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【連載版】呂布の武と郭嘉の知を授かった俺、信長の乱世で成り上がる  作者: あちゅ和尚


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第91話 刈り入れの戦

「鳴海のお殿様。村を今川へ渡していただけませぬか」


 その言葉を聞いた山口左馬助教継は、怒らなかった。


 目の前で頭を下げているのは、鳴海城の東にある村の庄屋だった。


 六十近い男で、長年この土地の田畑を預かってきたという。日に焼けた顔には深い皺が刻まれ、土仕事で曲がった指が膝の上で震えていた。


 つい先日、五十人ほどの武装集団が村へ押し寄せた。


 村の家々は焼かれず、米も奪われなかったが、山口九郎二郎教吉を捕らえようとする騎馬武者まで現れた。


 山本龍之介が駆けつけ、教吉を守ったことで敵は退いた。


 だが、村人の恐怖まで消えたわけではなかった。


「左馬助様を恨んでいるわけではございません。九郎二郎様も、那古野の山本様も、命懸けで我らを助けてくださいました。それは皆、承知しております」


 庄屋は、顔を上げた。


「ですが、敵はまた来るかもしれませぬ。田へ出ている時に兵が現れれば、女も年寄りも逃げられません。このままでは、稲を刈ることもできぬのです」


 教継は、広間の向こうに広がる田畑を見た。


 収穫の時期を迎えた稲が、風に揺れている。


 刈り入れを終えた田もあれば、まだ鎌を入れていない田もあった。


 例年なら、村中が働きに出ている頃である。


 ところが、今朝は人影が少ない。


 誰もが、東の道を気にしていた。


「村の者は、どれほど残っておる」


 教継が尋ねると、庄屋は肩を落とした。


「半分ほどでございます。子を連れた者は親類を頼り、鳴海の城下へ移りました。残った者も、今川方へ移るべきではないかと話しております」


「わしが鳴海を今川へ渡せば、村が襲われなくなると思うか」


 教継の声は静かだった。


 庄屋はしばらく黙り、それから答えた。


「分かりませぬ。ただ、このままでは田が駄目になります」


 教継は、その言葉に返すことができなかった。


 城を守るための兵はいる。


 だが、鳴海の周囲にある村々へ、常に兵を置けるほどの余裕はない。


 一つの村を守れば、別の村が薄くなる。


 敵が五十人ずつ分かれて来れば、城兵をいくら動かしても追いつかないだろう。


 その時、広間の外から家臣が現れた。


「左馬助様。山本龍之介殿が、那古野の兵を連れて参りました」


 教継は顔を上げた。


「すぐに通せ。今の話も、あの男に聞かせたい」


     ◇


 龍之介は庄屋の話を聞き終えると、まず東の村へ赴くことを願い出た。


 山口家の兵を増やしてほしいとは言わなかった。


 今川の兵を討ちに行くとも言わなかった。


「左馬助殿。村の田を見せていただきたいのです。どこまで刈り入れが進み、何が残っているかを確かめたいと存じます」


 教継は少し意外そうな顔をした。


「敵が再び現れる恐れがあります。村へ兵を置くのであれば、まず守りやすい場所を決めるべきではございませんか」


「その通りです。ただ、兵を置く場所を決めるためにも、村人がどこで働く必要があるかを知りたいのです」


 龍之介は続けた。


「刈り入れを終えた田へ兵を置いても、まだ稲の残る田で働く者を守れません。反対に、すべての田を一度に守ろうとすれば、二十人では足りませぬ」


 教継は、ゆっくり頷いた。


「まず働く場所を見てから、守る場所を決めるわけですな」


「はい。城を守る時とは、少し考え方を変える必要がございます」


 龍之介は庄屋へ向いた。


「田の刈り入れは、いつまでに終えねばなりませんか」


 庄屋は、しばらく考えて答えた。


「天気が続けば、あと数日でございます。ただし、まだ実りきっておらぬ田もあり、全部を一度に刈るわけにはまいりませぬ」


「では、今すぐ刈れる田から順に教えてください。田仕事のことは、庄屋殿の方が私より詳しい」


 庄屋は顔を上げた。


 龍之介は、少し笑った。


「私は槍を扱えますが、稲を刈る時期までは見分けられません。そこは村の方々に教えていただきたいのです」


 庄屋の口元が、わずかに緩んだ。


「承知いたしました」


 教継は、そのやり取りを見ていた。


 武将が村を守ると言えば、まず兵を並べることを考える。


 だが、龍之介は田を見に行こうとしている。


 何を守るのか。


 それを村人自身に決めさせようとしている。


「九郎二郎にも兵をつけさせましょう。山本殿だけに村を預けるわけにはまいりません」


「ありがたく存じます」


 龍之介は頭を下げた。


 教継は庄屋へ向き直った。


「村を今川へ渡すという話は、今日のところは待ってもらいたい。お前たちが田へ出られるよう、まず手を打つ」


 庄屋は深く頭を下げた。


「お願いいたします」


     ◇


 村へ到着すると、龍之介は刈り入れの遅れている田を見て回った。


 源太と孫七も同行している。


 兵は二十人。


 ただし、留吉はまだ腕の傷が治りきっていないため、那古野に残していた。


 実際に動かせる十九人を、源太と孫七の二組へ分けている。


 教吉からも六人の兵が出された。


 合わせて二十五人。


 これだけで村の周囲すべてを守るのは難しい。


 だが、龍之介は田の配置を見て、使える地形があることに気づいた。


 村の東には浅い川が流れている。


 その西側には低い土手が続き、田へ入る道は数箇所に限られていた。


 北の道は荷車が通れるほど広いが、南の道は畦が狭く、馬を並べて走らせることができない。


 敵が五十人いても、一度に五十人が田へ押し寄せられるわけではない。


 龍之介は庄屋へ向き直った。


「東の川に近い田から刈る予定はありますか」


「ございます。ただ、今は皆が怖がって近づきませぬ」


「そこを先に刈りましょう。村の者には一箇所へ集まって働いてもらいます。その間、兵は東の土手と南の畦を押さえます」


 庄屋が不安そうに顔を上げた。


「敵が別の田へ回れば、そちらは守れませぬが」


「ええ。だから、今日は刈る場所を一つに絞ります。兵のいない田へ、村人を散らしたくありません」


 龍之介は田を見渡した。


「一箇所が終われば、次へ移ります。全部を同時に守れなくても、働く場所を変えながらなら守れるはずです」


 庄屋はしばらく考え、それから深く頷いた。


「それならば、村の者にも話せます」


 龍之介は源太へ向き直った。


「お前の九人は東の土手へ。敵が川を越えてきても、田へ入る前に止められる位置を探せ。ただし、川の向こうへ追いかけるな」


「承知しました」


「孫七の十人は南側を見てくれ。留吉がいない分、合図を伝える者を一人決めておくように」


 孫七は頷いた。


「彦右衛門殿から教わった笛の合図を使います。林が邪魔になる場所では、人を一人ずつ置いて声も繋ぎます」


「よい。無理に遠くへ射ようとするな。敵が田へ入る前に知らせることを優先しよう」


 教吉は、自分の六人を見渡した。


「私は北の道を守ります。敵が荷車の通れる場所を狙うなら、そこへ来るでしょう」


 龍之介は頷いた。


「お願いいたします。村人の退く道も、九郎二郎殿の側で確保していただければ助かります」


 教吉は、力強く頷いた。


 村では、久しぶりに大勢の者が鎌を持って田へ出始めた。


 女たちは刈った稲を束ね、男たちはそれを運ぶ。


 子どもも、できる範囲で手伝っていた。


 龍之介は、その光景を見て少し安堵した。


 兵が村を守る。


 そのために村人の働きを止めてしまっては、意味がない。


 今日の目的は、敵を倒すことではなかった。


 稲を刈ることだった。


     ◇


 昼を過ぎた頃、東の土手にいた源太から知らせが来た。


「龍之介様。川の向こうに騎馬が三騎。さらに歩兵が十人ほどおります」


 龍之介はすぐに土手へ向かった。


 敵は川の東岸に集まっていた。


 先日、教吉を捕らえようとした者たちと同じような身なりである。


 旗印はない。


 ただし、こちらを見ている。


 龍之介は兵へ声を掛けた。


「槍を構えたまま待て。相手が川を越えなければ、こちらから戦いを始める必要はない」


 源太が頷いた。


 敵の騎馬のうち一騎が、川岸まで近づいてきた。


 馬上の男は、田で働く村人たちを見て、顔をしかめた。


「まだ刈っておるのか」


 隣の男が何か答えた。


 こちらまでは聞こえない。


 しかし、三騎とも龍之介たちの兵よりも、田にいる村人の数を気にしているようだった。


 龍之介は目を細めた。


 敵は村へ五十人を寄せ、村人を脅した。


 その結果、村の半分ほどが逃げた。


 もし残る村人まで田へ出なくなれば、稲は刈られずに残る。


 収穫が減れば、城へ入る米も減る。


 鳴海城を攻めずとも、鳴海の力を削ることができる。


 先日の襲撃で敵が最初からそこまで考えていたかは分からない。


 だが、村人が逃げ続ければ、結果としてそうなる。


 龍之介は、今になってその危険をはっきり理解した。


 城を守っても、田を失えばいずれ兵糧が尽きる。


 敵は、そのことを知っているのかもしれなかった。


 馬上の男が、大声を張った。


「村の者を働かせるとは、鳴海も随分と無理をさせるものだな! また兵が来れば、今度こそ逃げ遅れるぞ!」


 源太が顔を険しくする。


 龍之介は片手を上げて制した。


 相手の言葉は村人にも聞こえている。


 田にいた者たちが、鎌を握ったまま顔を上げた。


 龍之介は土手の上へ進んだ。


「村の者は、自分の田を刈っている。こちらが無理に働かせたわけではない」


 馬上の男が笑った。


「それなら、次に我らが来ても守りきれるというのか。二十人そこらで村の田を全部守れるとは思えんがな」


 龍之介は相手を見た。


「全部を守れるとは言わん。だが、今日ここで働く者は守るつもりだ。そちらが川を越えるなら、槍で相手をする」


 男は、しばらく黙った。


 その目が源太の兵へ向く。


 九人の足軽が、土手に槍を揃えている。


 少し離れた南側には孫七の兵もいる。


 その位置まで見えているかどうかは分からない。


 ただ、敵は川を渡ろうとしなかった。


 龍之介は、その様子を見ていた。


 こちらの兵は多くない。


 だが、守る場所が決まっている。


 土手を越えなければ、敵は田へ入れない。


 正面から九人の槍を受ければ、たとえ十三人ほどいても簡単には抜けられない。


 その間に、孫七の弓も届く。


 敵は人数だけで勝負を決めるわけにはいかなかった。


 馬上の男は、やがて手綱を引いた。


「今日は見逃してやる!」


 そう叫び、東へ下がり始める。


 龍之介は追わなかった。


 源太が隣で息を吐いた。


「戦わずに済みましたな」


「ああ。だが、また来るかもしれない。日が暮れるまでは気を抜くな」


「承知しました」


 龍之介は田へ目を向けた。


 村人たちは、少しずつ鎌を動かし始めていた。


 先ほどよりも、手の動きが速くなっている。


 敵が近くまで来た。


 それでも兵が土手で止めた。


 その光景を見たことで、村人たちは自分の田へ戻れたのだろう。


     ◇


 日が傾く頃には、東の田の刈り入れがかなり進んでいた。


 刈り取られた稲束が、道の脇へ積まれている。


 庄屋は、汗を拭いながら龍之介のもとへ来た。


「山本様。今日は、皆がよく働いてくれました。明日もこの調子で進められれば、刈れる田はほとんど終わるでしょう」


 龍之介は頷いた。


「それなら何よりです。まだ実りきっていない田については、無理に刈らないでください。兵の都合で収穫を損なっては、守ったことになりません」


 庄屋は深く頭を下げた。


「ありがたいお言葉にございます」


 龍之介は、少し照れくさくなった。


 自分が言ったことは、当たり前のことだった。


 だが、戦の時代では、その当たり前さえ守るのが難しい。


 敵が来れば、村人は逃げる。


 兵が来れば、田を踏み荒らされる。


 城の都合で兵を引けば、村は置き去りになる。


 そういうことが、各地で起きている。


 龍之介は、庄屋へ言った。


「明日も兵を出します。ただし、ずっとここへ置いておけるわけではありません。村の方々にも、危ない時にどこへ集まるかを決めていただきたい」


「承知しました」


「逃げる道は村の者が一番よく知っているはずです。兵が助けに来るまでの間、自分たちで身を守れるようにしておきましょう」


 庄屋は頷いた。


「村の者と相談いたします」


 龍之介は、その言葉を聞いて少し安心した。


 村を守るために、村の働きをすべて武士が決めてしまってはならない。


 兵は兵の役を果たす。


 村人は村人の暮らしを続ける。


 その両方が揃って、初めて土地は守られる。


     ◇


 鳴海城へ戻ると、山口教継が龍之介を迎えた。


 教吉から知らせを受けていたらしく、広間にはすでに村の庄屋も呼ばれていた。


「山本殿。今日は、東の田の刈り入れを守っていただいたそうですな」


「はい。敵の物見が現れましたが、川を越えずに退きました。こちらも兵を動かしすぎずに済みました」


 教継は頷いた。


「九郎二郎も、北の道を守ったと申しております」


「教吉殿の兵が逃げ道を押さえてくださったので、村人も安心して働けました」


 教継は息子を見た。


 教吉は少しだけ笑った。


「父上。私は村を守るために兵を出しましたが、今日一番働いたのは村人たちでした。兵が守っている間、皆が稲を刈っておりました」


 教継は、深く頷いた。


「それでよい」


 そして庄屋へ向き直った。


「村を今川へ渡してほしいという話は、まだ変わらぬか」


 庄屋は、しばらく黙っていた。


 やがて、深く頭を下げる。


「左馬助様。今朝は、あのようなことを申し上げてしまい、申し訳ございませぬ」


「謝る必要はない。村を守りたいと思うのは、お前たちも同じだ」


 庄屋は顔を上げた。


「ですが、今日、山本様たちが兵を置いてくださいました。敵が現れても、田へ入らせずに守っていただきました」


 声が、少し震えていた。


「村の者も、また明日から働けると申しております」


 教継は静かに頷いた。


「ならば、明日も働けるようにしよう。城の兵だけでは足りぬが、那古野と力を合わせれば、守れる場所も増える」


 庄屋は、何度も頭を下げた。


 龍之介は、その姿を見ていた。


 今朝、村を今川へ渡してほしいと願い出た男が、夕暮れには自分の村へ戻ろうとしている。


 まだ恐怖が消えたわけではない。


 だが、戻れる場所ができた。


 そのことが大きかった。


     ◇


 その夜、那古野へ届いた報告を読んだ信長は、しばらく黙っていた。


 龍之介の兵十九人。


 鳴海からの兵六人。


 合わせて二十五人で、村の刈り入れを守った。


 敵の物見は現れたが、戦にはならなかった。


 村人は田へ戻り、収穫を進めた。


 信長は、報告を読み終えると小さく笑った。


「龍之介め。今度は稲刈りの番をしておるのか」


 傍らの平手も微笑んだ。


「兵を預けた甲斐がございましたな」


「まったくだ。わしは槍の腕を買って兵を預けたつもりだったが、田の守りまで考えるとはな」


 信長は文を畳んだ。


「だが、これも戦だろう」


「はい」


 平手は頷いた。


「兵が腹を満たすには、米が要ります。米を作る者が田へ出られねば、いずれ城の守りも弱くなりましょう」


 信長は、庭の向こうを見た。


「今川が本当に鳴海を狙うなら、城だけを攻めればよいわけではない。周りの村を怯えさせれば、左馬助の方から苦しくなる」


「その通りにございます」


「なら、龍之介の働きは大きいな」


 信長は少し考えた。


「父上へ知らせよう。鳴海東方の村にて、龍之介の兵と山口家の兵が協力し、刈り入れを守った。敵を退け、村人が田へ戻ったとな」


「承知しました」


 平手は筆を取った。


 信長は続ける。


「それから左馬助へも返してくれ。那古野から出せる兵は多くないが、村を守るためなら今後も力を貸す、と」


 平手は頷いた。


 信長は、少しだけ笑った。


「わしの家臣が、左馬助の村を守っておる。悪くない話だ」


     ◇


 一方、三河の境に近い陣では、物見の男が報告をしていた。


 鳴海東方の村で、刈り入れが再開されたこと。


 山本龍之介の兵が守りについたこと。


 山口九郎二郎も兵を出し、村人の逃げ道を確保していたこと。


 そして、こちらが十三人ほどを見せても、敵は川を越えず、田を守り続けたこと。


 報告を受けた男は、しばらく黙っていた。


「山口は、村を捨てぬか」


「はい。少なくとも、今日のところは」


「那古野からは、また山本龍之介か」


「そのようでございます」


 男は苦々しく笑った。


「厄介なことだ。村を脅せば兵が出る。城主の息子を狙えば、その兵が守る。今度は田の刈り入れまで守り始めた」


 控えの武者が言った。


「このままでは、鳴海の村人たちも山口家を頼り続けるでしょう」


「そうだろうな」


 男は、ゆっくり立ち上がった。


「ならば、次は別の手を使うしかあるまい」


「どのようにいたしますか」


「こちらの兵を見せても動かぬなら、もっと大きな兵を見せる」


 控えの武者の顔が引き締まった。


「今川の旗を、でございますか」


 男は、すぐには答えなかった。


 やがて、低い声で言った。


「正式な軍勢を出すかどうかは、上の判断だ。俺たちが勝手に決めることではない」


 そして、文机へ向かった。


「鳴海の山口は、織田から離れぬ。那古野の三郎も兵を出す。山本龍之介なる武者は、少人数でもよく動く。そう書いて送れ」


 控えの武者は頭を下げた。


 男は筆を取り、静かに続けた。


「次に兵を動かすなら、遊び半分の物見では済まぬとな」


 その夜、三河の陣から一通の文が送り出された。


 行き先は、今川方の軍勢を動かす権限を持つ者のもとだった。


 そこには、鳴海が思った以上に堅いことが記されていた。


 城だけではない。


 村も、田も、道も。


 そして、山口家と那古野を繋ぐ兵まで。


 その中心に、山本龍之介という若い武者がいることも。



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