第14話 揉め事
14歳になった。
土属性だと分かってから、1年ほど。
俺の生活には、屋敷の仕事とカイルさんとの剣の稽古、ガレスさんとの土魔法の練習に加えて、領地の中で土魔法を使う仕事も増えていた。
「アル、今日も出るの?」
朝、お嬢様に声をかけられた。
「はい。西側の道を見てほしいらしいです」
「また道?」
「雨が降ると荷車が通りにくくなるみたいで」
「土属性って、本当にそういう仕事ばっかりね」
「便利でしょう?」
「はいはい」
「はいは1回ですよ」
「それ、私の言葉」
「便利なので使ってます」
お嬢様が少し睨む。
「夕方には戻る?」
「その予定です」
「じゃあ戻ったら稽古」
「カイルさんと?」
「私と」
「嫌です」
「なんでよ!」
「最近強くなってるじゃないですか」
「だからでしょう?」
「当たると痛いんですよ」
「避ければいいじゃない」
「簡単に言うなあ」
「アルなら避けるでしょう」
「たぶん」
「じゃあ決まり」
「決まってないです」
そんな話をしてから、俺は屋敷を出た。
この1年で、土魔法はかなり使えるようになった。
といっても、巨大な壁を一瞬で作れるわけでも、大岩を飛ばせるわけでもない。
ガレスさんなら、俺よりずっと大きな範囲を、速く、正確に動かせる。
俺が比較的得意なのは、相変わらず小さな範囲だった。
道の一部。
水路の端。
畑の土。
荷車の車輪が引っかかる場所。
必要なところだけを動かす。
今の俺には、その方が扱いやすい。
「ここです」
一緒に来た作業員が道を指差す。
「雨が降ると、この辺りがぬかるむんですよ」
「水はどこへ?」
「向こうです」
少し離れたところに、水を流すための溝がある。
地面を見ると、確かに道の端に水が集まりそうな場所があった。
「ここを下げます?」
俺が聞くと、作業員は首を振った。
「いや。そこを下げると荷車が傾く」
「なるほど」
「こっちを少し上げたい」
「どの辺りまで?」
「まず、このくらいの範囲を頼む」
指で場所を示してもらう。
「分かりました」
手を向け、魔力を流す。
指定された場所の土をゆっくり持ち上げる。
「そこ」
止める。
「一回、荷車を通してみよう」
「はい」
俺がどう直すかを決めるわけじゃない。
ここを使っている人や、実際に道を直している人たちの方が詳しい。
俺は必要だと言われた場所を動かすだけだ。
荷車を何度か通し、細かい調整をしたところで俺の仕事は終わった。
その帰りだった。
街を通って屋敷へ戻っていると、通りの少し先から大きな声が聞こえた。
「おい!」
見ると、人だかりができている。
「何だ?」
一緒にいた作業員が足を止める。
少し近づいてみると、2人の男が言い争っていた。
1人は店の主人らしい。
もう1人はかなり大柄な男だった。俺より頭2つ分くらい高く、腕も太い。腰に剣はない。
「だから払ったって言ってるだろ!」
「受け取ってないと言ってるんだ!」
「俺が嘘ついてるってのか!」
「金がないんだから仕方ないだろ!」
揉めている。
「どうします?」
俺が聞くと、作業員は首を振った。
「放っておけ。こういうのは衛兵の仕事だ」
「ですよね」
関わらない方がいい。
そう思って横を通り過ぎようとした時だった。
「返して!」
子供の声がした。
見ると、小さな男の子が大柄な男の近くへ走っていく。
「それ、僕の!」
男の足元には、小さな袋が落ちていた。
どうやら揉めている間に誰かが落としたらしい。
男の子がそれを拾おうとした瞬間、店の主人が大柄な男の肩を押した。
「だから出ていけ!」
「押すな!」
男が振り返る。
その腕が大きく振られた。
すぐ近くには、しゃがんだ子供がいる。
「あ」
考えるより先に身体が動いた。
走って子供の服を掴み、そのまま引く。
大柄な男の腕が目の前を通り過ぎ、俺は男の子と一緒に地面へ転がった。
「危なっ……大丈夫?」
「う、うん」
怪我はなさそうだ。
よかった。
「おい」
低い声が聞こえた。
顔を上げると、大柄な男がこっちを見ている。
「今、俺がガキを殴ろうとしたと思ったか?」
「いや」
立ち上がる。
「当たりそうだったので」
「俺が?」
「はい」
「俺が子供を殴るように見えたか?」
「そういう話じゃなくて。危なかったから、この子を避けただけです」
「俺の腕から?」
「はい」
男が俺を見る。
怒っているのかと思った。
でも、少し違う。
むしろ、妙に楽しそうだった。
「もう一回やってみろ」
「嫌です」
「即答か」
「なんで殴られなきゃいけないんです?」
「避けられるんだろ?」
「だからってやりませんよ」
「面白え」
何がだ。
大柄な男が一歩近づき、俺は一歩下がる。
「おい、やめろ!」
一緒にいた作業員が間に入ろうとした。
男が片手を上げる。
「別に殴らねえよ」
「今、もう一回やれって言ったでしょう」
「試すだけだ」
「それを殴るって言うんですよ」
周りから少し笑い声が聞こえた。
男の眉が動く。
「お前、面白いな」
「よく言われます」
「名前は?」
「アルベルトです」
「アルベルト」
男は覚えるように繰り返した。
「お前、剣は?」
「習ってます」
「強いか?」
「下手です」
「魔法は?」
「土」
「土か」
その瞬間、男の顔が少し変わった。
嫌そうな顔ではない。
むしろ、さらに興味を持ったように見える。
「使ってみろ」
「なんでです?」
「見たい」
「嫌です」
「何でだよ」
「知らない人にいきなり魔法使えって言われて、使う人います?」
「いるだろ」
「少なくとも俺は違います」
男が声を出して笑った。
「いいな、お前」
「何がです?」
「気に入った」
「俺は困ってます」
「よし」
何が、よしなんだ。
男が拳を握った。
「一発だけだ」
「何が?」
「避けろ」
「嫌ですって」
男が踏み込んできた。
速い。
「っ!」
反射的に横へ動く。
拳が目の前を通り過ぎた。
すぐに距離を取る。
「本当にやるなよ!」
「避けたじゃねえか」
「避けなかったら当たってたでしょう!」
「加減してる」
「カイルさんも似たようなこと言うんですよね……」
「カイル?」
「剣を教えてくれてる人です」
「そいつ、まともだな」
「あなたよりは」
また周りから笑い声が聞こえた。
男自身も笑っている。
怒らないらしい。
「もう一回」
「やりません」
「俺がやる」
「会話してくださいよ!」
2発目。
今度はさっきより速い。
後ろへ下がろうとして、やめる。
横だ。
そう感じて身体をずらすと、拳がすぐ近くを通った。
「うわっ」
さらに距離を取る。
男が止まった。
さっきまでとは少し違う目で、俺を見ている。
「何です?」
「いや」
「もう終わりです?」
「お前、なんでそこに逃げた?」
「なんでって」
「後ろの方が広かっただろ」
言われて振り返る。
確かに、後ろへ下がることもできた。
でも、あの瞬間は横へ逃げた方が安全だと思った。
「分かりません」
「分からない?」
「なんとなくです」
「…………」
男が笑った。
「なるほどな」
「何が?」
答えてくれない。
代わりに、また構えた。
「まだやるんです?」
「ああ」
「俺、帰りたいんですけど」
「最後だ」
「信用できないな……」
男を見る。
拳だけじゃない。
肩、腰、足。
カイルさんに教わった通り、身体全体を見る。
男が踏み込んだ。
速い。
避ける。
そう思った瞬間、今度はさっきより近いと感じた。
このままでは少し間に合わない。
なら。
地面へ魔力を流す。
男が次に踏み込もうとしている場所を、ほんのわずかに変える。
「お?」
男の踏み込みが一瞬だけ乱れた。
その隙に横へ逃げる。
拳が空を切った。
「…………」
男が自分の足元を見る。
それから俺を見た。
「今の、お前か?」
「はい」
「土魔法?」
「そうです」
「何した?」
「足元を少し動かしました」
「それだけ?」
「それだけです」
男は自分の足元をもう一度見た。
「俺が踏む場所を見てたのか?」
「見てたというか……なんとなく、そこかなって」
「またなんとなくか」
「まだ練習中なので」
男が声を出して笑った。
「面白え!」
「俺は全然面白くないです」
「いや、面白い」
「帰っていいです?」
「駄目だ」
「なんで」
「もう一回やる」
「最後って言いましたよね?」
「気が変わった」
「最悪だ」
その時だった。
「何をしている!」
衛兵の声が響いた。
ようやく来た。
「助かった……」
「ちっ」
大柄な男が残念そうな顔をする。
「あなたも一緒に説明してくださいよ」
「面倒だ」
「原因でしょう!」
「最初に揉めてたのは俺じゃねえ」
「途中から一番揉めてたでしょう!」
男は楽しそうに笑いながら、衛兵の方へ歩き始めた。
「名前」
「?」
「俺の名前、まだ言ってなかったな」
男が振り返る。
「バルガス・レオンハルト」
「バルガスさん」
「覚えとけ」
「なんでです?」
「また会うからだ」
「嫌なんですけど」
「俺は会いたい」
「迷惑だなあ」
バルガスは笑った。
その名前を聞いた瞬間、周りにいた何人かの表情が変わった。
「……レオンハルト?」
誰かが呟く。
別の男が、信じられないものを見るように言った。
「まさか……」
バルガスが頭を掻く。
「騒ぐな。面倒くせえ」
「え?」
俺だけが、よく分かっていなかった。
そして誰かが、小さな声で言った。
「《拳王》バルガス……」




