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第20話 行ってきます

学院へ出発する朝。


いつもより屋敷の中が騒がしかった。



「それ、こっち!」


「はい!」


「そっちは馬車!」


「分かりました!」


使用人たちが荷物を運んでいる。


俺も手伝おうとしたが、マルタさんに止められた。


「アルは自分の荷物を見な!」


「もう終わってます」


「本当に?」


「昨日確認しました」


「忘れ物は?」


「たぶんないです」


「たぶん?」


「……ないです」


言い直すと、マルタさんが俺の顔をじっと見る。


「ちゃんと食べるんだよ」


「食べますよ」


「忙しいからって抜くんじゃないよ」


「はい」


「夜更かしも」


「しません」


「怪我も」


「それは分かりません」


「しない!」


「努力します」


「まったく」


マルタさんが俺の肩を軽く叩いた。


「元気でやんな」


「はい」


いつもより少しだけ、声が優しかった。



「アル」


今度はハンスさんに呼ばれた。


「はい」


「忘れ物」


「え?」


小さな布袋を渡される。


中を見ると、菓子が入っていた。


「何です、これ」


「菓子」


「それは見れば分かります。ハンスさんが?」


「マルタに作ってもらった」


「じゃあマルタさんじゃないですか」


「頼んだのは俺だ」


「なるほど」


「馬車で食え」


「ありがとうございます」


「あと」


ハンスさんが少しだけ真面目な顔になる。


「困ったら帰ってこい」


「…………」


「学院が合わなかったらでもいい。何か失敗してもいい」


「はい」


「帰ってくる場所くらいはある」


少しだけ返事が遅れた。


「……はい」


ハンスさんは、それ以上何も言わなかった。



外へ出ると、庭ではカイルさんが待っていた。


「準備は?」


「できてます」


「剣は?」


「あります」


「手入れは?」


「昨日しました」


「学院でも続けろ」


「はい」


「魔法だけに頼るな」


「はい」


「逆もだ」


「分かってます」


「セレナ様を守る時は?」


「無理に敵を倒そうとしない。まず安全な場所へ」


「自分一人の時は?」


「逃げられるなら逃げる」


「拳王に習ったことは?」


「必要なら使う」


カイルさんが頷いた。


「それでいい」


「最後まで真面目ですね」


「最後ではない」


「?」


「帰ってきたら、また見る」


「厳しいなあ」


「当然だ」


少し笑う。


「行ってきます」


「ああ。またな」



ローデリックさんは馬車の前にいた。


「アルベルト」


「はい」


「学院では、よく学べ」


「はい」


「知らないことを知れ。いろいろな人間を見ろ」


「はい」


「そして、自分で考えろ」


「……はい」


最初に会った時から、この人は俺に何かを押しつけることが少なかった。


森で拾った、名前しか分からない子供。


それを6年間、ここに置いてくれた。


「ローデリックさん」


「何だ?」


「ありがとうございました」


「急にどうした」


「いや……」


少し困る。


こういうのは、あまり得意じゃない。


「6年間、ここに置いてくれて」


ローデリックさんが少し黙った。


「アルベルト」


「はい」


「お前はもう、置いてもらっている人間ではない」


「…………」


「働いている。役に立っている。皆がお前を知っている」


ローデリックさんが少し笑う。


「帰ってくる場所を、自分で作ったんだ」


「……そうですかね」


「ああ」


「なら」


俺も笑った。


「帰ってきます」


「そうしろ」



「アルー!」


声がして振り返る。


セレナが屋敷から出てきた。


その後ろを、使用人たちが荷物を持ってついてくる。


1人、2人、3人。


「…………」


多い。


「何?」


「いや」


「何よ」


「荷物、多くないです?」


「減らしたわよ!」


「どこが?」


「減らしたの!」


「俺の5倍くらいありますけど」


「必要なの!」


「学院ですよね?」


「そうよ!」


「旅行じゃないですよね?」


「分かってる!」


ローデリックさんがため息をついた。


「セレナ」


「何?」


「半分置いていけ」


「嫌!」


「馬車が重くなる」


「大丈夫よ!」


「何がだ」


「アルの荷物少ないし!」


「俺で調整しないでくださいよ」


「いいでしょ!」


「よくないです」


いつも通りだった。


少し安心した。



荷物を積んでいる間、俺は馬車の横で待っていた。


近くでは、荷物を運んでいた男たちが話している。


「そういや、今年はあの侯爵家の息子も入るんだろ?」


「ああ。かなり有名らしいな」


「強いんだっけ?」


「強いし、頭もいい。顔もいいって話だ」


「何でも持ってるな」


「でも最近、変な噂あるぞ」


「何?」


「急に遊び歩いてるらしい」


「遊び?」


「酒飲んだり、ふらふら旅したり。それまで真面目だったのにな」


「学院前に?」


「ああ。それだけじゃない。変なところに金を出してるらしい」


「変なところ?」


「潰れそうな商人とか、孤児院とか」


「いいことじゃねえか」


「よく分からん研究にも金を出してるって話だ」


「研究?」


「遺跡を掘ってる連中とかな。成果も出てないのに」


「金持ちは分からんな」


「本当にな」


2人が笑う。


俺もなんとなく聞いていた。


侯爵家。


強くて、頭がよくて、顔もいい。


その上、金もあるらしい。


「すごい人もいるんだなあ」


「何が?」


いつの間にか、セレナが隣にいた。


「今年入る侯爵家の人」


「ああ」


「知ってます?」


「名前くらいは」


「有名なんですね」


「アルが知らなさすぎるのよ」


「それはローデリックさんにも言われました」


「ちゃんと勉強しなさい」


「学院でします」


「そういう勉強じゃない」


「違うんです?」


セレナが呆れた顔をする。


俺はもう一度、積まれていく荷物を見る。


「本当にこれ全部持っていくんです?」


「話戻さないで」


「大事なので」


「持っていく」


「馬がかわいそう」


「アル!」


逃げる。



やがて準備が終わった。


セレナが先に馬車へ乗り、俺も後に続く。


扉を閉める前に、もう一度屋敷を見た。


6年間、暮らした場所。


最初は知らない家だった。


知らない人しかいなかった。


文字も読めず、自分が何者なのかも分からなかった。


今は違う。



「アル」


「はい」


「行くわよ」


「はい」


馬車に乗り、扉を閉める。


窓の向こうには、みんながいた。


マルタさん。


ハンスさん。


カイルさん。


ローデリックさん。


ほかの使用人たちもいる。


俺は窓を開けた。


「行ってきます!」


手を振る。


みんなも手を振り返してくれた。


馬車がゆっくり動き出す。


屋敷が少しずつ遠ざかっていく。


6年前。


何も持たずに森を歩いた俺は、今度は帰る場所を持って、知らない場所へ向かった。

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