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第16話 拳王の教え

バルガスさんとの修行が始まった。


最初に教えられたのは、拳の打ち方だった。


「握れ」


「こうです?」


「親指を中に入れるな。折るぞ」


「怖いこと言わないでくださいよ」


「本当に折れるから言ってんだ」


握り方。


立ち方。


足の位置。


腰の使い方。


拳を出す時の身体の動かし方。


思っていたより、ずっと細かい。


「もっとこう、感覚で殴れとか言う人だと思ってました」


「俺を何だと思ってんだ」


「勢いで生きてる人」


「間違ってねえな!」


「合ってるんだ……」


豪快で適当に見えるけれど、教えている内容はちゃんとしていた。


ただし。


「100回」


「多くないです?」


「少ねえ」


「まだ屋敷の仕事あるんですけど」


「なら早く終わらせろ」


「無茶苦茶だなあ」


修行はきつかった。



拳を打つ。


蹴る。


避ける。


受ける。


距離を詰める。


離れる。


掴まれた時の外し方。


倒された時の立ち方。


木剣を持つこともある。


素手だけの日もある。



そんな修行を始めてしばらくした頃。


「次は魔力を使うぞ」


バルガスさんが言った。


「土魔法です?」


「違う。身体に回せ」


「身体に?」


バルガスさんが片腕を上げる。


見た目は何も変わっていない。


でも、よく見ると身体の中を魔力が巡っているのがなんとなく分かった。


「身体能力強化だ」


「ああ」


名前は聞いたことがある。


魔力を身体へ巡らせて、力や速さを上げる技術だ。


「使ったことは?」


「ないです」


「なら右腕だけでいい。やってみろ」


言われた通りに右腕へ意識を向ける。


土魔法を使う時は、魔力を身体の外へ出して地面へ流す。


今回は外へ出さない。


身体の中に残したまま、右肩から腕へ通していく。


「……こんな感じです?」


拳を握ってみる。


さっきより力が入りやすい。


バルガスさんが俺の腕を見る。


「悪くねえ」


「できてます?」


「ああ。初めてにしちゃ上出来だ」


珍しく普通に褒められた。


「もっと流したら強くなります?」


「やってみろ」


「いいんです?」


「ああ」


さっきより多めに魔力を流す。


腕に力が入る。


さらに増やす。


「……なんか動かしにくい」


「だろ?」


「強くなるんじゃないんです?」


「強くはなる。身体が扱えりゃな」


バルガスさんが俺の腕を軽く叩いた。


「魔力を入れりゃ入れるだけいいってもんじゃねえ。身体がついてこなきゃ邪魔になる」


「なるほど」


少し魔力を抜く。


さっきより腕が動かしやすくなった。


「それと、ずっと腕に入れっぱなしにすんな」


「抜くんです?」


「必要な時に必要な場所へ回せ」


バルガスさんが一歩踏み込む。


その瞬間だけ、脚を巡る魔力が強くなった。


次の瞬間には元に戻っている。


「踏み込むなら脚。殴るなら腕だけじゃねえ。腰も肩も使う」


「普通に身体を使う時と同じですね」


「そういうことだ」


カイルさんにも、拳や剣は腕だけで振るものじゃないと何度も言われている。


力を出したいからといって、全身に力を入れればいいわけじゃない。


必要な時に、必要なところを使う。


身体能力強化も考え方は似ているらしい。


「じゃあ、やってみろ」


「何を?」


「俺を殴れ」


「またですか?」


「身体強化を使ってな」


仕方なく構える。


右脚へ魔力を回す。


踏み込む。


そのまま腰、肩、腕へ。


拳を出す。


バルガスさんは片手で受け止めた。


「遅え」


「初めてなんですけど」


「だから練習すんだろ」


「もうちょっと優しくできません?」


「できる」


「じゃあしてくださいよ」


「嫌だ」


やっぱりこの人だった。


それからは、普通の訓練にも身体能力強化が加わった。


最初は踏み込んだ後も脚に魔力が残ったり、拳を出す前から腕を強くしすぎたりした。


でも、繰り返しているうちに少しずつ分かってきた。


ずっと全身を強くする必要はない。


必要なところへ。


必要な時だけ。


バルガスさんは、その辺りをかなり細かく見ていた。



そして、何度もバルガスさんと向き合わされた。


「来い」


「はい」


踏み込む。


拳を出す。


避けられる。


次。


蹴る。


掴まれる。


「え」


視界が回った。


背中から地面へ落ちる。


「痛っ!」


「遅え」


「何が?」


「全部だ」


「雑すぎません?」


「じゃあ細かく言ってやる。踏み込みが遅い。拳が見える。腰が逃げてる。蹴った後の足が戻るのも遅い。相手を見すぎだ」


「多いな!」


「だから全部遅え」


「最初からそう言ってくださいよ」


「言っただろ」


確かに。



カイルさんとの稽古とはかなり違った。


カイルさんが最初に教えてくれたのは、生き残ることだった。


相手を見る。


攻撃を避ける。


距離を取る。


守る相手がいるなら、その人を逃がす。


無理に倒そうとしない。


バルガスさんは、それを否定しなかった。


「護衛なら正しい」


ある日の修行で、バルガスさんはそう言った。


「じゃあ、そのままでいいんじゃないです?」


「それで終わるならな」


「?」


「逃げられねえ時はどうする」


以前も聞かれたことだ。


「戦う」


「そうだ」


バルガスさんが拳を構える。


「避けるだけじゃ、相手は止まらねえ」


踏み込んでくる。


肩を見る。


腰を見る。


足を見る。


右。


そう思って身体をずらした。


拳が頬の横を通る。


「そこで終わるな!」


「はい!」


避けた直後。


空いた脇腹へ拳を出す。


バルガスさんの腕が下がり、簡単に止められた。


「遅え」


「さっきよりは?」


「遅え」


「少しくらい褒めてくれても」


「当たったら褒めてやる」


「いつになるんだろ」


「さあな」


笑っている。


腹が立つ。



別の日。


俺は地面に転がっていた。


「……勝てる気がしない」


「当たり前だ」


「即答ですね」


「今のお前が俺に勝てたら、俺が困る」


「それもそうか」


身体を起こす。


「でも、前よりはマシになったでしょう?」


「なった」


珍しく即答だった。


「本当に?」


「ああ」


「どれくらい?」


「最初よりは弱くねえ」


「分かりにくいな」


「なら来い」


「休憩は?」


「終わりだ」


「聞かなきゃよかった」


もう一度構える。



修行を始めて数か月。


俺にも少しずつ変化が出ていた。


拳を打つ時に、腕だけを振らなくなった。


蹴った後に体勢を崩すことも減った。


掴まれても、最初の頃ほど簡単には転ばなくなった。


身体能力強化も、最初よりは自然に使えるようになっていた。


踏み込む時に脚へ流す。


拳を出す時に身体の動きに合わせて魔力を移す。


まだ考えないとできないことも多いが、使うたびに止まっていた頃よりはましだ。



カイルさんとの剣の稽古でも変化があった。


「最近、動きが変わったな」


ある日、カイルさんに言われた。


「悪くなりました?」


「逆だ」


「よかった」


「ただ……」


カイルさんが木剣を構え直す。


「剣を持っているのに、近づいてくるようになった」


「駄目です?」


「場合による」


「バルガスさんが、近い方ができることが増えるって」


「拳王らしいな」


カイルさんが苦笑した。


「だが、剣を持った相手に無闇に近づくな」


「はい」


「バルガス殿なら問題ないだろうが、お前はバルガス殿ではない」


「それ、本人にも言われました」


「なら覚えておけ」


「はい」


カイルさんは剣を下ろさない。


「続けるぞ」


「はい」


踏み込んでくる。


剣を見る。


いや。


肩。


腰。


足。


身体全体を見る。


避ける。


そのまま離れようとして――やめた。


懐へ入る。


「っ」


カイルさんの腕に触れ、身体をずらす。


木剣の軌道から外れた。


そのまま足を掛けようとする。


だが、読まれた。


「甘い」


「うわっ」


逆に崩され、地面へ転がる。


「痛っ」


「今のは悪くない」


「本当です?」


「ああ」


「バルガスさん、一回もそう言ってくれないんですよ」


「相手が悪い」


「やっぱり?」


「《拳王》を基準にするな」


「そう言われても、毎朝相手してるんですよ」


カイルさんが少し笑った。


「贅沢な悩みだな」


俺にはよく分からなかった。



土魔法も使った。


バルガスさんは土属性ではない。


それでも、俺の魔法を見て、戦いの中でどう使うかを一緒に試してくれた。


「壁!」


言われて地面を持ち上げる。


バルガスさんは普通に回り込んだ。


「遅え!」


「分かってます!」


「次!」


地面を盛り上げる。


踏み込みを邪魔する。


避けられる。


「見えてる!」


「じゃあどうすればいいんです?」


「考えろ!」


「教えてくださいよ!」


「今教えてんだろ!」


「どこが!」


拳が飛んでくる。


避ける。


次の足元を狙う。


魔力を流した瞬間、バルガスさんは別の場所へ踏み込んだ。


また外れた。


「くそ」


「魔法を使うのが早え」


「遅いと間に合わないですよ」


「そうだ」


「じゃあどうするんです?」


「もっとギリギリまで待て」


「無茶言うなあ」


「できる」


「なんで分かるんです?」


バルガスさんが笑った。


「お前、避ける時はそれやってるだろ」


「?」


「俺の拳が来るギリギリまで見てから動く時がある」


「そうです?」


「自覚ねえのか」


「ないです」


「なら覚えろ」


「何を?」


「自分が何を見てるのかだ」


その言葉は少しだけ残った。



俺は、相手のどこを見ているんだろう。


肩。


腰。


足。


カイルさんに教えられたところは見ている。


でも、それだけじゃない気もする。


バルガスさんが動くと、時々なんとなく分かる。


ここは危ない。


こっちは大丈夫。


ここに来る。


そんな感覚がある。


ただ、いつも当たるわけじゃない。


考えすぎると、むしろ遅れることもある。


「難しいな」


「だから面白えんだろ」


「バルガスさんは何でもそれですね」


「面白くなきゃ強くならねえ」


「そういうものです?」


「俺はな」


やっぱり、この人を基準にしない方がよさそうだ。



それからも修行は続いた。


俺は何度も殴られた。


もちろん、本気ではない。


それでも痛い。


何度も投げられた。


何度も転ばされた。


拳を出せば止められる。


蹴れば避けられる。


土魔法を使えば読まれる。


身体能力強化を使っても、それだけで追いつけるわけじゃない。


たまに上手くいったと思っても、次には同じ方法が通用しない。


だから変える。


拳を見せて蹴る。


蹴るふりをして距離を詰める。


土魔法を使うふりをする。


逆に、魔法を使わず待つ。


避けた後に逃げず、前へ出る。


掴む。


崩す。


投げる。


剣を持っていても、近距離なら拳や足を使う。


バルガスさんは、そのたびにもっと上手く対応した。



「全然勝てないな……」


「勝とうとすんな」


「え?」


ある日、バルガスさんが言った。


「今のお前が俺に勝つ方法なんか考えなくていい」


「じゃあ何のためにやってるんです?」


「昨日のお前より、今日のお前の方が強けりゃいい」


珍しく、まともなことを言った。


「バルガスさんでもそういうこと言うんですね」


「殴るぞ」


「すみません」


「それにな」


バルガスさんが笑う。


「俺の真似をする必要もねえ」


「真似?」


「俺と同じように殴って、俺と同じように蹴って、俺と同じように戦っても、お前は俺にはならねえ」


「なれませんよ」


「そういうことだ」


バルガスさんが地面を指差す。


「お前にはそれがある」


「土魔法?」


「ああ」


「人気ないですよ」


「知るか」


即答だった。


「使えるもん全部使え。拳も、蹴りも、剣も、土も。身体強化もだ。相手が嫌がることをやれ」


「卑怯じゃないです?」


「殺し合いで公平に順番待ちでもすんのか?」


「それは嫌ですね」


「ならいい」


バルガスさんは拳を構えた。


「来い」


「はい」


俺も構える。


勝てるとは思わない。


まだ一度もまともに勝ったことなんてない。


それでも、最初の頃よりバルガスさんの動きは見えるようになっていた。


避けられる回数も増えた。


反撃までできることもある。


もちろん、その反撃はほとんど止められる。


だから俺は、自分が強いなんて思わなかった。


毎日のように目の前で、自分より遥かに強い人間を見ていたからだ。


「行きます」


「来い!」


右脚へ魔力を流し、地面を蹴った。

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