タイトル未定2026/10/12 14:15
丑の刻なかばより前、旅籠「葵屋」をひそかに発った夜鷹の面々を前に孝江はあらためてそれぞれの配置を申し渡した。
「重信、謙次は城下を出で東海道に爆薬を敷設、杉、庄之助、忠太郎、佐治は牢よりの脱出経路確保、十一間おきにて待機、宗盛、斎藤は是貞とともに牢屋敷へ入り、内藤様と泰夫さんを救い出せ、わたくしは屋敷の外にて指揮を執る、もし不測の事態あらば、各々、己が命を優先に考えて動け、はぐれし時は三日の後、箱根陣跡にて合流…以上、何か問うべきことのある者は」
一同を見て宗盛が号令を掛けた。
「各々方、参る」
「はっ」
桜吹雪の散る駿府城下を夜鷹の一行は黙々と進んだ、月は厚雲に閉ざされ空には雨を兆す湿りが満ちあたりは新月のごとき闇であった、面々は兜の夜眼鏡を下ろし舞い降りる花弁の桃を緑に染め町筋を駆け抜けた、筋を吹き抜ける冷風は彼らが巻き上げた砂埃すらたちまち奪い、夜鷹の影を城下から消していった、重信と謙次は隊列を離れ東海道へ向かった、残る面々は更に進むと牢屋敷を目前にし庄之助、忠太郎、杉、佐治が次々と闇夜に消えていった。
「是貞、こちらえ」
「はっ」
牢屋敷前に集いし夜鷹の面々は是貞より状況を聞くと早速、行動を開始した。
「孝江様、先ほどから泰夫様と連絡がとれませぬ」
「その様ですね、源が尽きたので御座いましょう問題はありません」
そう答える孝江に宗盛は聞いた。
「して孝江、これよりどうする」
孝江は肩より下げる頭陀袋から茶筒を取り出すと各々にそれを渡した。
「これは」
「これは敵の戦意を削ぐ物で御座います、中へ入り屋敷内に栓を抜き投げ込んで下さい、さすれば無駄な殺生もせずに済むでしょう、お渡しした面の装着くれぐれもお忘れなき様に」
宗盛は頷くと斎藤と是貞を呼び己は壁際に立ち小柄な是貞を持ち上げ屋敷内へ侵入させ門の閂を外させた、しばしの間の後、門はゆっくり開き是貞が顔を出した、宗盛はもう一度孝江に頷くと斎藤を連れ立って屋敷内へ入っていった。
「是貞は裏から斎藤様はあの格子から、拙者の合図にてそれを投げ込んで下さい」
斎藤と是貞は黙って頷くと、それぞれの持ち場へ散った、宗盛は異様な形をした面を顔に被り二、三度ゆるく呼吸を試す、吐く息は面の内で籠もり独特の音を洩らしたが差し障りはない、やがて宗盛はふたりより届く報せで各々の面の装着を確かめ静かに合図を発した。
「今じゃ」
三名はそれぞれ茶筒の栓を抜くと屋敷内へ投げ込んだ、されど、しばし待っても目立った変化は起こらない宗盛は眉をひそめ、ただちに孝江へ連絡を入れた。
「孝江…」
「大丈夫です、中へお進み下さい」
孝江はその問いを見越していたのか宗盛が問う中、先に答えを出した。
「あ、相わかった」
宗盛はわずかに戸惑いながらも斎藤と是貞へ侵入の合図を送り自らも白洲から屋敷内へ踏み入った。
先ほど投げ入れた茶筒はなお淡く煙を吐いていたが宗盛は孝江を信ずると気にも留めず奥へ進んだ、やがて奥の間より息もつけぬ程咳込む気配が聞こえた宗盛は足を止め戸の隙よりそっと中を窺うと中の者はうずくまり目も開けられぬ様子、その眼や鼻、口からはだらだらと雫を垂らしただもがいていた、そして堰を切ったように彼方此方から咳き込む声がいっせいに響きはじめた。
宗盛はこれでは敵も容易には動けまいと息を整え、ふたたび奥へ進んだ、するとそこへ是貞より報せが入った。
「牢を見つけました、泰夫様発見⋯土方様発⋯見、されど動く気配なし」
斎藤は返事もせず牢へ走った途中、壁に手をつきもがき苦しむ番人がいたがそれを蹴り飛ばすと相手もせず牢へ向かった。
「こっ、こ、是貞、これ⋯なんだ」
是貞に気付いた泰夫は牢の中から苦しそうに是貞に聞いたがわかりませんとこもった声が返ってくるだけ、泰夫はうずくまると小さくなりこれは吸うてはならぬ物であると老人にもそれを伝えたが老人からの返事はなかった。




