第45話 休み小屋の手
休み小屋は、荷が止まる場所だった。
清洲門前へ入る前、あるいはそこを避けて渡し場へ回る前に、馬方や荷担ぎが一息つく。小屋と言っても立派なものではない。柱は古く、屋根は低く、土間には踏み固められた跡があるだけだ。
だが、荷はそこに置かれる。
米俵も、塩樽も、縄束も、人の目が少し離れる。
清洲の手が入るなら、そこだった。
信長は朝の庭で、三つの小荷を見た。
湊屋の塩樽。
浜屋の米俵。
縄屋仁助の縄束。
どれも大きな荷ではない。失っても商いが傾くほどではなく、しかし商人の名が乗る本物の荷だった。
偽物ではない。
だからこそ、手を入れられれば証になる。
湊屋の手代、浜屋利兵衛、縄屋仁助も庭に呼ばれていた。三人とも緊張している。那古野の庭で信長の前に立つのは、商人にとって軽いことではない。
信長は、まず三人へ言った。
「今日は、そなたらの荷を餌にする」
三人の顔が強張った。
信長は続ける。
「だが、捨て餌ではない。荷の顔を決め、誰が触るかを見る。触られたら、そなたら自身が分かるようにしておけ」
浜屋利兵衛が頭を下げる。
「米俵の札紐は、浜屋の結びにいたしました」
縄屋仁助も慌てて続いた。
「縄束は、端を揃え、結び目を内へ寄せております。一本だけ替えられれば、分かるはずです」
湊屋の手代は落ち着いて言った。
「塩樽の縄端は、いつもの通り内へ噛ませております」
彦右衛門が三つの荷を見て、低く頷いた。
「よい。昨日より顔がはっきりしている」
藤吉郎が小声で言った。
「荷にも顔が出てきました」
「お前の飯の顔と同じだな」
龍之介が言うと、藤吉郎は真剣に頷いた。
「はい。食べなくても少し分かります」
新五がすぐに目を向けた。
「食うな」
「米俵は食べません」
「米だから油断ならん」
信長は少し笑ったが、すぐに表情を戻した。
「今日は、銭箱も置かぬ。飯札も使わぬ。休み小屋に荷を置く。荷担ぎは飯屋へ行く。いつものように見せる」
又左が腕を組んだ。
「そこで待つわけですな」
「待つ。だが、飛び出すな」
信長の目が鋭くなる。
「荷に触れた手を見る。噂を運ぶだけの口か、札を替える手か、荷を傷める手か。それを見分けろ」
又左は少し不満そうだったが、頭を下げた。
「承知しました」
「龍之介」
「はい」
「お前は前へ出すぎるな。だが、逃がすな」
「難しい役でございます」
「難しいからやれ」
信長は言い切った。
龍之介は深く頭を下げる。
呂布の武は、止めるより斬る方が早い。
だが、今日必要なのは斬ることではない。
荷に触れた手を、生きたまま押さえることだった。
休み小屋へ向かう道は、朝から静かだった。
静かすぎるほどだった。
いつもなら馬方や荷担ぎがぽつぽつ通るというのに、今日は人の流れが薄い。前もって避けさせられているのか、それともこちらの動きを見ているのか。
龍之介は、道の左右を見ながら歩いた。
新五、藤吉郎、彦右衛門、勝三郎が近くにいる。又左は少し離れ、源太と孫七を連れている。二人は筒も槍も目立たせないようにしていた。今日は武を見せる日ではない。
荷を運ぶのは、湊屋、浜屋、縄屋がそれぞれ出した者たちだった。
彼らは休み小屋の前で足を止める。
小屋の番をしている男が出てきた。
年は五十前後。日に焼けた顔で、名は作兵衛という。馬方たちの間では、昔からこの小屋を見ている男として知られているらしい。
作兵衛は、荷を見た瞬間に目を伏せた。
怯えている。
龍之介はそう感じた。
悪事を楽しむ顔ではない。だが、何かを知っていて、知らぬふりをしようとしている顔だった。
湊屋の荷担ぎが言った。
「少し置かせてもらう。飯屋で粥を食って戻る」
作兵衛は頷いた。
「置いていけ」
声が乾いていた。
三つの荷は、小屋の土間へ置かれた。
塩樽は柱のそば。
米俵は壁際。
縄束はその横。
彦右衛門が遠目に見て、荷の向きを覚える。藤吉郎も、小屋の外から首を伸ばしていた。
新五が小声で言う。
「近すぎる」
「見えません」
「見えすぎても困る」
「はい」
荷担ぎたちは飯屋へ向かった。
那古野の者たちも、少しずつ小屋から離れる。離れたように見せる。龍之介と新五は、道の曲がりの陰へ。彦右衛門は薪を見ている年寄りのように少し先へ。藤吉郎は飯屋の方へ走り、途中で姿を消した。
又左たちは、さらに外側だ。
待つ時間が始まった。
風が通る。
小屋の軒に吊られた古い縄が、かすかに揺れた。
作兵衛は、小屋の前にしばらく立っていた。何度も道を見ている。中へ入ったり、出たりを繰り返す。手は荷へ伸びない。
龍之介は息を整えた。
作兵衛だけではない。
必ず、誰かが来る。
そう思った時、道の向こうに一人の男が現れた。
馬方風の格好をしている。
だが、馬を連れていない。
昨日、銭を出した男が外で合図を送った相手に似ていた。顔を完全に同じとは言い切れない。だが、歩き方に覚えがある。周りを見るのではなく、見られていないかを見る歩き方だ。
男は小屋へ近づき、作兵衛へ短く言った。
「掃除は済んだか」
作兵衛の肩が震えた。
「まだだ」
「遅い」
「今日は人が多い」
「だから急げ」
男は小屋へ入った。
龍之介の胸の奥が冷える。
証を消すつもりか。
あるいは、今日の荷へ手を入れるつもりか。
新五が、ほんのわずかに手を動かした。
まだ動くな。
龍之介は頷いた。
小屋の中で、男はまず塩樽を見た。
触らない。
次に米俵を見る。
札紐へ手が伸びた。
そこで一度止まる。
浜屋の結びがある。
男はそれを見て、舌打ちしたようだった。
次に縄束を見る。
縄屋仁助が決めた結びを、男は指でなぞった。
そして、小刀を出した。
龍之介の中で、熱が跳ねる。
まだ。
小刀の刃が、縄束そのものではなく、結び目の端へ近づく。
替えるのか。
切るのか。
その瞬間、作兵衛が小さく言った。
「やめてくれ。今日は、やめてくれ」
男の顔が作兵衛へ向く。
「今さら何を言う」
「見られている」
「誰に」
「分からぬ。だが、昨日からおかしい」
「だから証を消すんだ」
男は低く言い、縄束の一本を引き抜いた。
それは、仁助の結びがある縄だった。
男はそれを自分の持ってきた縄と入れ替えようとした。
その時、新五が静かに歩き出した。
龍之介も続く。
小屋の中の男が気づいた。
逃げようとする。
男は縄を投げ捨て、裏口へ走った。
裏口と言っても、板が一枚外れかけているだけだ。そこから抜ければ、藪へ出られる。
だが、その先には又左がいた。
槍は構えていない。
ただ、立っている。
「どこへ行く」
男が反転する。
小刀を握ったまま、龍之介の方へ来た。
龍之介は一歩だけ前へ出た。
速すぎない。
だが、逃げ道を切るには十分な速さで。
男の小刀が横へ振られる。
龍之介は刃ではなく、手首の下へ掌を当てた。力の向きをずらす。男の肘が浮き、肩が開く。
折らない。
切らない。
ただ、小刀を落とす。
小刀が土間へ落ちた。
男はなおも体を捻ろうとしたが、龍之介はその足を軽く払った。男の膝が崩れ、土間に手をつく。
又左が入ってきて、石突きで小刀を遠くへ弾いた。
「斬らぬぞ」
又左は、自分に言い聞かせるように言った。
龍之介は男の腕を押さえたまま、息を吐いた。
「助かります」
「今のは俺に言ったな」
「はい」
又左は少しだけ苦い顔をした。
作兵衛は、土間の端で震えていた。
新五が静かに問う。
「作兵衛。これは誰だ」
作兵衛は答えない。
男も黙っている。
勝三郎が小屋へ入り、男の顔を見た。
「昨日、飯屋の外で見た荷担ぎ風の男だな」
男は顔を背けた。
藤吉郎が、小屋の外からひょいと顔を出した。
「飯屋では食べていませんでした」
「今それを言うか」
新五が言ったが、藤吉郎は真剣だった。
「でも、飯を食べない人は、やっぱり荷に触りました」
龍之介は小さく頷いた。
藤吉郎の目は、今回も外れていない。
小屋の中から、いくつかの物が見つかった。
古い札紐。
切られた縄の端。
泥で汚された小さな木札。
さらに、炉の灰の中に、半分焼けた紐が埋められていた。
浜屋のものに似た紐である。
縄屋仁助が見れば、自分の縄かどうか分かるだろう。
彦右衛門は、灰の中から拾った紐を手拭いで包んだ。
「燃やすには遅すぎましたな」
新五は押さえられた男へ問う。
「誰に命じられた」
男は黙る。
「名を言えぬか」
男は唇を噛んだ。
龍之介は、その黙り方を見た。
捕まった時の言い訳を、用意されている者の黙り方ではない。焦っている。自分の判断で動いた部分がある。
作兵衛が、震えながら口を開いた。
「清洲の方から……休み小屋を使わせぬようにできる、と」
新五が作兵衛を見る。
「誰が言った」
「名は知らぬ。坂井様方の御用だと」
又左の目が鋭くなる。
だが、新五はすぐに問うた。
「坂井様方とは、誰だ」
作兵衛は首を振った。
「分かりませぬ。そう言われただけです」
いつもの曖昧な名。
しかし、今度は荷に触れた手がある。
龍之介が男の袖を探ると、小さな布包みが出てきた。
中には、銭が三枚。
そして細く切った札紐が二本。
片方は新しい。
片方は、わざと古く汚されている。
新五が低く言った。
「替えるための紐か」
彦右衛門が頷く。
「そうでしょうな」
藤吉郎が小声で言う。
「銭もあります」
龍之介は銭を見た。
通し銭の噂を形にしようとした銭と、同じような小銭だった。
この男が全部をやったとは限らない。
だが、噂、紐、縄、休み小屋が、ようやく一つの手にまとまり始めていた。
新五は言った。
「連れて帰る」
作兵衛が震えた。
「私は」
「お前もだ」
作兵衛は崩れるように膝をついた。
「私は、荷を傷めたくはなかった。ただ、休み小屋を潰すと言われて」
「潰されたくなかったのだな」
龍之介が言うと、作兵衛は顔を伏せた。
「ここがなくなれば、馬方も荷担ぎも困る。私も食えませぬ」
藤吉郎の顔が曇った。
作兵衛は悪人ではない。
だが、清洲の声に押され、荷に手を入れる場所を黙って渡した。
それでも、切り捨てればよいという話ではない。
休み小屋もまた、道の腹だった。
新五は少し考え、言った。
「作兵衛は逃がさぬ。だが、縛り上げて晒すこともしない。若様の前で話せ」
作兵衛は、額を土につけた。
「はい」
男は、なおも黙っていた。
龍之介はその腕を押さえ直す。
男の目に、初めて恐れが浮かんだ。
荷へ伸びた手は、ようやく形を持った。
那古野へ戻ると、信長は小屋から出た物を一つずつ見た。
古い札紐。
切られた縄端。
半分焼けた紐。
替えるための紐。
小銭。
そして、捕らえた男。
作兵衛は庭の端で膝をついている。
湊屋甚右衛門、浜屋利兵衛、縄屋仁助も呼ばれていた。三人の顔は硬い。自分たちの荷へ手が伸びたことを、はっきり見たからだ。
信長は、まず商人たちへ向いた。
「そなたらの荷の顔がなければ、見えなかった」
甚右衛門が頭を下げる。
「若様のご指図があればこそ」
「違う」
信長は短く言った。
「そなたらが自分の荷の顔を持ったからだ。那古野が見たのではない。そなたらの荷が、自分で手を教えた」
浜屋利兵衛は、深く息を吐いた。
「札紐を決めておいて、よかったと思いました」
縄屋仁助は震えながらも頷いた。
「うちの縄が替えられかけたのを、初めて見ました」
信長は頷いた。
「なら、続けろ。今日で終わりではない」
次に、信長は作兵衛を見た。
「休み小屋を潰すと言われたか」
「はい」
作兵衛は額を地につけたまま答えた。
「清洲の名を出されました。休み小屋を使わせぬ、馬方も荷担ぎも寄せぬ、飼葉も飯も回さぬと」
「誰の名だ」
「坂井様方の御用、とだけ」
信長の目が細くなる。
「また、様方か」
新五が静かに言った。
「名は出ませぬ」
「だが、手は出た」
信長は替え紐と銭を見た。
「名はなくとも、手はある。手を押さえた」
又左が言う。
「この男を締め上げれば、もう少し出るのでは」
捕らえた男の肩が震えた。
信長は首を横に振った。
「出る名は、用意された名だ。今は急がぬ」
又左は口を閉じた。
龍之介は男を見た。
確かに、ここで無理に吐かせても、坂井大膳の名か、別の使い捨ての名が出るだけだろう。それでは清洲に逃げ道を与える。
信長は作兵衛へ言った。
「作兵衛。休み小屋は閉じぬ」
作兵衛が顔を上げた。
「よろしいので」
「閉じれば、清洲の脅しが通ったことになる。だが、今まで通りではない」
信長は続けた。
「荷を置く時は、荷主の顔を残す。湊屋なら縄端、浜屋なら札紐、縄屋なら結び。飯屋の者にも一つだけ覚えさせる。作兵衛、お前は勝手に荷へ触るな。触る時は荷主か馬方の前で触れ」
「はい」
「それができぬなら、小屋を失う」
作兵衛は、深く頭を下げた。
「必ず」
信長は、今度は捕らえた男へ向いた。
「お前はしばらく置く」
男は黙っている。
「殺しはせぬ。だが、逃がしもせぬ」
信長の声は静かだった。
「清洲へは、まだ知らせぬ」
場が動いた。
平手が目を細める。
「若、伏せますか」
「伏せる」
信長は頷いた。
「休み小屋で手を押さえたことを、すぐ表に出せば、清洲は手を切る。大膳は知らぬと言えばよい」
「では」
「手を押さえたまま、次の手を見る」
龍之介は息を呑んだ。
信長は、捕らえたことで終わらせるつもりがない。
押さえた手を、清洲がどう失ったかを見る。
連絡が途切れれば、清洲側は焦る。別の者を出す。消しに来る。様子を見に来る。
そこをさらに見るつもりだ。
信長は勝三郎へ向いた。
「勝三郎。休み小屋から清洲門前へ戻る顔を見る。噂を食う男、銭を出した男、馬方風の受け手。誰が今日来ないかも見ろ」
「承知しました」
新五へ。
「新五。商人たちに、今日のことを言いふらさせるな。ただし、自分の荷の顔を持てという話は広げてよい」
「承知しました」
藤吉郎へ。
「藤吉郎。飯屋には重い話を持たせるな。飯屋が見るのは、荷の顔一つと、飯を食わぬ者の顔だけでよい」
「はい」
藤吉郎は真剣に頷いた。
信長は最後に龍之介を見た。
「龍之介。今日は、よく止めた」
「又左殿が裏を塞いでくれました」
「斬らずに済ませたか」
「はい」
「次もそうできるとは限らぬぞ」
龍之介は、静かに頭を下げた。
「承知しております」
手を押さえるだけなら、まだよい。
次は、口を塞ぎに来るかもしれない。
あるいは、人を殺しに来るかもしれない。
その時、斬らずに済むとは限らない。
龍之介の掌には、男の手首を外さずに止めた感触が残っていた。
その夜、清洲では坂井大膳が、控えの男の帰りを待っていた。
だが、戻らない。
休み小屋へ走らせた者も戻らない。
大膳の部屋に、重い沈黙が落ちた。
しばらくして、別の手の者が入ってきた。
「戻りませぬ」
大膳は目を閉じた。
「押さえられたか」
「おそらく」
「小屋は」
「閉じておりませぬ。荷も通っております。作兵衛も見えました」
大膳の眉がわずかに動いた。
「作兵衛が見えた?」
「はい。小屋におります」
「殺されても、縛られてもいないか」
「そのように見えます」
大膳は、ゆっくりと目を開いた。
「三郎め」
その声には、今までよりはっきりとした苛立ちがあった。
「手を押さえて、小屋を閉じぬか」
「いかがいたしましょう」
「次を出すな」
大膳は即座に言った。
「今出せば、二の手も見られる」
「では」
「噂だけ流せ。休み小屋で誰かが消えた、と。だが、那古野の名は出しすぎるな。恐れを広げる」
「承知しました」
手の者は頭を下げた。
大膳は一人になると、低く笑った。
笑いには、楽しさよりも苛立ちが混じっている。
「手を切らず、手首を握るか。厄介な若だ」
そして、別の名を呟いた。
「龍之介」
大膳は、まだ会ったことのない流れ者の名を、初めて少し重く扱った。
那古野の夜、龍之介は庭で手を開いていた。
男の小刀を落とした感触。
腕を折らずに止めた感触。
膝を崩し、土間へ伏せさせた感触。
呂布の武は、あの瞬間、もっと強く踏み込めと言っていた。
小刀ごと腕を折れ。
膝を砕け。
逃げる前に叩き伏せろ。
その方が早い。
その方が確実だ。
だが、龍之介はそうしなかった。
しないで済んだ。
ただ、次もそうできるとは限らない。
藤吉郎が隣に来た。
「龍之介殿」
「どうした」
「あの人、飯を食べていませんでした」
「そうだな」
「でも、作兵衛殿は食べる人です」
龍之介は藤吉郎を見た。
藤吉郎は真剣な顔をしていた。
「休み小屋がなくなると困るから、怖かったんだと思います。悪いことをしたけど、腹の場所を守りたかったんだと思います」
「そうかもしれない」
「だから、残ってよかったです」
龍之介は小さく頷いた。
小平の寺。
弥平の舟。
作兵衛の休み小屋。
誰も、英雄ではない。
強い者でもない。
だが、道の途中にいる者たちだった。
清洲は、その腹を握って使う。
那古野は、その腹が帰れる場所を作る。
言葉にすれば簡単だ。
だが、実際には難しい。
逃げ道を作ることは、甘さにも見える。罰を軽くすれば、舐められる危険もある。だが、すべて斬れば、道は消える。
龍之介は手を握った。
まだ斬る時ではない。
だが、今日、手は押さえた。
清洲の影は初めて、こちらの手の中で形を持った。
次は、その影が失った手をどう探すかを見る。
休み小屋は閉じていない。
荷はまだ通る。
だが、その土間には、もう那古野の目がある。
夜の風が、遠くの道から土の匂いを運んできた。
龍之介は清洲の方角を見た。
戦場は、近づいている。
まだ槍は鳴っていない。
だが、敵の手首は、確かに一度こちらの掌に落ちた。
第45話─了




