第43話 いつもの学院
翌朝。
教室へ入ると、いつもと変わらない声が聞こえてきた。
昨日は校外学習が中止になったばかりだったし、もっと騒がしいかと思っていたけれど、意外とそうでもない。
もちろん、何も話題になっていないわけではなかった。
「本当に魔族が出たらしいぞ」
「先生たちが戦ったんだろ?」
「洪水も魔族がやったって話、本当なのか?」
そんな声はあちこちから聞こえてくる。
ただ、学院から詳しい説明はまだ出ていない。
俺たちもネフェリスについて勝手に話さないよう言われているので、聞かれても答えられることは少なかった。
席に着くと、隣から声がした。
「アル」
「おはようございます」
「お腹すいた」
「朝から?」
ミアは机に頬をつけたまま頷いた。
「朝ご飯は?」
「食べた」
「じゃあ大丈夫でしょう」
「もう減った」
「何が?」
「朝ご飯」
「食べたら減るのは当たり前ですよ」
後ろからセレナが呆れたように言った。
「昨日あれだけ食べたのに、よく朝からお腹空くわね」
「昨日は昨日」
「強い」
「何がです?」
「考え方が」
ミアは特に気にした様子もなく、机の中から小さな包みを取り出した。
「何です、それ」
「パン」
「持ってるじゃないですか」
「昼までの分」
「じゃあお腹空いてないでしょう」
「空いてるから食べる」
話が噛み合わない。
少し遅れてルークも教室へ入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよう、ルーク」
ミアはパンを食べながら片手を上げる。
ルークがその手元を見る。
「もう食べてるの?」
「うん」
「朝ご飯?」
「2回目」
「元気だね」
「ルークもいる?」
「遠慮しておくよ」
ミアはすぐにパンを引っ込めた。
「あげる気あったんですか?」
「少しなら」
俺には聞いてこなかった気がする。
午前の授業が終わると、午後は魔法の実技だった。
校外学習の直後だから訓練内容を軽くするらしく、今日は攻撃魔法ではなく魔力操作が中心になる。
リディア先生が訓練場に並べられた石を指した。
大きさは拳くらい。
それが何列も置かれている。
「今日は単純よ。あの石を決められた位置まで動かしてもらいます」
生徒の何人かが首を傾げる。
「壊すんじゃないんですか?」
「壊したら減点」
「飛ばすのは?」
「指定した位置を越えたら減点」
今度は別のところから声が上がった。
「地味じゃないですか?」
「地味よ」
リディア先生はあっさり答えた。
「だからやるの。大きな魔法を撃つだけなら、魔力が多い人間の方が圧倒的に有利でしょう?」
確かに。
「必要なだけ魔力を使って、必要なところで止める。単純だけど、意外とできないものよ」
その言葉に、俺は少しだけ興味が湧いた。
順番に生徒が挑戦していく。
火属性なら熱や爆発で押す。
風属性なら風圧。
水属性なら水をぶつけて動かす。
方法は自由らしい。
ただし、石を指定された線の中へ止めなければならない。
セレナの番になる。
「行ってくるわ」
「頑張ってください」
「その言い方、なんか腹立つ」
「応援しただけなのに」
セレナは前へ出ると、小さな火球を作った。
いつものように派手に撃つわけではなく、かなり抑えている。
火球が石の横で弾けた。
石が転がる。
線の手前。
もう一度、小さな火が弾ける。
今度は線の中で止まった。
「よし」
セレナが小さく拳を握る。
「上手ですね」
戻ってきたセレナに言うと、少し得意そうな顔をした。
「当然でしょ」
「さっき結構緊張してませんでした?」
「してない」
していたと思う。
次はルークだった。
闇属性の魔力が石の周囲へ伸びる。
石が少し動く。
止まる。
また動く。
派手さはない。
でも、ほとんど迷いなく線の中心付近へ入った。
「上手」
ミアが言った。
「ありがとう」
ルークは軽く手を振って戻ってくる。
「慣れてますね」
俺が言う。
「こういう細かいのは好きなんだ」
「意外です」
「どういう意味?」
「もっと派手なのが好きなのかと」
「僕、そんなに派手に見える?」
俺とセレナが同時にルークを見る。
「何その反応」
「いや」
「別に」
「絶対何か思ったよね?」
たぶん似たようなことを考えていた。
そしてミアの番。
「行ってくる」
「壊さないでくださいね」
「壊さない」
「本当に?」
「たぶん」
「今の聞きました、先生?」
「聞こえてるわよ」
リディア先生が少し遠くから答えた。
ミアが石の前へ立つ。
使ったのは土魔法だった。
地面がわずかに盛り上がり、石を押す。
勢いよく。
「ミア」
石が線を越える。
さらに転がる。
「……」
ミアが止めた。
かなり向こうで。
「越えた」
「見れば分かります」
戻ってきたミアは少し不満そうだった。
「難しい」
「前よりは小さく動かせてましたよ」
「でも遠い」
「最初より全然いいでしょう」
校外学習の前に練習した時より、動かす量はかなり減っている。
それでも、俺が普段やっているような動かし方とはまだ違う。
「アルならできる?」
「たぶん」
「見てる」
急に圧が増えた。
俺の番になった。
石の前に立つ。
決められた範囲までは数メートル。
動かすだけなら簡単だ。
問題は止めること。
地面を少しだけ傾ける。
石が転がった。
すぐに戻す。
速度が落ちる。
最後に石の前の地面をほんのわずかに上げると、石は線の中で止まった。
「はい、合格」
リディア先生が言う。
「ありがとうございます」
戻る。
ミアがすぐに聞いてきた。
「今、何回?」
「3回です」
「最初に動かして、遅くして、止めた?」
「そんな感じです」
「1回でできない?」
「できるかもしれませんけど、その方が難しいので」
ミアは少し考える。
「必要な分だけ?」
「そうですね」
「またそれ」
「またって何です?」
「アル、そればっかり」
否定はできない。
実技が終わり、教室へ戻る途中だった。
前から3人の生徒が歩いてくる。
見覚えがあった。
「あ」
向こうも俺たちに気づいたらしい。
校外学習で助けた3人だった。
足を痛めていた男子生徒も、少し歩きづらそうではあるけれど自分で歩いている。
3人は俺たちの前まで来ると、揃って頭を下げた。
「この前は、本当にありがとうございました」
思っていたより勢いよく頭を下げられて、少し困る。
「いや、無事ならよかったです」
「でも、あの時来てもらえなかったら……」
男子生徒が言葉を止める。
隣の女子生徒も頷いた。
「水がどんどん増えてて、もう無理だと思ってました」
「助かったんだから、それでいいわよ」
セレナが言った。
「怪我は?」
「明日くらいには普通に歩けるって言われました」
「ならよかった」
ミアも頷く。
ルークは少し後ろで黙っていた。
「何かお礼をしたいんですけど」
もう1人の生徒が言う。
「いや、本当にいいですよ」
俺が答える。
「でも」
「俺たちも先生に怒られましたから」
「え?」
「勝手に危ないところへ行ったので」
セレナが俺を見る。
「それ言う必要ある?」
「事実でしょう」
「そうだけど」
3人が少し困った顔をする。
「だから、お礼とかは気にしなくて大丈夫です」
そう言うと、3人は顔を見合わせた。
「……じゃあ、せめて今度食堂で何か奢らせてください」
「それくらいなら」
俺が答えるより先に。
「行く」
ミアが言った。
全員がミアを見る。
「ミア」
「何?」
「今の話、お礼を断る流れじゃなかったです?」
「食堂ならいいって言った」
「俺が言う前です」
「行く?」
3人の生徒に確認している。
「もちろん」
「じゃあ行く」
決まってしまった。
セレナがため息をつく。
「あなた、本当に食べ物が絡むと早いわね」
「お礼だから」
「絶対それだけじゃないでしょう」
ミアは答えなかった。
3人と別れて教室へ向かう。
「よかったね」
ルークが言った。
「何がです?」
「3人とも無事で」
「ああ。そうですね」
「助けに行って正解だった?」
少し考える。
「結果だけなら」
「慎重だね」
「先生に怒られたばっかりなので」
「なるほど」
ルークが笑う。
教室へ戻ると、ミアはすぐ席についた。
「アル」
「今度は何です?」
「食堂、いつ行く?」
「もうその話?」
「お礼」
「食べたいだけでしょう」
「お礼も大事」
「急にもっともらしいことを言わないでください」
セレナが笑った。
ルークも席につきながら笑っている。
午後の授業が始まるまで、まだ少し時間があった。




