第64話 祭礼の日限
日限は、人を急がせる。
清洲は、その急ぎに祈りの顔をかぶせてきた。
榊屋弥左衛門の寄進油が津島天王社へ納まった翌朝、那古野の町に妙な噂が流れ始めた。
津島の祭礼支度が遅れている。
灯明の油は届いたが、紙が足りない。
注連縄も足りない。
米も足りない。
那古野が細かく名を問うから、天王様の支度が滞っている。
噂は、荷車よりも速く走る。
飯屋の土間、馬留めの軒下、橘屋の店先、渡し場の舟待ち。朝の湯気や馬の息に混じって、誰かが同じ言葉を繰り返していた。
藤吉郎は飯屋でその噂を聞き、すぐ那古野へ走った。
信長は庭で、平手と新五から津島へ出す目付役の候補を聞いていた。
藤吉郎は息を整え、膝をつく。
「若様。津島の祭礼支度が遅れているという噂が出ています。紙、縄、米が足りないと」
信長は眉を動かさなかった。
「誰が言った」
「飯屋では、荷担ぎの男が言いました。名は分かりません。ただ、同じ言葉を休み小屋でも聞いた者がいます」
「同じ言葉か」
「はい。油は届いたが、那古野が細かく問うせいで、天王様の支度が遅れている、と」
又左が低く唸った。
「早速来ましたな」
平手も渋い顔をした。
「祭礼の日限を持ち出されると、商人も馬借も落ち着きませぬ」
信長は庭の土を見た。
雨の跡はもう薄い。
だが、一度沈んだ車輪の跡は、まだ消えきっていなかった。
「遅れているのか」
信長が問う。
藤吉郎は少し顔を上げた。
「分かりません。噂では足りないと言っています。でも、何がどれだけ足りないかは、誰も言いませんでした」
「よい」
信長は短く言った。
「そこだ」
龍之介は、信長の横顔を見た。
噂は、足りないと言う。
だが、足りないものの数は言わない。
紙が足りない。
縄が足りない。
米が足りない。
大きく言えば、人は慌てる。
細かく問えば、遅らせているように見える。
信長は新五へ向いた。
「橘屋、湊屋、縄屋、升屋を呼べ。慶順にも来てもらう。祭礼に要る物を、こちらで勝手に決めるな。知る者に聞く」
「承知しました」
「藤吉郎」
「はい」
「飯屋へ戻るな。今日はここで聞け。米の話になれば、お前にも分かることがある」
「はい」
藤吉郎は背筋を伸ばした。
信長は最後に又左を見た。
「又左」
「はい」
「今日は急がぬ」
「噂は急がせておりますが」
「だから急がぬ」
又左は一度口を閉じ、それから深く頷いた。
「承知しました」
信長は平手へ言った。
「祭礼を敵にするな。だが、祭礼を口実にした荷は通すな。まず、本当に足りないものを見ろ」
昼前、那古野の庭に商人たちが集まった。
橘屋宗右衛門。
湊屋甚右衛門。
縄屋仁助。
米の升屋久兵衛。
寺の慶順も、袈裟の裾を整えて座っている。
信長は広間ではなく、庭先に近い座敷を使わせた。畳の上に座っているが、すぐ庭へ出られる。商いと現場の間に置かれたような場だった。
信長は、余計な挨拶をしなかった。
「津島の祭礼支度が遅れているという噂が出た。紙、縄、米が足りないと言う。まず聞く。本当に足りぬのか」
宗右衛門は、慎重に答えた。
「紙については、足りぬと聞いておりませぬ。ただ、祭礼前は紙の動きが増えます。御幣、札、包み紙、灯明の覆い。いずれも要ります」
縄屋仁助が続ける。
「注連縄は、常の荷縄とは違います。使う藁も、撚りも、扱いも違う。祭礼前に余分が要るのは確かです。ただ、今朝の時点で津島から不足の知らせは来ておりませぬ」
升屋久兵衛は、腕を組んでいた。
「米は、祭礼となれば炊き出しにも、供えにも、働く者の飯にも要ります。足りないと言われれば皆慌てますが、どの家が、何俵足りぬのかがなければ、ただの声です」
湊屋甚右衛門が頷く。
「川の支度も同じです。舟が足りぬと言われても、何をどこへ運ぶ舟か分からねば、舟頭は出せませぬ」
信長は慶順へ目を向けた。
「寺から見ればどうだ」
慶順は静かに言った。
「祭礼は、祈りだけでなく、人の支度でもございます。紙も縄も米も、要ります。ですが、足りぬと騒ぐ者が、何をどれほど足りぬと言わぬなら、その声は祈りのためではなく、人を急がせるための声でしょう」
信長は頷いた。
「なら、決まりを作る」
庭の空気が引き締まった。
「祭礼支度を名乗る荷は、止めぬ。だが、三つ聞く。何に使うか。どれだけ要るか。誰が受けるか」
藤吉郎が、はっとした顔をした。
信長はそれに気づいた。
「言ってみろ」
藤吉郎は緊張しながらも答えた。
「飯なら、何人分か、何升か、誰が炊くかです」
「そうだ」
信長は満足げに頷いた。
「紙なら、何に使う紙か。何枚要るか。誰が受けるか。縄なら、何の縄か。何尋要るか。誰が受けるか。米なら、何の米か。何俵要るか。誰が受けるか」
新五が補った。
「足りないという声だけでは、荷を動かさぬ」
「そうだ。だが、足りていると決めつけてもならぬ」
信長は言った。
「足りぬなら助ける。足りぬという声だけなら、声の出所を見る」
又左が静かに言った。
「問う数は、また三つですな」
信長は横目で見た。
「多いか」
「いいえ。覚えやすい」
又左の言葉に、場が少しだけ和らいだ。
宗右衛門は深く頭を下げた。
「その形なら、商人も動けます。祭礼を軽んじた形にもなりませぬ」
縄屋仁助も頷く。
「縄屋からも、同じように伝えます。注連縄と荷縄を混ぜられては困りますので」
升屋久兵衛は藤吉郎を見た。
「飯屋の小僧。米の声は、お前も拾え」
藤吉郎はまっすぐ頭を下げた。
「はい。何の米か、何俵か、誰が炊くかを聞きます」
「よい」
久兵衛は短く答えた。
龍之介は、そのやり取りを見ていた。
噂に対して、こちらが大声で否定するのではない。
祭礼を守るための聞き方を先に置く。
それが、今日の答えだった。
決まりを作ったその日の午後、さっそく試すように荷が来た。
寺の馬留めへ、米俵を二俵載せた荷車が入ってきたのである。
俵には白い紙が挟まれていた。
祭礼支度米。
急ぎ、津島へ。
それだけだった。
荷を持ち込んだ男は、若くはない。三十五、六の、肩幅のある男で、顔に汗を浮かべている。
「祭礼に遅れる。米だ。すぐ渡しへ回してくれ」
馬借の与八は、綱へ手を伸ばしかけ、止めた。
今朝聞いたばかりの言葉が、頭に残っている。
何に使うか。
どれだけ要るか。
誰が受けるか。
「何に使う米ですか」
男は苛立った顔をした。
「祭礼支度米と書いてあるだろう」
「供えですか。炊き出しですか。働く者の飯ですか」
男は一瞬詰まった。
「祭礼の米だ」
「何俵要るうちの二俵ですか」
「急ぎだと言っている」
「誰が受けますか」
男の顔が赤くなった。
「馬借が、天王様の祭礼を止めるのか」
その言葉で、周りの者たちが振り向いた。
与八の背が少し強張る。
だが、今日は一人ではなかった。
甚蔵が奥から出てきた。
「米は止めぬ。声を止めている」
「何だと」
「その米が何の米か分からぬまま運べば、供えにも飯にもならぬ。津島へ着いて、誰も受けぬ米になったら、それこそ祭礼の邪魔だ」
男は口を開きかけた。
そこへ藤吉郎が来た。
那古野から寺へ使いに出ていたところだった。
藤吉郎は米俵の結びと俵の腹を見た。
「升屋の米ではありません」
男が目を剥いた。
「何が分かる」
「俵の締め方が違います。升屋の俵は、口の畳み方がもう少し揃っています。これは悪い米とは言いません。でも、どこの米かは聞いた方がいいです」
甚蔵が男を見る。
「どこの米だ」
男は、舌打ちをこらえたような顔をした。
「清洲門前の米だ」
「誰の」
「……蔵田屋」
藤吉郎は聞いたことのない名だった。
甚蔵も少し眉を寄せた。
「津島の誰が受ける」
「祭礼方だ」
「名は」
「そこまでは聞いていない」
甚蔵は、米俵から手を離した。
「なら、運べぬ」
男が声を荒げる。
「祭礼に遅れるぞ」
藤吉郎は、落ち着いて言った。
「祭礼に遅れないために聞いています。誰も受けない米を運んだら、舟も馬も無駄になります」
男は藤吉郎を睨んだ。
だが、反論は出なかった。
知らせはすぐ那古野へ届いた。
信長は、庭で報告を聞くなり立ち上がった。
「来たか」
新五が頷く。
「米で来ましたな」
「予想より早い」
平手は筆を取りながら言った。
「祭礼支度米、清洲門前の蔵田屋、受け手不明」
「受け手不明のまま、祭礼へ急げと言う」
信長は笑わなかった。
「行く」
寺の馬留めへ着くと、米俵は板の上に置かれていた。
荷を持ち込んだ男は、まだ不満そうに立っている。
藤吉郎は俵のそばにいた。
信長はまず藤吉郎へ聞いた。
「米は悪いか」
「悪いとは言えません。ただ、俵に古い藁が混じっています。湿ってはいませんが、新米ではありません」
升屋久兵衛も呼ばれていた。
久兵衛は俵を見て、鼻で息を吐いた。
「古米ですな。食えぬ米ではない。だが、供えにする米ではありません」
男が反論する。
「祭礼で炊く米だ」
「誰が炊く」
久兵衛が聞く。
男は黙った。
「炊く者が決まっていない炊き出し米など、米屋は聞いたことがない」
信長は米俵を見る。
「蔵田屋とは」
久兵衛が答えた。
「清洲門前で米を扱う小さな蔵です。悪い店とは言いませぬが、津島の祭礼米を任される格ではありません」
龍之介は、その答えを聞いていた。
また半分だけ本物だ。
米は本物。
蔵田屋も実在する。
祭礼に米が要ることも本当。
だが、受け手がない。
用途が揺れる。
供えと言えば不足。
炊き出しと言えば炊く者がいない。
働き手の飯と言えば人数がない。
その曖昧さで、米を通そうとしている。
信長は男へ聞いた。
「蔵田屋は、誰から頼まれた」
「祭礼方と聞いている」
「誰の口から聞いた」
「半七様だ」
その名が出た瞬間、勝三郎の目が動いた。
半七。
榎本屋の伊助を揺らした清洲筋の男である。
信長は、表情を変えなかった。
「半七は、祭礼方か」
「清洲門前で、津島筋の荷を扱っている方です」
「祭礼方ではないな」
男は答えなかった。
信長は久兵衛へ向く。
「この米をどう見る」
「祭礼米としては受け手が足りません。供えには向かず、炊き出しなら炊く者と人数が要ります。働き手の飯なら、誰の飯かが要ります」
「捨てる米か」
「いいえ。食えます」
「なら、捨てるな」
信長は言った。
「だが、祭礼支度米としては通すな。津島へ送るなら、受け手の名を取れ。取れぬなら、那古野で預かり、飯屋か寺で使い道を決める。蔵田屋の名は残せ。半七の名も残せ」
男が声を上げる。
「米を取り上げるのか」
「取り上げぬ」
信長は即座に返した。
「祭礼へ使うなら、受け手の名を出せ。出せぬなら、祭礼米ではない。米として扱う」
久兵衛が深く頷いた。
「それがよろしゅうございます」
藤吉郎は、信長の言葉を心の中で繰り返した。
祭礼米として通さない。
米として扱う。
それは、祈りと荷を分けた時と同じだった。
名に合わせて物を捻じ曲げない。
物の顔を見て、正しい道へ戻す。
米俵は、寺で預かることになった。
ただし、祈り札の荷とは扱いが違う。
これは祭礼支度米と書かれているが、受け手がない。供えとも炊き出しとも働き手の飯とも定まらない。
だから、祭礼荷としては止める。
だが、米としては無駄にしない。
信長は久兵衛へ言った。
「蔵田屋へ返すか」
「返せば、また別の名で回ります」
久兵衛は渋い顔をした。
「では、買い取るか」
「那古野が買えば、清洲門前の米を若様が奪ったと言われます」
信長は少し笑った。
「面倒だな」
「米は、いつも面倒です」
久兵衛は真顔で答えた。
藤吉郎は、その言葉に少しだけ笑いかけ、すぐ口を引き締めた。
信長は考えた。
「では、預かりとする。蔵田屋へ、祭礼支度米としては受け手不明ゆえ通せぬ。米として返すか、那古野の飯屋へ相場で売るか、受け手の名を出して祭礼へ送るか、三つから選べと伝えろ」
久兵衛が頷く。
「それなら、筋が通ります」
「相場は、お前が見る」
「承知しました」
男は不満そうだったが、もう声を荒げなかった。
半七の名を出した。
受け手の名は出せない。
それで場は決まっていた。
勝三郎が男の顔を見ている。
「名は」
男は観念したように答えた。
「作太」
「蔵田屋の者か」
「荷運びです」
「半七とは、どこで会った」
「清洲門前の北蔵の前で」
勝三郎は頷いた。
「それでよい」
追わない。
ただ、残す。
作太は肩を落とし、寺の門から出ていった。
米俵は板の上に残った。
白い紙には、まだ祭礼支度米と書かれている。
だが、その名だけで道を通る力は、もうなかった。
那古野へ戻った信長は、平手へ報告をまとめさせた。
「寺の馬留めへ、祭礼支度米と記す米俵二俵あり。清洲門前の蔵田屋より、半七の口利きで来たという。受け手不明。用途不明。供え、炊き出し、働き手の飯のいずれか定まらず。米は古米だが食用に堪える。祭礼米としては通さず、米として預かる」
平手は筆を進める。
「蔵田屋へ、三つの選択を返す。米として返すか、那古野飯屋へ相場で売るか、受け手の名を出して祭礼へ送るか。半七の名は残す。坂井の名はまだ書かぬ」
信長は頷いた。
「それでよい」
又左が言った。
「今度は米ですか。祭礼に要る物を一つずつ使うつもりでしょうな」
「そうだろう」
信長は答えた。
「だが、今ので形はできた。祭礼支度の名があっても、物として見る。米なら米。縄なら縄。紙なら紙。それぞれ使い道、量、受け手を問う」
新五が頷く。
「祭礼を止めず、名だけの荷を止める」
「そうだ」
信長は庭に集まった者たちを見た。
「祭礼に使う物を笑うな。だが、祭礼の名で粗い物を押し込ませるな。供えには供えの質がある。炊き出しには炊く者と人数がある。働き手の飯には働き手の数がある」
藤吉郎は、真剣に頷いた。
信長はそれを見て言った。
「藤吉郎」
「はい」
「飯屋へ伝えろ。祭礼支度米と言われても、何の米か聞け。供えなら勝手に炊くな。炊き出しなら人数を聞け。働き手の飯なら誰の飯かを聞け」
「承知しました」
「ただし、米を笑うな。古米でも、人の腹は満たせる」
「はい」
藤吉郎は、そこを強く頷いた。
龍之介は、その様子を見ていた。
藤吉郎は幼くない。
飯を扱う者として、米の顔を見始めている。
それが、この場で確かに役になっていた。
清洲では、坂井大膳が半七から報告を受けていた。
祭礼支度米は、寺の馬留めで止まった。
だが、取り上げられてはいない。
米として預かられ、蔵田屋へ三つの選択が返された。
祭礼米として返すには、受け手の名が要る。
相場で売る道も残された。
大膳は、文机に指を置いたまま、しばらく黙っていた。
「米として扱ったか」
「はい」
「祭礼を止めたのではなく、祭礼米として通さなかった」
「そのようで」
大膳は薄く笑った。
「やはり面倒だ」
半七は頭を下げたまま動かない。
「ですが、噂は回せます。那古野が祭礼米を止めたと」
「回せ」
大膳は言った。
「ただし、すぐに崩れる。受け手の名を聞かれれば、こちらが困る」
「では」
「噂は短く使うものだ。長く持たせようとするな」
半七は顔を上げた。
大膳は続ける。
「次は縄だ。注連縄は、米より厄介だ。荷縄とは違う。祭礼に使うと聞けば、縄屋も軽く扱えぬ」
「縄屋仁助を」
「揺らす」
大膳は扇を開いた。
「仁助は職人肌だ。粗い縄を注連縄として出せば怒るだろう。だが、怒れば言える。那古野の縄屋が、津島の祭礼縄を侮ったとな」
「本当に粗い縄を」
「粗すぎては駄目だ。使えぬほどではないが、仁助なら嫌がる程度にする」
半七は、ゆっくり頭を下げた。
「祭礼の名で、縄屋を怒らせる」
「そうだ」
大膳は低く笑った。
「三郎は、物の顔を見る。なら、見た者の誇りを使う」
清洲の影は、祭礼米から、注連縄の質へ手を伸ばそうとしていた。
夜、那古野の庭には、米俵の藁の匂いがわずかに残っていた。
寺で預かった古米の俵は、まだ行き先を決めていない。
祭礼米ではない。
だが、捨てる米でもない。
龍之介は、その扱いがこの戦の難しさをそのまま表していると思った。
名が間違っていても、物まで悪とは限らない。
祭礼支度米という札は、道を曲げるためのものだった。
だが、中の米は、人の腹を満たす。
罠を外すために米を粗末にすれば、こちらが人の暮らしから離れる。
そこを間違えなかった信長の判断は、地味だが重かった。
藤吉郎が、飯屋から戻ってきた。
「伝えてきました。供えの米、炊き出しの米、働き手の飯の米を混ぜるな、と」
「飯屋の者は何と言った」
「面倒だと言いました。でも、誰が炊くか分からない米を持ち込まれる方がもっと面倒だとも言っていました」
龍之介は少し笑った。
「正しい」
藤吉郎は庭の隅に置かれた縄を見た。
「次は、米ではない気がします」
「なぜだ」
「米は、今日で聞き方が決まりました。相手も、同じ形では通しにくいと思います」
龍之介は、少しだけ驚いた。
藤吉郎は続けた。
「祭礼には、縄も紙も要ります。たぶん、そちらへ来ます」
「よく見ている」
「飯屋でも、米だけあっても飯は炊けません。薪も水も釜も要ります。祭礼も、同じかと」
龍之介は頷いた。
確かに、祭礼の支度は一つではない。
相手が使える道も、一つではない。
清洲は、次の物を選ぶ。
龍之介は夜空を見た。
呂布の武では、米の質は分からない。
郭嘉の知なら、米を使った噂の筋は見える。
だが、米を粗末にしない手は、また別のものだ。
人の腹を満たす物を、人の名と同じように扱う。
そこを失えば、那古野の場は痩せる。
遠くで、寺の鐘が鳴った。
祭礼の日限は近づいている。
清洲の手もまた、急ぎを強めてくるだろう。
龍之介は、干された縄の影へ目を移した。
次は、縄かもしれない。
米よりも扱いが難しい。
荷を縛る縄ではなく、神前に張る縄。
それを粗末にせず、罠も通さない。
また、細い道になる。




