第60話 身体強化
次の休み、《ラ・メルシエ》へ行くことが決まってから数日。
午後の実技授業で、エドガー先生が訓練場の中央に立った。
「今日は身体能力強化の確認をする。そのあと、少し先の技術についても説明する」
身体能力強化。
魔力を身体の中へ巡らせて、筋力や速度、反応なんかを引き上げる技術だ。
俺もバルガスさんとの修行で何度も使ってきた。
周りを見ると、特に驚いている生徒はいない。
すでに使える者もいれば、まだ上手く扱えない者もいる。
そのくらいの技術らしい。
「身体能力強化そのものは珍しくない」
エドガー先生が説明を始める。
「学院を卒業する頃には、大半の者がある程度は使えるようになる。戦う人間なら覚えておいて損はない技術だ」
先生は自分の右腕を軽く上げた。
見た目にはほとんど変化がない。
だが、身体の内側を魔力が巡っている。
「ただし、使えることと使いこなせることは別だ」
先生が近くに置かれていた大きな石を片手で持ち上げた。
そのまま少し歩いて、元の場所へ戻す。
「身体能力強化は練度による差が大きい。短時間、一部分だけ強化できる程度ならD級相当。全身へ安定して魔力を巡らせられるようになればC級程度」
先生は石から手を離した。
「戦闘中でも維持しながら、必要な場所へ魔力を移せるならB級。さらに動作に合わせて出力を細かく変え、無駄をほとんどなくせるようになればA級相当と見られることもある」
同じ技術でも、かなり幅があるらしい。
「全員、まずは全身へ回してみろ」
それぞれが少し距離を取る。
俺も呼吸を整えた。
魔力を身体の外へ出さず、そのまま全身へ巡らせる。
脚。
腰。
胴。
肩。
腕。
バルガスさんに何度もやらされた感覚を思い出す。
均等に流してから、軽く踏み込んだ。
悪くない。
「アルベルト」
「はい」
「使い慣れてるな」
エドガー先生がこちらを見る。
「少しだけ教わってました」
「誰に?」
「バルガスさんです」
「……なるほど」
先生が一瞬だけ納得したような顔をした。
「なら基礎は問題ないな。次は、動きながら配分を変えてみろ」
「はい」
踏み込む瞬間だけ脚を少し強くする。
次に拳を出す動きに合わせて、腰から肩、腕へ。
まだ毎回完璧にできるわけではない。
それでも、バルガスさんとの修行を始めた頃よりはかなり自然にできる。
「悪くない」
先生が言った。
「身体の動きと合わせる感覚はできている」
「ありがとうございます」
隣を見る。
セレナも問題なく全身へ魔力を巡らせていた。
姿勢も崩れていない。
「セレナも安定しているな」
「ありがとうございます」
「ただ、踏み込む時に少し上半身へ残っている。脚へ回した分は、動きが終わったら戻せ」
「はい」
言われてすぐにもう一度試す。
今度はさっきより滑らかだった。
その少し先では、ミアが自分の腕を見ていた。
「ミア」
「はい」
「最初だけ少し多い」
「……これ?」
身体を巡る魔力がすぐに減った。
「そうだ」
「分かった」
次に踏み込む。
脚へ。
戻す。
今度は腕へ。
また戻す。
「……早いな」
先生が言った。
「何が?」
「今ので直せたのか?」
「言われたから」
ミアは不思議そうな顔をしている。
一度感覚を掴んだら、そのまま再現できるらしい。
やっぱりこういうところはすごい。
そして。
ルークだけは、明らかに違った。
全身へ魔力を流している。
そこまでは俺たちと同じだ。
でも、歩き始めた瞬間から違う。
右脚。
左脚。
腰。
肩。
腕。
動作に合わせて魔力が滑らかに移っている。
それも、一度も流れが止まらない。
「ルーク」
俺が呼ぶ。
「何?」
「今、脚から腕までずっと切り替えてました?」
「うん」
「普通に返事してますけど」
ルークがもう一度踏み込む。
右脚へ集めた魔力が、地面を蹴った瞬間にはすでに腰へ移り、そこから肩、腕へ流れていく。
拳を止めると同時に、全身へ薄く戻った。
「……それ、A級の説明で言ってたやつじゃないですか?」
「そこまでじゃないよ」
エドガー先生がルークを見る。
「いや。かなり近い」
「そうですか?」
「自分で分かってないわけじゃないだろ」
「まあ」
ルークが少し笑った。
先生はそのまま数秒、ルークの魔力の流れを見ていた。
「身体能力強化だけじゃないな。魔力操作そのものが上手い」
「練習はしてます」
「どれくらい?」
俺が横から聞く。
「毎日」
「期間を聞いてるんですけど」
「だから毎日」
「またそれですか」
ルークが笑う。
「魔力操作は練習した分だけ上手くなるからね」
言っていること自体は普通だ。
でも、今の動きを見たあとだと、普通には聞こえなかった。
しばらく身体能力強化の確認を続けたあと、エドガー先生が手を叩いた。
「一度集まれ」
全員が先生の前へ戻る。
「ここからは、今すぐ使わせるための話じゃない。今後こういう技術があるという説明だ」
先生が板に、火、水、風、土と書いた。
「属性身体能力強化」
初めて聞く言葉だった。
周囲でも何人かが顔を上げる。
「普通の身体能力強化では、属性を乗せていない魔力を身体へ巡らせる」
先生が火の文字を指した。
「属性身体能力強化では、そこへ自分の属性の性質を加える」
「普通に強くするだけじゃないんですか?」
誰かが聞いた。
「違う。属性によって、強化される方向そのものが変わる」
先生が火を指す。
「火なら瞬間的な出力や爆発力」
次に水。
「水なら動きの滑らかさや持続性」
風。
「風なら速度や方向転換」
最後に土。
「土なら安定性や耐久、踏ん張りに向く」
俺は土の文字を見る。
身体能力強化と土属性。
バルガスさんには教わっていない。
単純に身体を強くする技術とは、かなり違うらしい。
「使えるようになったら便利そうですね」
俺が言うと、先生がこちらを見た。
「簡単に言うな」
「そんなに難しいんですか?」
「普通の身体能力強化とは別物だ」
先生は腕を組む。
「身体能力強化を維持しながら、属性の性質まで自分の身体へ作用させる。魔法を外へ放つのとは違う。少し制御を誤れば、自分自身に影響が出る」
「なるほど」
「安定して実戦で使えるだけでも、A級上位の技量があると見られる」
一気に遠い話になった。
「属性によって難しさも違うんですか?」
セレナが聞く。
「ああ。本人との相性もある。ただし――」
先生が少し間を置いた。
「雷属性だけは、他と同じ感覚で考えるな」
ミアが顔を上げた。
「雷」
「そうだ」
「速い?」
「速い」
先生は頷く。
「反応速度や瞬間的な加速への影響が非常に大きい。使いこなせれば、身体能力だけで見ても圧倒的なものになる」
ミアが少し興味を持った顔をする。
それを見て、先生がすぐに続けた。
「ただし、試すな」
「まだ何も言ってない」
「顔に出てる」
「そう?」
「出てる」
周囲から少し笑いが漏れた。
だが、先生の表情はすぐ真剣なものへ戻った。
「雷属性は筋肉や神経への干渉が強すぎる。流す場所や出力を少し誤るだけで、自分の身体を壊す」
笑いが止まる。
「昔は習得したS級がいたという記録も残っている。だが、今の時代に確認されている使い手はいない」
「1人も?」
セレナが聞く。
「少なくとも公に確認されている者はいない」
それほど難しいのか。
「雷属性身体能力強化を習得できれば、それだけでS級上位の技量があるとも言われる」
先生がミアを見る。
「だから、興味本位で試すことだけはやめろ」
「はい」
珍しく素直だった。
「昔から、命がいくつあっても足りないと言われている技術だ」
そこまで言われたら、さすがにやってみようとは思わない。
俺は何となくルークを見る。
いつも通りだった。
特に驚いた様子もなく、先生の説明を聞いている。
「ルークは知ってました?」
「属性身体能力強化?」
「はい」
「知識としてはね」
「じゃあ使えるんです?」
冗談半分で聞いた。
ルークが笑う。
「普通の身体能力強化で十分だよ」
「答えになってませんよ」
「そう?」
エドガー先生が手を叩いた。
「そこまで。属性身体能力強化を実際に練習するのは、基礎がもっと安定してからだ」
俺たちは片付けを始める。
訓練場を出る頃には、ミアはもう別のことを考えていた。
「アル」
「何です?」
「次の休み」
「はい」
「店」
「覚えてます」
「聖剣」
「それも覚えてますよ」
ミアが頷く。
「まず、ご飯」
「聖剣よりそっちなんですね」
「当然」
「当然なんだ」
セレナが呆れたように言う。
ルークが笑いながら後ろを歩いてくる。
次の休みは、まず《ラ・メルシエ》。
それから聖剣を見に行く。
順番だけは、もう決まっているらしい。




