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【連載版】呂布の武と郭嘉の知を授かった俺、信長の乱世で成り上がる  作者: あちゅ和尚


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第41話 渡しの縄

 津島や熱田から那古野へ向かう荷が、すべて清洲門前を通るわけではない。


 道はいくつもある。


 商人は荷の重さ、天気、馬の具合、通しやすい顔、休ませやすい場所を見て道を選ぶ。清洲へ顔を見せた方が通しやすい荷もあれば、川筋や小さな渡しを使って回した方が早い荷もある。


 だが、どの道にも腹がある。


 馬には飼葉が要る。


 人には飯が要る。


 舟には船頭が要る。


 そして船頭にも、岸で食う飯と、次も舟を出せる安心が要る。


 信長は、寺の馬留めを整えた翌朝、庭に皆を集めて言った。


「次は水だ」


 庭には平手、新五、龍之介、藤吉郎、彦右衛門、勝三郎、又左がいた。権六は勘十郎の館へ出ている。源太と孫七も、少し離れて控えていた。昨日、飼葉を運んだ二人の顔には、まだ少し誇らしさが残っている。


 信長は土に線を引いた。


 清洲門前の道。


 寺の馬留め。


 津島筋。


 熱田筋。


 そして、川と渡し。


「馬方を脅せば、こちらは馬留めを作る。なら、大膳は次に舟を揺らす」


 平手が頷く。


「米を動かす道を複数にするなら、水の道は避けられませぬ」


「そうだ」


 信長は藤吉郎へ目を向けた。


「舟にも飯は要るか」


 藤吉郎は一瞬きょとんとして、それから真剣に頷いた。


「要ります。船頭が食べます。あと、舟を待つ人も食べます」


「舟そのものは食わぬか」


「舟は食べません。でも、縄や櫂は傷みます」


 彦右衛門が低く笑った。


「小僧、少し分かってきたな」


 藤吉郎は胸を張りかけ、新五に見られて背を戻した。


 信長は続ける。


「湊屋の荷を、今度は小さな舟で渡す。米俵は一つ。塩樽も一つ。大きな荷に見せるな。だが、誰が止めるかを見る」


 龍之介は、川の線を見つめた。


 陸の道なら足跡が残る。


 馬の泥、荷縄、休み場の水桶。


 では水の道はどうか。


 舟が通れば、水面はすぐ戻る。


 だが、船頭の顔、岸の縄、濡れた板、荷を置いた跡は残る。


「若様。船頭を餌にしすぎると、次から舟が出ませぬ」


 龍之介が言うと、信長は頷いた。


「分かっておる。だから、船頭を試すのではない。船頭を止める者を試す」


「渡し場に逃げ道を作る必要があります」


「昨日の馬留めと同じか」


「はい。舟が止められた時、戻る岸が要ります。荷を置ける小屋、水、飯、そして別の小舟」


 信長は少し笑った。


「お前も、飯を言うようになったな」


「藤吉郎に染まりました」


 藤吉郎が嬉しそうな顔をした。


 新五が淡々と言う。


「喜ぶところではない」


 信長は、湊屋甚右衛門を呼ぶよう命じた。


 湊屋甚右衛門は、話を聞くとすぐに顔を曇らせた。


「水の道に出ますか」


「嫌か」


 信長が問うと、甚右衛門は首を横に振った。


「嫌ではございませぬ。ですが、水の道は陸より口が少のうございます。渡し守、船頭、岸の小屋。そこを一つ握られれば、荷は止まります」


「だから見たい」


 信長は答えた。


 甚右衛門は、しばらく考えた。


「小さな渡しなら、弥平という船頭がおります。大きな荷は扱いませぬが、米俵一つ、塩樽一つなら通せます。熱田筋の荷を一度小さく分け、川を渡してから那古野へ寄せる道です」


 平手が問う。


「清洲の顔は利くか」


「まったく利かぬとは申せませぬ。渡し場は水の上にあるようで、岸の者に支えられています。岸の飯屋、縄を売る者、舟板を直す者。そこに清洲の声が入れば、船頭も揺れます」


 信長は頷いた。


「弥平は信用できるか」


「銭だけでは動かぬ男です。ただ、舟を失うことを恐れます」


「舟を失う」


 龍之介が繰り返すと、甚右衛門は苦い顔をした。


「船頭にとって、舟は馬方の馬と同じ。舟板を傷められ、縄を切られ、岸の小屋を使わせてもらえねば、明日から飯が食えませぬ」


 藤吉郎が小声で言った。


「舟にも帰る場所が要るんですね」


 龍之介は頷いた。


「そうだな」


 信長は決めた。


「弥平に話を通せ。だが、那古野が守るとは言うな。湊屋の荷として通す。こちらは少し離れて見る」


 甚右衛門は深く頭を下げた。


「承知しました」


 信長は龍之介たちへ向く。


「今日は舟を見る。だが、舟だけを見るな。岸を見る。縄を見る。飯屋を見る。誰が声をかけ、誰が黙るかを見る」


 藤吉郎が手を上げた。


「飯屋もですか」


「飯屋もだ」


「はい」


「食うな」


「……はい」


 返事までの間が、少し長かった。


 渡し場は、清洲門前の大通りから外れた場所にあった。


 大きな湊ではない。


 川幅も、広すぎるほどではない。だが、荷を小さく分けて渡すには十分だった。岸には古い小屋があり、濡れた縄が柱に掛けられている。小舟が二艘。片方は使われており、もう片方は底を上にして伏せられていた。


 船頭の弥平は、日に焼けた細い男だった。


 腕は太くない。


 だが、手のひらが厚い。櫂を握り、縄を引き、濡れた板を押す者の手だった。


 弥平は湊屋の荷を見て、短く頷いた。


「米俵一つ。塩樽一つ。これなら渡せる」


 甚右衛門の手代が頭を下げる。


「頼みます」


 龍之介たちは少し離れて見ていた。


 新五、彦右衛門、藤吉郎。又左はさらに後ろに立つ。源太と孫七も連れてきたが、筒は完全に布の中だ。今日は見せる日ではない。水辺で筒を見せれば、かえって話が大きくなる。


 藤吉郎は岸の飯屋を見ていた。


「人が少ないです」


「飯屋の客か」


 龍之介が問うと、藤吉郎は頷く。


「渡し場なのに、待つ人が少ないです。誰かが避けさせたのかもしれません」


 彦右衛門は縄を見ていた。


「新しい縄が混じっている」


「悪いことか」


「悪いとは限りません。ただ、古い縄に見せている新しい縄です。濡らして泥をつけている」


 龍之介は岸の柱へ目を向けた。


 確かに、柱に掛けられた縄の一本だけ色が違う。泥はついているが、繊維の切れ目が新しい。


 その時、岸の小屋から男が一人出てきた。


 小屋番のような顔をしているが、弥平よりも岸に慣れていない。草履の濡れ方が浅い。水辺で働く者なら、足元の濡れはもっと自然になる。


 男は弥平へ言った。


「今日は川の流れが悪い。やめた方がよい」


 弥平は川を見た。


「流れはいつも通りだ」


「上で雨が降った」


「昨日は降っていない」


「俺が聞いた」


 男はそう言って、荷へ視線を向けた。


「米を濡らしたら困るだろう。塩もだ。今日は通すな」


 甚右衛門の手代が困った顔をする。


 弥平は黙っていた。


 龍之介は、男が何をしているかを見た。


 止めている。


 だが、脅しではない。


 川の流れ。


 雨。


 荷を濡らす。


 もっともらしい理由で、船頭自身にやめさせようとしている。


 新五が小声で言った。


「清洲の名を出さぬ手か」


「はい」


 龍之介は頷いた。


 名前を出せば問われる。


 だから、自然のせいにする。


 川のせい。


 雨のせい。


 荷を思っての忠告。


 それなら、誰の責にもならない。


 藤吉郎がぽつりと言った。


「でも、飯屋に客がいません」


 龍之介はその言葉で、もう一度周りを見た。


 そうだ。


 川の流れが本当に悪いなら、他の者も困るはずだ。だが、困っている顔がない。そもそも客が少ない。事前に避けさせられている。


 彦右衛門が縄へ近づいた。


 小屋番風の男が鋭く見る。


「触るな」


 彦右衛門は手を止めた。


「触らぬ。見ているだけだ」


「何を見る」


「縄の濡れ方だ」


 男の顔がわずかに変わった。


 彦右衛門は龍之介へ言った。


「この縄、川の水ではなく、桶の水で濡らしている。泥のつき方が岸と合わぬ」


 弥平の目が動いた。


 船頭なら、その意味が分かる。


 誰かがわざと縄を濡らし、使い込んだ縄に見せて掛けたのだ。


 新しい縄。


 見せかけの古さ。


 何のためか。


 龍之介は縄の端を見た。


 切れ目が不自然に薄い。


 荷を積んで川へ出た時、力がかかれば切れるかもしれない。


「弥平殿」


 龍之介は静かに言った。


「その縄で荷を留めれば、途中で切れるかもしれません」


 弥平の顔が硬くなる。


 小屋番風の男が声を荒げた。


「何を根拠に」


「縄の端が薄い。濡らし方もおかしい。荷が濡れれば、船頭の責になる」


 龍之介は男を見た。


「川が悪いのではなく、縄が悪い」


 場が静まった。


 弥平は、ゆっくり縄へ近づいた。


 自分の手で持ち上げ、端を見る。


 そして、顔色を変えた。


「これは、俺の縄ではない」


 小屋番風の男は黙った。


 新五が問う。


「そちらは、誰に頼まれてこの縄を掛けた」


「俺は」


「川の流れが悪いと言った。雨が降ったとも言った。どちらも違う。次は縄か」


 男は後ずさる。


 又左が離れた場所で一歩だけ動いた。


 槍は振らない。


 ただ、逃げ道の一つを塞ぐ。


 源太も孫七の前に立ち、孫七は布に包んだ筒を抱えたまま動かなかった。


 男は逃げなかった。


 逃げられないと悟ったのだろう。


「清洲の者に、少し頼まれただけだ」


 新五が静かに問う。


「清洲の誰だ」


 男は口を閉じた。


 いつもの沈黙。


 だが、今日は無理に割らない。


 弥平が、縄を地面へ叩きつけた。


「俺の舟で、そんな縄を使うな」


 その声には怒りがあった。


 船頭の怒りだ。


 舟を失うことを恐れる者だからこそ、舟を傷つけられかけたことに怒る。


 龍之介は、その怒りを清洲へぶつけすぎないようにしなければならないと思った。


「弥平殿。本物の縄はありますか」


「ある」


「では、それを使いましょう。今日の荷は渡す。ただし、替えの縄を一束、那古野側で用意します」


 弥平は龍之介を見た。


「なぜ、そこまでする」


「今日だけではなく、次も舟を出してもらうためです」


 弥平は、しばらく黙っていた。


 やがて短く頷く。


「分かった」


 荷は、本物の縄で結び直された。


 彦右衛門が結びを見て、弥平が自分の手で確かめる。米俵と塩樽は小舟へ載せられた。船底に水はない。板も悪くない。


 小屋番風の男は、新五に見張られていた。


 捕らえるほどの証はない。


 だが、顔は見た。


 声も聞いた。


 縄という跡も残った。


 藤吉郎は飯屋へ行き、店の者に小さな声で何かを聞いて戻ってきた。


「今朝、知らない人が飯を三つ買いました。食べずに持っていったそうです」


「誰に渡した」


 龍之介が問うと、藤吉郎は首を横に振った。


「そこまでは。でも、小屋番の男は今朝、飯を食べていません。なのに口元に飯粒がついていました」


 新五が目を細めた。


「誰かから渡された飯を食ったか」


「たぶん」


 また飯だ。


 人を動かす時、清洲は必ず腹を使う。


 弥平は、小舟へ乗った。


 櫂を握り、川へ出る。


 小舟は静かに水を切った。


 岸の者たちは黙って見ている。


 川の流れは、悪くない。


 昨日雨が降った様子もない。


 小舟は途中で揺れたが、縄は切れなかった。米俵も塩樽も濡れず、向こう岸へ渡った。


 その瞬間、藤吉郎が小さく息を吐いた。


「渡りました」


「ああ」


 龍之介も頷いた。


 ただ荷が渡っただけではない。


 清洲が水の道へ置いた最初の手を、ひとまず外した。


 だが、これで終わりではない。


 縄を替えられるなら、次は船板か、櫂か、岸の小屋か、船頭の飯か。


 見るものは増えるばかりだった。


 那古野へ戻ると、信長は縄を見た。


 偽の縄。


 川の水ではなく桶の水で濡らされ、古く見せられた新しい縄。


 端は薄く切られていた。


 信長はそれを手に取り、しばらく無言だった。


 平手が静かに言う。


「切れれば、荷が濡れ、船頭の責になったでしょう」


「そして湊屋は、弥平を使えなくなる」


 信長が答える。


「水の道を潰すのではなく、船頭の信用を潰す手か」


 龍之介は頷いた。


「はい。川止めではなく、船頭を止める手でした」


 勝三郎が言う。


「馬方の時と同じです。荷を止めるのではなく、運ぶ者が次に動けなくなるようにする」


「大膳らしい」


 信長は低く言った。


 又左が腕を組む。


「縄一本で、そこまで」


「縄一本で米俵は落ちる」


 彦右衛門が返した。


「荷は、そういうものです」


 信長は頷いた。


「なら、縄をこちらでも見る。渡し場に替え縄を置く。だが、那古野の名を大きく出すな。湊屋と渡し守の道具として置く」


 平手が続ける。


「水の休み場も要りますな。馬留めと同じく、岸に逃げ場を作る必要があります」


「作る」


 信長は即答した。


「ただし、小さくだ。大きな湊を作るわけではない。水桶、替え縄、板、飯。これだけでよい」


 藤吉郎が顔を上げる。


「飯もですか」


「船頭にも飯は要るのだろう」


「はい」


「では要る」


 藤吉郎は真剣に頷いた。


 信長は源太と孫七を見た。


「お前たちも、今日は見たな」


 孫七が答える。


「はい。筒を撃たなくても、縄で荷が落ちると分かりました」


 源太も続けた。


「守るものは、人だけではありませんでした」


「いや、人だ」


 信長は言った。


「縄を守るのは、荷を守るため。荷を守るのは、運ぶ者の信用を守るため。結局は人だ」


 二人は深く頭を下げた。


 龍之介は、その言葉を胸に刻んだ。


 荷ではない。


 縄ではない。


 舟でも馬でもない。


 その先に、人がいる。


 清洲はそこを折ろうとしている。


 なら、こちらはそこを支えねばならない。


 その夜、清洲では坂井大膳が渡し場の件を聞いた。


 縄は見抜かれた。


 荷は渡った。


 弥平は舟を出した。


 那古野は替え縄と水桶を置こうとしている。


 大膳は、しばらく黙っていた。


 控えの男が、恐る恐る言う。


「失敗にございます」


「いや」


 大膳は首を横に振った。


「水の道にも目があることは分かった」


「では」


「次は、縄ではない。人の口だ」


 控えの男は顔を上げた。


「口、でございますか」


「弥平が那古野に寄った。湊屋が那古野に寄った。渡し場が那古野に寄った。そう言わせればよい。舟を止めるより、船頭の評判を濁せ」


 控えの男が頭を下げる。


 大膳は静かに続けた。


「道具を守る者は、噂を守れるか」


 清洲の影は、縄から噂へ移ろうとしていた。


 那古野の夜、龍之介は持ち帰った縄を見ていた。


 濡らされ、泥をつけられ、古く見せられた新しい縄。


 切れ目は薄い。


 ほんの少し力がかかれば、そこで裂けたかもしれない。


 藤吉郎が隣で言った。


「縄にも顔がありますね」


「そうだな」


「飯にも、米にも、縄にも、馬にも、舟にも」


「何でも顔があるな」


「はい」


 藤吉郎は真剣だった。


 龍之介は少し笑った。


 だが、すぐに笑みを消した。


 清洲は、次も来る。


 縄が駄目なら、噂。


 道具が駄目なら、人の口。


 弥平が那古野についたと言われれば、渡し場の信用が揺らぐ。湊屋が那古野に寄ったと言われれば、商人の道が細る。


 守るものは増えていく。


 馬の足。


 舟の縄。


 船頭の名。


 商人の顔。


 飯場の米。


 勘十郎の若衆。


 龍之介は手を開いた。


 まだ斬る時ではない。


 だが、斬れぬものばかりがこちらへ向かってくる。


 噂は斬れない。


 縄の切れ目より細く、人の腹へ入り込む。


 それでも、跡はあるはずだ。


 誰が言い始めたか。


 どこで飯を食ったか。


 誰が渡し場へ来なくなったか。


 水の道にも、必ず顔がある。


 龍之介は、夜の闇の向こうにある川筋を思った。


 那古野の灯は、濡れた縄の匂いを残しながら、静かに揺れていた。


第41話─了

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