第7話 知らないことを知る
お嬢様と顔を合わせることが増えてからも、俺の生活そのものはそれほど変わらなかった。
朝起きて、できる仕事を手伝い、文字を習う。空いた時間があれば、また何かできることを探す。
お嬢様は相変わらず言葉が足りない。
ただ。
「アルベルト」
「はい」
「庭に行くから、昨日と同じ場所で剣の稽古を見て」
「分かりました」
少しずつ、俺が聞き返す回数は減っていた。
文字の勉強も続いている。
最初は一文字も読めなかったものが、少しずつ文字として見えるようになってきた。
「……エル、フォード」
「そうだ」
先生が頷く。
紙に書かれた文字を、もう一度読む。
「エルフォード」
「これは?」
次の文字を指差される。
「……領?」
「正解だ」
エルフォード領。
俺が今いる場所の名前だ。
話す言葉は最初から分かるのに、文字だけは一から覚えなければならない。
不思議ではある。
でも、分からない理由を考え続けても仕方がない。読めるようになるなら、今はそれでいい。
文字が少し読めるようになると、この世界について知ることも増えた。
「リュミエール王国」
地図を見ながら読む。
「ここが?」
「ああ。お前が今いる国だ」
先生が地図の一部を指す。
「そして、この辺りがエルフォード領」
「端の方なんですね」
「比較的な」
先生の指が少し動いた。
「こちらがヴァルディア帝国だ」
「別の国?」
「ああ。隣国だ」
「仲悪いんです?」
「今は戦争をしていない。交易もある」
「今は?」
「国同士だ。昔から何もなかったわけではない」
「なるほど」
地図を見る。
国があり、その中に領地がある。街があり、道があり、森がある。
今までは、自分がどこにいるのかすらほとんど分かっていなかった。
それが少しずつ、地図の上に自分のいる場所ができていく。
ほかにも、金の使い方や数字、この国の歴史、身分や貴族について習った。
王を頂点に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。
それから騎士や平民。
「じゃあローデリックさんは」
「子爵だ」
「それは知ってます」
「なら何を聞こうとした」
「どれくらい偉いのかなって」
「本人の前では聞くなよ」
「何で?」
「何となくだ」
「先生も分かってない?」
「授業を続けるぞ」
誤魔化された。
ただ、少なくとも森で俺を拾った人が、それなりの立場にいる人だということは分かった。
「そういえば」
「何だ?」
「俺、名字ないですよね」
「ああ」
「普通?」
「平民なら、持たない者もいる」
「貴族は?」
「基本的には家名を持つ」
「じゃあ、アルベルトだけでも変じゃない?」
「それだけでは何とも言えん。平民でも家名を持つ者はいるし、持たない者もいる」
「そうですか」
自分が平民だったのか、貴族だったのか。
それすら分からない。
ローデリックさんは今も調べてくれている。
でも、俺につながる情報はまだ見つかっていなかった。
知らないことは多い。
その中でも、特に気になっていたものがある。
「マルタさん」
「何?」
厨房を手伝っている時に聞いてみた。
「魔法って、誰でも使えるんです?」
マルタさんが手を止める。
「急にどうしたの?」
「この世界のことを勉強してて」
「この世界?」
「あ」
マルタさんが怪訝そうにこちらを見る。
「変な言い方するねえ」
「……この国とか、魔法のことです」
「そういうこと」
危ない。
「魔法だったね」
「はい」
「誰でも同じように使えるわけじゃないよ。人によって得意なものが違うからね」
「得意?」
「属性」
「属性……」
聞いたことのない言葉ではない。
前の世界でも、ゲームなんかではよく使われていた。
「火とか?」
「そう。火、水、風、土。その辺りが基本だね」
「へえ」
「人によって違うよ」
「どうやって分かるんです?」
「属性検査」
「検査?」
「そう」
そこまで聞いて、少し気になった。
「俺も受けられる?」
「受けられるだろうけど、普通は13歳くらいになってからだよ」
「何で?」
「そのくらいになれば、普通の方法でちゃんと調べられるからね」
「それより前はできない?」
「できないわけじゃないよ。ただ、小さい子を調べるには特別な道具や専門の人が必要になるから高いんだってさ」
「なるほど」
「貴族なんかは早く調べることもあるみたいだけどね。教育の予定を立てたりするから」
「じゃあ、お嬢様は?」
「まだだよ」
「意外」
「何が?」
「もう調べてると思ってました」
「旦那様は急いでないんじゃないかね」
「へえ」
自分の属性。
少し気になる。
その日の夕方、ちょうどローデリックさんと話す機会があった。
「属性検査?」
「はい」
「興味があるのか」
「あります。俺も受けられます?」
「受けること自体はできる」
「13歳になる前だと高いって聞きました」
「ああ。特別な道具と、それを扱える者を呼ぶ必要があるからな」
「やっぱり」
「どうしても知りたいなら手配してもいいが」
「いや」
すぐに首を振った。
「そこまでじゃないです」
「そうか?」
「13歳になれば普通に調べられるんですよね」
「ああ」
「じゃあ、それでいいです」
ただでさえ、ここでは色々してもらっている。
急いで知る必要のないものに、さらに金を使ってもらう必要はない。
「気にならないのか?」
「気にはなりますけど」
「なら――」
「今分かっても、俺、魔法の使い方知らないですし」
「それはそうだな」
「13歳までにできることをやります」
ローデリックさんが少し笑った。
「お前らしいな」
「そうです?」
「ああ」
属性が分からなくても、今できることはある。
それなら、今はそっちをやればいい。
庭へ行くと、お嬢様が木剣を振っていた。
最近はその姿も少し見慣れてきた。
「お嬢様」
「何?」
「自分の属性、知ってます?」
「知らない」
「気にならない?」
「気になるわよ」
「何がいい?」
「強いやつ」
「属性の名前で答えてくださいよ」
「じゃあ火」
「何で?」
「強そう」
「雑だなあ」
「アルベルトは?」
「風」
「何で?」
「逃げる時に便利そう」
「また逃げること考えてる」
「大事でしょう」
森でホーンウルフに襲われた時、俺は何もできなかった。
たまたまローデリックさんたちが来なければ、多分死んでいた。
「剣も習えば?」
お嬢様が言った。
「俺が?」
「そう」
「教えてもらえるんです?」
「聞けばいいじゃない」
「誰に?」
「私の先生」
「ああ」
その手があったか。
「でも、俺が習っていいんです?」
「知らない」
「知らないんですか」
「だから聞けばいいでしょう」
「確かに」
お嬢様が木剣を肩に乗せる。
「逃げたいんでしょう?」
「できれば戦わずに」
「弱そう」
「生き残ればいいんですよ」
「私は倒した方がいいと思う」
「お嬢様はそうでしょうね」
「何よ」
「性格」
「どういう意味?」
「そのままです」
木剣を向けられた。
「ほら」
「何です?」
「逃げてみなさい」
「今?」
「逃げるの得意なんでしょう?」
「剣持ってる人から逃げたことないですよ」
「練習」
「それ絶対違う」
「いいから」
「嫌です」
「アルベルト!」
逃げた。
魔法、剣、この国のこと。
まだ知らないことばかりだ。
でも、一つ分かれば次に知りたいことが出てくる。
文字を覚えたから地図が読めた。
地図が読めたから、自分のいる国を知った。
魔法を知ったから、自分の属性が気になった。
そして今度は、自分の身を守る方法も少し知りたくなった。
知らないなら、知ればいい。
できないなら、できることから始めればいい。
翌朝。
俺はお嬢様と一緒に、剣を教えている人のところへ向かった。




