↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/92

第3話 エルフォード子爵家

ローデリックさんたちについていくことになって、しばらく森の中を歩いた。


「大丈夫か?」


前を歩いていたローデリックさんが振り返った。


「はい。思ったより全然」


「そうか。疲れたら言え。お前に合わせる」


「ありがとうございます」


足場の悪い森の中を歩いているのに、思ったほど疲れていない。


ホーンウルフから逃げた時にも感じたけど、やっぱりこの身体はよく動く。


……最後は転んだけど。


しばらく歩くと、木々の隙間から明るい光が見えてきた。


「もうすぐ森を出る」


ローデリックさんの言葉通り、やがて視界が一気に開けた。


「おお……」


思わず声が出る。


森の外には広い草原が続いていた。


少し離れたところには畑が広がり、その向こうには石造りや木造の建物が集まっている。


そして、道を走っているのは車ではない。


馬車だ。


本当に馬が引いている。


「どうした?」


「いや……馬車だなって」


「馬車だが」


ローデリックさんが怪訝そうな顔をする。


「珍しいのか?」


「……多分」


「記憶を失うというのは大変なものだな」


そういうことにしておこう。


森の外で待っていた別の一団と合流すると、俺は馬車に乗せられた。


どうやら討伐は予定通り終わったらしい。


俺が遭遇したホーンウルフも、この辺りで増えていた魔物の一種だったようだ。


馬車はゆっくりと道を進む。


窓から外を見ると、畑で働く人たちがいた。荷車を押している人もいる。


遠くでは、牛によく似た動物が畑を歩いていた。


魔法があることを除けば、想像していたより普通だ。


人が働いて、物を運んで、畑を耕している。


当然といえば当然か。


異世界だろうが、そこで人が暮らしているなら生活はある。


ぼんやり外を眺めていると、馬車が大きく揺れた。


「うおっ」


身体が浮きそうになり、反射的に座席を掴む。


「この辺りは道が悪くてな」


向かいに座るローデリックさんが言った。


窓から道を見る。


確かに、あちこちに窪みがある。車輪が通る場所は特にひどい。


そのうちの一つには、雨水らしきものが残っていた。


「直さないんですか?」


「直してはいる」


「またこうなる?」


「雨が降るとな。荷馬車も多い」


「水、逃がした方がいいんじゃないですか」


「水?」


「こういう低いところに溜まると、余計に傷みやすいので。横に流れるようにしておけば、少しは――」


そこまで言って、口を閉じた。


何を言っているんだ、俺は。


この世界に来たばかりで、いきなり道路の直し方に口を出すつもりか。


「すみません。忘れてください」


「いや」


ローデリックさんは窓の外を見る。


「続けろ」


「え?」


「今の話だ」


「いや、俺も詳しいわけじゃないですよ」


「構わん」


仕方なく、前の仕事で見たり聞いたりした程度の話をする。


水が溜まり続ける場所は傷みやすいこと。


窪んだところだけを埋めても、原因がそのままならまた悪くなることがあること。


水が逃げる方向を作れば、多少は長持ちするんじゃないかということ。


俺は道路を設計していたわけじゃない。


現場で働いていただけだ。


だから、本当にその程度の話しかできない。


「なるほどな」


ローデリックさんは何か考えている。


「まあ、俺が知ってるところと同じかは分からないですけど」


「知っているところ?」


「あ」


しまった。


「何か思い出したのか?」


「……なんとなくです」


少し考える。


全部ごまかす方が、かえって不自然かもしれない。


「そういう場所で働いていたような……知っている感じがするというか」


「働いていた?」


ローデリックさんの視線が俺の身体へ向く。


どう見ても10歳くらいの子供だ。


現場で働いていたようには見えない。


「変ですよね」


「そうだな」


「俺もそう思います」


「…………」


「…………」


気まずい。


「記憶というのは、妙な残り方をすることもあるのかもしれんな」


ローデリックさんは、それ以上追及しなかった。


ありがたい。


ただ、このままだといつかもっと変なことを言いそうだ。


気をつけよう。


馬車が街へ入る。


遠くから見えていた建物が、今度はすぐ近くに並んでいる。


店や露店、荷車。


行き交う人々。


走り回る子供たち。


俺たちの馬車を見ると、頭を下げる人もいた。


「ローデリック様、お帰りなさい!」


道端から声が飛ぶ。


ローデリックさんは窓を開け、軽く手を上げた。


「ただいま。変わりはないか?」


「ありません!」


「それなら何よりだ」


そのやり取りを見て、俺は首を傾げた。


森にいた人たちも「様」をつけていた。


街の人たちまで同じだ。


「ローデリックさんって、偉い人なんですか?」


「今さらか?」


「いや、なんとなくそうかなとは思ってましたけど」


ローデリックさんが少し笑った。


「この辺り一帯を預かっている」


「預かってる?」


「ああ」


そして、何でもないことのように言った。


「ローデリック・エルフォード。爵位は子爵だ」


「…………子爵?」


その言葉なら俺にも分かる。


貴族だ。


「え、貴族なんですか?」


「一応な」


「一応って……」


周りが「様」をつけるわけだ。


俺は森の中で、そんな人を普通に「ローデリックさん」と呼んでいたらしい。


「もしかして、俺かなり失礼でした?」


「今さら気にするな」


「いや、気にしますよ」


「私は気にしていない」


そういう問題なのだろうか。


窓の外から声が飛んできた。


「ローデリック様! 今年は税をもう少し――」


「急げ」


「聞こえてますよ!」


外から笑い声が上がる。


ローデリックさんも苦笑していた。


俺も思わず笑ってしまう。


なんというか、思っていた貴族とは少し違う。


やがて馬車は街の中心から少し離れ、大きな門の前で止まった。


門の向こうには広い庭。


その奥には、立派な屋敷が建っている。


「……でか」


思わず呟いた。


「そうか?」


「俺からしたら」


「お前がどんな家に住んでいたのか分からんから、比較できんな」


「それは俺も分かりません」


「そうだったな」


馬車を降りる。


使用人らしい人たちが何人も出てきた。


「お帰りなさいませ、旦那様」


「ああ。留守中、問題は?」


「ございません」


「そうか。それと――」


ローデリックさんが俺を見る。


「客が一人増えた」


その言葉で、全員の視線が俺に集まった。


ものすごく居心地が悪い。


泥だらけの服に、傷んだ靴。しかも素性不明。


そんな子供が子爵と一緒に帰ってきた。


そりゃ見る。


「森で保護した。記憶を失っているらしい。名はアルベルト――と思われる」


最後の一言に、少しだけ安心した。


ローデリックさんも、まだそれが俺の名前だと決めつけてはいないらしい。


「まず湯と着替えを。それから食事を用意してやってくれ」


「承知いたしました」


「あの」


俺はローデリックさんを呼び止めた。


「なんだ?」


「そこまでしてもらわなくても……」


「では、泥だらけのままでいるか?」


「それは嫌ですけど」


「なら決まりだ」


何も言い返せない。


「身元についてはこちらで調べる。それまではここにいればいい」


「でも」


「また礼を言うつもりか?」


「……言おうとしてました」


「無事に身元が分かってからでいい」


ローデリックさんはそう言って、屋敷の中へ歩いていった。


残された俺の前に、一人の女性が立つ。


「では、アルベルト様。こちらへ」


「様はいらないです」


「ですが、お客様ですので」


「アルベルトで大丈夫です」


「……では、アルベルトさん」


「それもなんか違う気がするな……」


女性が少し笑った。


「では、アルベルト。こちらへ」


「はい」


案内されて屋敷に入る。


磨かれた床、高い天井、壁に飾られた絵。


扉の横には、俺には読めない文字が書かれた札もある。


話す言葉は分かるのに、やっぱり文字だけは読めない。


本当に何も知らない世界だ。


家もない。


金もない。


この身体が誰だったのかも分からない。


自分の名前だって、まだ本当にアルベルトなのかは分からない。


それなのに、今日会ったばかりの人に風呂と飯と寝る場所まで用意してもらおうとしている。


ありがたい。


でも、落ち着かない。


前の人生でも、人に食わせてもらって何もしないというのは苦手だった。


世話になるなら、何か返したい。


何ができるかは、まだ分からないけど。


そんなことを考えながら、俺は初めてエルフォード子爵家の中へ足を踏み入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。