第11話 末森へ
末森から、正式な使いが来た。
前日の使いとは違う。
今度は、言葉を運ぶだけの者ではなかった。
織田信秀。
大殿。
その名を背負った呼び出しだった。
「三郎様へ。大殿より、先日の戦の仔細を直に聞きたいとの仰せにございます」
使いはそう告げた。
さらに一拍置いて、龍之介へ目を向ける。
「山本龍之介も、伴うようにと」
広間の空気が、わずかに固まった。
又左が眉を動かす。
新五は黙っている。
権六は腕を組み、平手様は目を伏せた。
信長だけが、軽く笑った。
「父上も早いな」
「大殿は、若様の御勝利を喜んでおられます」
「勝ちより、わしが何を拾ったかを見たいのだろう」
使いは答えなかった。
答えぬことが、答えだった。
信長は立ち上がった。
「行く」
権六が一歩出る。
「若。供回りは」
「大げさにするな。父上に戦を仕掛けに行くわけではない」
「されど、末森へ向かう道にも目はございます」
「だから、目立ちすぎぬ程度に連れていく」
信長は、順に名を呼んだ。
「権六。爺。又左。新五。龍之介」
そして、少し間を置いて、入口近くに控えていた小柄な少年へ目を向けた。
「藤吉郎」
「はいっ」
藤吉郎は、呼ばれると思っていなかったらしく、声が裏返った。
又左が吹き出しかける。
信長は構わず言った。
「お前も来い」
「私もでございますか」
「末森へ向かう道の小さな声を拾え。だが、勝手に走るな。新五の目の届くところにいろ」
「承知しました」
藤吉郎は深く頭を下げたが、顔を上げた時には、もう目が動いていた。
道。
人。
飯。
噂。
何を拾えるか、もう考えている。
龍之介は、その少年を見ながら思った。
この者を連れていく。
信長は、ただ面白がっているだけではない。
末森へ向かう道そのものを、見ようとしている。
噂がどこで強まり、誰が拾い、誰が誰へ渡すのか。
そこを見に行くのだ。
那古野から末森への道は、遠い旅ではない。
だが、龍之介にはやけに長く感じられた。
道端の百姓が頭を下げる。
荷を引く男が脇へ避ける。
子供が信長の一行を見て、すぐに母親に引っ張られる。
その視線は、信長だけに向いていない。
龍之介にも向く。
そして、すぐ逸れる。
人の心は読めない。
だが、怖がっているかどうかは、肩に出る。
興味があるかどうかは、目の戻り方に出る。
誰かに聞かせたい噂を持っている者は、口を閉じていても、仲間の顔を見てしまう。
藤吉郎が、少し離れた場所から戻ってきた。
新五がすぐに問う。
「何か聞いたか」
「塩売りがまた出ています」
「昨日の男か」
「違います。ですが、話している噂は同じです。若様が流れ者を重んじて、古い家中を遠ざけている、と」
又左が顔をしかめた。
「誰が遠ざけられたというのだ」
「そこは誰も知りませぬ」
藤吉郎は軽く肩をすくめた。
「知らぬから、言いやすいのです」
龍之介は頷いた。
噂は、形がない方が走る。
誰が遠ざけられたのか。
何があったのか。
細かく問われると崩れる噂ほど、ぼんやりしたまま広げられる。
新五が低く言う。
「末森で同じ形になっているなら、偶然ではない」
「清洲か」
又左が言う。
新五は首を振る。
「まだ決めるな」
「お前まで龍之介みたいなことを言う」
「必要なことだ」
藤吉郎が小声で付け加えた。
「でも、塩売りが話していた相手は、末森へ出入りする馬丁でした」
龍之介の足が少し止まりかけた。
「馬丁?」
「はい。大殿の馬を見る者ではなく、出入りの荷馬を扱う者だと思います。馬の名前を間違えていましたので」
「そこまで聞いたのか」
「違います。向こうが知ったかぶりをしていました」
藤吉郎はにっと笑った。
「馬を知らぬ者が馬の話をすると、馬の方が困った顔をします」
又左が笑う。
「馬の顔まで読むのか、お前は」
「馬は人より素直です」
龍之介は、その軽口の奥にあるものを聞いた。
馬丁。
塩売り。
荷馬。
末森。
噂は、口だけで走っているのではない。
荷と一緒に走っている。
馬と一緒に走っている。
那古野の台所を狙った時と同じだ。
人の暮らしの道を通って、刃が入ってくる。
「若様」
龍之介は前を行く信長へ声をかけた。
信長は振り返らない。
「何だ」
「末森では、馬屋と台所を見たいです」
権六が眉をひそめた。
「いきなり何を言う」
「噂が道と荷で走っております。末森でどこへ入っているかを見なければ、ただ言葉を返しても遅れます」
信長は、少しだけ笑った。
「父上に会いに行くのだぞ」
「承知しております」
「その前に馬屋と台所か」
「大殿に会う前に見られるなら」
平手様が静かに言う。
「若。無作法に見えます」
「分かっておる」
信長は馬を進めながら言った。
「だが、見ずに父上の前へ出れば、龍之介は噂の中の化け物のままだ。見てから出れば、荷と道を見る者になる」
龍之介は胸の奥が熱くなった。
信長は分かっている。
龍之介の言葉の意味だけではない。
どう見せるかまで。
「末森に着いたら、まず馬屋へ寄る」
信長は言った。
「父上には、馬の具合を見ていたと言えばよい」
又左が小声で呟いた。
「それで通りますかね」
新五が答える。
「若なら通す」
「なるほど」
平手様は、少し頭を抱えたように見えた。
末森へ入ると、空気が変わった。
那古野の荒さとは違う。
清洲の網のような重さとも違う。
末森には、大殿の名がある。
織田信秀の影がある。
それは、まだ尾張の多くの者にとって重石だった。
信長の一行が入ると、出迎えの者たちは礼をした。
だが、視線はやはり龍之介へ向く。
得体の知れぬ流れ者。
信長の側にいる者。
噂の中心。
龍之介は、目を伏せすぎず、上げすぎず歩いた。
信長は、本当に馬屋へ向かった。
出迎えの者が慌てる。
「若様、大殿がお待ちに」
「馬が騒いでおる」
信長は短く言った。
確かに、馬屋の奥で一頭が落ち着かず足を踏んでいた。
それは偶然だったのか。
それとも信長が最初から音を聞いていたのか。
龍之介には分からなかった。
だが、信長は馬屋へ入り、当然のように龍之介を呼んだ。
「見ろ」
「はい」
龍之介は馬へ近づきすぎず、まず周囲を見た。
飼葉。
水桶。
敷き藁。
縄。
馬丁たちの顔。
馬そのものより、馬丁の方が緊張している。
その中に、一人だけ、龍之介から目を逸らす男がいた。
年は若くない。
だが、手元が落ち着かない。
藤吉郎が、すっと龍之介の横へ来る。
「あの人、さっきの塩売りと話していた馬丁です」
「確かか」
「はい。声が少し高い」
声。
藤吉郎は顔だけでなく、声も拾っている。
龍之介は馬を見るふりをして、馬丁を見た。
馬は水を飲みたがっている。
だが、水桶が少し遠い。
いや、遠いというより、いつもの位置からずれている。
そのせいで、馬が首を伸ばし、縄が張っている。
わざとではないかもしれない。
だが、雑だ。
龍之介は静かに言った。
「水桶を戻してもよろしいでしょうか」
末森の馬丁頭らしき男が慌てて頷く。
「は、はい」
龍之介は自分で動かず、藤吉郎へ目を向けた。
「藤吉郎」
「はい」
「馬の前に立つな。横から桶を半歩こちらへ」
「分かりました」
藤吉郎が動く。
馬は少し落ち着いた。
龍之介は馬丁たちへ向き直る。
「水桶は、いつもこの位置ですか」
馬丁頭が首を振った。
「いえ。少しずれております」
「誰が」
問われた馬丁たちの視線が、一瞬だけ一人へ集まった。
塩売りと話していた男だ。
男の顔が青くなる。
信長がその反応を見た。
だが、何も言わない。
龍之介も追及しなかった。
「馬は、少しの違いでも嫌がります。水桶がずれるだけで、縄が張り、足が荒れます」
龍之介は、馬丁頭へ頭を下げた。
「那古野でも、私はまだ馬屋のことを教わっております。ここでも学ばせていただきました」
馬丁頭は戸惑いながらも頭を下げた。
噂の化け物が、馬丁に頭を下げた。
その場にいた者たちの目が、少し変わった。
信長は小さく笑う。
「父上を待たせたな。行くぞ」
出迎えの者は、もう何も言えなかった。
龍之介は歩き出しながら、背中で馬丁たちのざわめきを聞いた。
噂への返しは、言葉だけではない。
こういう場面を置く。
それが信長の狙いだったのだろう。
大殿、織田信秀は、奥の間にいた。
龍之介が見た第一印象は、病人ではなかった。
痩せてはいる。
顔色も決してよくない。
だが、目が強い。
座っているだけで、周囲の空気が重くなる。
これが信長の父。
尾張で名を響かせた男。
信長は膝をついた。
「父上」
「三郎」
信秀の声は低かった。
弱っている。
だが、折れてはいない。
「勝ったそうだな」
「危ういところを返しました」
「危ういところへ行くのは、お前の癖だ」
「勝てば癖も役に立ちます」
平手様がわずかに目を伏せた。
権六は無表情を保っている。
信秀は信長を見て、わずかに口元を動かした。
「口は相変わらずだな」
その後、信秀の目が龍之介へ向いた。
「お前か」
龍之介は深く頭を下げた。
「山本龍之介にございます」
「流れ者と聞いた」
「はい」
「三郎の負けを返したとも聞いた」
「若様の御判断あってのことにございます」
「綺麗に逃げるな」
信秀の声が鋭くなる。
龍之介は顔を上げた。
信秀は、じっとこちらを見ていた。
「お前は、何を見た」
龍之介は、短く息を整えた。
「橋が殺し場になるところを見ました」
「それだけか」
「敵の薄い右手。大将の逃げ道。味方の兵が橋へ押し込まれる流れ。そして、三郎様の目がまだ折れていないことを」
部屋の空気が動いた。
信長は何も言わない。
信秀は、少しだけ目を細める。
「三郎の目か」
「はい」
「それを見て、助けたか」
「最初は、兵を死なせたくなかっただけにございます。ですが、三郎様を見て、この方をここで失ってはならぬと思いました」
信秀は、しばらく黙った。
やがて、低く笑う。
「妙な男だ」
「よく言われます」
龍之介がそう答えると、信秀の口元がわずかに動いた。
信長も少し笑った。
だが、次の信秀の声は重かった。
「噂では、人の心まで読むそうだな」
「読めませぬ」
「では、何を読む」
「外へ出たものを。足の向き、声の揺れ、物の乱れ、人の立つ場所を」
信秀は周囲を見た。
「では、この部屋はどう見える」
重い問いだった。
龍之介は一瞬、黙った。
ここで言いすぎれば、首が飛ぶ。
だが、何も言わなければ、使えない。
龍之介は、部屋の中を見る。
信秀。
信長。
平手様。
権六。
又左。
新五。
末森の者たち。
そして、少し離れた場所に座る若者。
信長より柔らかい顔つき。
衣は整っている。
目は素直だが、不安がある。
勘十郎。
その名を聞かずとも、龍之介には分かった。
だが、口にするべきではない。
龍之介は、信秀へ向いた。
「二つの目がございます」
「二つ?」
「大殿を見る目と、三郎様を見る目。そしてもう一つ、三郎様の隣ではなく、別の若い方へ流れる目がございます」
部屋が静まり返った。
信長の目がわずかに鋭くなる。
勘十郎と思しき若者は、息を呑んだ。
龍之介はすぐに続けた。
「それは敵意とは限りませぬ。不安でもあり、案じる心でもあり、これからどうなるか分からぬ者の迷いでもあります」
信秀は黙っている。
「ですが、迷いは人に使われます。誰かが強く吹けば、火にもなります」
平手様の顔がわずかに険しくなった。
権六は龍之介を見ている。
信秀は低く問うた。
「では、お前ならどうする」
「風を強くしませぬ」
「どうやって」
「名を軽く扱わないことにございます」
龍之介は慎重に言った。
「三郎様の名も、弟君の名も、大殿の名も。噂の中で軽く動かせば、家中は裂けます。まず、噂を名から離します。山本龍之介という流れ者の話は、荷と道を見る役に落とす。三郎様の危うさではなく、若様が新しい目を一つ増やしただけだと見せる」
信秀は何も言わない。
龍之介は、頭を下げた。
「弟君を担ぐ者が現れる前に、弟君御自身を噂の刃から遠ざけるべきかと存じます」
言った。
言ってしまった。
部屋の空気が、さらに重くなる。
信長も、すぐには言わなかった。
信秀は、長く龍之介を見た。
そして、勘十郎へ顔を向けた。
「勘十郎」
若者が背筋を伸ばす。
「はい、父上」
「お前は、三郎の勝ちをどう聞いた」
勘十郎は、少し迷った。
それから、素直に答えた。
「兄上が勝たれたなら、よかったと思いました」
「それだけか」
「……はい。ですが、兄上の側に得体の知れぬ者がいると聞き、不安にもなりました」
信長は勘十郎を見た。
勘十郎は目を伏せない。
ただ、少し緊張している。
「兄上を疑ったわけではありません」
その言葉は、真っ直ぐだった。
だが、真っ直ぐな分だけ危うい。
周りがそこへ言葉を足せば、形が変わる。
信秀は静かに頷いた。
「それでよい。不安なら、己の口で言え。人の口を借りるな」
「はい」
信秀は次に信長を見た。
「三郎」
「はい」
「お前もだ。人を拾うなら、拾った理由を家中へ通せ。面白いから拾っただけでは、人は納得せぬ」
「分かっております」
「本当か」
「今、分かりました」
信秀は、深く息を吐いた。
「お前は昔からそうだ。分かるのが遅い」
「父上に似ました」
「似ておらぬ」
その場に、わずかな笑いが生まれた。
重すぎた空気が少し緩む。
龍之介は、ようやく息を吐けた。
話が終わると、信秀は龍之介を残した。
信長も残った。
平手様と権六もいる。
又左、新五、藤吉郎は外へ下がらされた。
勘十郎も別室へ移った。
信秀は、先ほどより少し疲れて見えた。
「龍之介」
「はい」
「お前の目は、役に立つ」
「恐れ入ります」
「だが、危うい」
「承知しております」
「三郎の側に置けば、三郎の危うさも増える。だが、遠ざければ、誰かが拾う。三郎と同じことを、わしも思った」
信長が少しだけ笑う。
信秀はその笑みを睨んだ。
「笑うな」
「はい」
信秀は続けた。
「お前は、三郎の刃になるな」
龍之介は顔を上げた。
「刃に、でございますか」
「刃だけなら、いずれ折れる。あるいは、誰かを斬りすぎる」
信秀の目は鋭かった。
「三郎の目にもなるな。目だけになれば、三郎はお前を頼りすぎる」
龍之介は黙った。
「ならば、何に」
信秀は少し咳き込んだ。
平手様が動きかける。
信秀は手で制した。
「三郎が見落とした時に、足元の石を指す者でよい」
信長が口を開いた。
「父上、それは地味です」
「お前には地味な者が必要だ」
信長は不満げだったが、反論しなかった。
龍之介は深く頭を下げた。
「肝に銘じます」
「それと」
信秀の声が少し低くなる。
「勘十郎を、敵と見るな」
龍之介の背が伸びた。
「はい」
「だが、勘十郎を使う者は見るな。逃すな」
「承知しました」
信秀は信長へ向き直った。
「三郎。お前もだ」
「はい」
「弟を疑えば、弟は敵になる。疑わぬまま放れば、周りが弟を敵にする。難しいぞ」
「分かっております」
「分かってからが遅いと言うたばかりだ」
信長は、今度は笑わなかった。
龍之介は、その父子のやり取りを見ていた。
信秀はまだ強い。
だが、いつまでもこの重石があるわけではない。
この男がいるうちは、尾張の形が保たれている。
もし、その重石が外れれば。
清洲。
那古野。
末森。
勘十郎。
林の家。
権六。
平手様。
又左。
新五。
藤吉郎。
すべてが違う重さで動き始める。
龍之介は、胸の奥に冷たいものを感じた。
戦場の橋より、こちらの方が危うい。
末森を出る頃には、夕暮れが近かった。
信長は、来た時より少し無口だった。
又左も、それを察して騒がない。
藤吉郎ですら、しばらく黙って歩いていた。
やがて、新五が龍之介の横に並んだ。
「言いすぎるかと思った」
「私もです」
「だが、大殿は聞いた」
「はい」
新五は前を行く信長を見た。
「勘十郎様の名を、軽く扱う者がいる」
「いるでしょう」
「林の家にも、いろいろな目がある」
龍之介は、新五を見た。
新五は顔を前に向けたままだ。
「俺は若の近くにいる。だが、家を捨てているわけではない」
「分かります」
「分かった気になるな」
「はい」
新五は、それ以上言わなかった。
だが、その短い言葉で十分だった。
新五もまた、道の上にいる。
信長と林家の間。
若い仲間と古い家中の間。
その立場は、龍之介が軽く読んでよいものではない。
藤吉郎が後ろから小さく言った。
「難しいですね」
新五が振り返る。
「聞いていたのか」
「耳がありますので」
「余計なところに使うな」
「はい」
藤吉郎は、少しだけ真面目な顔で続けた。
「でも、今日分かりました。偉い人の名前は、飯より重いです」
又左が振り向いた。
「お前は何でも飯に例えるな」
「飯は大事です」
「まあ、それはそうだ」
龍之介は、そのやり取りに少し救われた。
重い話の後でも、人は腹が減る。
道を歩く。
軽口を言う。
それもまた、乱世を生きる力なのだろう。
信長が前から声をかけた。
「龍之介」
「はい」
「父上に気に入られたな」
「そうでしょうか」
「気に入らぬ者には、あれほど言わぬ」
信長は振り返らずに言った。
「面倒なことになったぞ」
「はい」
「父上の目にも入った。勘十郎も見た。林の筋にも響く。清洲もさらに動く」
「承知しております」
「ならば、もっと忙しくなる」
信長の声には、少しだけ笑みが戻っていた。
「荷と道だけでは足りぬ。人の名の重さも覚えろ」
「はい」
「そして、槍も忘れるな」
「忘れませぬ」
又左がすかさず言う。
「明日は稽古だな」
「ほどほどにお願いします」
「ほどほどとは何だ。お前に合わせるために、俺も強くなる」
藤吉郎が小声で言った。
「私は見ているだけでよろしいです」
「お前は縄を覚えるのだろう」
龍之介が言うと、藤吉郎は顔をしかめた。
「そうでした。飯の道は遠いです」
信長が笑った。
夕暮れの道に、その笑いが少しだけ明るく響いた。
だが、龍之介は知っていた。
今日、道は一つ増えた。
那古野と末森。
信長と信秀。
信長と勘十郎。
龍之介と家中。
それらをつなぐ道が、はっきり見え始めた。
道が見えれば、人はそこを通る。
敵も、味方も、噂も、刃も。
龍之介は、沈む夕陽を見た。
橋だけが殺し場ではない。
道もまた、殺し場になる。
ならば、道を見なければならない。
人を、名を、飯を、縄を、馬を、噂を。
すべてを、見失わぬように。
那古野へ戻る道の上で、龍之介は静かに拳を握り、また開いた。
第11話─了




