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【連載版】呂布の武と郭嘉の知を授かった俺、信長の乱世で成り上がる  作者: あちゅ和尚


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第71話 催促の文

 日限は、刃より鋭いことがある。


 斬られたわけでもないのに、人の判断を急がせる。


 半七たちの口を聞き直した翌朝、津島から正式な文が届いた。


 届けたのは、年若い男だった。


 名を与十郎という。


 津島の祭礼方で、荷と人の出入りを控える下役だという。まだ二十を少し越えたほどだが、身なりは崩れていない。白い小袖に薄い灰色の袴を合わせ、腰には細い帳面を下げていた。


 ただ、顔には疲れが濃かった。


 目の下に影があり、唇は乾いている。


 那古野の門前で水を出されても、すぐには飲まなかった。


「まず、若様へ文を」


 声は硬い。


 門番は、すぐ奥へ知らせた。


 信長は庭で平手と昨日の聞き取りを整理していた。半七、弥惣、源作。それぞれの言葉は残ったが、まだ線は完全には結ばれていない。


 そこへ、津島からの正式な文である。


 平手は文の封を見て、わずかに眉を寄せた。


「津島祭礼方の封でございます」


 信長は受け取った。


 開く。


 文面は丁寧だった。


 だが、丁寧な分だけ、刃が隠れている。


 祭礼支度に関わる米、縄、紙、人手の通りが、那古野近辺の問い改めにより滞りがちであること。


 祭礼の日限が近づいていること。


 今後、津島祭礼方の名を持つ荷と人については、過度な問いを控え、速やかに通されたいこと。


 もし遅れが続くなら、那古野筋により祭礼支度が妨げられたものとして、津島側で記録すること。


 信長は最後まで読み、文を畳まなかった。


 畳めば、その場の空気まで閉じてしまうように感じたのだろう。


「与十郎」


「はい」


「この文は、誰が書いた」


「祭礼方の筆役、喜左殿でございます」


「誰が言わせた」


 与十郎の顔が、わずかに強張る。


「祭礼方で話し合い、決まったものと聞いております」


「お前は、その場にいたか」


「……帳面を持って控えておりました。全ての話に口を出す立場ではございません」


 信長は頷いた。


「なら、お前が見たことを聞く。祭礼支度は、本当に遅れているのか」


 与十郎は、すぐに答えた。


「遅れております」


 庭の空気が重くなる。


 又左が眉を動かしたが、口は挟まない。


 信長は問う。


「何が」


 与十郎は、そこで詰まった。


「何が、と申しますと」


「米か。縄か。紙か。人か。油か。どれだ」


 与十郎は帳面に手を置いた。


「油は届きました。榊屋弥左衛門殿の寄進油四壺は、社へ納まっております」


「よい。米は」


「米は、祭礼方として頼んだものではないと、榎本屋より聞いております」


「縄は」


「荷縄としてなら使えるものが、那古野で預かりになったと」


「注連縄として頼まれたものか」


「そこは……まだ確かめ中です」


「紙は」


「包み紙と灯明覆いとして使うと、紙屋喜兵衛から返しがありました。御幣紙としては、こちらの祭礼方で改めて手配することになっております」


「人は」


 与十郎は、一度息を吸った。


「飯炊きのおます、紙切りのおとよ、縄張り手伝いのさきは、着いております。清太ら飾り台の職人も、榎本屋で名を改め、仕事に入りました」


 信長は、静かに文を指で押さえた。


「では、何が遅れている」


 与十郎は口を閉じた。


 庭にいる者たちは、誰も声を出さなかった。


 龍之介は、与十郎の額に汗が浮くのを見た。


 彼は嘘つきではない。


 だが、文と現場がずれている。


 祭礼方の下役として、遅れていると聞かされて来た。


 しかし、一つずつ数えれば、届いたものも多い。


 遅れているものは、まだ名になっていない。


 信長は、与十郎を責めなかった。


「水を飲め」


 与十郎は驚いた顔をする。


「しかし」


「喉が乾いたままでは、帳面を読めぬ」


 与十郎は、ようやく水を飲んだ。


 その手は少し震えていた。


 信長は、与十郎を庭先の座敷へ上げた。


 平手、新五、龍之介、藤吉郎、勝三郎が控える。又左は庭の端に座った。今度は外ではない。ただし、槍は持たせていない。


 信長は言った。


「与十郎。お前の帳面を見せろ」


 与十郎は、迷った。


「祭礼方の帳面にございます」


「取り上げぬ。お前が読め」


 与十郎は帳面を開いた。


 紙の端が擦れている。


 何度も開閉した帳面だった。


「油。榊屋弥左衛門、寄進油四壺。納まる」


「よい」


「米。清洲門前蔵田屋より祭礼支度米二俵とあるが、祭礼方より依頼の記録なし。未受け」


「それは遅れではないな」


 与十郎は、少しだけ声を弱めた。


「はい」


「縄」


「綱屋源兵衛より祭礼縄三束とあるが、張る場所不明。注連縄としては未受け。荷縄としてなら使えるとの返し」


「紙」


「紙屋喜兵衛より御幣紙百枚とあるが、御幣の使用場所不明。包み紙、灯明覆いとして受ける予定」


「人」


「飯炊き、おます。紙切り手伝い、おとよ。縄張り手伝い、さき。到着。清太ら三名、飾り台の骨組み。榎本屋にて名を改め、仕事中」


 信長は、そこで言った。


「与十郎。お前の帳面では、何が遅れている」


 与十郎は、帳面から目を上げられない。


「……御幣紙の手配が、まだでございます」


「それだけか」


「注連縄の一部も、別に見立てねばなりません」


「他には」


「祭礼方の者たちが、不安になっております」


 その言葉は、帳面には書かれていなかった。


 だが、いちばん本当のことだった。


 信長は頷いた。


「よい。ようやく聞けた」


 与十郎が顔を上げる。


「若様」


「物は、いくつか届いている。使い道の違うものもある。まだ足りぬものは、御幣紙と注連縄の一部。だが、祭礼方は全体が遅れているように感じている。そうだな」


 与十郎は唇を噛んだ。


「はい」


「では、文の書き方が違う」


 信長は、津島からの文を指で示した。


「この文は、那古野が全てを遅らせているように読める。だが、お前の帳面では違う。足りないものを足りないと言えばよい。那古野を責める文にすれば、足りぬ物は見えなくなる」


 与十郎は、言い返せなかった。


 龍之介は、信長の言葉を聞きながら、清洲の狙いを見た。


 物の不足ではない。


 不安を文にしたのだ。


 しかも、正式な文として。


 これを受けて慌てれば、これまで積んだ確認が崩れる。


 拒めば、那古野が祭礼を軽んじた形になる。


 ならば、文の中を分けるしかない。


 足りない物。


 届いた物。


 使い道が変わった物。


 そして、不安。


 それぞれを別の名で扱う。


 その場へ、橘屋宗右衛門、縄屋仁助、紙師文次、寺の慶順も呼ばれた。


 信長は時間を惜しんだ。


 与十郎を待たせたまま、現場で返しを作るつもりだった。


 宗右衛門が文を読み、すぐに言った。


「この文は、商いの催促ではありませぬな」


「何だ」


 信長が問う。


「不安の文です」


 慶順が頷いた。


「祭礼前には、よくあることにございます。足りるはずのものでも、日限が近づけば足りぬように感じる。そこへ誰かが、那古野で止まったと言えば、すべてが遅れに見えます」


 仁助は腕を組む。


「注連縄の一部が足りぬのは、ありえます。あの三束を注連縄として受けなかった分、別の縄を用意せねばならぬ」


 文次も言った。


「御幣紙も同じです。喜兵衛の紙を別用途に回すなら、神前へ立てる紙は別に要ります」


 信長は頷いた。


「なら、助けるところは二つだ。御幣紙と注連縄。米と油と人を、まとめて遅れと言わせるな」


 与十郎が、思わず身を乗り出した。


「助けていただけるので」


「足りぬなら助ける。噂には従わぬ」


 信長は言った。


「文次。御幣紙は用意できるか」


 文次は少し考えた。


「神前へ立てるものなら、数は限られます。百枚はすぐには無理です。ただ、祭礼方が本当に必要な数を出せば、優先して漉き直し、手元の紙と合わせて用意できます」


「何枚なら今日中に出せる」


「三十枚。質を落とさぬなら」


「仁助。注連縄は」


「場所によります。鳥居か、仮の場か、蔵口かで変わります」


 与十郎が帳面をめくる。


「足りぬと聞いているのは、社へ向かう道の途中に張る仮の縄と、榎本屋裏の炊き場を清める縄です」


 仁助は即座に言った。


「それなら、今日中に二本出せます。大縄ではない。場を清める縄です」


 信長は与十郎へ向いた。


「聞いたな。御幣紙三十枚。仮の場の注連縄二本。これを那古野から助ける」


 与十郎は頭を下げた。


「ありがたく」


「ただし、返し文に書く。那古野が全てを遅らせたのではない。届いたもの、使い道を変えたもの、足りないものを分ける。足りない御幣紙と注連縄は助ける。そう書く」


 与十郎は、少し迷った。


「祭礼方が、那古野に助けられた形になるのを嫌がる者もおります」


「なら、那古野からではなく、橘屋、文次、仁助の商いとして出す」


 宗右衛門がすぐ頷いた。


「それなら通せます。若様の命ではなく、祭礼に足りぬ品を商人と職人が整える形にいたしましょう」


 信長は言った。


「ただし、控えは残す。誰が何を出し、誰が受けたか」


「承知しました」


 与十郎の表情が、わずかに和らいだ。


 津島の面子も潰さない。


 那古野も濡れ衣を着ない。


 足りぬ物は進める。


 その道が、ようやく見えた。


 返し文は、庭先で作られた。


 平手が文案を整え、宗右衛門が商いの言い回しを加え、慶順が祭礼の名を軽く扱わぬよう言葉を直した。


 信長は、要所だけを決めた。


「まず、文を受け取った礼を書く」


 平手が筆を置く。


「次に、届いているものを並べる。油四壺は社へ納まった。飯炊きおます、紙切りおとよ、縄張り手伝いさきは到着。清太ら飾り台の骨組みも榎本屋で名を改め仕事中」


 与十郎は、自分の帳面を見ながら頷いた。


「はい」


「次に、祭礼方として受けていないものを分ける。蔵田屋の米二俵は祭礼方の依頼記録なし。綱屋源兵衛の縄三束は注連縄として張る場所不明のため荷縄扱い。紙屋喜兵衛の紙百枚は御幣紙としての場所不明につき、包み紙、灯明覆いへ回す」


 平手の筆が走る。


「最後に、足りぬものを書く。神前へ立てる御幣紙三十枚、仮の場を清める注連縄二本、橘屋を通じ、文次、仁助より急ぎ整える。受け手は与十郎。津島祭礼方へ届ける」


 信長は与十郎を見た。


「これなら、お前の帳面と合うか」


 与十郎は、深く頭を下げた。


「合います」


「なら、お前も写しを持て。津島へ戻って、文と帳面を一緒に読め。文だけ読ませるな」


「はい」


 信長は声を少し落とした。


「与十郎。文は強い。だが、帳面の方が強い時もある。お前は帳面を持つ者だ。文に呑まれるな」


 与十郎の顔が変わった。


 若い下役の目に、少しだけ芯が入る。


「覚えます」


 藤吉郎は、その言葉を聞いていた。


 帳面を持つ者。


 それは、ただ紙を持っているだけではない。


 届いたもの、足りないもの、不安になっているものを分ける役だ。


 飯屋の帳面も同じだと、藤吉郎は思った。


 米がある。


 水が足りない。


 人が疲れている。


 それを全部「飯が遅れている」と書けば、何をすべきか分からなくなる。


 分けるから、手が動く。


 御幣紙と注連縄の支度は、すぐに始まった。


 文次は店へ戻る暇も惜しみ、那古野に置いてある紙を選び始めた。紙の束を持つ時、指先が少しも震えない。必要な厚み、腰、白さを見て、三十枚を選ぶ。


 仁助は、店の者へ使いを走らせ、仮の場に使える注連縄を二本用意させた。


 大縄ではない。


 だが、炊き場と道中の仮の清めには十分な縄である。


 宗右衛門は、これらを橘屋の荷としてまとめた。


 那古野が押しつけた荷ではない。


 足りないと分かった祭礼支度を、商人と職人が整えた荷である。


 そこを間違えないため、荷札も丁寧に書かれた。


 御幣紙三十枚。


 用途、神前へ立てる御幣。


 紙師、文次。


 受け手、津島祭礼方与十郎。


 注連縄二本。


 用途、仮の場、榎本屋裏炊き場および道中清め。


 縄屋、仁助。


 受け手、津島祭礼方与十郎。


 未確認。


 最終の張り場所は、津島祭礼方で改める。


 与十郎は、その未確認の一文を見て、少し笑った。


「未確認も書くのですね」


 藤吉郎が答えた。


「書かないと、向こうで困ります」


 与十郎は藤吉郎を見る。


「君は」


「飯屋の藤吉郎です」


「飯屋が、なぜここに」


 藤吉郎は少し考えた。


「米から始まって、人の飯まで来たので、気づけばここにいました」


 与十郎は、初めて声を立てずに笑った。


「祭礼も、そういうものです。気づけば皆、どこかで関わっている」


 信長は、そのやり取りを聞いていた。


「だから、名を雑に扱うな」


 与十郎は笑みを引き、深く頭を下げた。


「はい」


 荷は、その日のうちに出された。


 与十郎自身が戻る。


 湊屋の者が舟を選び、馬借が渡しまで運ぶ。


 小平は、少し離れて道を見る。


 勝三郎は、与十郎の周りに寄る者の顔を覚える役についた。


 半七の件で学んだ通り、文を持つ者も、途中で濁されることがある。


 今度は、与十郎の口を守らねばならない。


 那古野へ戻ると、信長は平手へ大殿宛ての文を用意させた。


 内容は、いつもより長くなった。


 津島祭礼方より、那古野の問い改めにより支度が滞るとの正式な文が来たこと。


 与十郎の帳面では、油、人手、飾り台職人などは届いていること。


 蔵田屋の米、源兵衛の縄、喜兵衛の紙は、それぞれ祭礼方としての依頼や用途が不明であり、別用途へ回したこと。


 実際に足りないものは、神前へ立てる御幣紙と、仮の場を清める注連縄の一部であること。


 橘屋を通じ、文次、仁助から急ぎ整え、与十郎へ渡したこと。


 信長は、最後に付け加えた。


「祭礼方の文は、全体が遅れる形に整えられていた。だが、下役与十郎の帳面では、遅れは物ごとに分けられた。清洲筋が日限を用い、那古野の問いを祭礼全体の遅れと見せようとしている恐れあり」


 平手は筆を止め、信長を見た。


「清洲筋、でよろしいので」


「ああ」


 信長は答えた。


「坂井の名はまだ書かぬ。だが、清洲筋が日限を使っていることは書く」


 新五が頷いた。


「大殿にも、かなり見えるはずです」


「見えるだろう」


 信長は短く言った。


「だが、こちらから名を置くな。名は父上に置かせる」


 龍之介は、その一言に深く納得した。


 信長が書けば、若い三郎が清洲を攻めた形になる。


 信秀が読む。


 信秀が考える。


 信秀が名を置く。


 その段階を踏むことで、清洲への圧は別の重さを持つ。


 信長は、ただ証を積む。


 それが今の強さだった。


 又左が腕を組む。


「しかし、若。ここまで来ると、そろそろ清洲も黙っておりますまい」


「黙っていないだろうな」


「次は」


 信長は庭の外を見た。


「津島の中から声を出させるか、こちらの中を割りに来るか」


 藤吉郎が顔を上げた。


「こちらの中、ですか」


「那古野の商人や職人の中にも、面倒だと思う者はいる。祭礼を助けるのはよいが、いつまで若様の問いに付き合うのかとな」


 宗右衛門、仁助、文次。


 皆が協力している。


 だが、疲れは出る。


 手間も増える。


 そこを突かれれば、那古野側にも不満が生まれる。


 龍之介は、次の影を見た気がした。


 清洲では、坂井大膳が与十郎の文が崩されたことを聞いた。


 崩された。


 そう言ってよかった。


 文は那古野を責める形で出た。


 だが、与十郎の帳面を読まれ、届いたものと足りないものを分けられた。


 足りない御幣紙と注連縄は、那古野筋の商人と職人によって補われた。


 津島祭礼方の面子は潰されず、那古野も祭礼を妨げた形にならなかった。


 大膳は、静かに扇を閉じた。


「下役が帳面を持っていたか」


 控えの男が頭を下げる。


「はい。与十郎という者にございます」


「若いな」


「まだ二十を少し過ぎたほどかと」


「若い者は、時に余計な正直さを持つ」


 大膳は低く言った。


「文だけを読ませればよかったものを、帳面まで読ませた」


 控えの男は答えられない。


 大膳は続けた。


「だが、悪くない。那古野はまた手間を背負った。御幣紙と注連縄を出した。祭礼を助ける形を取った。なら、次はそこを突く」


「助けたことを、でございますか」


「そうだ」


 大膳の目が細くなる。


「那古野は、津島の祭礼支度へ手を入れた。そう言える」


「しかし、足りぬ物を補っただけでは」


「言い方だ」


 大膳は扇を文机へ置いた。


「津島の祭礼は、津島のもの。那古野の若が紙と縄を選び、祭礼方へ渡した。そう言えばどう聞こえる」


 控えの男は、ゆっくり頭を下げた。


「那古野が祭礼へ口を出した、と」


「そうだ」


 大膳は言った。


「三郎は、遅れを防いだ。なら、こちらは助けたことを介入に変える」


「津島の中へ、その声を」


「入れろ。伊助のような古い者は、喜ばぬだろう。榎本屋だけではない。祭礼は津島のものだと考える者はいくらでもいる」


 大膳は、静かに笑った。


「助ければ恩になる。だが、見せ方を変えれば、借りを作らされた怒りにもなる」


 清洲の影は、那古野の助力を、今度は津島への介入という形に変えようとしていた。


 夜、那古野の庭には、紙の匂いと藁の匂いがかすかに残っていた。


 御幣紙と注連縄は、もう津島へ向かっている。


 与十郎も戻った。


 帳面と文を持って。


 藤吉郎は、庭の隅で自分の小さな控えを見ていた。


 届いたもの。


 足りないもの。


 使い道を変えたもの。


 不安なもの。


 四つに分けて書いている。


 龍之介がそれに気づき、声をかけた。


「何を書いている」


「今日のことです。全部『遅れている』にすると分からなくなるので」


「よい」


「飯屋でも使えます。米はあるけど水がない。水はあるけど人が疲れている。人はいるけど釜が空かない。全部『飯が遅い』にすると、怒られるだけで何も進みません」


 龍之介は頷いた。


「それが分かれば、かなり違う」


 藤吉郎は、少し嬉しそうにしてから、すぐ真顔に戻った。


「でも、助けたことも、悪く言われるんですね」


「言われる」


「難しいです」


「難しい」


 龍之介は、夜空を見上げた。


 助けなければ、那古野が祭礼を遅らせたと言われる。


 助ければ、那古野が祭礼へ手を入れたと言われる。


 どちらにも罠がある。


 だからこそ、控えが要る。


 誰が何を足りないと言い、誰が何を出し、誰が受けたか。


 その道を残さなければ、善意すら相手の刃になる。


 信長は、少し離れた縁側で庭を見ていた。


 若い横顔に、疲れは見えた。


 だが、目はまだ濁っていない。


 龍之介は思った。


 呂布の武なら、催促の文を持ってきた与十郎を黙らせることはできる。


 郭嘉の知なら、文の裏にある意図を読むことはできる。


 だが、与十郎の帳面を読ませ、足りぬ物を補い、津島の面子まで残すには、それだけでは足りない。


 人の面子。


 物の道。


 文の書き方。


 帳面の重さ。


 それらを一つずつ扱う手が要る。


 遠くで、寺の鐘が鳴った。


 祭礼の日限はさらに近い。


 そして、清洲の手は次に、那古野の助けそのものを責めるだろう。


 龍之介には、それが見えていた。


 助けたことを、どう守るか。


 次の戦は、そこになる。



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