。


 その後ろには、荷車が三台。


 荷車には藁束と木材が積まれ、油壺らしいものも見えた。


 龍之介は、まず橋を確かめた。


 西側には村人が二十人ほど残っている。


 橋を渡って帰ろうとしていた商人や馬借もいたが、敵の姿を見て足を止めていた。


「源太。まず村人を西へ下げろ。橋の上に人が残っている間は、敵を誘い込むこともできない」


「承知しました」


 源太の組が動く。


 孫七には橋の西側から弓を構えさせた。


 ただし、敵がまだ橋へ近づかないうちは射ない。


 城戸の組は橋へ続く道の北側。


 梶原の組は南側。


 矢田の組には、村人の退く道と、荷を運ぶ馬借の誘導を任せた。


 龍之介自身は、橋の西端から少し下がった場所に立った。


 敵が橋を焼くなら、ここへ来る。


 橋を渡って攻めるつもりなら、やはりここへ来る。


 だが、橋の上は幅が狭い。


 十人ずつ組を分けた兵でも、十分に守れる場所だった。


 城戸が近づいてきた。


「山本殿。敵は百二十人おります。こちらの五十人では、橋を守りきれぬ恐れもございます」


「その通りです。だから、敵を全員橋へ向かわせるつもりはありません」


 龍之介は東の丘を見た。


 敵の兵は、少しずつ動き始めている。


 先頭の三十人が槍を構え、橋へ向かってきた。


 その後ろから、荷車が一台続く。


 龍之介は城戸へ言った。


「城戸殿。敵が橋へ入りかけても、北側の持ち場を離れないでください。敵がこちらの主力を橋へ引きつけたところで、北から回ろうとする可能性があります」


 城戸は、少し考えた。


「山本殿が橋で危うくなっても、でございますか」


「私が危うくなれば、源太と孫七が助けます。城戸殿には別の役をお願いしたいのです」


 龍之介は、相手の目を見た。


「五十人を預かっている以上、私一人を守るために隊を崩すわけにはいきません」


 城戸は、しばらく黙っていた。


 やがて、深く頭を下げた。


「承知しました。北側は私の組が守ります」


 龍之介は頷いた。


 その時、東の丘から角笛が鳴った。


 敵の先手が、橋へ向かって走り始めたのである。


     ◇


 敵の先頭が橋へ足を掛けた時、龍之介は動かなかった。


 三十人のうち、最初に橋を渡れるのは四、五人ほど。


 その後ろには槍を持つ兵が続いているが、狭い橋の上では横へ広がれない。


 龍之介は源太へ目を向けた。


 源太が頷く。


 五人の槍が、橋の出口へ向けられた。


 敵は勢いよく進んできたが、橋の西端に槍が揃っているのを見て足を止めた。


「押せ! 相手はわずかだ!」


 東側から怒声が飛ぶ。


 敵の先頭が長槍を突き出した。


 源太の兵が、槍の柄で受ける。


 もう一人が横から突き返す。


 狭い場所で槍がぶつかり、乾いた音が何度も響いた。


 龍之介は、その様子を見ながら後方の荷車を確かめていた。


 油壺を積んだ車が、まだ橋へ近づいていない。


 その護衛らしい兵が十人ほどついている。


 橋で戦いが始まれば、敵はその隙に火を持つ者を近づけるだろう。


 そこが狙いだった。


「孫七。敵の荷車から目を離すな。火を持つ者が橋へ近づいたら知らせろ」


「承知しました」


 孫七は弓を構えたまま、敵の後方を見ていた。


 やがて荷車が動き始める。


 橋の東側から、油壺を持った男たちが降りてきた。


 数は四人。


 その後ろに弓兵がつく。


「龍之介様! 火を持つ者が来ます!」


 孫七の声が響く。


 龍之介は、すぐに合図を出した。


「橋の上の敵だけ見ているな! 油壺を持つ者を通すな!」


 孫七の弓が鳴った。


 矢は油壺を持った男の足元へ刺さる。


 男が驚いて立ち止まった。


 続く二射目が、護衛の弓兵の肩へ当たる。


 敵は慌てて荷車の陰へ下がった。


 龍之介は、その隙を逃さなかった。


「梶原! 南から出ろ! 敵の荷車を押さえろ!」


 梶原重八が、十人を率いて動いた。


 橋の南側には、川岸へ下りる小さな道がある。


 水は浅いが、足元には石が多い。


 事前に確かめておいた場所だった。


 梶原の組は、そこから川を渡って東側へ回り込む。


 敵は橋の上に注意を向けている。


 南から十人が現れるとは思っていなかったらしい。


「敵だ! 南から織田の兵が来るぞ!」


 荷車の護衛が叫んだ。


 梶原は先頭に立ち、槍を構えた。


「火を持つ者から離れろ! 荷車を押さえる!」


 十人の足軽が、声を揃えて前へ出る。


 油壺を持った男たちは慌てて逃げようとした。


 だが、荷車が狭い道に詰まり、思うように動けない。


 梶原の兵が槍を向けると、男たちは壺を置いて後退した。


 龍之介は、その動きを確認した。


 敵は橋を焼くための荷を失いかけている。


 だが、まだ百人近い兵が残っている。


 ここからが本当の勝負だった。


     ◇


 敵の指揮官は、三河の武者、松井右馬允と名乗った。


 今川方に従う地侍で、兵をまとめて鳴海へ通じる橋を押さえるよう命じられていた。


 松井は南へ回り込んだ梶原の兵を見ると、顔を険しくした。


「橋の向こうにいるだけではなかったか」


 側近が答える。


「南の浅瀬から十人ほど渡ってまいりました。火を持つ者が退いております」


 松井は、すぐに兵へ命じた。


「南へ二十人を回せ! 荷車を奪われるな!」


 だが、そこで別の声が上がった。


「北からも織田の兵が!」


 松井が振り向く。


 城戸弥三郎の組が、北側の道から現れていた。


 十人の槍が揃い、東の丘へ向かって進んでくる。


 松井は、一瞬迷った。


 正面の橋には源太と孫七。


 南には梶原。


 北には城戸。


 西へ逃げた村人を守る矢田の組は、まだ姿を見せていない。


 実際には五十人しかいない。


 だが、松井から見れば、三方から別々の兵が現れている。


 しかも、それぞれの動きが揃っている。


 松井は、口元を引き結んだ。


「敵は五十人だけではないのかもしれぬな」


 側近が言った。


「那古野から、さらに兵が来ているのでございましょうか」


 松井は答えなかった。


 龍之介は、その反応を少し離れた場所から見ていた。


 敵は、兵の数を読み違え始めている。


 実際の数より多く見せる必要はない。


 敵が確かめられない場所へ兵を置けば、それだけで判断は鈍る。


 郭嘉の知が、戦場の形をはっきり示していた。


 敵は橋を焼くために来た。


 その橋を守る兵を押し込み、火を持つ者を通せば勝ちだった。


 だが、今は火を持つ者が南へ逃げ、北からも兵が現れた。


 橋の正面だけ見ていては、敵将自身が危うくなる。


 松井は、ついに後方の兵を動かした。


「橋の攻めを弱めろ! 南と北を押さえる!」


 その命令で、橋へ向かっていた兵が少しずつ下がり始める。


 龍之介は、それを待っていた。


「源太! 橋の敵が下がったら、出口を押さえ直せ! 追いかける必要はない!」


 源太が声を返す。


「承知しました!」


 龍之介は、橋の西側から走り出した。


 目指すのは、敵将のいる東の丘だった。


     ◇


 松井右馬允が龍之介の姿に気づいた時、すでに距離は近かった。


 龍之介は橋へ戻らず、梶原が通った南の浅瀬を使って川を渡っていた。


 そこから丘の斜面を駆け上がる。


 松井の前には、槍を持った足軽が六人いた。


「止めろ! あの男を通すな!」


 松井が叫ぶ。


 六人が槍を構える。


 龍之介は、足を止めなかった。


 最初の槍を払い、踏み込む。


 相手の肩へ槍の柄を叩き込み、身体を横へ押し出した。


 続く二人が左右から突いてくる。


 龍之介は一方をかわし、もう一方の槍を手元で受け流した。


 そのまま石突きを返し、相手の胸を打つ。


 男が倒れる。


 横から斬りかかってきた足軽は、龍之介の踏み込みについていけなかった。


 刀が振り下ろされる前に、龍之介の槍が相手の膝を払う。


 男が崩れたところを越え、さらに前へ出た。


 松井の顔が変わった。


 ただの足軽ではない。


 この男こそ、倉田伊兵衛を捕らえた山本龍之介ではないか。


 松井は、馬上から槍を構えた。


「山本龍之介だな!」


 龍之介は、槍を持ち直した。


「その通りだ。橋を焼くつもりなら、ここで止めてもらおう」


 松井は歯を食いしばった。


「こちらは百二十人だぞ! 五十人で何ができる!」


「橋を守るには十分だったようだな」


 龍之介は、少し笑った。


 松井の顔が赤くなる。


 馬が踏み込む。


 松井は長槍を突き出した。


 力の乗った一撃だった。


 龍之介は、その穂先を見切った。


 馬の首がわずかに右へ寄る。


 松井の肩が動く。


 槍が来る角度は、すでに読めていた。


 龍之介は半歩踏み込み、敵の槍を外へ流す。


 そのまま自分の槍を持ち上げ、松井の右腕へ柄を叩き込んだ。


 鈍い音が響く。


 松井の槍が手から離れた。


「ぐっ!」


 龍之介は、そこで止まらなかった。


 馬の横へ入り、松井の胴へ槍の石突きを打ち込む。


 松井は鞍から身体を浮かせ、地面へ落ちた。


 龍之介は槍先を向けた。


「まだ戦うなら相手をする。だが、橋は渡さない」


 松井は、痛みに顔を歪めながら龍之介を見上げた。


 周囲の兵も、動きを止めている。


 北では城戸の組が槍を揃え、南では梶原が荷車を押さえていた。


 正面の橋には源太と孫七。


 敵は、どこへ進んでも織田方の兵にぶつかる形になっていた。


 松井は、ついに目を伏せた。


「……退け」


 側近が慌てて角笛を吹く。


 橋へ向かっていた兵が下がり始める。


 北と南へ分かれた兵も、東の丘へ集まり直した。


 龍之介は、深く息を吐いた。


 敵は百二十人。


 こちらは五十人。


 だが、戦った場所では、敵はその数を生かせなかった。


 そして、敵将を押さえたことで戦は終わった。


     ◇


 橋は焼かれなかった。


 油壺を積んだ荷車も、梶原の組が押さえていた。


 村人に怪我はなく、馬借たちも無事だった。


 龍之介の兵には、軽い傷を負った者が三人いたが、命に関わるほどではない。


 ただし、初めて実戦へ出た者の中には、震えが止まらない兵もいた。


 龍之介は、まずその者たちを休ませた。


 勝った直後だからといって、全員が元気なわけではない。


 戦場で初めて人の血を見た者もいる。


 自分の槍が相手へ当たった感触を、まだ手に残している者もいるだろう。


 龍之介は、五人の組頭を集めた。


「よく働いてくれた。源太と孫七は橋を守り、梶原は火を持つ者を押さえた。城戸殿は北から敵を動かし、矢田殿は村人の退く道を守った」


 城戸が深く頭を下げた。


「山本殿。先ほどは失礼なことを申し上げました」


「兵を五組に分ける話のことですか」


「はい。私は五十人をまとめて動かす方がよいと考えておりました。しかし、今日の戦では組ごとに役がありました。私が北を守ったことで、敵は橋へ兵を集めきれなかったようです」


 龍之介は頷いた。


「城戸殿が持ち場を離れずにいてくださったからこそ、私は敵将へ向かえました」


 城戸は、少しだけ笑った。


「それならば、今後も遠慮なくお命じください。信秀様から預かった兵として、しっかり働かせていただきます」


「頼りにしております」


 龍之介は、城戸の肩を軽く叩いた。


 梶原も近づいてきた。


「山本殿。油壺は六つございました。敵は橋を焼くつもりで間違いなさそうです」


「そうか。ならば、橋を守れたことは大きいな」


 龍之介は東の丘を見た。


 敵は退いた。


 だが、逃げた兵がまた戻ってこないとは限らない。


 橋を守るには、今日の勝利だけでは足りない。


 今後も見張りを置き、鳴海と那古野の使いが安全に通れるようにする必要がある。


「矢田殿。村人へ伝えてください。今日のところは橋を使えます。ただし、明日からも見張りを置くので、危ない時には無理に渡らぬようにと」


「承知しました」


 龍之介は、ようやく槍を置いた。


 五十人を預かって初めての戦。


 すべてが思い通りだったわけではない。


 だが、兵はそれぞれの役を果たした。


 そのことが、何より嬉しかった。


     ◇


 鳴海城で報告を聞いた山口左馬助教継は、しばらく言葉を失っていた。


「百二十人を、五十人で退けたのか」


 龍之介は頭を下げた。


「はい。ただし、橋の幅と周囲の道に助けられました。平地で正面から戦っていれば、こうはならなかったでしょう」


 教継は、ゆっくり頷いた。


「それでも、橋を守り切ったことは大きい」


 山口九郎二郎教吉も、傍らで目を輝かせている。


「山本殿。私も出るつもりでおりましたが、間に合わず申し訳ございませぬ」


「お気になさらず。鳴海の城を空けるわけにはいきません。九郎二郎殿には城を守っていただくことも必要です」


 教吉は頷いた。


 教継は、龍之介を見つめた。


「山本殿。今川方の者は、鳴海の城を攻めるよりも、こちらの道を切ることを考えているようですな」


「そのように見えます」


 龍之介は答えた。


「鳴海が那古野や末森へ助けを求めても、道が通れなければ援軍は来られません。今回の橋は、そのために狙われたのでしょう」


 教継は、深く息を吐いた。


「ならば、これからも橋を守らねばならぬ」


「はい。若様から預かった五十人を、鳴海と那古野の道へ使いたいと考えております」


 教継は頷いた。


「ありがたい。鳴海からも兵を出しましょう。互いの持ち場を決め、橋を守ることにいたします」


 龍之介は深く頭を下げた。


 山口父子と那古野の繋がりは、また一つ強くなった。


 それは、今川にとって望ましくない変化だった。


     ◇


 那古野へ戻った龍之介を、信長は笑顔で迎えた。


「龍之介! 五十人で百二十人を退けたそうだな!」


「はい。橋を焼かせずに済みました」


 信長は、報告を最後まで聞くと満足そうに頷いた。


「お前の武だけではない。五組それぞれが働いたのだな」


「その通りでございます。兵たちが命令を守ってくれました」


 信長は笑った。


「よい。これで、お前に五十人を預けたことを父上へ胸を張って報告できる」


 平手も、傍らで静かに頷いた。


 又左は少し不満そうだった。


「若。龍之介は百二十人を相手に戦ったというのに、私は留守番ばかりですぞ」


 信長は声を立てて笑った。


「安心しろ。お前の槍が必要になる時も、遠からず来る」


「それは楽しみでございます」


 龍之介も笑った。


 ただし、信長はそこで表情を引き締めた。


「敵は、橋を焼きに来たのだな」


「はい。油壺を六つ持っておりました」


「ならば、今度はもっと大きな軍勢で道を押さえに来るかもしれぬ」


「その可能性はございます」


 信長は、東の空を見た。


「龍之介。五十人の働きはよく分かった。だが、今川が二百、三百と兵を出してくるなら、五十人だけでは足りぬ」


 龍之介は頷いた。


「はい。私も、そう考えております」


「ならば、今度は五十人を使うだけでなく、ほかの兵とどう動くかも考えておけ」


 信長は静かに続けた。


「わしが兵を出す時、お前の五十人がどこへ入り、何をするか。それを考えられるようになってほしい」


 龍之介は、深く頭を下げた。


「承知しました」


 呂布の武は、一人で敵を打ち倒す力を与えた。


 郭嘉の知は、百二十人の動きを読み、五十人で勝つ道を見せた。


 だが、これからはさらに大きな軍勢を動かすことになるかもしれない。


 五十人を一つの隊として使えるようになった今、次に必要なのは、ほかの隊と力を合わせることだった。


 龍之介は、そのことを強く意識していた。


     ◇


 三河の陣では、松井右馬允が捕らえられたという報告が届いていた。


 百二十人の兵は退いた。


 橋は焼けなかった。


 しかも、織田方の山本龍之介は五十人を率い、五組に分けて戦ったという。


 報告を受けた武者は、しばらく黙っていた。


「倉田伊兵衛に続き、松井右馬允まで捕らえられたか」


 傍らの男が頭を下げる。


「はい。いずれも山本龍之介という武者に敗れております」


「その男、ただの豪傑ではないようだな」


 武者は、苦々しく笑った。


「一人で槍を振るうだけなら、いずれ囲んで討てばよい。だが、五十人を使って百二十人を退けるとなれば、話は違う」


 男は、机の上の地図を見た。


 鳴海。


 那古野。


 末森。


 それぞれを結ぶ道が描かれている。


「鳴海を孤立させるつもりが、かえって那古野との繋がりを強めてしまったか」


 武者は、ゆっくり息を吐いた。


「今川方へ報告せよ。鳴海の山口左馬助は、織田との繋がりを断たぬ。那古野の三郎も兵を出す。山本龍之介は五十人を率いて、百二十人を退けたとな」


 控えの男が頭を下げた。


「承知しました」


「それと、ひとつ付け加えておけ」


 武者は、地図の鳴海を指した。


「次に鳴海を動かすなら、小勢で道を脅すだけでは足りぬ。織田家そのものと戦うつもりで備えねばならぬ、と」


 その言葉に、控えの男の顔が引き締まった。


 武者は、静かに続けた。


「山本龍之介。覚えておくべき名だな」


 文は、その日のうちに今川方へ送られた。


 鳴海と那古野を結ぶ橋は守られた。


 五十人の兵は、それぞれの役を果たした。


 そして、龍之介の名は、尾張の外へも確かに届き始めていた。



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