脱走の足がかり
「悪いけれど、今回は早々に戻らせてもらうわ」
「うん、わかった」
積もる話もあるし名残惜しかったが仕方がない。
穴からロルを見送った。
穴が閉じる瞬間、
ロルが股を抑えていたように見えた。
どこか急いでいたようにも。
ロルはトイレに穴を開けて
ここに来たと行っていたが、
僕の想像と違うかもしれない。
僕が呼んだからトイレに行ったのではなく、
トイレの最中にぼくが呼んだのかも。
そう思うと申し訳ないことをした。
長丁場に怪しまれていないといいが。
今回の収穫、朝日を拝み方角を特定し、
逃亡の指針が一つ整った。
この格子の反対の壁の奥、
その奥の奥の奥に故郷の国がある。
そう考えると、今まで自分を囲ってきた
壁にもなんだか愛着が湧いてくる。
壁を撫でると、今まで感じてこなかった
ほのかな温かみが、あるような気がしてくる。
次の目標は脱出までのルートの確認。
看守もまだ来ていないし、やれることをやるか。
格子に寄り体を押し付けるようにして穴を覗く。
看守がいれば注意されていた行為だ。
格子の向こうには牢と同じ材質の、
ただの壁が見える。灯りが等間隔で並んでいる。
右端の格子の穴に寄り角度をつけて右を見ると、
壁が端まで続いていた。
この牢の大きさを鑑みるに、もし牢が
隣に続いていたら牢が三部屋あるかもしれない。
僕以外に人の気配はないので、
やはり捕まっているのは僕一人だけ。
左端の格子の穴に寄り角度をつけて左を見ると、
壁の端が折れているのが分かる。
限りなく体を押し付けてそこを見ると、
やはり曲がり角のように見える。
僕の牢の左隣にもう一つ牢があり、
その隣に曲がり角があるような構造か。
念の為看守が来た時に、足音をよく聞いてみるか。
他に見れるところはないか。
床や天井の作りも牢と同じように見える。
掃除されているのか牢より綺麗にも見える
試しに指の届く範囲で廊下の床を傷つけると、
牢と同じ時間で修復された。
期待していなかったが、
手を伸ばして穴を開けるなどは不可能。
格子に足を突っ込んで天井に傷をつけるも、
同じ時間で修復される。
格子も試したが、寧ろ他より早い時間で
修復された。それもそうだ。
試せるものは全部試してみよう。
格子は固く組まれており広げることはできない。
改めて格子の裏側を触るが、
やはり鍵穴やノブのような部分はない。
あらかた調べ終えて、
敢えて残していた場所がある。トイレだ。
覗きすぎて看守達に陰口を言われたが、
今なら気軽に調べることができる。
薄暗くて分かりづらいが、
奥に牢の床とは層が別れて
成形されている部分が見える。
やはり汚物を流しているからか、
他の枝とは色が違って見える。
起きてからまだ排泄はしていない。
今なら触ってもいい⋯はず。
恐る恐る黄色に変色した枝に触れる。
見た目通り触り心地が悪く少し湿っている。
奥が外と繋がっているからか
やや空気の流れを感じた。
外から見た通りこの穴は
空中で途切れているため、
直接外に出ても危険なだけだろう。
一回触ってしまったのでもう変わるまいと、
大胆に穴に手を突っ込む。
腐っているのか湿っているのか、
若干融通が効き力を込めると穴が広がっていく。
肘まで入るかといったところで、
床とは違う層の部分に辿り着く。
そこは床の枝よりも密度が低く、
やや柔らかい枝が細かく集まっている。
少しだけ暖かい。
断熱か保温の役割を担う部分なのかもしれない。
ロルが魔法では床と同じ素材の枝が
使われていたので、細かい構造は分からなかった。
違う層はかき分けるほど空間が広がるが、
修復機能もあり形が元に戻った。
頑張って肩まで穴に手を突っ込んだが、
同じ層が続くだけだった。
つけ入る隙がありそうに見えたが、
トイレの穴も小さく修復機能も克服していない。
できるところはもう粗方調べ終わったか。
尻もちを着いて一息つく。
にしてもここまで調べあげても
看守はまだ来ないな。逆に心配になってきた。
牢に入ってから脈の計測は止めているが、
とっくに時間は過ぎているだろう。
耳を澄ますと、ようやくそれらしい足音が
聞こえてきた。床に寝転ぶ。
だんだん足音が大きくなってくるが、
そんなことがどうでもよくなるくらい腕が臭い。
できる限り右腕を鼻から遠ざけて、
大きくなる足音に耳を澄ます。
大体ではあるが、予測した通りの
建物の構造を歩く音が聞こえる。
今角を曲がった。
「あれ、寝てるー」
声に反応した素振りをして、
格子の方を見る。看守に特に変わりはない。
「なんだ起きてるじゃん、ここに置いとくねー」
格子の隙間から皿が置かれた。
しかしいつもとは違う違和感があった。
看守の顔を見ると、何やら顎が動いている。
まるで何かを食べているようだ。
砦の食料庫で食事を済ませたのか?
だから戻るまで時間がかかったのか。
その想像はかなり甘かったと瞬時に気がつく。
皿の野菜の質が悪い。
野菜くずのようなものしか入っておらず、
量も少なくなっている。
もしや比較的食べられそうな部分を、
ここに来る途中で看守が食べてしまったのか?。
もはや食うことで健康に支障を
きたしそうなものしか残っていないぞ。
思いつく限りの罵倒を浴びせたかったが、
生憎言葉は喋れない設定。
とりあえず葉をつまんで嗅いでみるものの、
瞬間的に嘔吐きそうになり鼻を離す。
今の僕の右腕といい勝負をしている臭いだ。
とりあえず食べるのは諦める。
これ以降食べられるものが来なくなったら、
いよいよ時間との勝負になってくる。
脱出と餓死どちらが先か。
ここ最近野菜しか食べていないので
分が悪い戦いだ。
本当に食べられるものはないかとくずを
一つずつ吟味してみる。
腐敗、虫食い、埃かぶり、
どれも口に入れればアウトな代物。
その中からなんとかして
安全な部分を毟って食べ、
残ったものはトイレに捨てる。
「?」
くずをより分けていると、
ふと懐かしい匂いがした。
村でよく嗅いでいた匂いだ。
正確には近い匂いだが、
この匂いがする場所をよく知っている。
うちの家は風上にあるから普段は
この匂いはしないが、
家を出るとすぐに匂うのだ。
うちの二軒隣には、木材を熱湯で
長時間煮込んで柔らかくする
工程を担う家がある。
家から出る時と帰る時、
冬以外は毎度その匂いを嗅いでいたのだ。
食べれなくもない木の実を食べるなと
言っていたのは、こういうことだったのか。
看守の目を盗み、皿にある木の実を
トイレの縁に置く。
目を盗んでは置き、皿の上には
野菜くずだけが残る。あとはもう捨てていいか。
野菜くずをトイレの穴に流し入れ、
闇に葬られていくのを見守った。
格子の前に皿を置くと看守がそれを回収し、
左へと歩き出した。
腐りかけの木の実の扱いをどうするか、
これが専らの課題だ。
そのままの状態ですぐに木に作用するのなら、
木の皿に乗せて提供などしないだろう。
ここにかまどなど無く、
ましてや火種も水もない。
木の実が長い時間をかけて
木に作用することを祈るしかない。
木の実は五粒程ある。
木の実を擦り付ける候補は四つ、
通常の壁とトイレの穴の二層、そして格子だ。
そもそも効果があるかどうか分からないので、
試験的に実を三つ格子以外に使う。
部屋中にほんのり異臭が行き渡るが、
我慢して経過を観察するしかない。
観察して半日が経っただろうか、
まだどの箇所にもなんの変化もない。
精々擦ってついた木の実の汁が、
乾いて色が変わったくらいだ。
『ジョボボボボ』
「!」
雨か。天井から連なった雫が
やがて滝のように垂れ下がってくる。
これ幸いと体が求める分だけ水を飲み、
ついでに体も洗う。
「あ」
擦り付けた木の実の成分は、
水に流されてしまうかもしれない。
そしたら実験はやり直しだ。
まあ実は後二粒あるから続けられはする。
体を洗い終わり改めて右腕を嗅ぐ。
うん、少し臭いが残っている。
マシにはなった。
服も洗いたかったが万が一風邪を
ひいたら脱出に支障が出るのでやめておく。
「ッ」
おもむろに格子の方を見たら、
看守がこちらをじっくり見ていた。
まさか身体を洗っていたのを
一部始終見られていたのだろうか。
目が合っても看守はこちらから目を
逸らすことはなかった。どういう根性なんだ。
まさか後ろに⋯。
振り返っても故郷を思わせる壁以外特にない。
「フフン」
まるで勝ち誇ったかのように、
看守のエルフは目を逸らし持ち場に戻った。
最後まで目をそらさなかった方が勝ち、
のような勝負を仕掛けられていたのだろうか。
エルフ独特の文化か、
あるいは看守のエルフが子供じみているだけか。
様子からして木の実を
擦り付けているところを
見られた訳ではなさそうだ。
今までの動向から見て、
この看守は好奇心旺盛なようだ。
人としてダメな程に。
職務に対してそこまで忠実でない態度に、
結構救われている部分はある。
虜囚の飯をくすねるのは如何なものかと思うが。
余程腹が空いていたのか。
看守に行き渡らないほど
食料が不足しているのか?。ありうる話だ。
飯の頻度が日に日に
少なくなっているように感じる。
そして質も落ちた。
エルフの国は今年は不作なのだろうか。
その線は薄いだろう。
不作ならエルフの国に近い僕の村でも
何か影響があるはず。
今年はむしろ不作どころかやや豊作の年だった。
エルフの国でもきっとそうだろう。
断食のような慣習ではないだろう。
皆そこまで快く飢えていないように見える。
ならば食料を何かに
費やす行事をしている可能性。
エルフ特有の祭りとか。
それなら腹が減って虜囚の飯を
つまみ食いすることもあるかもしれない。
何にせよ最もらしい想像は既についている。
戦争だ。
砦に男のエルフがいないことも、
食料が不足していることも、
この一言でかたがつく。
しかし今そんな心に悪いようなことを考えて、
作戦に支障を出したくない。
この考えもまた言い訳に過ぎないというのは
重々承知している。
少なくとも何かの確証を得るまでは、
終わりのない想像に手をかけるのはやめておく。
『ピチョン⋯』
どうやら今回の雨はすぐに止んだようだ。
通り雨だったのだろうか。
すぐには止まないだろうと高を括っていたので、
体が求める分しか水を飲まなかった。
急に名残惜しくなり、
天井から垂れる水滴を口で受け止める。
「あうっ」
水滴が落ちる場所がかなりまばらで、
顔にも水滴が当たってしまう。
水滴を効率よく飲もうと天井を見た時、
ふと思い至る。天井が円上に湿っている。
水が流れる時は一点から
滝のように流れていたが、
天井は広く湿っているようだ。
天井に穴を開けて朝日を見た時、
水が集まる機構は解明できなかった。
トイレの穴から床が層で別れていたことから、
天井もそうなっている可能性が高い。
調べてみたいが、天井は格子を
よじ登って初めて触れられたほど高い。
それ以外の方法で登れるのなら既に試していた。
天井には触れられないか。
落ち込んで目を落とすと、
壁が緑色に変色しているのが目に入った。
変色している部分は、
先程腐った木の実を擦り付けた場所。
トイレの穴も見てみてると、
木の実を擦り付けた二つの場所が、
より変色している。
擦り付けてすぐ後に変色は始まっていなかった。
それは全部分共通している。
相応の時間が経ったのか、
雨水に触れたのが原因か。その両方か。
実の成分が雨に流れなかったのは運が良かった。
試しに変色した壁に触れてみる。
『パキッ』
壁を形成している枝の変色した皮が、
卵の殻のようにボロボロと崩れた。
その皮の中には、引き締まった枝の芯が
残されていた。その瞬間から脈を数え始める。
三十⋯六十⋯。いくら数えても、
枝が回復を始めることはなかった。
腐った木の実の成分は、
魔法での木の回復を阻害することができる?。
試しにほんの少しだけ、
皮が剥がれている枝の芯を引っ掻いてみる。
すると本来回復が始まる時間の倍の時間で、
枝が生え変わった。
木の実の成分で、
皮が剥がれただけでは
回復が始まらなくなるらしい。
もしそうとなればこれは大きな収穫だ。
脱出の手段が増えることに繋がる。
そうなれば考えることは格段に増える。
まず木の実をどのように費やすかだ。
天井を調べるために壁に点々と実を使うか、
あるいはトイレの断熱層に実を使うか。
使うにしてもタイミングを考えた方がいい。
看守に見張られている間は難しいだろう。
看守のことを意識した瞬間、
気になって見てしまうというのが人情だろう。
牢の前の看守は、
いつもは見ない姿勢になっていた。
座っている。
恐る恐る近づき格子の隙間から様子を見ると、
緩やかな息遣いをしているのがわかる。
寝ている。あまり仕事に忠実でないのは
分かってはいたが、これで職務怠慢が過ぎる。
まあこちらにとっては
好都合もいいとこなのだが。
ゆっくりとトイレの前へ向かう。
そして手をかけるところを正確に測りながら、
腐った実を壁に擦り付ける。
薄暗いから変色しても気づかれないだろう。
あの看守のことだし。
トイレに使った実の作用も、
じっくり調べるとするか。
トイレの穴をのぞき込む。
元々黄色に変色していた枝が、
緑色の変色と重なり黄緑になっている。
元々の色合いに逆に近づくのが、少し面白い。
枝に触るとまた皮が崩れ始める。
崩れ方はかなり細かく砂のようであり、
しかし枝の芯は元の状態を保っていた。
実の成分が皮だけに作用したのだろうか。
検証の余地がありそうだ。
断熱層の方は触る前から皮が無くなっている。
元から枝が細かったのが起因したのか。
実の成分は枝の皮から芯に
浸透し構造を破壊していくようだ。
また汚物の成分が既に皮に付いていると、
成分が芯まで浸透せず皮に留まるみたいだ。
皮が黄色くなっていたので、
おそらく小便が原因でそうなっているのだろう。
脱出において枝の芯を壊すのがいいのか、
残すのがいいのかは考証の余地がある。
そういえば、ロルに壁の修復機能のことを
聞くのを忘れていた。
聞く暇がなかったというのが正しいか。
ロルなら詳しい仕組みを知っているかも。
魔法のことも出来れば教わりたい。
人間には無理と言われたらそれまでだが。
適当にロルの手振りを真似しても、
牢の壁や天井を操作することはできない。
看守たちも魔法を使うが、
あれ程見事なものは使っていなかった。
使っていないだけでできるのかもしれない。
看守の立場で使う魔法でもないだろう。
そういえば、建物を修復する魔法は
誰が使っているんだ?。
この施設のどこかにいる、
高名なエルフの魔法使いが
魔法を使っているのか?。
あるいは、施設内の人員が分担しているのか?。
どちらもありうる。
その仕組みも、後でロルに聞いてみるとしよう。
もうできることはやり尽くしただろう。
あとはひたすら好機を待つのみ。
というのがかなり暇になるというのは、
前回でもう分かっている。
この暇をどう潰すかが肝要だ。
寝てしまっては⋯。
もう朝日を拝む必要はないか。
なら寝てしまってもいいかもしれない。
いや、それなら好機を逃すかも。
いや、元々寝ている間の好機は
逃しても仕方のないものだ。
それに今日はもう疲れた。
少し、少しだけ目を閉じよう。
そしたら元気になって、
暇の潰し方も思いつくはず⋯。




