第87話 見張りのいない道
捕らえた男が口を開いたのは、龍之介が持ち帰った竹片を見せた時だった。
「その印が残っているなら、まだ来るぞ」
男は、左肩を布で吊っていた。
笠寺筋の沢で捕らえた二人のうち、年嵩の方である。名を六郎といい、三河の国境近くで足軽奉公をしていたことがあるという。
昨日は何を聞いても口を閉ざしていたが、竹片を見るなり顔色を変えた。
龍之介は男の前へ腰を下ろした。
「昨日、俺たちが退けた連中のほかにも、道を調べている者がいるんだな」
「いる。だが、俺はそいつらの名まで知らん」
「人数と、どこから来るかを聞かせてくれ。知らないことを無理に答える必要はない」
六郎は少し迷った。
那古野の小屋には、龍之介のほかに平手と彦右衛門がいる。戸口には見張りが立ち、捕虜が逃げられるような場所ではなかった。
それでも、龍之介は刀を抜いていない。
昨日、肩に傷を負った男を手当てさせ、食事も与えている。
そのことが、六郎の警戒を少し和らげていた。
「俺たちは先に入って、道を見ただけだ。後から来る者がいる。十人やそこらではない」
「二十人ほどか」
「詳しい数は聞いておらん。ただ、先に来た者が戻らねば、別の者が沢を確かめに来る手筈だった」
龍之介は竹片を見た。
昨日、敵の持ち物から見つかったものである。
沢の深さ。
坂の具合。
馬が通れる幅。
荷車が一台ずつしか抜けられない場所。
そして最後に刻まれた、北へ抜ける道、見張り少なし、という文字。
六郎はその一行を見つめていた。
「見張りが少ないと書いたのは、誰だ」
「昨日お前が倒した男だ」
沢の向こうで長槍を構え、龍之介と戦った武者のことだろう。
男は龍之介の槍を受け、最後には倒れた。
「お前たちは、この道を使って那古野まで攻め込むつもりだったのか」
「俺たちだけで城を攻めるつもりはない」
六郎は首を横に振った。
「道を調べろと命じられただけだ。どこを通れば兵が抜けられるか、荷車が通れるか、織田方の見張りがどれほどいるか。それを確かめて戻るはずだった」
「誰の命令だ」
六郎は口を閉じた。
龍之介は、しばらく待った。
「今川方の者かどうかを確かめたい。お前自身が直接命じられたのでなければ、そのことも含めて話してくれ」
六郎は長く息を吐いた。
「三河の者から仕事を受けた。今川に従っている家の者だとは聞いたが、その家の名までは知らん。俺たちは銭で雇われたんだ」
龍之介は頷いた。
今川方に繋がる可能性は高くなった。
だが、まだ断定はできない。
三河の国衆が勝手に人を雇い、尾張の道を調べさせた可能性もある。
龍之介は六郎へ最後の問いを向けた。
「昨日の仲間が戻らなければ、後から来る者はどう動く」
「沢へ向かう。あそこに目印があるからだ」
「目印というのは、道端の木に刻んだ傷か」
六郎は驚いた顔をした。
「……見つけたのか」
「まだ確かめていない。ただ、竹片の記録があまりにも詳しい。文字を読めない者でも道を追えるよう、別の印があると考えた」
六郎は、力が抜けたように肩を落とした。
「沢の上流に枯れた松がある。その根元の石を見れば分かる」
龍之介は立ち上がった。
「彦右衛門、すぐ信長様へ知らせてくれ」
「承知」
彦右衛門が戸口へ向かう。
龍之介は六郎を振り返った。
「話してくれたことは残す。ただし、昨日の襲撃については、改めて調べを受けてもらう」
「分かっている」
六郎は俯いた。
「俺も、あんな化け物みたいな武者がいると知っていたら、尾張まで来なかった」
龍之介は苦笑した。
昨日の戦で、相手には相当な恐怖を与えたらしい。
だが、敵が自分一人を恐れても意味はない。
これから守らなければならないのは、那古野へ続く道そのものだった。
◇
那古野の庭で報告を聞いた信長は、すぐに兵を動かすことを許した。
ただし、大軍ではない。
「龍之介。お前の十人で見てこい。留吉はまだ傷が治っておらぬから、実際に動けるのは九人だな」
「はい。源太の組が五人、孫七の組が四人でございます」
「彦右衛門をつける。必要なら又左にも出てもらうが、まずはお前が判断しろ」
龍之介は頭を下げた。
「承知しました」
信長は竹片を手に取った。
「相手は、見張りの少ない道を探している。ならば、見張りを増やせば別の道へ逃げるだろう」
「はい。ですから、敵に道を選ばせようと考えております」
信長の目が動いた。
「聞こう」
龍之介は庭の土へ枝で線を引いた。
笠寺へ向かう道。
昨日戦った沢。
沢の上流にあるという枯れ松。
その先には低い丘があり、反対側は田畑へ下っている。
「六郎の話が正しければ、敵は枯れ松の目印を確かめに来ます。昨日の仲間が戻らない以上、何かあったと考えるでしょう」
「そこで待ち受けるか」
「いえ。沢の正面で待てば、こちらの姿を見た時点で退かれます」
龍之介は枝を少し動かした。
「沢から北へ抜ける道が安全だと思わせたまま、実際にはこちらの都合のよい場所へ誘い込みます」
信長が笑った。
「敵が道を調べたなら、その道を使ってやるわけだな」
「はい。ただし、村へ近づけるつもりはありません。人家のない古い田の跡へ向かわせれば、こちらも動きやすくなります」
新五が、少し心配そうに口を開いた。
「敵が十人を超えていれば、こちらの九人では受けきれぬ恐れがございます」
「その時は戦いません」
龍之介は即答した。
「人数が多いと分かれば、印の位置と敵の動きを確かめて引きます。那古野の兵だけで今川方へ戦を仕掛けるつもりはありません」
信長は深く頷いた。
「よし。その判断なら任せられる」
龍之介は、さらに続けた。
「山口左馬助殿にも知らせていただければ助かります。鳴海側で別の動きがあれば、こちらだけでは分かりません」
「すでに使いを出してある」
信長は笑った。
「鳴海の近くで勝手に兵を動かされては、左馬助も困るだろうからな」
龍之介は頭を下げた。
信長は地面の線を見つめ、少し考えた。
「龍之介。敵の目印を使うのはよいが、一つだけ忘れるな」
「何でございましょう」
「相手にも頭がある。昨日の仲間が戻らぬのに、何も疑わず印を信じるとは限らん」
龍之介は、思わず笑った。
「私も同じことを考えておりました」
「ならばよい」
信長は満足そうに頷いた。
「行ってこい。道を守れ。敵を討ち取ることは、その後で考えろ」
◇
枯れ松は、六郎の言った場所にあった。
沢の上流、少し開けた斜面の端である。
太い幹は半ば枯れ、根元には人の頭ほどの石が三つ並んでいた。
龍之介は石を確かめた。
真ん中の石の裏側に、刃物で削った新しい傷がある。
よく見なければ気づかない。
しかし、探す場所を知っていれば、すぐ見つかる。
「こちらで間違いなさそうですな」
彦右衛門が言った。
龍之介は頷いた。
「六郎は本当のことを話したようだ」
辺りに人家はない。
沢を少し下れば、畑へ向かう道がある。
上流側には昔使われていた牛の通り道が残っていた。
今はほとんど使われていないが、草を払えば人が歩ける。
龍之介は、その道を確かめた。
幅は狭い。
大人数では通りにくい。
しかも途中で低い土手に挟まれ、細長い窪地へ出る。
その先は、使われなくなった田の跡だった。
戦うなら悪くない場所だ。
ただし、農夫の土地である以上、勝手に踏み荒らすわけにはいかない。
龍之介は近くの村の年寄りへ事情を伝え、荒れ地となっている場所を一時使わせてもらうことにした。
兵を置くのは、その土地だけにする。
村へ敵を追い込まない。
これが最初の決まりだった。
「源太、五人を連れて北側の土手へ。敵が窪地へ入っても、俺の合図までは動くな」
「承知しました」
「孫七は四人を連れて南側へ。弓が使える位置を確かめ、敵が引き返そうとした時に足を止める。射るのは武器を向けてきた者だけでよい」
孫七は頷いた。
「留吉がいない分、声が届きにくくなります。合図を決めていただければ助かります」
龍之介は、少し考えた。
「今回は彦右衛門に笛を預ける。短く一つなら姿を現せ。長く一つなら引け。二つ続けば敵が退いた合図だ」
彦右衛門が笛を受け取った。
「承知いたしました」
留吉の役が、ここで生きていた。
傷を負って休んでいても、彼が担っていた合図の役は消えない。
龍之介は、そのことを少し嬉しく思った。
十人の兵が、一つの組になり始めている。
だが、感傷に浸っている時間はなかった。
枯れ松から少し離れた場所へ、見張りを置く。
敵が来たら、まず人数を確かめる。
予想より多ければ撤収する。
戦うなら、相手が窪地へ入ってからだ。
龍之介は最後に目印の石を動かした。
傷のある面が、古い牛道の方角を向くように置き直す。
これで敵が必ず騙されるとは限らない。
だが、確認に来た者が印を探せば、牛道へ目を向けるはずだった。
◇
敵が現れたのは、日が傾き始めた頃だった。
最初に来たのは二人。
どちらも樵のような身なりをしているが、腰の刀は隠していなかった。
二人は枯れ松へ近づくと、根元の石を確かめた。
一人が周囲を見回し、もう一人が屈む。
しばらくして、二人は古い牛道へ歩き始めた。
龍之介は木の陰から、その動きを見ていた。
少し離れた場所には、さらに十人ほどの男がいる。
こちらは槍を持っていた。
数は十二人ほど。
九人の足軽と龍之介、彦右衛門で受けるには、決して楽な相手ではない。
だが、敵は一度に攻めてくるわけではなかった。
先頭の二人が道を確かめ、残る者たちは後ろで待っている。
龍之介は、まだ動かなかった。
先頭の男たちは、牛道を進んだところで立ち止まった。
片方が地面へしゃがみ込む。
何かを確かめている。
龍之介は、その目線から理由を察した。
足跡だ。
こちらが土手へ入った時の跡が残っている。
できるだけ消したつもりだったが、雨の後の柔らかな土は完全には隠せない。
男が顔を上げ、後ろへ手を振った。
引き返す合図だった。
龍之介は、そこで動いた。
敵は疑い始めた。
ならば、こちらが先に手を打つしかない。
「彦右衛門!」
笛が短く鳴った。
北側の土手から源太たちが姿を現す。
南側では孫七が弓を構えた。
敵の二人は驚き、刀へ手を伸ばした。
龍之介は木陰から飛び出し、牛道を一息に駆け抜けた。
「武器を捨てろ! こちらから命を取るつもりはない!」
男の一人が刀を抜いた。
龍之介は踏み込み、槍の柄でその手首を打った。
刀が地面へ落ちる。
もう一人は背を向けて逃げようとしたが、窪地の入口へ回り込んだ源太に道を塞がれた。
「そこまでだ!」
源太の槍が、男の胸元へ向けられる。
男は一瞬迷い、刀を捨てた。
だが、後方の十人はすぐには退かなかった。
そのうち三人が弓を構える。
「射るぞ!」
男の怒声が響いた。
龍之介は、敵の弓が向いた先を見た。
孫七のいる南側だ。
射手の位置を探られたのかもしれない。
「孫七、伏せろ!」
矢が飛ぶ。
一本は土手へ刺さり、もう一本は木の幹を叩いた。
三本目が源太の槍の柄をかすめる。
源太は怯まず、五人で槍を構えたまま踏み止まった。
龍之介は、その姿を見て決めた。
ここで長く射ち合えば、こちらが不利になる。
ならば、射手の動きを止める。
龍之介は土手を駆け上がった。
敵の弓兵がこちらへ向き直る。
一人が矢をつがえた。
だが、龍之介の方が速かった。
槍を横へ払い、弓を構えた男の腕を打つ。
骨の折れる鈍い音がした。
弓が地面へ落ちる。
続いて隣の男が短刀を抜いて飛びかかったが、龍之介は身体を半歩ずらし、その肩を槍の柄で叩き落とした。
男は膝から崩れた。
残る射手が後退する。
龍之介は追おうとして、足を止めた。
相手は十人近く残っている。
ここで一人で深追いすれば、味方の兵がついて来られない。
自分一人なら勝てるかもしれない。
しかし、それでは部隊を率いている意味がなかった。
「源太! 前へ出すぎるな! 孫七は土手を保て!」
龍之介は声を張った。
源太の五人が槍を揃える。
孫七の組も、斜面から弓を向けている。
敵の男たちは、一度押し返されただけで動きが鈍くなった。
先頭の二人は捕らえられた。
弓兵も二人が倒れ、残る者は足場の悪い道へ下がっている。
その時、敵の中から一人の男が声を上げた。
「これ以上は無理だ! 引け!」
他の者たちも、それに従った。
龍之介は、退いていく敵を見た。
追撃するつもりはなかった。
敵を撃退したことより、こちらの十人が役を守ったことの方が重要だったからだ。
彦右衛門の笛が、短く二つ鳴った。
敵が退いた合図である。
源太たちは、その場で槍を下ろした。
孫七も弓を収め、周囲の様子を確かめ始める。
龍之介は、ゆっくり息を吐いた。
敵は逃げた。
しかし、味方は誰も追わなかった。
昨日の戦で学んだことが、ここで生きていた。
◇
捕らえた二人を調べると、六郎の話はさらに確かなものになった。
二人は、昨日の仲間が戻らないため、沢の目印を確かめに来たという。
ただし、彼らも今川の正式な兵であるとは名乗らなかった。
銭を受け取り、道を調べるよう命じられた者たちだった。
龍之介は、二人の持ち物から小さな木札を見つけた。
そこには、竹片と同じような道の記録がある。
だが、もう一つ気になるものがあった。
鳴海の名だった。
龍之介は、その文字を指でなぞった。
「鳴海から兵を出すつもりなのか。それとも鳴海を避けて通る道を探しているのか」
捕らえた男は答えなかった。
龍之介も、それ以上は追及しなかった。
ここで無理に答えを求めても、確かなことは分からない。
ただ、敵が鳴海を意識していることは確かだった。
龍之介は彦右衛門へ言った。
「この木札も那古野へ持ち帰ろう。山口左馬助殿にも見せた方がよさそうだ」
「承知しました」
源太が、少し離れたところから近づいてきた。
「龍之介様。敵を追わずに済ませてよろしかったのでございますか」
龍之介は頷いた。
「敵が退いたなら、それでよい。俺たちの役は道を確かめることだ。十人で敵を追いかけ、森の奥で囲まれれば、それこそ相手の思う壺になる」
源太は、しばらく考えていた。
「昨日は、敵を倒すことばかり考えておりました」
「今日も槍を構えた時には前へ出かけただろう」
源太は、苦笑した。
「お見通しでございましたか」
「お前の足を見ていたからな」
龍之介は笑った。
「だが、踏み止まった。それで十分だ」
源太は深く頭を下げた。
孫七も近づいてきた。
「こちらも弓を射る前に、味方の位置を確かめられました。留吉がいなくとも、彦右衛門殿の笛がよく聞こえました」
「そうか」
「次は、留吉にも同じことを教えたいと思います」
龍之介は頷いた。
「頼む。お前たちの方が分かることもある。俺だけに聞く必要はない」
孫七は、少し驚いたような顔をした。
龍之介は笑った。
「十人で戦うなら、十人で考えろ。俺が全部決める必要はない」
孫七は、深く頭を下げた。
龍之介は、部下たちの顔を見た。
昨日までは、命令を受けて動くだけだった。
だが、今日は源太が踏み止まり、孫七が周囲を見て、彦右衛門の合図も確かに届いた。
兵を預かるということは、ただ人を並べることではない。
互いの働きを知り、それぞれが何をすべきか判断できるようにすることだ。
わずか十人の隊である。
それでも、最初の形は見え始めていた。
◇
那古野へ戻った龍之介は、信長の前で竹片と木札を並べた。
昨日の戦で見つかった竹片。
今日の見回りで見つかった木札。
どちらにも、道の記録がある。
沢の深さ。
馬の通り道。
荷車が通れる場所。
そして、鳴海の名。
信長は二つを見比べた。
「同じ筋の者だな」
「はい。昨日の者が戻らなかったため、後から確かめに来たようです」
「今川の兵か」
「まだ断定はできませぬ。ただ、三河の者から銭を受けていたという話は出ています。今川方へ繋がる可能性は高いと考えます」
信長は頷いた。
「ならば、山口左馬助に見せる」
新五が頭を下げた。
「すでに鳴海へ使いを出しております。左馬助殿からも、周辺の道を調べた結果を知らせるとの返しがございました」
信長は龍之介へ向いた。
「十人の働きはどうだった」
「昨日より、よく動きました。敵を追いすぎず、持ち場を守りました。留吉はまだ休ませておりますが、残る九人で役を果たせております」
信長は満足そうに笑った。
「ならば、次は二十人を預けてもよいな」
龍之介は思わず顔を上げた。
又左も、横で眉を動かした。
「若。龍之介に二十人でございますか」
「ああ」
信長は頷いた。
「今川方が道を探っているなら、那古野の兵も見回りを増やさねばならぬ。十人だけでは、道を守るにも限りがある」
平手が静かに口を開いた。
「若。二十人を預けるのであれば、扶持と武具、見回りの日取りも整えねばなりませぬ」
「分かっておる。そこは爺に任せる」
平手は苦笑した。
「また私の仕事が増えますな」
「頼りにしている」
信長は笑った。
龍之介は、改めて頭を下げた。
「二十人を預けていただけるなら、十人ずつに分けて使いたいと存じます。源太と孫七にも、それぞれの組を見させます」
「よい。だが、お前自身が全部の見回りへ出る必要はない。部下に任せるところは任せろ」
「承知しました」
信長は、龍之介を見た。
「お前は強い。それは分かっている。だが、わしが欲しいのは、お前一人で百人を倒す働きだけではない」
龍之介は、姿勢を正した。
「はい」
「二十人を率いて、二十人の働きを引き出すことだ。その先に五十人、百人がある」
信長の声は、静かだった。
だが、その言葉には確かな期待があった。
龍之介は胸の奥が熱くなるのを感じた。
呂布の武を持つ自分なら、敵を倒すことはできる。
郭嘉の知を使えば、戦場の形も読める。
だが、兵を率いることはそれだけではない。
信長は、その先を見ている。
「必ず、お役に立ててみせます」
龍之介が答えると、信長は満足そうに頷いた。
◇
その日の夕刻、鳴海から使いが到着した。
山口左馬助教継の名を受けた者だった。
使いは信長の前で膝をつき、深く頭を下げた。
「山口左馬助様より、急ぎお伝えしたきことがございます」
信長はすぐに顔を引き締めた。
「聞こう」
「鳴海の東でも、道を調べる者が出ております。先日、笠寺筋で山本龍之介殿が退けた者たちと、動きが似ているとのことにございます」
龍之介は使いを見た。
やはり、鳴海の東にも別の組がいた。
沢の目印を調べていた者たちは、単独で動いていたわけではない。
使いは続けた。
「左馬助様は、三郎様へ直接お話ししたきことがあると申されております」
信長が眉を動かした。
「左馬助が、わしにか」
「はい。鳴海と三河の境で、近頃少々気になる動きがあるとのことです」
信長は、しばらく考えた。
それから龍之介へ向いた。
「どう見る」
「直接お会いした方がよろしいかと存じます。鳴海の道は左馬助殿がよくご存じです。こちらで見つけた竹片と木札も、お見せするべきでしょう」
信長は頷いた。
「よし。左馬助に伝えろ。わしも話を聞きたい。那古野へ来てもらうか、必要ならこちらから鳴海へ赴く」
「承知いたしました」
使いが下がると、信長は龍之介へ目を向けた。
「龍之介。お前も同席しろ」
「はい」
「今度は、ただの見回りでは済まぬかもしれんな」
龍之介は頷いた。
昨日、沢で武装した者たちを退けた。
今日、その仲間と思われる者たちも押し返した。
そして今、鳴海の東でも同じような動きがあるという。
敵は一つの道だけを調べているのではない。
尾張の東へ兵を通す道を、いくつも探しているのかもしれない。
龍之介は、信長の横顔を見た。
若い顔に、わずかな笑みが浮かんでいる。
恐れではない。
戦を前にした、武将の顔だった。
龍之介もまた、胸の奥に熱いものが湧くのを感じた。
ここまで、商いの道を守ってきた。
だが、敵が兵を通すために道を探しているなら、今度は別の備えが要る。
信長は庭へ出ると、東の空を見た。
「鳴海か……」
龍之介は、その隣に立った。
山口左馬助教継。
鳴海を預かり、東の境を守る武将である。
その男が直接話をしたいと言っている。
今川方の動きは、思っていたより近くまで迫っているのかもしれない。
龍之介は拳を握った。
十人を率いて、二度の戦を越えた。
次は二十人を預けられる。
その二十人をどう動かすか。
誰に何を任せるか。
どの道を守り、どこで敵を止めるか。
考えるべきことは山ほどある。
それでも、今は迷いよりも期待の方が大きかった。
龍之介は、ようやく本当の意味で、信長の武将になり始めていた。




