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タイトル未定2026/10/12 17:51

「泰夫待たせたな、しばらく待っていろ」


 斎藤の声がしたが泰夫はうずくまったまま手だけでそれに応えると斎藤は奥へ向かった、奥の内藤がいるであろう牢の錠が外れる音がした。


「おい土方、俺だ斎藤だ、大丈夫かこの程度で逝く魂(たま)ではなかろう」


「大丈夫です、土方様存命です」


 是貞の声がし斎藤が運び出せと指示を伝えると宗盛と合流して内藤を運び出した、斎藤が泰夫の元へ戻ってくると牢の錠を外し中へ入ってくると泰夫を抱き起こした。


「さ、斎藤様⋯しばしお待ちを」


 泰夫はそう言って斎藤から離れると老人のいる処へ向かった、闇の中に光る眼はなく心配した泰夫は老人の肩を揺すった、老人は泰夫の手を握り己の安否を泰夫へ伝えた。


「ご、ご老人⋯ごほっごほっ、共に参りませんか、ここにいてはお体に障ります」


 老人は泰夫の手をぽんと叩くと立ち上がった、泰夫は声はせずとも共に牢から出る事を選んだのだと出口へ誘った。


「泰夫、誰だその爺は」


 斎藤は聞いてきたが泰夫は口を開き喋るのも辛く斎藤の腰を叩き自らも出口へ向かった。

 道すがら彼方此方に番人がもがき苦しんでいた、涙が止まらぬその眼は逃げゆく泰夫達を捉えてはいるであろうがなす術なくその場でもがくだけ、足元では吟味所で自分を打ち付けた番人が泰夫の足を掴もうとしていたが泰夫はその手を恨みを込めて踏みつけてやった、番人はその手を踏まれた為かこの苦しき状況のせいか相変わらずもがくのみで泰夫の行手を阻む事が叶う事はなかった。


 外へ出ると春雷を伴い激しく雨がそこらじゅうを穿つように打ち付けていた。

 春というのに冷たい雨であったが牢屋敷での二日間とこのまとわりつく忌まわしき状況を洗い流してくれるようで泰夫は天を見上げ両手を広げ大きく深呼吸をした、そこへ後ろから来た斎藤が声を掛けてきた。


「泰夫もう大丈夫だ、孝江も来てるぞ、この色男め」


 そう言って背中を叩いた、泰夫は痛っと声を上げ歩き出すと是貞から装束を渡され歩きながらそれを着込んでいった。

 前には宗盛に抱えられる内藤がいた、泰夫はとんでもない目にはあったが万事上手く収まりこれで孝江と母の元へ帰れると感慨深かった、すると再度、斎藤が後ろから声を掛けてきた。


「おい泰夫、あの爺さんはどうした」


 共に牢を出ようと声を掛けた老人であったがその存在をすっかり忘れていた、泰夫はそう言えばと辺りを見回した、確か自分より先に牢を出た筈であったがと泰夫は振り返り屋敷を見ると此度は血相を変えて駆けてくる斎藤がいた。


「そいつを止めろ、土方を狙ってる」


 泰夫はその声に咄嗟に門のほうへ向き直った、前には内藤を抱えた宗盛の姿が見えた、だが雨音に遮られたか宗盛には斎藤の声が届いていない、そのときであった泰夫の視界の端に門塀に沿ってあの老人がふたりへ迫るのが映った、信じがたい速さであった、手にはいつ手に入れたものか刀を提げまるで地を滑るように走り迫っていた。

 泰夫は反射的に短筒を放った、もし内藤の身に何かあったならそれは間違いなく己が咎(とが)である、されど、どこかで情けが差したか弾は老人の太腿を撃ち抜くにとどまった、老人はたちまちよろめいたがそれでもなお脚を引きずり内藤のもとへ向かっていた三間ほどに迫ったところで老人は老いの身とも思えぬ跳躍を見せ宙より内藤へ斬りかかった、背後では斎藤の獣じみた叫びが雨の中に轟いた。

 白刃が内藤の頭上へ届かんとしたそのとき、泰夫はとっさに己が腕をその間へ差し入れた、弾除けの手甲がかろうじて老人の刃を受け止める、されど刃は手甲に弾かれず老人は手甲の上を沿いぬらりと刃を滑り落とした、泰夫がはっと目を落とすと老人は身を低くしたまま腰をひねりその勢いで内藤を横薙ぎに払おうとしていた。

 刹那、眩い閃光が三たび奔る、老人は身を屈めたまま、ゆるゆると地へ崩れその刃が内藤へ届く事はなかった、雨に濡れた土の上は赤く染まりゆき、あたりの気配はしんと冷えた。


「宗盛様、内藤様、大丈夫で御座いますか」


 孝江の声がした、門を出た壁際に孝江は立っており手にする短筒の先からは雨を受け湯気が立っていた、泰夫は孝江の元へ行こうとしたがその足は留まり根が生えたが如くそこを離れようとしなかった。


「ご老人、何故」


 泰夫はしゃがみ込むと老人へ声を掛けた。


「お若いの⋯か、いやはや最期の⋯お勤めと思うとったがこの⋯様な最期が待っておるとは、人生とはまま⋯ならぬものよ」


「ご老人、あなた様は」


「⋯誰でもない、何者でもない⋯名も無き老いぼれよ⋯」


 遅れ斎藤がそばにくると老人の喉元に刀を突き立てた、だが泰夫はそっと刀を手で押しやると首を振った斎藤は何も語らず何かを汲み取ると通り過ぎ門の外へ出て行った。


「某を⋯お主の許嫁か」


 老人の問いに泰夫は無言で頷いた、老人は微かに笑みを浮かべ何を思うてかこくこくと頷いていた。


「お若いの⋯この期に⋯及んで⋯無礼は重々⋯承知⋯ではあるが⋯お主の手で⋯とどめを⋯頼めはしまいか」


「それは無理で御座います、私はただの百姓、その覚悟はありません」


 すると老人は打って変わり最初に聞いたあのすごんだ声で言うてきた。


「やれ、鬼となれ、でなければあの女子に取り込まれるぞ」


 泰夫は立ち上がると何を言われても取り合わぬように立ち去ろうとした、すると老人は又、優しき声に戻り言った、されど泰夫は振り返らずそれを背中で聞いた。


「なればお若いの、お主は絶対に死ぬな死んではならぬ、お主が死ねばあの女子の箍(たが)が外れる、こゝろせよ」


 泰夫はやはり最後にと振り返り礼をしようとするとうずくまっていた筈の老人は立ち上がると刀を振りかざしていた、泰夫は自分でもわからぬうちに老人の額を撃ち抜いていた、刻が過ぎゆくのが止まったが如く背後へとゆるりと崩れ落ちる老人、その顔にはあの微笑みを湛えていた。




「まずまずの浮き世で御座いました⋯母上様」




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