第39話 大人の仕事
「7人とも無事か!」
「はい!」
「怪我は?」
「ありますけど、動けます!」
「なら後ろへ! ここからは教師が引き受ける!」
エドガー先生の声が森に響いた。
その言葉を聞いて、ようやく身体の力が抜けそうになる。
俺たちはすぐに魔族から距離を取った。
助けた3人を先に下がらせ、セレナとミアも続く。
ルークは最後まで魔族を見ていたが、教師たちが前へ出ると何も言わずに俺たちの方へ戻ってきた。
「アル」
ミアが俺の袖を掴む。
「何です?」
「座った方がいい」
「まだ動けますよ」
「顔、白い」
「さっきも言われました」
「まだ白い」
横からセレナも口を挟む。
「いいから座りなさい」
「はい」
さすがに2人から言われると逆らいづらい。
近くの木の根元に腰を下ろした。
頭が重い。
少し吐き気もある。
魔力を使いすぎた時の感覚だ。
13歳の頃ほどひどくはない。
でも、このまま続けていたら危なかったと思う。
「水」
ミアが水筒を差し出してくる。
「ありがとうございます」
「ゆっくり」
「分かってます」
少しずつ飲む。
冷たい水が喉を通るだけで、少し落ち着いた。
前では教師たちが魔族と向き合っていた。
エドガー先生を含めて4人。
俺たちの時とは、立ち方から違う。
誰も慌てていない。
魔族を囲みすぎず、逃げ道も確認しながら距離を取っている。
「学生から離れろ」
エドガー先生が言った。
魔族は答えない。
「もう一度言う。抵抗しないなら拘束する」
返事はない。
魔族の手に黒い魔力が集まる。
「交渉する気はなし、か」
エドガー先生が短く息を吐いた。
魔族が魔法を放った。
速い。
さっき俺たちが必死で防いだ黒い塊と同じように見えた。
だが。
教師の1人が前へ出る。
水が広がった。
薄い膜のように見えたそれが、黒い魔力を包む。
次の瞬間。
軌道が逸れた。
黒い魔法が木々の間へ飛んでいき、遠くで爆発する。
「……あれ、受けなかった」
セレナが呟いた。
「流した」
ミアが言う。
俺も見ていた。
正面から止めようとしていない。
力をぶつけたわけでもない。
相手の魔法を少しずらしただけだ。
「上手いな……」
思わず声が出た。
「アルが言うと妙な説得力あるね」
ルークが隣で言った。
「何でです?」
「似たようなことするから」
「規模が違いすぎますよ」
「あれは先生だからね」
「ですよね」
今度はエドガー先生が動いた。
距離を一気に詰める。
速い。
さっきまで魔族の動きに必死でついていっていた俺でも、目で追うのがぎりぎりだった。
剣が振られる。
魔族が黒い魔力で受ける。
金属音ではなく、重い衝撃音が響く。
エドガー先生は止まらない。
1撃。
2撃。
3撃。
魔族が後ろへ下がる。
俺たち4人でようやく少し崩した相手を、正面から押している。
「……強い」
セレナが呟く。
「先生だし」
ミアが答える。
「それで済ませる?」
「じゃあ、すごく強い」
「最近それ好きね」
さっきまで死にかけていたのに、少しだけいつもの空気が戻った。
ただ。
魔族も弱くない。
エドガー先生の剣を受けながら、横から飛んできた魔法まで避ける。
一度大きく距離を取ると、地面へ黒い魔力を叩きつけた。
土が爆発する。
泥と土煙が一気に広がった。
「視界を切る気だ!」
教師の誰かが叫ぶ。
俺も目を細める。
見えない。
「逃げる」
ルークが言った。
「分かるんですか?」
「たぶんね」
次の瞬間。
土煙の向こうから黒い魔法が何発も飛び出した。
教師たちが散る。
その隙に。
赤い目が、森の奥へ動いた。
「逃がすな!」
エドガー先生たちが追う。
だが、もう1人の教師が俺たちの前へ残った。
「君たちは動くな!」
「はい!」
追いかけるという選択肢は最初からない。
今の俺なら走るだけでもきつい。
しばらく。
森の中から何度か大きな音が聞こえた。
剣がぶつかるような音。
魔法が炸裂する音。
それが少しずつ遠くなっていく。
やがて、静かになった。
「逃げたかな」
ルークが呟く。
「先生たちが?」
セレナが聞く。
「魔族の方」
「まだ分からないでしょ」
「そうだね」
ルークはそれ以上何も言わなかった。
残った教師が俺たちの怪我を確認していく。
「君」
「はい」
俺の前でしゃがむ。
「魔力を使いすぎたな?」
「少し」
「少しの顔じゃない」
今日何回言われるんだろう。
「頭痛は?」
「あります」
「吐き気」
「少し」
「手足の痺れは?」
「それはないです」
「なら、これ以上魔法は使うな。歩くのも最低限にしろ」
「はい」
「本当に分かってるか?」
「分かってます」
先生が疑うような目で俺を見る。
「アル」
セレナが横から言った。
「この人、無理してても大丈夫って言います」
「セレナ」
「何?」
「余計な情報を」
「必要な情報よ」
先生が俺を見る。
「なるほど」
「納得しないでください」
「なら余計に座っていろ」
「はい」
ミアは大きな怪我なし。
セレナも擦り傷と魔力消費。
ルークも同じくらいに見えた。
助けた3人も、最初に聞いた通り大きな怪我はない。
本当に。
7人とも生きている。
それだけで十分だった。
しばらくすると、森の奥からエドガー先生たちが戻ってきた。
魔族の姿はない。
「先生」
セレナが立ち上がる。
「どうなりました?」
エドガー先生は少し険しい顔をしたまま首を振った。
「逃げられた」
やっぱり。
「追わなくていいんですか?」
助けた生徒の1人が聞く。
「これ以上学生を残して深追いする方が危険だ」
エドガー先生が答える。
「それに、今は状況確認が先だ」
俺たちを見る。
「何があったか、最初から聞かせてもらう」
全員の視線が集まった。
どこから説明する。
雨。
川。
土砂崩れ。
氾濫。
取り残された3人。
救助。
その後に見つけた不自然な土。
金属片。
足跡。
赤い目。
そして魔族。
「その前に」
ルークが言った。
「近くに見てもらいたいものがあります」
エドガー先生がルークを見る。
「何だ?」
「魔道具らしい破片です」
一瞬。
教師たちの表情が変わった。
「どこにあった?」
「ここから少し戻ったところです。僕たちは触ってません」
「案内できるか?」
「できます」
ルークが頷く。
「でも」
俺が口を挟んだ。
「足跡もありました。魔族がいた方向へ続いてました」
エドガー先生の顔がさらに険しくなる。
「分かった」
他の教師へ向く。
「2人で確認してくれ。学生は連れて行くな」
「了解」
ルークが場所を説明する。
教師2人がすぐに向かった。
「俺たちは?」
セレナが聞く。
「学院へ戻る」
エドガー先生は迷わず答えた。
「校外学習は?」
「中止だ」
「やっぱり」
「川が氾濫して、正体不明の魔族まで出た。続行する理由がない」
それはそうだ。
先生たちが移動の準備を始める。
俺も立ち上がろうとした。
「アル」
セレナの声。
「何です?」
「座ってて」
「でも戻るんですよね」
「今すぐじゃないでしょ」
「自分で歩けますよ」
「そういう話じゃない」
どこかで聞いたような言葉だ。
すると。
ミアが俺の荷物へ手を伸ばした。
「持つ」
「え?」
「アルの荷物」
「いや、いいですよ」
「持つ」
俺が止める前に背負われた。
「ミア、それ結構重いですよ」
「大丈夫」
「さっき歩くの疲れたって言ってませんでした?」
「今はアルより元気」
「それはそうですけど」
ミアが少し考える。
「これでアルは軽い」
「そうですね」
「じゃあ」
嫌な予感がした。
「私を持てる?」
「何でそうなるんですか」
「荷物減ったから」
「今それ言います?」
セレナが呆れたように額を押さえる。
「ミア」
「何?」
「今は自分で歩きなさい」
「歩く」
「ならいいのよ」
ミアは普通に歩き始めた。
やっぱり元気だ。
少し笑ってしまった。
頭はまだ痛い。
身体も重い。
状況だって全然笑えるものじゃない。
それでも。
さっきまで死ぬかもしれないと思っていた7人が、こうして普通に話している。
それがありがたかった。
学院へ戻ったら、たぶん話を聞かれる。
あの金属片が何だったのかも調べられるだろう。
川の氾濫と魔族に関係があるのかも。
俺にはまだ何も分からない。
ただ。
偶然の事故だと思っていたものが。
本当に偶然だったのか。
それだけは、少し怪しくなっていた。




