第15話 拳王バルガス
「《拳王》バルガス……」
周りにいた誰かがそう呟いた。
俺は大柄な男を見る。
バルガス・レオンハルト。
名前を聞いても、何も分からない。
「有名なんです?」
俺が聞くと、近くにいた作業員が信じられないものを見るような顔をした。
「お前、知らないのか?」
「知らないです」
「《拳王》だぞ?」
「それは今聞きました」
「そうじゃなくて……」
作業員が言葉に詰まる。
バルガスは面倒そうに頭を掻いた。
「別に知らなくてもいいだろ」
「いいんですか?」
「俺は困らん」
「じゃあいいですね」
「よくない!」
作業員に怒られた。
何なんだ。
結局、衛兵に事情を説明することになった。
最初に店で揉めていた件については、どうやら店側の勘違いだったらしい。
バルガスはちゃんと金を払っていた。
ただし、俺に突然殴りかかった件については完全に本人が悪い。
「試しただけだ」
「殴ってますよね?」
「当たってねえ」
「避けたからでしょう」
「なら問題ない」
「あります」
衛兵も頭を抱えていた。
ただ、俺に怪我はなく、本人にも悪意はなかった。
俺自身も大事にするつもりはなかったので、厳重注意という形で終わった。
「じゃあ帰ります」
「待て」
「嫌です」
「まだ何も言ってねえぞ」
「だいたい分かります」
「なら話が早い。もう一回やるぞ」
「帰ります」
「お前、本当に俺に遠慮しねえな」
「殴ってくる人に遠慮する理由あります?」
バルガスが笑う。
「やっぱり面白え」
俺は全然面白くない。
屋敷へ戻ると、なぜかローデリックさんが玄関にいた。
「アルベルト」
「はい」
「街で《拳王》と揉めたそうだな」
「早くないですか?」
「街中で騒ぎを起こせば話も届く」
「俺が起こしたみたいに言わないでください」
「違うのか?」
「被害者です」
「おい」
後ろから声がした。
振り返る。
「何でついてきてるんです?」
バルガスがいた。
「話がある」
「誰に?」
「お前に」
「俺はないです」
「俺はある」
「会話が成立しないな……」
ローデリックさんはバルガスを見ると、少し驚いた顔をした。
「バルガス・レオンハルト殿」
「おう」
「本当にご本人でしたか」
「偽物に見えるか?」
「街でアルベルトと揉めていると聞いた時は、何かの間違いかと思いました」
「揉めてねえ。遊んでただけだ」
「一方的に殴られました」
「当たってねえだろ」
「避けましたからね」
ローデリックさんが額を押さえる。
「……中で話しましょう」
「助かる」
「俺も?」
「当然だ」
帰ってきただけなのに。
応接室へ移動すると、バルガスは出された茶を一気に飲んだ。
「熱くないんです?」
「熱い」
「何で一気に飲んだんですか」
「喉が渇いてた」
「そうですか」
よく分からない人だ。
ローデリックさんが向かいに座る。
「それで、アルベルトに何のご用でしょう?」
「こいつ、俺にくれ」
「嫌です」
「お前には聞いてねえ」
「俺の話でしょう!」
ローデリックさんが眉を寄せる。
「どういう意味です?」
「弟子にする」
「嫌です」
「だからお前は黙ってろ」
「嫌です」
「面白えな、お前」
「その言葉、今日何回目です?」
バルガスが笑う。
ローデリックさんは俺たちを見比べてから聞いた。
「なぜアルベルトを?」
「変だからだ」
「帰っていいです?」
「褒めてる」
「どこが?」
「動きだ」
バルガスの表情が少し変わった。
さっきまでのふざけた雰囲気が薄れる。
「こいつ、俺の拳を見て避けてねえ」
ローデリックさんが俺を見る。
「そうなのか?」
「分かりません」
「本人が分かってねえのも面白い」
「だから何がです?」
バルガスが立ち上がった。
「アルベルト。俺を殴ってみろ」
「嫌ですよ」
「いいから」
「また始まった……」
「殴れ」
仕方なく立つ。
「本当にいいんですね?」
「ああ」
「じゃあ」
軽く拳を出す。
バルガスは動かない。
俺の拳が胸に当たった。
「…………」
「終わりです」
「本気でやれ」
「嫌ですよ。痛そうだし」
「俺が?」
「俺の手が」
バルガスが笑った。
「じゃあ木剣でもいい」
「何がしたいんです?」
「見たいだけだ」
ローデリックさんが口を挟む。
「アルベルト」
「はい」
「少し付き合ってやれ」
「ローデリックさんまで?」
「私も気になる」
「…………」
味方がいなくなった。
庭へ移動した。
木剣を持つ俺の前に、バルガスが立っている。
武器は持っていない。
「来い」
「カイルさんに怒られそうだな……」
「誰だ、そいつ」
「剣を教えてくれてる人です」
「そういや言ってたな」
「ちゃんと習ってるんですよ」
「見れば分かる」
「本当に?」
「ああ。構えは悪くねえ」
初めてまともに褒められた気がする。
「ただ、剣士じゃねえな」
「まだ1年ちょっとですよ」
「そういう意味じゃねえ」
「?」
「いいから来い」
木剣を握る。
カイルさんとの稽古を思い出す。
相手の剣だけを見るな。
肩、腰、足。
身体全体を見る。
踏み込む。
木剣を振る。
バルガスは少し身体をずらしただけで避けた。
「遅え」
「分かってます」
もう一度。
今度は横から。
避けられる。
「もっと来い」
「はい」
何度振っても当たらない。
当然だ。
街で少し動いただけでも分かった。
この人は、俺とは比べものにならないくらい強い。
「止め」
バルガスが言った。
俺は木剣を下ろす。
「やっぱりな」
「何が?」
「お前、攻撃するより避ける方が得意だろ」
「そうですね」
「何でだ?」
「カイルさんが最初に避けることを教えてくれたので」
「なるほど」
バルガスが顎を触る。
「そいつは護衛か?」
「そうです」
「なら分かる」
「何が?」
「教え方だ」
バルガスは少し離れた。
「今度は俺が行く」
「素手で?」
「ああ」
「嫌だな……」
「安心しろ。当てねえ」
「街でも似たようなこと言ってませんでした?」
「言ってねえ」
「言ってた気がする」
「行くぞ」
バルガスが踏み込む。
速い。
でも、街で見た。
拳が来る前に肩が動く。
腰が回る。
足が地面を蹴る。
身体を横へずらす。
拳が通り過ぎた。
「もう一回」
今度は逆。
少し下がる。
避ける。
「もう一回」
何度か続く。
もちろん全部避けられるわけではない。
速さを上げられると間に合わない。
それでも、バルガスは俺に合わせて速度を調整しているらしい。
「止め」
バルガスが拳を下ろす。
「やっぱり拳を見てねえ」
「肩とか足を見ろって教わりました」
「それだけじゃねえな」
「?」
「お前、俺が動く前から逃げる方向を決めてる時がある」
「そうです?」
「ああ」
「なんとなくです」
「それだ」
「何が?」
「その『なんとなく』だよ」
バルガスが笑う。
「自分でも分かってねえのか」
「何が分かってないのかも分かりません」
「だろうな」
楽しそうだ。
「じゃあ次」
「まだやるんです?」
「ああ。土魔法」
「何するんです?」
「街でやったやつだ」
足元。
「あれ?」
「俺に使え」
「いいんです?」
「ああ」
バルガスが構える。
「俺が踏み込む。邪魔してみろ」
「分かりました」
距離を取る。
バルガスを見る。
身体全体。
肩。
腰。
足。
どこへ来る。
バルガスが動いた。
速い。
次に足を置きそうな場所へ魔力を流す。
地面をわずかに変える。
だが。
バルガスはその手前で動きを変えた。
「え?」
違う場所へ足を置き、そのまま俺の目の前まで来た。
拳が鼻先で止まる。
「…………」
「死んだな」
「怖っ」
慌てて下がる。
「今、途中で変えました?」
「ああ」
「ずるくないです?」
「敵が毎回予定通り動いてくれると思うか?」
「ガレスさんと同じこと言うなあ……」
「誰だ?」
「土魔法の先生です」
「そいつもまともだな」
バルガスが元の位置へ戻る。
「もう一回」
今度はさっきより慎重に見る。
動いた。
地面を変える。
また避けられる。
「見えてる」
「やっぱり?」
「ああ。お前が魔力を使うのが早い」
「難しいな」
「だが、遅けりゃ間に合わねえ」
「ですよね」
「面白いだろ?」
「難しいです」
「同じだ」
「違うと思います」
何度か繰り返した。
成功する時もある。
失敗する時もある。
バルガスが普通に踏み込めば、足元を邪魔できることもある。
でも、警戒されれば避けられる。
動きを変えられれば外す。
ガレスさんとの練習でも感じていたことだ。
まだ、実戦で確実に使える技じゃない。
「なるほどな」
バルガスが腕を組む。
「何か分かりました?」
「ああ」
「何が?」
「お前、弱い」
「…………」
「知ってますよ!」
声が大きくなった。
「でも変だ」
「またそれ?」
「ああ」
バルガスが笑う。
「普通、弱い奴は強くなろうとすると、もっと速く、もっと強く、もっとでかくって考える」
「そうなんです?」
「だいたいな」
「俺も大きく動かす練習してますよ」
「そういう話じゃねえ」
バルガスが自分の足元を指差した。
「お前は、相手を倒す力が足りないなら、相手が上手く動けなくなればいいって考えてる」
「そんな大げさなこと考えてないです」
「じゃあ何考えてる?」
「全部動かすの大変だから、必要なところだけでいいかなって」
一瞬、バルガスが黙った。
その後、大声で笑った。
「やっぱ面白え!」
「それ、褒めてます?」
「ああ」
「ならもう少し分かりやすく褒めてください」
「弱いけど面白え」
「悪化してる」
訓練を見ていたローデリックさんが近づいてきた。
「それで、バルガス殿」
「おう」
「なぜ弟子に?」
「決めた。こいつに足りねえもんを教える」
「足りないもの?」
俺も見る。
バルガスが拳を握った。
「攻撃だ」
「攻撃?」
「ああ」
「剣は習ってますけど」
「護衛に教わってんだろ?」
「はい」
「だから逃げ方は悪くねえ。避け方も悪くねえ。危なくなったら距離を取る。それも正しい」
カイルさんの教えそのものだ。
「でもな」
バルガスが俺を見る。
「逃げられねえ時もある」
少しだけ、声が低くなった。
「自分より遅い奴を守る時。逃げ道がねえ時。相手がどこまでも追ってくる時」
「…………」
「そういう時、避けるだけじゃ終わらねえ」
森のホーンウルフを思い出した。
あの時は一人だった。
だから逃げればよかった。
でも、誰かと一緒だったら。
逃げられない状況だったら。
「倒せってことです?」
「必要ならな」
「俺にできます?」
「今は無理だ」
「即答ですね」
「だから教える」
バルガスが笑う。
「避けた後に何をするかをな」
その言葉には、少し興味が湧いた。
「アルベルト」
ローデリックさんが俺を見る。
「決めるのはお前だ」
「俺が?」
「当然だ。バルガス殿が何者であろうと、お前自身が嫌なら断ればいい」
バルガスも何も言わなかった。
さっきまで勝手に弟子にすると言っていたのに、今は俺の答えを待っている。
少し考える。
カイルさんは、守るための戦い方を教えてくれた。
避ける。
距離を取る。
守る相手を逃がす。
時間を稼ぐ。
ガレスさんは、土魔法の使い方を教えてくれた。
大きく動かす。
細かく動かす。
状況に合わせる。
そしてバルガスは、避けた後を教えると言っている。
「1つ聞いていいです?」
「何だ?」
「死ぬような訓練します?」
「しねえ」
「本当に?」
「死んだら鍛えられねえだろ」
「それはそうか」
「ただし、きついぞ」
「それは嫌だな……」
「やめるか?」
少し考えてから首を振った。
「やります」
バルガスが笑う。
「決まりだ」
「でも」
「何だ?」
「俺、屋敷の仕事ありますよ」
「…………」
「土魔法の練習も、カイルさんとの稽古も」
「お前、忙しいな」
「そうなんですよ」
「なら空いてる時間にやる」
「拳王って暇なんです?」
「暇じゃねえ」
「じゃあ何で」
「面白そうだからだ」
またそれか。
「まあいいです」
「明日からな」
「明日?」
「朝」
「仕事あるんですけど」
「その前だ」
「何時?」
「日の出」
「嫌になってきた」
バルガスが豪快に笑った。
翌朝。
まだ日が昇りきる前。
俺は訓練場に立っていた。
「眠い……」
「始めるぞ!」
目の前では、バルガスが朝から元気だった。
「この人、本当に何なんだ……」
こうして俺は、《拳王》バルガスからも戦い方を教わることになった。




