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第36話 遭遇

「みんな、ここから離れよう」


ルークが言った。


「今すぐだ」


その声に、誰も反論しなかった。


森の奥で見えた赤い目。


ほんの一瞬だったが、見間違いではない。


それに、木の根元に落ちていた魔道具らしき金属片。


学院が管理している道から外れた場所に残る、不自然に動いた土。


ただの土砂崩れだと思っていたものが、急に違って見えてくる。


「来た道を戻る?」


セレナが聞いた。


「いや。川には近づかない方がいい」


ルークが即答した。


「このまま高い場所を進もう。教師を見つけたら、ここで見たものを全部伝える」


「分かったわ」


俺たちが助けた3人も、不安そうに森の奥を見ている。


「何かいるかもしれません。離れないでください」


俺が言うと、3人とも頷いた。


セレナが先頭に立ち、その後ろに3人。


俺とミアが続き、ルークが最後尾についた。


歩き始める。


誰も喋らない。


聞こえるのは雨音と、泥を踏む音だけだった。


俺も何度も後ろを確認する。


何もいない。


少なくとも、姿は見えない。


「アル」


前を歩いていたセレナが小さな声で呼んだ。


「はい」


「さっきの、本当に目だったと思う?」


「たぶん」


「魔物かしら」


「分かりません」


赤い目をした魔物くらい、この世界にはいるのかもしれない。


ただ、妙だった。


俺たちを襲ってくるわけでもなく、こちらを確認してから姿を消した。


まるで――。


「見られてたみたいだった」


ミアが言った。


俺も同じことを考えていた。


「嫌なこと言わないでよ」


「セレナも思ってたでしょ」


「……ちょっとだけね」


セレナが前を向く。


その後ろで、ルークは何も言わなかった。



さらに進む。


学院の道へ戻るなら、もう少し北へ向かった方がいい。


ただ、地図にはこの辺りの細かな地形までは載っていない。


雨のせいで足元も悪い。


急いで転ぶ方が危険だ。


「この先、少し下がってる」


ミアが言った。


前方を見る。


確かに地面が緩やかに低くなっている。


「避けましょう」


俺たちは斜面に沿って横へ進む。


すると、後ろを歩いていたルークが突然足を止めた。


「待って」


全員が止まった。


「どうしたの?」


セレナが振り返る。


ルークは俺たちが歩いてきた方向を見ている。


「音がしない」


「音?」


俺も耳を澄ます。


雨。


葉。


遠くの川。


それ以外は何も聞こえない。


「何も聞こえないけど」


セレナが言う。


「だからだよ」


ルークの声が低くなる。


「さっきまで鳥の声がしてた」


言われて気づいた。


確かに静かだ。


雨が降っているからだと思っていた。


でも、さっきまでは時々鳥の鳴き声が聞こえていた。


今はそれすらない。


「行こう」


ルークが言った。


今度はさっきより速い。


「少し急いだ方が――」



バキッ。



後ろで枝が折れた。



全員が振り返る。



何もいない。



木々が並んでいるだけだ。


「……風?」


誰も答えない。


「進みましょう」


俺たちは再び歩き出した。



バキッ。



今度は左。



近い。



セレナの手に火が灯った。


ミアも立ち止まる。


俺は腰の剣に手をかけた。


ルークはすでに森の奥を見ている。


「走らないで」


ルークが言った。


「固まって進もう」


「何かいるの?」


セレナが聞く。


「いると思って動いた方がいい」


俺たちは歩く。


少し速く。


それでも走らない。


後ろを見る。


いない。



前。



右。



左。



姿は見えない。


なのに、何かが俺たちと一緒に移動している。



ガサッ。



今度は右後ろ。


「近い」


ミアが言った。



次の瞬間。



何かが飛んできた。



「伏せろ!」


ルークが叫ぶ。


考えるより先に身体を低くした。


頭上を黒い塊が通過する。



ドンッ!



前方の木にぶつかった。


幹が大きく抉れ、木片が飛び散る。


「きゃっ!」


セレナが腕で顔を庇う。


俺はすぐに立ち上がった。


「全員大丈夫ですか!?」


後ろの3人を見る。


怪我はない。


「何よ、今の……」


セレナが木を見る。


抉れた場所から黒い煙のようなものが消えていく。


魔法。


少なくとも、ただ石を投げられたわけじゃない。


「下がって」


ミアが3人の前に立つ。


眠そうな雰囲気はもうなかった。


「ルーク」


俺が呼ぶ。


返事がない。


ルークは、攻撃が飛んできた方向を見ていた。



木々の間。



そこに誰かが立っている。



人に見えた。


背丈も、身体つきも、人間と大きくは変わらない。


だが。



目が赤い。



さっき森の奥から俺たちを見ていたものと同じ色。



額の横には、小さな角が伸びていた。



「魔族……」


後ろにいた生徒の1人が震えた声を出した。


俺も話には聞いている。


人間と長い間戦争を続けている種族。


学院に来るまで、実際に見たことはなかった。


セレナが息を呑む。


ミアも魔族から目を離さない。



ルークだけが。



何も言わなかった。



「ルーク?」


セレナが呼ぶ。


わずかに遅れて、ルークが反応した。


「……うん」


「どうしたの?」


「いや」


ルークは魔族を見たまま答えた。


「何でもない」


何でもないようには見えなかった。


だが、今は聞いている場合じゃない。



魔族の男が一歩こちらへ近づいた。



俺たちも同じだけ下がる。



「さっきの場所で」


セレナが口を開いた。


「私たちを見てたのは、あなた?」


返事はない。


「川の近くに落ちてた魔道具も、あなたのもの?」


男の視線が動いた。


ほんの少しだけ。


それで十分だった。


「やっぱり……」


セレナの周囲に火が増える。


「川の氾濫と何か関係があるの?」


男は答えない。



ただ、右手を上げた。



黒い魔力が集まる。



「話す気はないみたいだね」


ルークの声で、全員が構えた。


「後ろの3人は走らないで。僕たちから離れないように」


「でも――」


「今はそれが一番安全だ」


ルークの右手にも闇が集まる。


セレナは炎。


ミアの周囲には小さな雷が走った。


俺は剣を抜く。


勝つ必要はない。


教師を見つけるまで逃げ切ればいい。


そう思った。



男の手から黒い塊が放たれた。



「来る!」



ルークの闇が広がり、正面から受け止める。



激しい音が響いた。



闇同士がぶつかり、周囲の木々が揺れる。



「移動するよ!」


ルークが叫んだ。



俺たちは後ろの3人を囲むように動き出す。



戦いながら逃げる。



そのつもりだった。



だが。



男の姿が消えた。



「え――」



次の瞬間。



俺たちの進行方向に立っていた。



速い。


でも、ただ脚が速いわけじゃない。


動き出す直前、男の身体を巡る魔力が一気に変わった。


踏み込みに合わせて、脚へ魔力が集まっていた。


身体能力強化。


バルガスさんとの修行で、俺も何度も使っている。


ただ、俺のものとは全然違う。


「……身体能力強化」


思わず声が出た。


「分かるの?」


セレナが男から目を離さないまま聞く。


「はい。でも、かなり上手いです」


必要な瞬間だけ魔力を集めて、一気に身体を動かす。


バルガスさんにも何度もやらされた。


それでも、今の動きは見てから追えるような速さじゃなかった。



男は無言のまま、再び右手を上げる。



逃がすつもりはない。



そのことだけは、はっきりと分かった。

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