第35話 不自然な跡
俺たちは7人で、さらに高い場所へ向かった。
雨はまだ降り続いている。
さっきまでいた川沿いに比べれば水の音は遠くなったが、地面はかなり水を含んでいた。
足を置くたびに、靴が少し沈む。
「こっちで合ってる?」
セレナが地図を見ながら聞く。
ルークが周囲と地図を見比べた。
「方角は合ってる。ただ、学院が決めた道からは外れてるね」
川を避けながら上流へ移動したせいで、予定していた経路からかなり離れている。
「戻る?」
ミアが聞いた。
「今から川の近くへ戻る方が危ないでしょ」
セレナが答える。
「俺もこのまま高いところを進んだ方がいいと思います」
「そうだね」
ルークも頷いた。
「学院の道へ戻れる場所を探しながら進もう。教師を見つけられれば一番いい」
俺たちが助けた3人も反対はしなかった。
川へ戻りたいとは思わないだろう。
そのまま斜面を進んでいく。
道はほとんどなかった。
人が歩くことを前提にした場所ではないらしく、木の根や倒れた枝が多い。
雨で滑りやすくなった斜面を、足元を確認しながら進む。
「大丈夫ですか?」
俺は後ろを歩く3人へ声をかけた。
「大丈夫」
「歩けるよ」
救助した時にはかなり疲れているように見えたが、大きな怪我はないらしい。
少し安心した。
「アル」
しばらくして、隣を歩いていたミアが呼んだ。
「何です?」
「疲れた」
「さっき結構魔法使いましたからね。少し休みます?」
「違う」
「違う?」
「歩くのが疲れた」
「そっちですか」
「おんぶ」
「しませんよ」
「けち」
前でも聞いたな、この会話。
「本当に疲れてるなら休むわよ」
セレナが振り返る。
「歩ける」
「じゃあ歩きなさい」
「アルにおんぶしてもらえば楽」
「アルも荷物持ってるんだから、自分で歩きなさい」
「じゃあ、アルの荷物は私が持つ」
「え?」
ミアが真顔のまま続ける。
「それで、アルが私を持つ」
「荷物が1人増えてるだけじゃないですか」
「私は荷物じゃない」
「そこじゃないでしょう」
セレナが呆れたように言う。
「自分で歩きなさい」
「歩ける」
「なら歩きなさい!」
「……分かった」
ミアは少しだけ不満そうにしながらも、普通に歩き始めた。
やっぱり歩けるんじゃないか。
後ろで、助けた生徒の1人が小さく笑っていた。
それからしばらくは、特に何も起きなかった。
雨音。
足音。
時々聞こえる枝の折れる音。
森の中を進んでいるだけだ。
ただ、予定していた道から外れているせいか、人が通った跡はほとんどない。
俺はなるべく足元を見るようにしていた。
この雨なら、低い場所や柔らかくなった斜面は避けたい。
少しでも危なそうなら遠回りする。
急ぐ理由はない。
その時だった。
「……あれ?」
足を止める。
「どうしたの?」
セレナが聞く。
少し先の地面を見る。
斜面の一部で、土が剥き出しになっていた。
それ自体はおかしくない。
これだけ雨が降っている。
土が流れたり、小さく崩れたりした場所はいくつも見てきた。
ただ。
「ここだけ、少し変じゃないですか?」
近づきすぎないようにしながら確認する。
斜面の土が削れている。
水が流れた跡もある。
その横に、細い溝のようなものが何本か伸びていた。
自然に水が流れてできたにしては、妙に形が揃っている。
「何が変なの?」
セレナが俺の横から覗き込む。
「上手く言えないんですけど」
水なら低い方へ流れる。
当然、地面の形に沿って曲がる。
でも、この跡は途中だけ不自然に向きが変わっているように見えた。
「魔法?」
ミアがしゃがみ込んだ。
「分かる?」
セレナが聞く。
ミアは地面へ手を触れる。
少しして、首を傾げた。
「分からない」
「じゃあ自然?」
「分からない。でも、変」
結局そこは同じらしい。
俺も周囲を見る。
少し離れた場所にも、土が大きく動いた跡が残っていた。
「土砂崩れの跡じゃないかな」
ルークが言った。
「たぶん」
俺も頷く。
上流で土砂崩れが起きた。
それで川の流れに何かが起き、急に水量が増えた。
逃げてきた生徒からはそう聞いている。
なら、この辺りに崩れた跡があってもおかしくはない。
「この辺りが崩れて、川に土が流れたのかもしれませんね」
俺が言うと、ルークは斜面の上を見た。
「あり得るね」
ルークの声は普通だった。
ただ、何かを確認するように周囲を見ている。
「どうしたの?」
セレナも気づいたらしい。
「いや」
ルークは少し考えてから答えた。
「土砂崩れが原因なら、どこからどこまで崩れたのかなと思って」
「今調べる必要ある?」
「ないよ」
ルークが笑う。
「気になっただけ」
そう言いながらも、まだ地面を見ていた。
「これ」
セレナの声がした。
少し離れた木の根元を指差している。
そこに、小さな金属片が落ちていた。
「何かしら」
セレナが手を伸ばす。
「触らない方がいいですよ」
俺が止めると、手が止まった。
「どうして?」
「何か分からないので」
「ただの金属じゃない?」
「かもしれませんけど」
学院が管理している森とはいえ、今いるのは本来の経路から外れた場所だ。
何が落ちているのか分からない。
「見るだけにしておきましょう」
セレナも素直に手を引っ込めた。
金属片は手のひらに収まりそうな大きさだった。
何かの道具が壊れた一部に見える。
表面には細かな模様のようなものが刻まれていた。
「学院の物?」
セレナが聞く。
「違うと思う」
ルークが答えた。
「少なくとも、僕は見たことがない」
俺もない。
訓練で使う道具や、今回支給された物とも違って見える。
ミアが少し顔を近づけた。
「魔力ある」
「え?」
セレナがミアを見る。
「これに?」
「少し残ってる」
「分かるんですか?」
俺が聞くと、ミアは頷いた。
「うん」
「じゃあ魔道具?」
ルークが聞いた。
ミアは少し考える。
「たぶん」
魔道具。
何のための物なのかは分からない。
そもそも、この金属片がさっきの崩れた地面と関係あるのかも分からない。
誰かが以前ここで落としただけかもしれない。
「先生に見てもらった方がいいですね」
俺が言う。
「場所を覚えておきましょう」
「そうね」
セレナが頷いた。
その時。
「アル」
ミアが地面を指差した。
「何です?」
そこを見る。
泥の中に跡が残っている。
「足跡?」
セレナが呟く。
俺たちのものではない。
少し大きい。
学院の生徒が履いている靴の跡とも形が違っていた。
1つだけじゃない。
森の奥へ向かって、いくつも続いている。
「先生じゃない?」
セレナが聞く。
「分からない」
ルークが即答した。
しゃがむことはせず、足跡を目で追っている。
俺もその先を見る。
木々の奥。
雨で暗くなった森。
誰かがここを歩いた。
それ自体はおかしな話じゃない。
教師かもしれない。
学院の管理をしている人間かもしれない。
ただ。
不自然に動いた土。
魔力の残った金属片。
そのすぐ近くにある、知らない足跡。
偶然で片付けるには、少し気持ちが悪かった。
「みんな、ここから離れよう」
ルークが言った。
いつもより低い声だった。
「ルーク?」
「今すぐだ」
セレナがルークを見る。
「何か分かったの?」
「いや」
ルークは首を振った。
「分からないからだよ」
それだけで十分だった。
俺も同意する。
「そうですね。助けた3人もいるし、調べるのは先生に任せましょう」
「分かったわ」
セレナも頷く。
「戻る?」
ミアが聞く。
「川には戻らない方がいい」
ルークが言った。
「高い場所を進みながら学院の道を探そう。教師を見つけたら、ここで見たものを全部伝える」
誰も反対しなかった。
俺たちはすぐにその場を離れようとした。
その時だった。
バキッ。
森の奥から、枝が折れる音がした。
全員の動きが止まる。
雨音の向こう。
さっきの足跡が続いていた方向だ。
俺は木々の間を見る。
何かいる。
そう思った瞬間。
木の陰に、赤いものが見えた。
目。
人間のものとは思えないほど、赤い目だった。
こちらを見ている。
ほんの一瞬。
それは、俺たちが気づいたことを確認するように動きを止めた。
そして。
ゆっくりと、森の奥へ消えていった。




