第8話 護衛
翌朝。
俺はお嬢様と一緒に、屋敷の裏にある訓練場へ向かった。
そこにはすでに一人の男がいた。
短く切った髪に、日に焼けた顔。腰には剣を下げている。
俺たちに気づくと、男はお嬢様へ頭を下げた。
「おはようございます、セレナ様」
「おはよう、カイル」
どうやら、この人がお嬢様に剣を教えているらしい。
「それで」
カイルさんの視線が俺へ向く。
「今日はどうされました?」
「アルベルトも剣を習いたいって」
「いや、そこまでは言ってないですよ」
「同じでしょう」
「結構違います」
昨日の話は、自分の身を守る方法を知りたいというところから始まったはずだ。
もちろん剣に興味がないわけではない。
この世界には魔物がいる。
森でホーンウルフに襲われたことを考えれば、何かしら身を守る手段は欲しい。
「アルベルト、と言ったな」
「はい」
「話は聞いている。森でローデリック様に保護されたそうだな」
「そうです」
「剣を習いたいのか?」
「できれば、自分の身を守れるようになりたいです」
カイルさんが少し考える。
「なるほど」
「教えてもらえます?」
「その前に一つ聞く」
「はい」
「なぜ剣だ?」
少し意外な質問だった。
「魔物がいるから?」
「なら、魔法でもいい」
「俺、まだ属性も分からないので」
「では13歳まで待てばいい」
「それまでにまた襲われるかもしれないでしょう」
カイルさんが俺を見る。
「怖いのか?」
「怖いですよ」
即答した。
「死にかけましたから」
あの時は本当に何もできなかった。
一度は避けられた。
でも結局転んで、ローデリックさんが来なければ死んでいた。
「だから倒せるようになりたい?」
「できれば逃げられるようになりたいです」
横でお嬢様が呆れた顔をする。
「またそれ?」
「死ななければいいでしょう」
「倒した方が早いじゃない」
「倒せるならね」
カイルさんが少し笑った。
「悪くない」
「そうです?」
「ああ。護衛の考え方には近い」
「護衛?」
「敵を倒すことが目的ではない。守るべき人間を生かすことが目的だ」
なるほど。
言われてみればそうだ。
「特にセレナ様の護衛なら、敵が現れた時に最優先するのは敵を倒すことではない。セレナ様を危険から遠ざけることだ」
「私は戦えるわよ」
「今はまだ戦わせません」
「何でよ」
「弱いからです」
「…………」
お嬢様が黙った。
この人、結構はっきり言うな。
「アルベルト」
「はい」
「剣を持ってみろ」
カイルさんが訓練用の木剣を投げてくる。
慌てて受け取った。
「おっと」
思ったより重い。
前の人生で剣なんて持ったことはない。当然だ。
「構えてみろ」
「構え方分かりません」
「好きにしろ」
一番困るやつだ。
とりあえず両手で握り、身体の前に出す。
カイルさんは俺の姿をしばらく見てから言った。
「振ってみろ」
「はい」
木剣を上げ、そのまま振り下ろす。
ブン、と音がした。
「もう一度」
振る。
「もう一度」
何度か繰り返す。
「止め」
木剣を下ろした。
「どうです?」
「剣は素人だな」
「でしょうね」
知っていた。
「ただ」
カイルさんが俺の足元を見る。
「身体の使い方は悪くない」
「そうなんです?」
「ああ。少なくとも、まったく運動をしてこなかった身体ではない」
まただ。
森を歩いた時も思った。
ホーンウルフを避けた時もそうだった。
この身体は、俺が思っているよりずっと動く。
元々のアルベルトが何かしていたのだろうか。
考えてみても、記憶は出てこない。
「走れるか?」
「多分」
「訓練場を5周」
「今から?」
「自分の身を守りたいんだろう?」
「剣は?」
「その前に身体を見る」
「なるほど」
木剣を置いて走り始める。
訓練場はそれなりに広い。
1周、2周。
思ったより走れる。
3周目。
まだいける。
4周目。
さすがに息が上がってきた。
5周。
「はぁ……はぁ……」
走り終えて、膝に手をつく。
「どうだ?」
「疲れました」
「そうか」
「見れば分かるでしょう」
「まだ口は動くな」
「口は別です」
カイルさんが笑った。
「体力も悪くない」
「10歳くらいにしては?」
「ああ」
「やっぱり」
この身体について、分からないことがまた一つ増えた。
とはいえ、動けないよりはいい。
その後、カイルさんから基本的な立ち方を教わった。
剣の振り方ではない。
足の置き方。
身体の向き。
重心。
それから、相手を見ること。
「剣を見るな」
「でも剣が飛んでくるんですよね」
「剣だけを見るな、という意味だ。肩、腰、足。人間は剣だけで動くわけじゃない」
「なるほど」
「相手の全体を見ろ」
言われた通りにしてみる。
カイルさんが木剣を持って立つ。
「今からゆっくり振る。避けろ」
「受けなくていいんです?」
「今のお前が受けたら負ける」
「ですよね」
木剣が振られる。
横へ避ける。
「遅い」
「ゆっくり振るって言ったじゃないですか」
「ゆっくり振った」
「俺には速いです」
「なら慣れろ」
厳しい。
何度も繰り返す。
最初は木剣ばかり見ていた。
でも、少しずつカイルさんの身体を見るようになる。
肩が動く。
足が出る。
腰が回る。
その後に剣が来る。
「今」
一歩下がる。
木剣が目の前を通った。
「ほう」
カイルさんが小さく声を漏らした。
「今のは?」
「悪くない」
「初めて褒められた」
「調子に乗るな」
「はい」
もう一度。
今度は突き。
身体を横へずらす。
「遅い」
木剣の先が服に触れた。
「これ実戦なら?」
「刺さってる」
「怖いな」
「だから練習する」
正論だ。
横では、お嬢様も別の木剣を持っている。
「私もやる」
「セレナ様は素振りを」
「アルベルトばっかりずるい」
「今のアルベルトは遊んでいるように見えますか?」
お嬢様が俺を見る。
俺は息を切らしている。
「……見えない」
「なら素振りを」
「はい」
カイルさん、強い。
しばらくして休憩になった。
地面に座り、水を飲む。
「剣って、もっと振るものだと思ってました」
「振るぞ」
「今日ほとんど避けてるだけですけど」
「お前は何がしたいと言った?」
「自分の身を守りたい」
「なら、まず攻撃を受けないことを覚えろ」
「剣で受けるんじゃなくて?」
「受けられるならな」
カイルさんが自分の木剣を持ち上げる。
「相手がお前より強ければ、まともに受ければ崩される。相手が魔物なら、力そのものが人間と違うこともある」
ホーンウルフを思い出す。
あれを木剣で受け止めろと言われても無理だ。
「避けられるなら避けろ。距離を取れるなら取れ。逃げられるなら逃げろ」
「それなら得意になれそうです」
「まだ何もできていない」
「そうでした」
「だが」
カイルさんが少し考える。
「お前は避けることに抵抗がない」
「抵抗?」
「剣を持つと、初心者ほど相手に向かっていこうとする。攻撃したくなるからな」
「俺は怖いので」
「それでいい」
意外だった。
逃げることを肯定されるとは思わなかった。
「ただし」
「はい」
「護衛なら、自分だけ逃げるな」
「ああ」
それはそうだ。
「守る相手がいるなら、その人間を逃がす。そのために必要なら前に出る」
「……難しいですね」
「だから訓練する」
またそれだ。
休憩が終わる。
カイルさんが立ち上がった。
「続けるぞ」
「はい」
俺も立つ。
「今度は避けた後だ」
「避けた後?」
「ただ逃げ続けるだけでは、いずれ追いつかれる」
木剣を渡された。
「避ける。距離を取る。それでも相手が追ってくるなら、次に何をするか考えろ」
木剣を握る。
「反撃?」
「それも一つだ」
「ほかには?」
「逃げ道を作る。相手の動きを止める。守る相手を逃がす。味方が来るまで時間を稼ぐ」
なるほど。
敵を倒すことだけが戦いじゃない。
それなら、俺にも少し分かる気がした。
「やってみます」
「ああ」
カイルさんが構える。
俺も木剣を握り直した。
この日から、俺は屋敷の仕事と文字の勉強に加えて、カイルさんから身体の使い方と剣の基礎を教わるようになった。
強くなりたい、というより。
次に危ない目に遭った時、何もできずに終わりたくなかった。
逃げるにしても。
誰かを守るにしても。
できることは、多い方がいい。




