表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】呂布の武と郭嘉の知を授かった俺、信長の乱世で成り上がる  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/49

第28話 大殿の返書

 末森から返書が届いたのは、藤吉郎が小平へ握り飯を渡しに行く前だった。


 使いに立ったのは、若い武者である。背は高くないが、身のこなしに無駄がなく、那古野の門をくぐる時も周囲をよく見ていた。供は二人だけ。大仰な使者ではない。だが、門番が顔を見るなり姿勢を正したところで、ただの使いではないと分かった。


「池田勝三郎様にございます」


 門番の声が、庭へ届いた。


 龍之介はその名に反応した。


 池田勝三郎。


 池田恒興。


 信長の近くにいるはずの名だ。


 龍之介の胸の奥で、知っている流れの断片が静かに動く。しかし、顔には出さなかった。信長に何度も言われている。知っている名を聞いた時、目を変えるな、と。


 勝三郎は広間へ通されると、信長に深く頭を下げた。


「若様。大殿より返書にございます」


「勝三郎、遅かったな」


 信長の声は軽い。


 だが、二人の距離は近かった。


 又左や新五とは違う。家臣というより、幼い頃から近くにいた者同士の空気がある。勝三郎も、それを崩さぬ程度に顔を上げた。


「末森で平手殿の文を改められた後、大殿が何度かお尋ねになりました。清洲御用とは何ぞ、と」


 広間にいた者たちの背筋が伸びる。


 平手、権六、新五、龍之介、又左、彦右衛門が控えている。藤吉郎は入口近くにいたが、勝三郎が来た瞬間から興味津々の顔をしていた。


 信長は返書を受け取り、すぐには開かずに勝三郎を見た。


「父上は怒っていたか」


「怒っておられるというより、面白がっておられるようにも見えました。ただし、清洲の名を軽く扱うな、と」


「爺と同じことを言う」


 平手が軽く頭を下げる。


「大殿のお考え、もっともにございます」


 信長は笑って返書を開いた。


 そこには、短いが重い言葉が並んでいた。


 清洲御用の名を騙る者があるなら、捨て置くべからず。


 ただし、守護の名を軽々しく騒がせるな。


 橘屋の帳面と印の写しは、那古野で保ち、必要に応じて末森へ改めて送れ。


 清洲へは、問うべき名を問え。


 誰の御用か。


 誰が荷を命じたか。


 誰が橘屋へ圧をかけたか。


 それを文で問い返し、返答を待て。


 信長は最後まで読むと、返書を平手へ渡した。


「父上は止めておらぬ」


 平手は文面に目を通し、深く頷いた。


「止めてはおられませぬ。ただ、騒ぎ方を誤るなということです」


「分かっておる」


 信長は勝三郎へ視線を戻した。


「父上は他に何か言ったか」


 勝三郎は少し迷った後、答えた。


「三郎は、清洲を突くなら先に家中の腹を見ろ、と」


 その言葉で、権六の顔がわずかに動いた。


 龍之介も意味を悟った。


 家中の腹。


 それは清洲だけではない。那古野の内側、末森との筋、そして勘十郎のことも含むはずだ。


 信長は黙った。


 勝三郎は続ける。


「清洲は、必ず若様の足元を見ます。若様が清洲を問えば、若様の家中も問われます。誰が若様の側にいるのか。誰が勘十郎様をどう見ているのか。そこを突かれる、と」


 広間が静まった。


 権六は腕を組んだまま、目だけを伏せている。


 又左は少し居心地悪そうに槍を握り直した。


 藤吉郎は、珍しく飯のことを忘れた顔をしていた。


 信長は、権六へ目を向けた。


「権六」


「はっ」


「清洲は、お前の名を使うかもしれぬ」


「承知しております」


 権六の声は低かった。


「私は、勘十郎様との縁を捨てたわけではございませぬ」


 言った。


 龍之介は、その言葉に息を呑んだ。


 逃げずに言ったのだ。


 権六は続ける。


「されど、今この尾張で、若様の動きを止めれば、清洲に腹を裂かれます。勘十郎様を思うならなおさら、清洲の旗にされぬ道を探さねばならぬと見ております」


 信長は、じっと権六を見た。


「わしの側に立つのは、勘十郎を捨てることではないと」


「はい」


「では、清洲がそう言ってきたらどうする」


「言わせます」


 権六は即答した。


「その上で、私は若様の前で同じことを申します。勘十郎様を清洲の旗にさせぬため、今は若様の側に立つ、と」


 信長は少し笑った。


 楽しげではない。


 どこか、苦みのある笑みだった。


「重いな」


「軽くは申せませぬ」


 平手が静かに頷く。


「権六殿のその言葉は、家中にも必要になりましょう」


 勝三郎は権六を見ていた。


 その目には、試すような色がある。信長の近くに昔からいる者として、権六が本当に信長の側に立つのかを量っているのだろう。


 信長は勝三郎へ言った。


「勝三郎。お前はどう見る」


「権六殿は、腹を決めておられるように見えます」


「そうか」


「ただし、清洲は腹を決めた者より、腹を決めきれぬ者を探すでしょう」


 勝三郎の言葉に、龍之介は目を細めた。


 この若者は、ただの近習ではない。


 信長に近いがゆえに、家中の空気をよく見ている。


 勝三郎は続けた。


「若様の周りに、新しい者が増えています。龍之介殿、新五殿、藤吉郎、孫七、源太。そこへ古参の彦右衛門殿まで動き始めた。清洲から見れば、若様の側が形を変え始めたように見えるはずです」


「実際、変えておる」


 信長は悪びれずに言った。


「ならば、変わることを嫌う者を探されます」


 勝三郎はそう言い、龍之介へ目を向けた。


「山本龍之介殿」


「はい」


「あなたが来てから、若様の周りは騒がしい」


「申し訳ございませぬ」


「謝ってほしいわけではありません。若様が騒がしいのは昔からです」


 又左が思わず笑いかけ、信長に睨まれて口を閉じた。


 勝三郎は淡々と続ける。


「ただ、今の騒がしさは前と違う。槍だけではなく、飯屋、寺、橘屋、荷印、清洲御用。若様が見ている場所が増えた。ならば、若様の近くにいる者も増えた目に耐えねばなりません」


 龍之介は、深く頭を下げた。


「心得ます」


「心得るだけでは足りぬ、と若様は言うでしょう」


 信長が笑った。


「よく分かっておる」


 勝三郎は少しだけ表情を緩めた。


 この二人の距離感は、やはり他と違う。


 信長の無茶を昔から知っている者の言い方だ。


 だからこそ、勝三郎の登場は大きい。


 又左のような荒い武、 新五のような静かな筋、藤吉郎のような軽い耳とも違う。信長の内側に昔からいる目が、龍之介を見始めたのだ。


 清洲へ返す文は、平手と新五が中心となって整えた。


 信長は口を出す。


 勝三郎は横で聞き、必要な時だけ短く言う。


 龍之介は、文の内容よりも、言葉の選び方を見ていた。


 清洲御用と称する荷について、橘屋の古印が用いられていたこと。


 橘屋は新印へ改め、古印の荷を自家のものではないと申し出たこと。


 那古野の荷にも手が伸びたため、清洲の名を守るためにも、どなたの御用か明らかにされたいこと。


 守護様の御用であれば、その旨を。


 大和守様方の御用であれば、その旨を。


 坂井様方の差配であれば、その旨を。


 いずれでもないなら、清洲の名を騙る者として、共に調べるべきこと。


 文は、責めていない。


 だが、逃がさない。


 誰の名か。


 そこだけを静かに問うている。


 平手は筆を置くと、信長へ文を差し出した。


「この形なら、清洲の名を立てつつ問い返せます」


 信長は読み、勝三郎へ渡した。


「どうだ」


 勝三郎は短く目を通し、頷いた。


「清洲は嫌がります」


「それでよい」


「ただ、守護様の名を出された時、こちらも退きづらくなります」


 平手が頷く。


「それが怖いところです」


 信長は文をもう一度見た。


「守護様の名を出すなら、清洲が自分で出せばよい。こちらからは問うだけだ」


 龍之介は、その言葉を胸に刻んだ。


 問うだけ。


 だが、その問いが刃になる。


 清洲御用という曖昧な霧を、名で切り分ける。誰の御用かと問われれば、向こうは誰かの名を出すか、出せずに曖昧なまま怒るしかない。


 どちらにせよ、顔が出る。


 藤吉郎が地面に描いた飯屋の絵を見ながら、小声で言った。


「名をつけると、逃げにくくなるんですね」


 新五が言う。


「お前も、飯と書いた場所を大きく描きすぎるからすぐ分かる」


「飯屋は大事です」


「今は文の話だ」


 信長が笑う。


「いや、藤吉郎の言う通りだ。名をつければ逃げにくい。だから清洲は、清洲御用とだけ言う」


 藤吉郎は少し得意げな顔をした。


 勝三郎がその藤吉郎を見て、龍之介へ小声で言った。


「あの小僧も、若様が拾ったのか」


「はい」


「変わった者ばかり増える」


「私も含めてでしょうか」


「もちろん」


 勝三郎は即答した。


 龍之介は苦笑するしかなかった。


 文を届ける使者には、勝三郎が立つことになった。


 信長が決めた。


「清洲へ返す文だ。軽い者では足りぬ。だが重すぎても喧嘩になる。勝三郎、お前が行け」


「承知しました」


 勝三郎はすぐに頭を下げた。


 又左が少し不満そうにしたが、今回は何も言わなかった。槍ではなく、言葉を運ぶ場だと分かっているのだろう。


 新五も同行する。


 これは林の筋を添えるためだ。


 龍之介も行くかと問われたが、信長は首を横に振った。


「龍之介は行かぬ」


「よろしいので」


「お前が行けば、清洲は流れ者を見たがる。今日は文を見せる日だ。お前は那古野に残って、耳を守る形を詰めろ」


 龍之介は深く頭を下げた。


「承知しました」


 勝三郎が、龍之介を横目で見た。


「置いていかれるのは不満か」


「少し」


「正直だな」


「顔に出る前に申しました」


 勝三郎は少し笑った。


「なら、少しは見どころがある」


 龍之介は返答に困った。


 信長は面白そうに見ている。


 この勝三郎という男は、信長に近いだけあって遠慮が少ない。だが、無礼ではない。相手を試し、距離を測り、その上で必要なら懐へ入る。


 龍之介にとって、また一人、厄介で頼もしい者が増えたことになる。


 勝三郎と新五が清洲へ向かった後、那古野では耳を守る形を詰めた。


 平手は、表に出せる仕組みを考える。


 飯屋、寺、橘屋、薪拾い、馬屋。


 そこから上がる話を、いきなり信長へ通すのではなく、新五か彦右衛門を経て、必要なら平手へ上げる。藤吉郎のような小僧が一人で背負わないよう、聞いた話を誰に渡すかを決める。


 彦右衛門は、荷の帰り道を見る役にされた。


 小僧や下働きが話を持ってきた時、その後ろに誰がついていないか、荷守りの目で見る。古い足軽の目は、ここで効く。


 藤吉郎は、自分の役が増えたことに不安そうだった。


「私は、誰かから聞いたら、まず新五様か彦右衛門殿へ言う。勝手に動かない。飯を使う時も言う」


「そうだ」


 龍之介が頷く。


「でも、急ぎなら」


「急ぎでも、誰かに言え」


「言う相手がいなければ」


「その時は、逃げろ」


 藤吉郎が目を丸くした。


「逃げてよいのですか」


「逃げてよい。耳は、聞いた後に帰ってくるから耳だ。帰ってこない耳は、次を聞けない」


 藤吉郎は、その言葉を何度か口の中で繰り返した。


「帰ってこない耳は、次を聞けない」


「そうだ」


「覚えます」


 珍しく、藤吉郎は飯に例えなかった。


 それだけ、昨夜のことが残っているのだろう。


 龍之介は少しだけ安心した。


 怖さが残っているなら、まだ無茶は減らせる。


 夕暮れ前、勝三郎と新五が戻った。


 清洲は文を受け取った。


 だが、すぐには返答しなかったという。


 代わりに、清洲の門前で坂井大膳の家人らしき者が姿を見せた。勝三郎の話では、名乗りはしなかったが、新五の顔を見てすぐ奥へ引いたらしい。


「大膳本人ではない」


 勝三郎は信長へ報告した。


「ただ、大膳の筋に話は届きました」


 信長は満足げに頷いた。


「よい」


「清洲の門番たちは、若様が守護様の名を問うたと聞いて、少し騒いでいました」


「騒げばよい」


 平手が渋い顔をする。


「若」


「分かっておる。騒ぎすぎれば、こちらも困る。だが、静かなまま清洲御用を使われるよりはましだ」


 勝三郎は続けた。


「それと、帰りに橘屋の前を通りました。宗右衛門は表に出ておりませぬ。代わりに、店先で新しい印の荷札を見せていました」


「見せていた?」


「はい。見えるように置いておりました」


 龍之介は、それを聞いて小さく息を吐いた。


 宗右衛門も動いた。


 ただ怯えているだけではない。新しい印を使うと、門前へ示し始めたのだ。


 信長は笑った。


「商人は弱い。だが、弱い者ほど生きるための手を持つ」


 新五が頷く。


「橘屋は、こちらに完全についたわけではありません。ですが、古い印からは離れ始めています」


「それで十分だ」


 信長は、清洲の方角へ目を向けた。


「次は、向こうが誰の名で返すかだ」


 その声に、広間の空気が締まった。


 守護様か。


 守護代家か。


 坂井大膳か。


 あるいは、曖昧な清洲御用のまま押し通すか。


 返答次第で、次の道が変わる。


 そして、そこから先は荷印や帳場だけでは済まない。


 清洲そのものが動き出す。


 夜、龍之介は庭に出た。


 勝三郎が、槍を持たずに立っていた。


「稽古はせぬのですか」


 龍之介が問うと、勝三郎は笑った。


「今日は見る日だ」


「私をですか」


「若様が拾った流れ者をな」


「どう見えますか」


「大きな火種」


 勝三郎は即答した。


 龍之介は苦笑した。


「それは困ります」


「だが、火は使い方次第で飯も炊ける」


「藤吉郎のようなことを言いますね」


「飯は大事だろう」


 勝三郎は、どこか楽しそうだった。


 しばらく沈黙が落ちる。


 やがて勝三郎は、声を少し落とした。


「若様は昔から早い。人が見てから動くところを、見ながら動く。だから周りが置いていかれることがある」


「はい」


「お前が来てから、その速さに道がついたように見える」


「道、ですか」


「荷の道、飯の道、耳の道。若様が面白がるのも分かる。だが、道が増えれば迷う者も増える」


 龍之介は何も言えなかった。


 勝三郎は続ける。


「若様の近くにいるなら、勝たせるだけでは足りぬ。迷う者が出た時、どこへ戻すかも考えろ」


 その言葉は、今日の耳の話と同じだった。


 帰り道。


 人にも、荷にも、情報にも、心にも帰り道が要る。


 龍之介は深く頭を下げた。


「覚えます」


「覚えるだけでは足りぬ、と若様なら言うな」


「はい」


「なら、やれ」


 勝三郎は笑い、庭の奥へ歩いていった。


 龍之介は、清洲の方角を見た。


 正式な文は出た。


 勝三郎が加わり、権六の腹も少し見えた。


 藤吉郎の耳を守る形も動き始めた。


 橘屋は新しい印を門前に示した。


 清洲は、次にどの名で返してくるのか。


 まだ斬る時ではない。


 だが、名を問う刃は、すでに鞘から少し抜けている。


 龍之介は静かに息を吐いた。


 那古野の夜は、次の返答を待ちながら深く沈んでいった。


第28話─了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ