↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】呂布の武と郭嘉の知を授かった俺、信長の乱世で成り上がる  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
87/102

第87話 見張りのいない道

 捕らえた男が口を開いたのは、龍之介が持ち帰った竹片を見せた時だった。


「その印が残っているなら、まだ来るぞ」


 男は、左肩を布で吊っていた。


 笠寺筋の沢で捕らえた二人のうち、年嵩の方である。名を六郎といい、三河の国境近くで足軽奉公をしていたことがあるという。


 昨日は何を聞いても口を閉ざしていたが、竹片を見るなり顔色を変えた。


 龍之介は男の前へ腰を下ろした。


「昨日、俺たちが退けた連中のほかにも、道を調べている者がいるんだな」


「いる。だが、俺はそいつらの名まで知らん」


「人数と、どこから来るかを聞かせてくれ。知らないことを無理に答える必要はない」


 六郎は少し迷った。


 那古野の小屋には、龍之介のほかに平手と彦右衛門がいる。戸口には見張りが立ち、捕虜が逃げられるような場所ではなかった。


 それでも、龍之介は刀を抜いていない。


 昨日、肩に傷を負った男を手当てさせ、食事も与えている。


 そのことが、六郎の警戒を少し和らげていた。


「俺たちは先に入って、道を見ただけだ。後から来る者がいる。十人やそこらではない」


「二十人ほどか」


「詳しい数は聞いておらん。ただ、先に来た者が戻らねば、別の者が沢を確かめに来る手筈だった」


 龍之介は竹片を見た。


 昨日、敵の持ち物から見つかったものである。


 沢の深さ。


 坂の具合。


 馬が通れる幅。


 荷車が一台ずつしか抜けられない場所。


 そして最後に刻まれた、北へ抜ける道、見張り少なし、という文字。


 六郎はその一行を見つめていた。


「見張りが少ないと書いたのは、誰だ」


「昨日お前が倒した男だ」


 沢の向こうで長槍を構え、龍之介と戦った武者のことだろう。


 男は龍之介の槍を受け、最後には倒れた。


「お前たちは、この道を使って那古野まで攻め込むつもりだったのか」


「俺たちだけで城を攻めるつもりはない」


 六郎は首を横に振った。


「道を調べろと命じられただけだ。どこを通れば兵が抜けられるか、荷車が通れるか、織田方の見張りがどれほどいるか。それを確かめて戻るはずだった」


「誰の命令だ」


 六郎は口を閉じた。


 龍之介は、しばらく待った。


「今川方の者かどうかを確かめたい。お前自身が直接命じられたのでなければ、そのことも含めて話してくれ」


 六郎は長く息を吐いた。


「三河の者から仕事を受けた。今川に従っている家の者だとは聞いたが、その家の名までは知らん。俺たちは銭で雇われたんだ」


 龍之介は頷いた。


 今川方に繋がる可能性は高くなった。


 だが、まだ断定はできない。


 三河の国衆が勝手に人を雇い、尾張の道を調べさせた可能性もある。


 龍之介は六郎へ最後の問いを向けた。


「昨日の仲間が戻らなければ、後から来る者はどう動く」


「沢へ向かう。あそこに目印があるからだ」


「目印というのは、道端の木に刻んだ傷か」


 六郎は驚いた顔をした。


「……見つけたのか」


「まだ確かめていない。ただ、竹片の記録があまりにも詳しい。文字を読めない者でも道を追えるよう、別の印があると考えた」


 六郎は、力が抜けたように肩を落とした。


「沢の上流に枯れた松がある。その根元の石を見れば分かる」


 龍之介は立ち上がった。


「彦右衛門、すぐ信長様へ知らせてくれ」


「承知」


 彦右衛門が戸口へ向かう。


 龍之介は六郎を振り返った。


「話してくれたことは残す。ただし、昨日の襲撃については、改めて調べを受けてもらう」


「分かっている」


 六郎は俯いた。


「俺も、あんな化け物みたいな武者がいると知っていたら、尾張まで来なかった」


 龍之介は苦笑した。


 昨日の戦で、相手には相当な恐怖を与えたらしい。


 だが、敵が自分一人を恐れても意味はない。


 これから守らなければならないのは、那古野へ続く道そのものだった。


     ◇


 那古野の庭で報告を聞いた信長は、すぐに兵を動かすことを許した。


 ただし、大軍ではない。


「龍之介。お前の十人で見てこい。留吉はまだ傷が治っておらぬから、実際に動けるのは九人だな」


「はい。源太の組が五人、孫七の組が四人でございます」


「彦右衛門をつける。必要なら又左にも出てもらうが、まずはお前が判断しろ」


 龍之介は頭を下げた。


「承知しました」


 信長は竹片を手に取った。


「相手は、見張りの少ない道を探している。ならば、見張りを増やせば別の道へ逃げるだろう」


「はい。ですから、敵に道を選ばせようと考えております」


 信長の目が動いた。


「聞こう」


 龍之介は庭の土へ枝で線を引いた。


 笠寺へ向かう道。


 昨日戦った沢。


 沢の上流にあるという枯れ松。


 その先には低い丘があり、反対側は田畑へ下っている。


「六郎の話が正しければ、敵は枯れ松の目印を確かめに来ます。昨日の仲間が戻らない以上、何かあったと考えるでしょう」


「そこで待ち受けるか」


「いえ。沢の正面で待てば、こちらの姿を見た時点で退かれます」


 龍之介は枝を少し動かした。


「沢から北へ抜ける道が安全だと思わせたまま、実際にはこちらの都合のよい場所へ誘い込みます」


 信長が笑った。


「敵が道を調べたなら、その道を使ってやるわけだな」


「はい。ただし、村へ近づけるつもりはありません。人家のない古い田の跡へ向かわせれば、こちらも動きやすくなります」


 新五が、少し心配そうに口を開いた。


「敵が十人を超えていれば、こちらの九人では受けきれぬ恐れがございます」


「その時は戦いません」


 龍之介は即答した。


「人数が多いと分かれば、印の位置と敵の動きを確かめて引きます。那古野の兵だけで今川方へ戦を仕掛けるつもりはありません」


 信長は深く頷いた。


「よし。その判断なら任せられる」


 龍之介は、さらに続けた。


「山口左馬助殿にも知らせていただければ助かります。鳴海側で別の動きがあれば、こちらだけでは分かりません」


「すでに使いを出してある」


 信長は笑った。


「鳴海の近くで勝手に兵を動かされては、左馬助も困るだろうからな」


 龍之介は頭を下げた。


 信長は地面の線を見つめ、少し考えた。


「龍之介。敵の目印を使うのはよいが、一つだけ忘れるな」


「何でございましょう」


「相手にも頭がある。昨日の仲間が戻らぬのに、何も疑わず印を信じるとは限らん」


 龍之介は、思わず笑った。


「私も同じことを考えておりました」


「ならばよい」


 信長は満足そうに頷いた。


「行ってこい。道を守れ。敵を討ち取ることは、その後で考えろ」


     ◇


 枯れ松は、六郎の言った場所にあった。


 沢の上流、少し開けた斜面の端である。


 太い幹は半ば枯れ、根元には人の頭ほどの石が三つ並んでいた。


 龍之介は石を確かめた。


 真ん中の石の裏側に、刃物で削った新しい傷がある。


 よく見なければ気づかない。


 しかし、探す場所を知っていれば、すぐ見つかる。


「こちらで間違いなさそうですな」


 彦右衛門が言った。


 龍之介は頷いた。


「六郎は本当のことを話したようだ」


 辺りに人家はない。


 沢を少し下れば、畑へ向かう道がある。


 上流側には昔使われていた牛の通り道が残っていた。


 今はほとんど使われていないが、草を払えば人が歩ける。


 龍之介は、その道を確かめた。


 幅は狭い。


 大人数では通りにくい。


 しかも途中で低い土手に挟まれ、細長い窪地へ出る。


 その先は、使われなくなった田の跡だった。


 戦うなら悪くない場所だ。


 ただし、農夫の土地である以上、勝手に踏み荒らすわけにはいかない。


 龍之介は近くの村の年寄りへ事情を伝え、荒れ地となっている場所を一時使わせてもらうことにした。


 兵を置くのは、その土地だけにする。


 村へ敵を追い込まない。


 これが最初の決まりだった。


「源太、五人を連れて北側の土手へ。敵が窪地へ入っても、俺の合図までは動くな」


「承知しました」


「孫七は四人を連れて南側へ。弓が使える位置を確かめ、敵が引き返そうとした時に足を止める。射るのは武器を向けてきた者だけでよい」


 孫七は頷いた。


「留吉がいない分、声が届きにくくなります。合図を決めていただければ助かります」


 龍之介は、少し考えた。


「今回は彦右衛門に笛を預ける。短く一つなら姿を現せ。長く一つなら引け。二つ続けば敵が退いた合図だ」


 彦右衛門が笛を受け取った。


「承知いたしました」


 留吉の役が、ここで生きていた。


 傷を負って休んでいても、彼が担っていた合図の役は消えない。


 龍之介は、そのことを少し嬉しく思った。


 十人の兵が、一つの組になり始めている。


 だが、感傷に浸っている時間はなかった。


 枯れ松から少し離れた場所へ、見張りを置く。


 敵が来たら、まず人数を確かめる。


 予想より多ければ撤収する。


 戦うなら、相手が窪地へ入ってからだ。


 龍之介は最後に目印の石を動かした。


 傷のある面が、古い牛道の方角を向くように置き直す。


 これで敵が必ず騙されるとは限らない。


 だが、確認に来た者が印を探せば、牛道へ目を向けるはずだった。


     ◇


 敵が現れたのは、日が傾き始めた頃だった。


 最初に来たのは二人。


 どちらも樵のような身なりをしているが、腰の刀は隠していなかった。


 二人は枯れ松へ近づくと、根元の石を確かめた。


 一人が周囲を見回し、もう一人が屈む。


 しばらくして、二人は古い牛道へ歩き始めた。


 龍之介は木の陰から、その動きを見ていた。


 少し離れた場所には、さらに十人ほどの男がいる。


 こちらは槍を持っていた。


 数は十二人ほど。


 九人の足軽と龍之介、彦右衛門で受けるには、決して楽な相手ではない。


 だが、敵は一度に攻めてくるわけではなかった。


 先頭の二人が道を確かめ、残る者たちは後ろで待っている。


 龍之介は、まだ動かなかった。


 先頭の男たちは、牛道を進んだところで立ち止まった。


 片方が地面へしゃがみ込む。


 何かを確かめている。


 龍之介は、その目線から理由を察した。


 足跡だ。


 こちらが土手へ入った時の跡が残っている。


 できるだけ消したつもりだったが、雨の後の柔らかな土は完全には隠せない。


 男が顔を上げ、後ろへ手を振った。


 引き返す合図だった。


 龍之介は、そこで動いた。


 敵は疑い始めた。


 ならば、こちらが先に手を打つしかない。


「彦右衛門!」


 笛が短く鳴った。


 北側の土手から源太たちが姿を現す。


 南側では孫七が弓を構えた。


 敵の二人は驚き、刀へ手を伸ばした。


 龍之介は木陰から飛び出し、牛道を一息に駆け抜けた。


「武器を捨てろ! こちらから命を取るつもりはない!」


 男の一人が刀を抜いた。


 龍之介は踏み込み、槍の柄でその手首を打った。


 刀が地面へ落ちる。


 もう一人は背を向けて逃げようとしたが、窪地の入口へ回り込んだ源太に道を塞がれた。


「そこまでだ!」


 源太の槍が、男の胸元へ向けられる。


 男は一瞬迷い、刀を捨てた。


 だが、後方の十人はすぐには退かなかった。


 そのうち三人が弓を構える。


「射るぞ!」


 男の怒声が響いた。


 龍之介は、敵の弓が向いた先を見た。


 孫七のいる南側だ。


 射手の位置を探られたのかもしれない。


「孫七、伏せろ!」


 矢が飛ぶ。


 一本は土手へ刺さり、もう一本は木の幹を叩いた。


 三本目が源太の槍の柄をかすめる。


 源太は怯まず、五人で槍を構えたまま踏み止まった。


 龍之介は、その姿を見て決めた。


 ここで長く射ち合えば、こちらが不利になる。


 ならば、射手の動きを止める。


 龍之介は土手を駆け上がった。


 敵の弓兵がこちらへ向き直る。


 一人が矢をつがえた。


 だが、龍之介の方が速かった。


 槍を横へ払い、弓を構えた男の腕を打つ。


 骨の折れる鈍い音がした。


 弓が地面へ落ちる。


 続いて隣の男が短刀を抜いて飛びかかったが、龍之介は身体を半歩ずらし、その肩を槍の柄で叩き落とした。


 男は膝から崩れた。


 残る射手が後退する。


 龍之介は追おうとして、足を止めた。


 相手は十人近く残っている。


 ここで一人で深追いすれば、味方の兵がついて来られない。


 自分一人なら勝てるかもしれない。


 しかし、それでは部隊を率いている意味がなかった。


「源太! 前へ出すぎるな! 孫七は土手を保て!」


 龍之介は声を張った。


 源太の五人が槍を揃える。


 孫七の組も、斜面から弓を向けている。


 敵の男たちは、一度押し返されただけで動きが鈍くなった。


 先頭の二人は捕らえられた。


 弓兵も二人が倒れ、残る者は足場の悪い道へ下がっている。


 その時、敵の中から一人の男が声を上げた。


「これ以上は無理だ! 引け!」


 他の者たちも、それに従った。


 龍之介は、退いていく敵を見た。


 追撃するつもりはなかった。


 敵を撃退したことより、こちらの十人が役を守ったことの方が重要だったからだ。


 彦右衛門の笛が、短く二つ鳴った。


 敵が退いた合図である。


 源太たちは、その場で槍を下ろした。


 孫七も弓を収め、周囲の様子を確かめ始める。


 龍之介は、ゆっくり息を吐いた。


 敵は逃げた。


 しかし、味方は誰も追わなかった。


 昨日の戦で学んだことが、ここで生きていた。


     ◇


 捕らえた二人を調べると、六郎の話はさらに確かなものになった。


 二人は、昨日の仲間が戻らないため、沢の目印を確かめに来たという。


 ただし、彼らも今川の正式な兵であるとは名乗らなかった。


 銭を受け取り、道を調べるよう命じられた者たちだった。


 龍之介は、二人の持ち物から小さな木札を見つけた。


 そこには、竹片と同じような道の記録がある。


 だが、もう一つ気になるものがあった。


 鳴海の名だった。


 龍之介は、その文字を指でなぞった。


「鳴海から兵を出すつもりなのか。それとも鳴海を避けて通る道を探しているのか」


 捕らえた男は答えなかった。


 龍之介も、それ以上は追及しなかった。


 ここで無理に答えを求めても、確かなことは分からない。


 ただ、敵が鳴海を意識していることは確かだった。


 龍之介は彦右衛門へ言った。


「この木札も那古野へ持ち帰ろう。山口左馬助殿にも見せた方がよさそうだ」


「承知しました」


 源太が、少し離れたところから近づいてきた。


「龍之介様。敵を追わずに済ませてよろしかったのでございますか」


 龍之介は頷いた。


「敵が退いたなら、それでよい。俺たちの役は道を確かめることだ。十人で敵を追いかけ、森の奥で囲まれれば、それこそ相手の思う壺になる」


 源太は、しばらく考えていた。


「昨日は、敵を倒すことばかり考えておりました」


「今日も槍を構えた時には前へ出かけただろう」


 源太は、苦笑した。


「お見通しでございましたか」


「お前の足を見ていたからな」


 龍之介は笑った。


「だが、踏み止まった。それで十分だ」


 源太は深く頭を下げた。


 孫七も近づいてきた。


「こちらも弓を射る前に、味方の位置を確かめられました。留吉がいなくとも、彦右衛門殿の笛がよく聞こえました」


「そうか」


「次は、留吉にも同じことを教えたいと思います」


 龍之介は頷いた。


「頼む。お前たちの方が分かることもある。俺だけに聞く必要はない」


 孫七は、少し驚いたような顔をした。


 龍之介は笑った。


「十人で戦うなら、十人で考えろ。俺が全部決める必要はない」


 孫七は、深く頭を下げた。


 龍之介は、部下たちの顔を見た。


 昨日までは、命令を受けて動くだけだった。


 だが、今日は源太が踏み止まり、孫七が周囲を見て、彦右衛門の合図も確かに届いた。


 兵を預かるということは、ただ人を並べることではない。


 互いの働きを知り、それぞれが何をすべきか判断できるようにすることだ。


 わずか十人の隊である。


 それでも、最初の形は見え始めていた。


     ◇


 那古野へ戻った龍之介は、信長の前で竹片と木札を並べた。


 昨日の戦で見つかった竹片。


 今日の見回りで見つかった木札。


 どちらにも、道の記録がある。


 沢の深さ。


 馬の通り道。


 荷車が通れる場所。


 そして、鳴海の名。


 信長は二つを見比べた。


「同じ筋の者だな」


「はい。昨日の者が戻らなかったため、後から確かめに来たようです」


「今川の兵か」


「まだ断定はできませぬ。ただ、三河の者から銭を受けていたという話は出ています。今川方へ繋がる可能性は高いと考えます」


 信長は頷いた。


「ならば、山口左馬助に見せる」


 新五が頭を下げた。


「すでに鳴海へ使いを出しております。左馬助殿からも、周辺の道を調べた結果を知らせるとの返しがございました」


 信長は龍之介へ向いた。


「十人の働きはどうだった」


「昨日より、よく動きました。敵を追いすぎず、持ち場を守りました。留吉はまだ休ませておりますが、残る九人で役を果たせております」


 信長は満足そうに笑った。


「ならば、次は二十人を預けてもよいな」


 龍之介は思わず顔を上げた。


 又左も、横で眉を動かした。


「若。龍之介に二十人でございますか」


「ああ」


 信長は頷いた。


「今川方が道を探っているなら、那古野の兵も見回りを増やさねばならぬ。十人だけでは、道を守るにも限りがある」


 平手が静かに口を開いた。


「若。二十人を預けるのであれば、扶持と武具、見回りの日取りも整えねばなりませぬ」


「分かっておる。そこは爺に任せる」


 平手は苦笑した。


「また私の仕事が増えますな」


「頼りにしている」


 信長は笑った。


 龍之介は、改めて頭を下げた。


「二十人を預けていただけるなら、十人ずつに分けて使いたいと存じます。源太と孫七にも、それぞれの組を見させます」


「よい。だが、お前自身が全部の見回りへ出る必要はない。部下に任せるところは任せろ」


「承知しました」


 信長は、龍之介を見た。


「お前は強い。それは分かっている。だが、わしが欲しいのは、お前一人で百人を倒す働きだけではない」


 龍之介は、姿勢を正した。


「はい」


「二十人を率いて、二十人の働きを引き出すことだ。その先に五十人、百人がある」


 信長の声は、静かだった。


 だが、その言葉には確かな期待があった。


 龍之介は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 呂布の武を持つ自分なら、敵を倒すことはできる。


 郭嘉の知を使えば、戦場の形も読める。


 だが、兵を率いることはそれだけではない。


 信長は、その先を見ている。


「必ず、お役に立ててみせます」


 龍之介が答えると、信長は満足そうに頷いた。


     ◇


 その日の夕刻、鳴海から使いが到着した。


 山口左馬助教継の名を受けた者だった。


 使いは信長の前で膝をつき、深く頭を下げた。


「山口左馬助様より、急ぎお伝えしたきことがございます」


 信長はすぐに顔を引き締めた。


「聞こう」


「鳴海の東でも、道を調べる者が出ております。先日、笠寺筋で山本龍之介殿が退けた者たちと、動きが似ているとのことにございます」


 龍之介は使いを見た。


 やはり、鳴海の東にも別の組がいた。


 沢の目印を調べていた者たちは、単独で動いていたわけではない。


 使いは続けた。


「左馬助様は、三郎様へ直接お話ししたきことがあると申されております」


 信長が眉を動かした。


「左馬助が、わしにか」


「はい。鳴海と三河の境で、近頃少々気になる動きがあるとのことです」


 信長は、しばらく考えた。


 それから龍之介へ向いた。


「どう見る」


「直接お会いした方がよろしいかと存じます。鳴海の道は左馬助殿がよくご存じです。こちらで見つけた竹片と木札も、お見せするべきでしょう」


 信長は頷いた。


「よし。左馬助に伝えろ。わしも話を聞きたい。那古野へ来てもらうか、必要ならこちらから鳴海へ赴く」


「承知いたしました」


 使いが下がると、信長は龍之介へ目を向けた。


「龍之介。お前も同席しろ」


「はい」


「今度は、ただの見回りでは済まぬかもしれんな」


 龍之介は頷いた。


 昨日、沢で武装した者たちを退けた。


 今日、その仲間と思われる者たちも押し返した。


 そして今、鳴海の東でも同じような動きがあるという。


 敵は一つの道だけを調べているのではない。


 尾張の東へ兵を通す道を、いくつも探しているのかもしれない。


 龍之介は、信長の横顔を見た。


 若い顔に、わずかな笑みが浮かんでいる。


 恐れではない。


 戦を前にした、武将の顔だった。


 龍之介もまた、胸の奥に熱いものが湧くのを感じた。


 ここまで、商いの道を守ってきた。


 だが、敵が兵を通すために道を探しているなら、今度は別の備えが要る。


 信長は庭へ出ると、東の空を見た。


「鳴海か……」


 龍之介は、その隣に立った。


 山口左馬助教継。


 鳴海を預かり、東の境を守る武将である。


 その男が直接話をしたいと言っている。


 今川方の動きは、思っていたより近くまで迫っているのかもしれない。


 龍之介は拳を握った。


 十人を率いて、二度の戦を越えた。


 次は二十人を預けられる。


 その二十人をどう動かすか。


 誰に何を任せるか。


 どの道を守り、どこで敵を止めるか。


 考えるべきことは山ほどある。


 それでも、今は迷いよりも期待の方が大きかった。


 龍之介は、ようやく本当の意味で、信長の武将になり始めていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。