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【連載版】呂布の武と郭嘉の知を授かった俺、信長の乱世で成り上がる  作者: あちゅ和尚


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第10話 末森から来た目

 龍之介に、役が与えられた。


 大げさなものではない。


 荷と道の見分役。


 そう聞かされた者たちの反応は、さまざまだった。


 何をする役なのか分からず首を傾げる者。


 若がまた妙なものを作ったと笑う者。


 台所まで覗く口実ではないかと眉をひそめる者。


 そして、少しだけ安堵する者。


 少なくとも、ただの化け物として置かれているわけではない。


 そう見えるだけでも、噂の形は少し変わる。


 龍之介は、蔵の前で縄の束を見ていた。


 太い縄。


 細い縄。


 古い縄。


 湿りを吸った縄。


 蔵番が腕を組み、隣で見ている。


 最初の頃よりは、顔が険しくない。


「これは、手前でよろしいですか」


 龍之介が問うと、蔵番は首を横に振った。


「それは馬に使うものです。手前に置くなら、こっちの太さですな。荷を縛る時に先に出ます」


「なるほど。では、古いものをさらに手前へ」


「そうです。古いのを奥へやると、いつまでも残る」


 蔵番は、少し得意げだった。


 龍之介は頷く。


「助かります。私は縄の使い分けをまだ知りませぬ」


「知らぬことを知らぬと言うのは、悪くありませんな」


 蔵番はそう言ってから、慌てて咳払いした。


 龍之介は小さく頭を下げた。


 知らぬことを知らぬと言う。


 それが、噂への一番の返しになるのかもしれない。


 何でも読める化け物ではない。


 聞かなければ分からないこともある。


 そう見せる。


 それは、信長が与えた役の意味でもあった。


 そこへ、藤吉郎が走ってきた。


「龍之介殿」


「何だ」


「末森より使いが来ました」


 龍之介の手が止まった。


 末森。


 大殿、織田信秀の名が重い場所。


 そして、信長の弟、勘十郎の影もある場所。


 清洲から放たれた噂が、そこへ届いた。


 分かっていた。


 だが、思ったより早い。


「若様は」


「広間に入られます。新五様が呼びに来いと」


「分かった」


 龍之介は縄から手を離した。


 蔵番が低く言う。


「龍之介様」


「はい」


「蔵のことは、こちらで続けておきます」


 その一言に、龍之介は少しだけ胸が温かくなった。


「お願いします」


 龍之介は頭を下げ、藤吉郎とともに広間へ向かった。


 末森からの使いは、年配の武者だった。


 身なりは整っている。


 礼も崩れていない。


 だが、目は鋭い。


 那古野へ挨拶に来ただけの者ではない。


 見に来ている。


 若き信長が何を拾い、どう扱っているか。


 龍之介が広間に入ると、その目がまっすぐこちらへ向いた。


 信長は片膝を立て、使いの言葉を聞いていた。


 そばには平手様。


 権六。


 又左。


 新五。


 藤吉郎は入口近くに下がった。


 使いが口を開く。


「大殿にも、先日の戦のことは届いております。若様が危うき戦を返されたこと、まずはめでたく」


「父上の御耳に入ったか」


 信長は軽く笑った。


「それは早いな」


「尾張の内で、若様の御勝利が早く伝わるのは当然にございます」


 使いは頭を下げた。


 言葉は丁寧だ。


 だが、そこには別の刃が混じっている。


「ただ、妙な噂も同じく走っております」


「妙な噂とは」


「若様が、得体の知れぬ流れ者を側に置かれた。その者は戦場で人を裂き、人の心まで読む、と」


 広間の空気が静まった。


 又左がわずかに肩を動かす。


 権六の目が鋭くなる。


 信長は、笑みを消さなかった。


「心まで読むか。便利なら、わしが一番使いたい」


 使いは返しに詰まった。


 信長は龍之介を見た。


「龍之介」


「はっ」


「お前、人の心が読めるか」


「読めませぬ」


 龍之介は即答した。


 使いの目が動く。


 龍之介は続けた。


「読めるのは、せいぜい外に出たものにございます。足の向き、手の震え、荷の置き方、縄の傷み、声の大きさ。心そのものは、分かりませぬ」


 信長が使いへ向き直る。


「だそうだ」


 使いは少しだけ目を細めた。


「されど、台所まで見て回っているとも聞きました」


「見て回らせている」


 信長はあっさり言った。


「若」


 平手様が軽くたしなめるように声を出す。


 信長は構わず続けた。


「台所も蔵も馬屋も、戦の腹だ。そこが詰まれば兵は動かぬ。わしは、それを見る者を置いた」


「それが、この流れ者にございますか」


「流れ者だから見えるものもある」


 使いは龍之介を見た。


「山本龍之介、と申したか」


「はい」


「若様の台所を覗き、蔵を改め、馬屋を見て回るとは、ずいぶんな身の置き方だな」


 嫌味だった。


 龍之介は頭を下げた。


「身の程に余ることは承知しております。ですので、勝手には触りませぬ。蔵は蔵番殿に、台所は台所の方々に、馬屋は馬屋の者に聞いております」


「聞く?」


「はい。私は知らぬことが多いので」


 使いの表情が少し変わった。


 何でも見通す化け物。


 その噂とは、違う返しだったからだろう。


 信長は笑った。


「こやつは、まず聞く。聞いたうえで妙なところを見る。そこが面白い」


 使いは、まだ納得した顔ではなかった。


 その時、庭の方で声が上がった。


「荷が傾くぞ!」


 龍之介の身体が反応した。


 信長も顔を向ける。


 使いの従者が連れてきた荷馬の一頭が、庭脇で暴れかけていた。


 荷を縛る縄が緩み、片側の荷がずり落ちている。


 馬が嫌がって首を振った。


 このままなら、荷が落ちる。


 落ちた荷に驚いて馬が暴れれば、人が巻き込まれる。


 又左が立ち上がる。


 だが、龍之介はそれより先に庭へ出ていた。


「右へ寄るな! 馬の前に立つな!」


 声が飛ぶ。


 馬の前へ回ろうとした下働きが、慌てて止まった。


 龍之介は馬を見た。


 目。


 耳。


 足。


 荷の重さ。


 縄の擦れ。


 古い縄ではない。


 結びが甘い。


 いや、甘いというより、荷に合っていない。


「藤吉郎!」


「はい!」


「馬の左後ろ、近づきすぎるな。落ちた荷を蹴らせるな」


「分かりました!」


 藤吉郎が素早く回り込む。


 小柄な身体だから、馬を刺激しにくい。


 新五が庭へ出る。


「人を下げろ」


 短い命で、近くの者が動いた。


 又左は龍之介の横へ来た。


「俺は何をする」


「荷を受けてください。落ちます」


「よし」


「ただし、引かずに受けるだけです。引けば馬がさらに暴れます」


「分かった」


 龍之介は馬の正面に立たず、斜めから近づいた。


 声を落とす。


「大丈夫だ。暴れなくていい」


 馬が耳を動かす。


 龍之介の手は、武に任せれば馬の首を押さえ込める。


 だが、それをすれば馬は怯える。


 力で止めるな。


 道を作れ。


 荷がずれる。


 又左が受ける。


 どん、と重い音がした。


 馬が跳ねかける。


 藤吉郎が落ちた荷の端を蹴って、馬の足元からずらした。


 新五が人をさらに下げる。


 龍之介は馬の手綱ではなく、首筋の横に手を置いた。


 押さえない。


 触れるだけ。


 馬の息が荒い。


 だが、跳ねなかった。


「よし……よし」


 龍之介は低く声をかける。


 やがて馬の足が止まった。


 庭の空気が、ようやく緩む。


 使いの従者が青い顔で頭を下げた。


「申し訳ございませぬ!」


 使い自身も庭へ出てきていた。


 信長は縁側から見ている。


 龍之介は荷の縄を見た。


「この縄、馬の荷には細いです。しかも結びが荷の角にかかっています。道中で少しずつ擦れたのでしょう」


 使いが眉を寄せた。


「分かるのか」


「先ほどまで、蔵で縄を教わっておりましたので」


 藤吉郎が横から言った。


「ほんまです。朝から縄に嫌われておりました」


 又左が笑った。


「それは俺も聞いた」


 庭にいた者の何人かが、小さく笑った。


 使いは、笑わなかった。


 だが、龍之介を見る目が変わっていた。


 心を読む化け物ではない。


 縄を見た男。


 馬を止めた男。


 人を退かせた男。


 噂と違う形が、その場に残った。


 信長が縁側から言った。


「見たか」


 使いは頭を下げた。


「はっ」


「こやつは、こういうものを見るために置く。戦場でも、蔵でも、道でも、詰まりは人を殺す」


 信長の声は軽くなかった。


「父上へは、そう伝えろ」


 使いは、深く頭を下げた。


「承知いたしました」


 荷馬の騒ぎの後、使いは態度を少し改めた。


 完全に信用したわけではない。


 だが、龍之介を見る目に、ただの疑いだけではないものが混じった。


 広間へ戻ると、使いは静かに言った。


「若様。大殿は、若様の御勝利を喜んでおられます」


「そうか」


「されど、御身の周りが騒がしくなりすぎることを案じてもおられます」


「父上らしい」


 信長は笑ったが、声は少し低かった。


 使いは続ける。


「末森には、勘十郎様もおられます。若様の噂は、あちらの周りにも届いております」


 勘十郎。


 名が出た瞬間、広間の空気が変わった。


 龍之介は、自分の顔に何も出さぬよう意識した。


 信長の言葉を思い出す。


 弟を敵と決めるな。


 信長は静かに問う。


「勘十郎は、何と言っている」


「御本人は、兄上が勝たれたならよい、と」


 使いは少し言葉を切った。


「ただ、周りの者が案じております。若様が得体の知れぬ者を近づけ、家中の古き者を軽んじ始めたのではないか、と」


 又左が眉をひそめる。


 権六も黙っている。


 平手様は目を伏せていた。


 信長は笑わなかった。


「そう聞こえるように、誰かが流しておるのだろう」


「それは、私には」


「よい。責めておらぬ」


 信長は龍之介を見た。


「龍之介。何かあるか」


 龍之介は慎重に頭を下げた。


「噂の向きが変わっております」


「どう変わった」


「清洲では、私を若様の危うさとして見せようとしています。末森では、私を若様が古き家中を軽んじる印として使おうとしているように見えます」


 使いの目が動いた。


 龍之介は続ける。


「同じ噂でも、場所が変われば刃の向きが変わります。清洲では外の敵へ向かう刃。末森では内を割る刃です」


 信長は黙っていた。


 怒っているのか、考えているのか分からない。


 平手様が静かに問う。


「では、どう返す」


 龍之介は少し息を整えた。


「私を大きく見せないことかと存じます」


「大きく見せない?」


「はい。若様が私を重んじて古き家中を軽んじる、と言われるなら、私が一人で動くのは悪手です。蔵は蔵番殿に聞き、台所は台所の者に聞き、道は藤吉郎や新五殿が拾い、私はまとめるだけ。そう見せる方がよいかと」


 権六が低く言った。


「己の手柄を薄めるのか」


「手柄に見えすぎれば、火種になります」


「それでお前はよいのか」


「私が若様の側に残るには、その方がよろしいかと」


 信長の目が細くなった。


「残りたいか」


「はい」


 龍之介は正直に答えた。


「ですが、私一人が目立って若様の家中を割るなら、残る意味がなくなります」


 広間が静かになった。


 信長は、しばらく龍之介を見ていた。


 それから、ふっと笑った。


「言うようになった」


 龍之介は頭を下げた。


「無礼を申しました」


「いや。よい」


 信長は使いへ向いた。


「父上へ伝えろ。山本龍之介は、わしの側で槍を振るうだけの者ではない。だが、こやつ一人で何かを決めさせるつもりもない。蔵は蔵の者、道は道の者、台所は台所の者を使う。わしは、それらが詰まらぬように見る目を増やしただけだ」


 使いは深く頭を下げた。


「承りました」


「勘十郎にも、変な噂を聞く前に飯を食えと言っておけ」


 平手様が小さく咳をした。


「若、そのまま伝えるのは」


「駄目か」


「もう少し整えましょう」


 使いは少しだけ困った顔をした。


 だが、先ほどより空気は柔らかかった。


 信長が、わざと緩めたのだ。


 龍之介にはそれが分かった。


 使いが下がった後、信長はしばらく黙っていた。


 広間には、平手様、権六、又左、新五、龍之介だけが残った。


 藤吉郎は外で待たされている。


 信長が口を開く。


「勘十郎の名が出たな」


 誰もすぐには答えなかった。


 信長は続ける。


「弟は、まだ敵ではない」


「はい」


 龍之介は答えた。


「だが、弟の周りは違う」


 信長の声は、低かった。


「父上の具合が少しでも悪くなれば、家中は見る。誰につくか。誰が次を握るか。わしを見る者も、勘十郎を見る者も出る」


 権六が重く頷く。


「若」


「分かっておる。勘十郎を斬れば済む話ではない」


 その言葉に、龍之介は息を呑んだ。


 まだ誰も、そんな話はしていない。


 だが、信長は先を見ている。


 あるいは、すでにその可能性を考えたことがあるのだ。


 平手様が静かに言った。


「若。軽々しく口にされませぬよう」


「軽くは言っておらぬ」


 信長は庭の方を見た。


「だから厄介なのだ」


 龍之介は、信長の横顔を見た。


 若い。


 だが、ただ荒いだけではない。


 弟を愛していないわけでもない。


 しかし、家中が弟を旗にすれば、その名は刃になる。


 龍之介には、その形が見えた。


 だが、まだ断じてはいけない。


「若様」


「何だ」


「弟君を敵にしないためにも、弟君の周りを見る必要があります」


 信長がこちらを向く。


「勘十郎ではなく、周りか」


「はい。誰が弟君の名を出すか。誰が若様の噂をそこへ運ぶか。誰が心配を装って火を吹くか」


 新五が小さく息を吸った。


 龍之介は、その反応を見逃さなかった。


 林の家。


 家中の古い筋。


 勘十郎の名が出ると、そこにも影が差す。


 新五自身がどうという話ではない。


 だが、彼の立ち位置は軽くない。


 龍之介は、それ以上を言わなかった。


 信長も新五を見たが、何も言わなかった。


 代わりに、短く命じた。


「新五」


「はっ」


「末森へ向かう噂の道を見ろ。清洲の時と同じだ。だが、人の名を軽く拾うな。家中の名は、道端の石とは違う」


「心得ました」


「又左」


「はっ」


「お前は勘十郎の名を聞いても、すぐ顔に出すな」


「……出ておりましたか」


「出ていた」


 又左は悔しそうに口を引き結んだ。


 信長は龍之介へ向く。


「龍之介。お前は、わしの前では見えたものを言え。だが、外では見るだけにしろ。弟の話は、特にな」


「承知しました」


 信長は頷いた。


「父上がいるうちは、まだ形が保たれている。だが、形はいつか崩れる。崩れる前に、どこが軋んでいるかを知る」


 龍之介の胸に、重いものが落ちた。


 織田信秀。


 信長。


 勘十郎。


 清洲。


 末森。


 那古野。


 すべてが、少しずつつながっていく。


 戦場はまだ遠い。


 だが、家中の戦はもう始まっていた。


 夕方、龍之介は庭に出た。


 藤吉郎が荷馬の落とした荷を片づけている。


 又左は、結局台所で飯を大きな声で褒めていた。


 新五は姿を見せない。


 もう動いているのだろう。


 龍之介は、庭の端で空を見上げた。


 天文二十年。


 父の名がまだ重い尾張。


 若き信長は、まだ当主ではない。


 それでも、清洲は見ている。


 末森も見ている。


 勘十郎の周りも、やがて動く。


 龍之介の一つの言葉が、道を変えるかもしれない。


 信長の一つの笑いが、人を安心させるかもしれない。


 藤吉郎の一つの握り飯が、耳を増やすかもしれない。


 又左の一杯の飯が、噂を削るかもしれない。


 小さなことばかりだ。


 だが、戦は小さな詰まりから始まる。


 荷を縛る縄が細ければ、馬が暴れる。


 噂の縄がねじれれば、家中が裂ける。


 龍之介は手を開き、ゆっくり閉じた。


 壊さぬように。


 落とさぬように。


 その間を覚える。


 後ろから藤吉郎の声がした。


「龍之介殿」


「何だ」


「荷馬の縄、私も結べるようになった方がよろしいでしょうか」


「なぜ」


「飯を運ぶにも、荷を運ぶにも、縄は要ります。あと、縄を知っておけば、ほどけたふりも見抜けます」


 龍之介は振り返った。


 藤吉郎は、にっと笑っている。


 この少年は、本当に伸びる。


 そして、危うい。


「覚えろ」


「はい」


「ただし、悪さに使うな」


「使いません」


 藤吉郎は一拍置いて言った。


「若様に命じられた時以外は」


「そこは、使いませんで止めろ」


 藤吉郎は笑った。


 龍之介も、少しだけ笑った。


 そこへ又左の声が飛ぶ。


「龍之介! 飯がまだあるぞ!」


 龍之介は返事をしようとして、ふと末森の方角を見た。


 空は赤い。


 その赤の向こうに、大殿がいる。


 勘十郎がいる。


 まだ見ぬ火種がある。


 龍之介は息を吐いた。


 噂は刃より速い。


 だが、飯も、縄も、道も、人の声もまた速い。


 ならば、こちらも動くしかない。


 武に呑まれず。


 知に呑まれず。


 人を見失わずに。


 龍之介は、那古野の庭を歩き出した。


第10話─了

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